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【1】追放編:ドジっ子の本領発揮

「……あ」


 その瞬間、聖王国ルミナリスの歴史が静かに、そして物理的に音を立てて崩れ去った。


 厳かな大聖堂。

 数百人の聖職者が跪き、女神への祈りを捧げる神聖な儀式の真っ最中。

 中心に座する大司教が、天高く掲げていたのは国宝中の国宝——女神の涙を封じたとされるクリスタルの聖具だった。


「わ、わわわわわっ!」


 静寂を破ったのは、末席に控えていた聖女リリアの悲鳴。

 彼女はただ、一歩前へ出ようとしただけだった。

 しかし、彼女の足元には女神の加護……ではなく、なぜか自分の右足に引っかかった左足があった。


 リリアの体が見事な放物線を描く。

 一生懸命に手を伸ばし、何かを掴もうとした先には、大司教の持つ聖具があった。


 ドゴォォォォン!!


 それはもはや「ぶつかった」というレベルではなかった。

 リリアの額が聖具を直撃した瞬間、国宝は粉々に砕け散り、眩いばかりの光を放って四散したのである。


「…………え?」


 大司教の手には、今や空っぽの台座だけが残されている。

 静まり返る聖堂。

 粉塵の中に頭を突っ込んだ状態で、リリアだけが明るく声を上げた。


「やってしまいましたーっ! でも、大丈夫です、磨けば元に戻るかも……あ、欠片すら残ってないですね! テヘッ!」


「テヘッ、ではないわぁぁぁぁぁぁ!!」


 大司教の怒号がステンドグラスを震わせた。


 ——数時間後。

 本来なら極刑が妥当な大不祥事であったが、リリアの友人である同僚聖女たちの「必死の命乞い」と「あの子に悪気だけはないんです!」という嘆願により、刑罰は軽減された。


 軽減された結果が、「魔の森への国外追放」である。


「リリア……本当にあんたって子は……」

「向こうに行っても元気でね。ほら、これ、内緒で差し入れの干し肉よ」


 教会の裏口。カレンとミナたち同僚女子が、涙ながらにリリアの荷物を整えていた。

 追放先は、一度入れば二度と戻れないとされる死の森。だというのに、当の本人はリュックを背負って目を輝かせている。


「皆さん、ありがとうございます! 魔の森ですよね? 一生懸命、お掃除してきます!」


「掃除とかそういう次元じゃないから! あそこ、魔獣だらけだから!」

「リリア、お願いだから死なないでよ! 通信用の鏡は預けたから、余裕があったら連絡して!」


 こうして、リリアは聖王国を追い出された。

 背後にそびえ立つ重厚な門が閉ざされ、目の前にはどす黒い霧が渦巻く「魔の森」が広がっている。


 普通なら膝をついて絶望する場面。

 しかし、リリアはぐっと拳を握りしめ、一歩を踏み出した。


「よしっ! まずは拠点作りですね! めげずに頑張りますっ!」


 バキッ。


 踏み出した一歩目で、彼女はさっそく結界の起点となる古びた石碑を踏み砕いた。

 その瞬間、リリアの足元から温かな光が波紋のように広がり、周囲の毒々しい霧が「シュン……」と消え去ったのだが——本人はそれに気づくことなく、鼻歌まじりに森の奥へと突き進んでいくのだった。


 魔の森。

 そこは、一歩足を踏み入れれば命の保証はないと言われる暗黒の魔境である。

 どす黒い沼からは猛毒のガスが噴き出し、頭上では凶悪な怪鳥が獲物を求めて旋回している——はずだった。


「わあ、空気がとってもおいしいです! やっぱり自然っていいですね!」


 リリアが鼻歌まじりに歩くたびに、周囲の景色は一変していた。

 彼女が転んで手をついた地面からは、なぜか清らかな泉が湧き出し、彼女が「邪魔だなあ」とへし折った呪いの枯れ木は、次の瞬間には見事な果実をつける瑞々しい樹木へと浄化されていく。


 もちろん、本人は「たまたま運がいいだけ」だと思っている。


「おや……? あんなところに、大きなワンちゃんが……」


 茂みの向こうから、体長三メートルはあろうかという漆黒の狼——『絶望を喰らう黒狼フェンリル』が、牙を剥いて飛び出してきた。

 本来なら一国を滅ぼしかねない魔獣である。


「わわっ、お腹が空いているんですか? よしよし、いい子ですね!」


 リリアは逃げるどころか、足元の石に躓いて前方へダイブした。

 その拍子に、彼女の手が黒狼の眉間にクリーンヒットする。

 

 ドゴォォォン!


