【13】調査団襲来編:絶望の森は、どこにありますか?
聖王国ルミナリス。その精鋭騎士団長であるグレンは、かつてない緊張感とともに『魔の森』の境界線に立っていた。
彼の任務は、数ヶ月前から観測されている「森の異常発光」の正体を突き止めること。そして、追放されたはずのドジ聖女・リリアの安否(あるいは遺留品)を確認することだ。
「全員、気を引き締めろ。ここからは一歩でも踏み外せば命はない。魔獣の気配、猛毒の霧……すべてを警戒せよ!」
「「「はっ!」」」
フルプレートの鎧に身を固めた騎士たちが、盾を構えて一斉に踏み出す。
グレンは腰の剣を抜き、霧の向こうに潜むであろう『絶望』を凝視した。
——しかし、そこに霧はなかった。
「……何だ、これは。空が、青いだと?」
境界線を越えた瞬間、彼らを迎えたのは、澄み渡る青空と、鼻をくすぐる花の香りだった。
混乱するグレンの足元に、一つの黄色い物体が落ちていた。それは、リリアが先ほど「おやつ」として食べ、一生懸命に(しかし雑に)放り投げた『聖なるバナナ』の皮であった。
「……? これは……果実の皮か? なぜこんな魔境に——」
グレンが一歩、それを踏んだ瞬間。
リリアが食べかけの際に注入してしまった膨大な聖力が、摩擦によって炸裂した。
「わわっ!? ぬわぁぁぁぁぁ!!」
ズザザザザザザーーーッ!!
重厚な鎧を纏ったグレンの体が、氷の上を滑るかのような勢いで加速した。
バナナの皮に宿った聖力が「潤滑魔法」として最悪の方向に作用し、彼は摩擦係数ゼロの状態で、森の奥へと吸い込まれていく。
「団長ぉぉぉぉ!!」
「待て! 俺も……うわぁぁぁ!!」
助けようとした副官も、その隣の騎士も、リリアが「お掃除」と称して周囲に振りまいた『摩擦ゼロの浄化ロード』に足を掬われ、次々とスライディングを開始した。
魔の森の入り口。そこには、叫び声を上げながら高速で奥地へと滑っていく、聖王国最強の騎士たちのシュールな光景が広がっていた。
その頃、教会の資料室では——。
「ギャァァァァァァ! 見た!? あのグレン団長がマヌケな顔で滑り落ちていったわよ!」
「リリア、あんたのポイ捨ては世界を滅ぼす兵器なの!? バナナ一本で騎士団壊滅とか、どんなギャグよ!」
「カレン、見て! あの滑っていった先に……あ、リリアが呑気にお洗濯してるわ。これ、衝突事故不可避ね……!」
女子たちは、リリアの無自覚な「防衛網」に、もはや同情すら忘れて爆笑の渦に包まれていた。
「……はぁ、はぁ……。ここは、本当に魔の森なのか……?」
数キロに及ぶ「バナナ・スライディング」の果てに、ようやく止まることができたグレン団長は、泥一つついていない自分の鎧を見て呆然としていた。
リリアの放った聖水(洗浄効果付き)の摩擦で滑り続けた結果、彼のフルプレートは鏡のように磨き上げられ、新品以上の輝きを放っている。
後ろを振り返れば、同じくピカピカになった部下たちが、腰を抜かした状態で周囲を見渡していた。
「団長、見てください……。猛毒の霧どころか、あそこに……色鮮やかなお花が咲いています」
副官が指差した先には、本来なら触れただけで石化するはずの『絶望の毒花』が、リリアの浄化によって『癒やしのラベンダー(特大サイズ)』へと変貌し、そよ風に揺れていた。
さらに、彼らの目の前には、白砂が敷き詰められたような美しい小道が続き、木々の間からはキラキラと木漏れ日が差し込んでいる。
「バカな……。ここは千年の間、魔王の残滓が支配する地。太陽の光など、届くはずがないんだ……!」
グレンは信じられない思いで、震える手で地面の草を摘んだ。
それはただの草ではなく、一口食べれば魔力が全回復するレベルの『超高純度薬草』。それが、そこら中に雑草のように生い茂っている。
「団長! あ、あそこに……魔獣がいます!!」
騎士たちが一斉に剣を構えた。
茂みの向こうから現れたのは、かつて一つの村を一夜で喰らい尽くしたとされる『地獄の処刑熊』。
だが、その首には可愛らしい桃色のリボンが巻かれ、手にはなぜかバスケットを持っていた。
「……キュ?」
クマは騎士たちを敵と見なすどころか、首を傾げて「こんにちは」と言うように小さく鳴くと、バスケットから『光るお芋』を一つ取り出し、グレンの足元にそっと置いた。
「「「………………」」」
「お、おもてなし……されているのか? 我々は、魔王の軍勢ではなく、ピクニック会場に迷い込んでしまったというのか……!?」
