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【2】遭遇編:管理人さん(仮)との出会い

「クゥーン……」


 リリアの目の前では、先ほど「浄化(物理)」したはずの巨大な白狼が、腹を見せて転がっていた。

 かつては『絶望を喰らう黒狼』と呼ばれ、その咆哮一つで騎士団を退散させた魔獣である。


「わあ、やっぱり人懐っこいワンちゃんですね! お腹を撫でてほしいんですか?」


 リリアが一生懸命にその巨体を撫で回すと、白狼はうっとりと目を細める。

 その背後で、ようやく立ち上がったゼノスが、信じられないものを見る目でその光景を眺めていた。


「お前……。それが何だか分かっているのか? それはフェンリル……森の王だぞ」

「フェンリル? かっこいいお名前ですね! でも、ちょっと毛玉が多いみたいなので、今度ブラシをかけてあげなきゃ」


 リリアの基準では、魔獣も「困っている動物」に分類されるらしい。

 ゼノスは頭を押さえた。リリアがぶちまけた聖水のおかげで、彼の体を蝕んでいた呪いの大半は霧散している。だが、代わりに「常識」という名の平穏が崩壊しようとしていた。


「管理人さん、お腹空いてませんか? 私、いいものを持ってきました!」


 リリアがリュックから取り出したのは、教会でもらった干し肉と、森で拾った「ピカピカ光るキノコ」だった。


「待て、そのキノコは……」

「はいっ! さっき道端で『食べて~』って言ってる気がしたので、たくさん採っておきました!」


 それは魔の森の最深部にしか咲かない、猛毒にして超高純度の魔力を秘めた『天星茸』だ。

 普通の人間が触れれば即座に魔力暴走を起こす代物だが、リリアが持つと、なぜかその毒素が「旨味成分」へと変質していく。


「料理なら任せてください! 私、一生懸命作りますから!」


 意気揚々と鍋を火にかけようとしたリリア。だが、足元に転がっていた白狼の尻尾に気づかず——。


「わわっ!?」


 盛大にズッコケた。

 手にしたキノコが宙を舞い、焚き火の中にダイブする。

 直後、リリアのドジに反応した聖力が火に引火し、小屋の周囲に七色の爆炎が上がった。


「ああっ! またやってしまいましたー!」

「……もういい。お前は座っていろ。命がいくつあっても足りん」


 ゼノスは深いため息をつき、リリアの襟首を掴んで椅子(切り株)に座らせた。

 これが、呪われし騎士とドジ聖女の、奇妙な共同生活の本当の始まりだった。


「管理人さん! この小屋、ちょっと暗いと思いませんか?」


 翌朝、リリアは腰に手を当てて宣言した。

 ゼノスが十年もの間、呪いから身を隠すために潜伏していたボロ小屋。そこは魔霧に包まれ、常にジメジメとした絶望が漂う場所だったはずだ。


「……隠れ家なのだから、暗いのは当然だろう。それよりお前、その手に持っている不穏な液体は何だ」


 ゼノスが警戒の眼差しを向ける。

 リリアの手には、バケツ一杯になみなみと注がれた「自称・お掃除用の水」があった。

 それはリリアが「一生懸命お祈りしながら汲んできた」結果、致死量の聖力が溶け込んだ高純度の聖水である。


「これをパパッと撒けば、きっとお部屋も明るくなりますよ!」


「よせ、この小屋の建材は魔力を吸って保たれて——」


 ゼノスの静止も虚しく、リリアの足が小屋の敷居に綺麗に引っかかった。


「わわわわわっ!」


 宙を舞うバケツ。

 放たれた聖水が、スローモーションのように小屋の壁、床、そしてゼノスの頭から降り注ぐ。

 直後、小屋全体が目を開けていられないほどの白光に包まれた。


 ピキ、ピキピキィィィン!


「なっ……!?」


 ゼノスが目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 カビだらけだった壁板は白銀に輝く神木のような質感に変わり、湿っていた床からは柔らかな薬草の芝生が生い茂っている。

 極めつけは、小屋の周囲を覆っていたどす黒い魔霧が完全に消滅し、そこだけポッカリと青空が見えていた。


「わあ! とっても綺麗になりましたね!」


 リリアは泥だらけの顔で、満面の笑みを浮かべている。

 一方で、ゼノスは自分の手を見た。リリアのドジで聖水を浴びた結果、残っていた呪いまでもが「ついで」のように消え、体中に溢れるような活力が戻っていた。


「お前……。これは掃除などではない。結界の再構築どころか、聖域化だぞ……」


「せいき? よくわかりませんが、明るくなって良かったです! あ、管理人さん、お洋服がボロボロなので、次はこれをお洗濯しますね!」


 リリアの目が、ゼノスの着ている唯一の服(という名のボロ布)を捉える。

 ゼノスは本能的に危機感を覚え、一歩後ろに下がった。


「断る! それ以上何かを『掃除』しようとするな! この森が消えてなくなる!」


「そんなこと言わずにー! 待ってくださいー!」


 聖域と化した森の中で、逃げる伝説の騎士と、洗濯板を抱えて追いかけるドジ聖女。

 その様子を鏡越しに見ていた教会の女子たちは、「あ、今ゼノス様の服がちょっとはだけた!」「リリア、もっと転んで剥ぎ取りなさい!」と、朝から血圧を上げているのだった。


