依頼に向けて 8
オリチェの言葉を完全に無視して、マスターは独り言のように続けた。そして、流れるようにして、通信端末を操作し続けた。
「アナリズちゃん。ちょっといいお部屋だけどぉ、しっかり仕事してねぇん」
通信端末からアナリズへ視線を向けたマスターがサラリと言った。その表情はルーチェには見えなかった。ただ、アナリズの顔は固くなっていた。その表情のまま、首を縦に振ったアナリズ。
「じゃあ、買うわねぇん」
「マスター!」
画面に触れる直前で指が止まった。そのまま、オリチェの方を見たマスター。その視線を受けたオリチェのツインテールが小さく震えるのをルーチェは見逃さなかった。
「なぁにぃ? 問題はぁないわよねぇん?」
オリチェは一度口を閉じ、それから口を開いた。
「も、もったいないです。オリチェと同じでいいと思います」
「でもぉ、それだとぉ、オリチェちゃぁんがイヤなんでしょぉ? みんなが気分良く行けるようにしないとねぇん」
「…………」
オリチェは口を閉じた。
と、どこからか電子音が聞こえた。ポラーレが通信端末を見ていた。
「……席を外しますね」
そう言って、オリチェの脇を静かに通り過ぎていったポラーレ。
「……」
「……」
店の喧噪とは裏腹にカウンター周りは静かになった。互いの息遣いも聞こえてきそうなほどだった。
「……なさい」
「なぁにぃ? どうしたのぉ?」
消え入りそうな声で何かを言ったオリチェに、マスターがグラスを回しながらたずねた。通信端末からは視線を外し、まっすぐオリチェを見ていた。
「ごめんなさい。マスター」
「…………そうねぇ。言えたことは素敵だと思うわぁ。多分だけどぉ、もう一人くらいにぃ言ってあげるとぉ、もっと素敵な女性になれるかもしれないわねぇん」
「…………」
唇をキュッと結んでオリチェがアナリズの方へと身体ごと向けた。
「ごめんなさい」
そのまま、オリチェはアナリズへと頭を下げた。ルーチェからは下げた頭と背中が一直線になって見えている。そして、オリチェはそのままの姿勢でとどまり続けていた。一方、アナリズがマスターやルーチェへと左目を動かした。マスターはグラスを小さく掲げ、ルーチェはオリチェの方へと首を傾げた。
アナリズは口を閉じたまま、鼻で息を吐き出した。それから口を開いた。
「え、えっと……大丈夫、ですよ、オリチェさん。気にしないでください」
アナリズはゆっくりとオリチェに告げた。
「なので、頭をあげてください。……オリチェさんにとって、僕は突然転がり込んできた男だってことに変わりはないんですから。イヤだっていうことくらいわかってます」
「…………」
アナリズがそう話しても、オリチェはそれでも何も言わず、頭を下げたまま、微動だにしなかった。アナリズはその姿を見て、眉根をひそめた。
「オリチェさん……。今回はマスターのご厚意もありますので——」
小さく揺れたオリチェの背中。
「ありがとう。アナリズ」