 リリアから溢れ出した無自覚な聖力が、黒狼を直撃した。

 一瞬にして呪いの黒毛は真っ白なフワフワの毛並みに変わり、凶暴だった瞳はトロンとした甘えん坊のそれに上書きされる。


「クゥーン……」

「あら、いい子! あっちに綺麗な水があったから、飲んできてくださいね!」


 伝説の魔獣を「大きなワンちゃん」扱いして追い払ったリリアは、さらに森の奥へと進む。

 すると、そこには朽ち果てた小さな小屋があった。


「あ、誰か住んでいるんでしょうか? ごめんくださーい!」


 勢いよくドアを叩こうとしたリリアだったが、案の定、滑った。

 そのままの勢いでドアを体当たりでブチ破り、中の光景に目を丸くする。


 そこには、一人の男がいた。

 漆黒の霧のような呪いを全身から放ち、壁にもたれかかって荒い息を吐いている。


「……何だ、貴様は……。刺客か……?」


 男——ゼノスは、死を覚悟した鋭い眼光をリリアに向けた。

 しかし、リリアの目には全く別のものが見えていた。


「わわわっ! 大変です! 管理人さん、全身泥だらけじゃないですか! おまけに顔色が真っ青です!」


「……泥だと? これは呪い……ぐっ!」


 ゼノスが苦痛に顔を歪めた瞬間、リリアが一生懸命な顔で詰め寄った。


「ダメですよ、そんな汚れたままで寝ちゃ! 今、私が綺麗にしてあげますからね!」


 リリアは手近にあったバケツ(聖力が勝手に充填されている)をひっくり返し、盛大にゼノスへとぶちまけた。


「ぐわぁぁぁぁぁぁぁ!!?」


 悶絶するゼノス。呪いと聖力がぶつかり合い、小屋の中が眩い光に包まれる。

 ゼノスを縛り付けていた鎖のような呪印が、パリンパリンと景気よく砕け散っていった。


「ふう。少しはさっぱりしましたか? 管理人さん!」


 光が収まったあと、そこには呆然とした表情で、呪いがほとんど消え去り、驚くほどの美貌を露わにしたゼノスが座り込んでいた。


「お前……一体、何をした……」

「えっ? ただの拭き掃除ですよ! あ、管理人さん、お名前は何て言うんですか?」


 聖女のドジという名の天災が、最強の騎士の運命を粉砕した瞬間だった。


 聖王国ルミナリス、中央大聖堂の一角。

 普段は厳粛な祈りの場であるはずの資料室に、数人の女子聖職者たちが息を潜めて集まっていた。


「……ねえ、本当にやるの? 見つかったら私たちまで追放よ?」

「背に腹は代えられないわ。あのドジなリリアが、魔獣の餌になってるかもしれないのよ!?」


 カレンが震える手で、布に包まれた円形の物体を取り出す。

 それは、遠方の様子を映し出すことができる国宝級の魔導具『聖なる鏡』だった。本来は聖域の異変を察知するためのものだが、彼女たちの目的はただ一つ。「友人の安否確認」である。


「いくわよ。……女神ルミナの名において、リリアの現在地を映し出せっ!」


 カレンが祈りを捧げると、鏡の表面が波打ち、霧が晴れるように映像が浮かび上がった。

 ミナたちが「どうか無事でいて!」と目を覆いながら画面を覗き込む。


 そこに映っていたのは——。


『わわっ、管理人さん! その毒々しい色のキノコは食べちゃダメです! 今、私が美味しいお粥にしてあげますからね!』

『……待て。そのキノコは俺が十年かけて育てた魔導触媒だ。あと、お前が今お粥に入れたのは「竜の逆鱗草」だろうが! 死ぬぞ、俺が!』


 画面の中では、見知らぬ小屋でリリアが元気に(かつドジに)立ち働き、その横で「顔面が国宝級」の黒髪イケメンが、必死の形相で鍋をガードしていた。


「「「…………は?」」」


 資料室に沈黙が流れる。

 想像していた「血に飢えた魔獣に追われる悲劇のヒロイン」の姿はどこにもない。


「ちょっと……あそこにいる男の人、誰? モデル? それとも神様か何かの化身?」

「嘘でしょ……。追放されたはずなのに、なんであんな超絶イケメンと新婚生活みたいなことしてるのよ!」


 ミナが鏡に顔をこすりつけるようにして叫ぶ。

 カレンも驚きで眼鏡をずらした。


「あの顔立ち、どこかで……。まさか、数年前に消息を絶った伝説の騎士、ゼノス様じゃないかしら!? 呪われて魔の森に消えたって噂だったけど……」


 鏡の中では、リリアが派手に転んでゼノスの腰に抱きつき、ゼノスが顔を真っ赤にして「離れろ、この無自覚聖女!」と怒鳴っている(しかし手は添えられている)。


「「「………………」」」


 資料室の女子たちの目に、次第に怪しい光が宿り始めた。


「リリアの安否は確認できたわね。……生存、かつ、最高に羨ましい状況」

「ええ。これからは毎日、この鏡で監視……いえ、リリアの身の安全を見守る必要があるわ。そうよね、みんな?」


 力強く頷き合う同僚たち。

 こうして、リリア本人の知らないところで、教会の女子会による「魔の森・恋の観察バラエティ」の実況中継が定例化されることになった。


「ああっ、見て! 今、ゼノス様がリリアの頭をポンポンしようとして……ああっ、リリアがその瞬間にくしゃみして、聖力で小屋の壁を吹き飛ばしたわ!」

「リリアァァァ!! そこは大人しく撫でられておきなさいよぉぉ!!」


 教会の奥深くで、女子たちの悲鳴に近いツッコミが響き渡るのだった。


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