「管理人さん、ずっと気になっていたんですけど……」


 リリアは、朝食の「光る芋のポタージュ」を飲み終えると、じっとゼノスの顔を見つめた。

 ゼノスは呪いが薄れたことで以前より体調は良さそうだが、その顔半分は、長年放置されたボサボサの黒髪に覆われている。


「……何だ。その、獲物を狙うような目は」

「髪の毛、長すぎます! これじゃ管理人さんの素敵な目が見えませんよ。私が一生懸命、切ってあげます!」


 リリアはリュックから、聖王国で使っていた裁縫用のハサミを取り出した。

 ゼノスは嫌な予感しかせず、即座に立ち上がる。


「断る。髪など、放っておけばいい。それにお前のことだ、ハサミを持たせるのは危険すぎる」

「大丈夫です! じっとしていれば、パパッと終わりますから!」


 逃げるゼノス、追いかけるリリア。

 だが、ここはリリアが「うっかり」聖域化してしまった、フカフカの薬草が茂る床である。


「わわわっ!?」


 リリアの足が、盛り上がった薬草の根に引っかかった。

 前方へ倒れ込むリリア。その手には、聖力で不自然に光り輝くハサミ。


「うおっ!?」


 ゼノスが反射的に彼女を受け止めようとした瞬間、リリアのハサミが空を切り、ゼノスの前髪をかすめた。

 直後、ハサミから放たれた衝撃波(聖力)が、ゼノスの髪を「呪いごと」一気に刈り上げた。


 ——沈黙。


「あ、あわわわ……やりすぎちゃいました……」


 リリアが恐る恐る顔を上げると、そこには「髪を切りすぎた男」ではなく、大陸中の女性が卒倒するレベルの超絶美形が立っていた。

 整いすぎた眉、切れ長で鋭くも深い蒼の瞳、そして彫刻のように美しい輪郭。


「…………おい。切りすぎだと言っただろう。これでは顔が丸見えじゃないか」


 ゼノスは不機嫌そうに顔を背けたが、その耳たぶはうっすらと赤くなっている。

 一方のリリアは、ハサミを握ったまま固まっていた。


「……管理人さん、もしかして、すっごくかっこいいんですか……?」

「今さら何を言っている。早く片付けろ」


 その頃、教会の資料室では大変なことが起きていた。


「ギャァァァァァァーーー!! ゼノス様の全貌がっ! 全貌が公開されたわぁぁ!!」

「ちょっとカレン、鏡を離しなさいよ! 私の推しが……推しの顔面が神々しすぎて目が潰れる……っ!!」


 鏡越しにゼノスの素顔を拝んだ同僚女子たちは、あまりの破壊力に鼻血を出して倒れる者が続出。

 教会の奥深くで、禁断の阿鼻叫喚が巻き起こっていた。


「リリア、あんた本当によくやったわ……! ドジ万歳! 今夜は赤飯よ!!」


 親友の勝利(?)を確信した女子たちは、リリアに届かぬ声で、全力のガッツポーズを決めるのだった。


「管理人さん! 今日は私、最高の一品を作りますからね!」


 リリアは鼻息荒く、小屋の裏に急ごしらえで作った調理場に立っていた。

 目の前には、浄化されてフカフカになった土から採れたばかりの『魔力ジャガイモ』と、昨日リリアに懐いた白狼がどこからか運んできた『幻の巨大鳥の卵』がある。


「……リリア。料理はいいが、火の番は俺がやる。お前が火を扱うと、この森に第二の太陽が昇りかねないからな」


 ゼノスは素顔を晒して以来、どこか落ち着かない様子だが、リリアの守護(監視)に関しては以前にも増して真剣だった。


「大丈夫です、管理人さん! 今日は隠し味に、この『女神の癒やし粉(※ただの塩だが、リリアの聖力が詰まっている)』を使いますから、元気百倍になりますよ!」


 リリアは意気揚々とジャガイモを刻み始めた。

 しかし、包丁(聖力で切れ味抜群)を握る手が、まな板の上のジャガイモの皮でするりと滑る。


「わわわっ!?」


 リリアがバランスを崩し、盛大に鍋の方へ倒れ込んだ。

 その拍子に、手に持っていた『女神の癒やし粉』の瓶が、中身ごと鍋にドボンと没収された。


 ドォォォォォォン!!


 鍋の中から、黄金色の光柱が噴き上がった。

 それはもはやスープというより、液状化した奇跡である。


「ああっ! また入れすぎちゃいました!」

「お前……。それはもう『料理』ではなく『高ランクのポーション』だ。普通の人間が飲んだら魔力酔いで気絶するぞ」


 ゼノスは頭を抱えたが、リリアが「一生懸命作ったんです……」と、涙目でスープを差し出すと、どうしても断ることができなかった。

 覚悟を決めて一口、その黄金の液体を口にする。


「…………っ!?」


 喉を通った瞬間、ゼノスの五感を爆発的な衝撃が駆け抜けた。

 味は信じられないほど美味い。だが、それ以上に、体内に残っていたわずかな呪いの残滓が、リリアの聖力によって根こそぎ「消滅」させられていくのを感じた。


「管理人さん……? やっぱり、美味しくなかったですか?」

「……いや。美味すぎるくらいだ。おまけに、長年苦しんだ呪いが、今ので完全に消えた気がする」


 ゼノスはリリアを見つめた。

 ドジで、危なっかしくて、何一つ自覚のないこの少女が、自分を暗闇から救い出してしまった。

 不覚にも、その一生懸命な笑顔に、ゼノスの心臓が大きく跳ねた。


「よかったです! おかわり、いっぱいありますからね!」


 その頃、教会の女子たちは——。


「見て! ゼノス様が耳まで真っ赤にしてリリアを見てるわよ!」

「完全に落ちたわね、これ。でもリリアは『おかわり』のことしか考えてないわ!」

「リリア! そこは『あーん』でしょ!? なんで鍋ごと差し出してるのよぉぉ!!」


 教会の資料室では、リリアの恋愛偏差値の低さに、女子たちが膝を叩いて悔しがっていた。


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