グレンの叫びが、平和な森に虚しく響く。
その頃、教会の資料室では——。
「ギャァァァァァァ! 見て! グレン団長のあの、世界観が崩壊した顔!」
「リリア、クマさんにリボンなんてつけちゃって! あの子、魔の森を自分好みのファンシーショップに変えるつもりかしら!」
「カレン、見て! 騎士たちが差し出されたお芋を、毒見のつもりでおっかなびっくり食べてるわ……。あ、あまりの美味しさに全員涙流して跪いたわよ!」
女子たちは、リリアの無自覚な「環境破壊」によって、国の精鋭たちが次々と陥落していく様を、お腹を抱えて笑い転げるのだった。
「……正気か? 俺は、夢でも見ているのか?」
騎士団長グレンは、目の前に広がる光景に、ついに剣を鞘へ収めてしまった。抜いているのが馬鹿らしくなったのだ。
リリアの小屋が見える広場に辿り着いた調査団を待っていたのは、魔王軍の先鋒を務めるはずの魔獣たちの「整列」だった。
右側には、牙を隠して「お座り」をする白狼の群れ。
左側には、鎌を器用に使って洗濯物を干す手伝いをしている巨大カマキリたち。
中央では、リリアが昨日「うっかり」浄化した魔眼の怪鳥たちが、一糸乱れぬ動きで空中に『WELCOME』の文字を描き出している。
「だ、団長……。あそこに、追放されたはずのリリア様が……」
副官の指差す先。
リリアは、巨大な魔獣の背中を椅子代わりに、一生懸命に「光るお芋の皮むき」に励んでいた。
「わわっ! お客さんですか? すみません、今お茶をお淹れしますから、そこに座って待っていてくださいね!」
リリアが立ち上がろうとして、案の定、魔獣の毛並みに足を滑らせた。
前方へダイブする聖女。しかし、彼女が地面に激突する前に、一人の男が風のように現れ、その小さな体を抱きとめた。
「……リリア、言っただろう。客が来ても、慌てて動くなと」
その男が顔を上げた瞬間、グレンを含む騎士団全員に、凍り付くような衝撃が走った。
整いすぎた美貌、そして体中から溢れ出す、自分たちエリート騎士とは次元の違う圧倒的な魔力と威圧感。
「なっ……ゼ、ゼノス様……!? 伝説の近衛騎士団長、ゼノス・エル・ルミナリス様なのか!?」
グレンの叫びに対し、ゼノスはリリアを抱き寄せたまま、冷徹な蒼の瞳で調査団を射抜いた。
「……今の俺は、ここの『正社員の管理人』だ。我が主であるリリアの平穏を乱す者は、たとえ騎士団であっても容赦はしない」
ゼノスの独占欲に満ちた宣言に、リリアは「えへへ、ゼノスさん格好いいです!」と呑気に笑っているが、対面する騎士たちはその殺気(と惚気)の圧力で、一歩も動けなくなった。
その頃、教会の資料室では——。
「ギャァァァァァァ! 見た!? ゼノス様のあの『俺の女に近づくな』オーラ!」
「正社員の管理人って言いながら、やってることは完全に魔王か独裁者よ! かっこよすぎるわ!」
「リリア、あんた後ろで魔獣たちが拍手(前足パタパタ)してるわよ!? もうこの森、独立国家として認めざるを得ないわね!」
女子たちは、伝説の騎士とドジ聖女、そして礼儀正しい魔獣たちが作り出す異様な「お出迎え」に、笑いと興奮が止まらなくなっていた。
「さあ、皆さん! 遠くから大変でしたよね。一生懸命淹れたお茶ですから、遠慮しないで飲んでください!」
リリアはニコニコと笑いながら、騎士団長グレンをはじめとする調査団の面々に、湯気の立つカップを配り歩いていた。
場所は魔の森の中心部、リリアが「うっかり」聖域化してしまった、光り輝く芝生の上である。
「あ、ありがとうございます、リリア様……。しかし、このお茶、なんだか虹色に光っているような……?」
グレンは、戦場でも震えたことのない手でカップを握った。
その中身は、リリアが「朝露を集めてお祈りしたお水」に、森で採れた「一番元気な薬草」を、ドジを踏んで通常の三倍ほどぶち込んだ特製茶である。
「……リリア。そいつらにそんなものを飲ませて大丈夫か。……死なないか?」
横でゼノスが、かつての部下たちを哀れみの目で見守っている。
「大丈夫ですよ、ゼノスさん! 栄養満点ですから! あ、グレンさん、おかわりも——わわっ!?」
リリアはポットを差し出そうとして、自分の影に躓いた。
宙を舞うポット。降り注ぐ虹色のお茶。グレンは反射的にそれをすべて飲み干し(というか口に直撃し)、残りの騎士たちも飛沫を浴びた。
ドォォォォォォン!!
「「「…………っ!!!?」」」
次の瞬間、騎士団全員の体から、目を開けていられないほどの白銀の光が噴き出した。
長旅の疲れ、過去に負った古傷、さらには「昨日の夜に食べたものが胃にもたれる」といった些細な不調までが、リリアの聖力によって強引に、そして完膚なきまでに浄化されていく。
「な、なんだ……この溢れるような活力は……! 視界が……視界が、五キロ先のアリの足跡まで見えるぞ……!」
「団長! 私の持病の腰痛が……消えました! それどころか、背中に羽が生えたように体が軽いです!」
騎士たちは、あまりの「浄化の衝撃」に耐えきれず、その場にバサバサと膝をつき、祈りを捧げるポーズで固まった。もはや彼らの目には、リリアが女神の化身にしか見えていない。
「管理人さーん! 皆さん、とっても喜んでくれてます! おかわり、あとバケツ三杯分くらいありますからね!」
「……やめておけ。それ以上飲ませると、こいつら人間を辞めて妖精か何かに進化してしまう」
その頃、教会の資料室では——。
「ギャァァァァァァ! 見た!? 騎士団が全員、リリアのティータイムで『尊死』しかけてるわよ!」
「あのお茶、一杯で教会の予算一年分くらいの価値があるわね……。それをバケツでおかわりとか、リリアの金銭感覚も浄化されちゃったの!?」
「カレン、見て! グレン団長が涙を流しながらお茶の葉まで食べてるわ……。もう調査団としての機能が完全に停止したわね!」
女子たちは、リリアの「過剰なおもてなし」によって、国の精鋭たちが次々と「リリア教」の信者と化していく様子に、腹筋が崩壊するまで笑い続けるのだった。
「……ありえない。こんなことは、我が騎士団の歴史上……いや、世界の理としてありえないんだ……」
騎士団長グレンは、地面に地図を広げたまま、虚空を見つめて震えていた。
彼の手にあるのは、国が数百年かけて編纂した『魔の森・完全攻略地図』。そこには「死の断崖」「底なしの毒沼」「永久に迷う茨の道」といった禍々しい地名が並んでいる。
しかし、今彼の目の前にあるのは——。
「団長、見てください! あそこの『死の断崖』だった場所、リリア様が転んだ拍子に崩落して、とっても緩やかな『お昼寝スロープ』になっています!」
「報告します! 『底なしの毒沼』は、リリア様が洗濯板を叩きつけた衝撃で結晶化し、今は天然のクリスタルガーデンに……。魔物の気配すらありません。あるのは、光り輝くお芋の苗だけです!」
次々と舞い込む「絶望的なまでに平和な報告」に、グレンの知性は限界を迎えていた。
「バカな……! この『魔導地質学』によれば、ここの土壌は呪いで腐敗しているはずだ! なぜ、ただのスコップ一本(※聖力飽和済み)で耕しただけで、伝説の神域より清らかな土地に変わるんだ!?」
グレンは、傍らで一生懸命に「光るお芋」を収穫しているリリアに詰め寄った。
「リリア様! 貴女は一体、この森に何を……何をされたのですか!? 地形が変わるほどの術式を、いつの間に!?」
「えっ? 術式……? いえ、私はただ、管理人さんと一緒に暮らしやすいように、一生懸命お掃除したり、草むしりをしたりしただけですよ?」
リリアは首を傾げながら、土のついた手をゼノスの差し出したタオルで拭っている。
その隣で、ゼノスが冷ややかな視線をグレンに投げた。
「無駄だ、グレン。彼女の『掃除』は、概念ごと書き換える。お前の持っている地図は、もはやこの森では古紙以下の価値しかない」
「…………っ!!」
グレンは膝をつき、愛用の魔導地図をそっと閉じた。
エリート騎士としての積み上げてきた常識が、ドジ聖女の「一生懸命なお掃除」という名の天災によって、粉々に粉砕された瞬間だった。
その頃、教会の資料室では——。
「ギャァァァァァァ! 見て! グレン団長が地図を枕にして泣き始めたわよ!」
「リリア、あんたのドジはもう地形図の更新レベルなのね。国土地理院が泣いて謝るわよ!」
「カレン、見て! 絶望する騎士団の横で、ゼノス様がリリアに『次はあっちの山を掃除(破壊)するか?』って提案してるわ! 過保護が過ぎるわよぉぉ!!」
女子たちは、リリアの無自覚な世界改変によって、国のエリートたちがアイデンティティを喪失していく様を、お腹を抱えて笑い飛ばすのだった。




