セッション17.ブラックアウト
リクとハマダさんは、失踪する前にレイがいたであろう会社に向かって足早に歩いていた。午後10時を回っており、どこも人通りはほとんどなく、ドームの中は静まり返っていた。
「タカシマさんが自ら姿を消す理由はありませんね。ハマダさんにも心当たりはないでしょう」
ハマダさんは頷いた。
「タカシマはカワダ様からいただいたお仕事に相当なやる気をみせておりました。それが完成した今、カワダ様に告げることなく、いなくなるのはどう考えてもおかしいです」
「私がこんな仕事を頼んだのが間違いだったのですね」
「いえ、そのようなことはございません。優秀なAIエンジニアのタカシマにとって、弊社での仕事はいわば専門外。それでも私たちにとっては、彼女の知識はとても有益なものです。脳神経科学だけでは、記憶の保存と再現は実現しません。高度なコンピューター知識が必要なのです。彼女にとっては心の底でAIの研究をもっと進めたいと思っていたと思いますが、そのような気持ちを表にだすことなく、誠実に勤めてくれていました。ですから、純粋なAI関係のお仕事をいただき、張り切っていたのだと思います」
「彼女はハマダさんのメンバーに加わったときのことを『メンバーのみんなが凄くて驚いた』と言っていましたよ」
「そうですか…」
ハマダさんは下を向いた。
「脳神経が専門の我々のチームと、AIが専門でニューラルネットに詳しいタカシマはいい意味で化学反応を起こしました。我々のチームは当時研究を進めていた分野で、革新的な成果を収めることがでたのです。しかし、それが仇となって、ある方に多大なご迷惑をおかけてしてしまい…」
口ごもったハマダさんを見て、リクは助け舟を出した。
「それ以上は結構です。人には誰しも話したくないことがあります。とにかく、タカシマさんを探さなければ…」
ハマダさんは顔を上げた。
「そうですね、急ぎましょう」
2人はいつの間にか、駆け足になっていた。直径数100メートルのドームを2つか3つ通過するだけなので、ウォール・ドームのオフィス21までは数分で着いた。
手動のエントランスドアを開け、階段に向かおうとした時、ビルの明かりが消えた。唐突に目の前の光が奪われた。そんな感じの消え方だった。
「停電…ですか」
「そのようですね」
人間が生存を許されない環境にある月の表面において、電気は何にも増して重要だ。呼吸可能な空気の供給、二酸化炭素の除去、温度や湿度の維持―これらは電気なしには成り立たない。水や食物以前に、これらが整わないと人間はほどなく死亡する。故に、月面コロニーでの停電は即ち、生存の危機に直結する重大なトラブルと言えた。
「停電は半年の間で初めてです」
リクが言うと、すぐにハマダさんも同意した。
「何年かおりますが、私も初めてです。電力の供給網は何にも優先して守られているはずなのですが…」
リクがビルの外に出て、辺りを見回してみると、停電がオフィス21だけではないことが分かった。
「ハマダさん、このドーム全体が停電しているようです。これはまずい事態かもしれない」
2人は真っ暗な階段に時折つまずきながら、ハマダさんのオフィスがある5階まで駆け上った。
「非常用バッテリーがありますので、半日程度でしたら、オフィスの電源は大丈夫です」
ハマダさんはどこかに隠してあった金属の鍵でオフィスのドアを開けた。普段は掌紋認証を使うが、停電中なので今はその機器が使えない。
真っ暗なオフィスの中でハマダさんは1台のコンピューターを起動させ、あれこれと調べ始めた。
「どうやら停電はウォール・ドームだけではないですね。このコロニーの80%以上が停電しています」
「ほぼブラックアウトですね」
「静かの海はまだ2割近くが動いているからマシです。ご覧ください」
ハマダさんが示したディスプレイには月面コロニーの電力供給網の現状が映し出されていた。
「サウスポールが…」
「全域停電ですね。あそこのコロニーには7、8万の人口がいるはずだ」
「現在は約8万7千人です」
「もうそんなに増えたんですか。全部の電源が落ちたらパニックが起きているでしょうね」
「静かの海も安心できませんよ」
その時、リクは身体中に電流が走るような衝撃を感じた。あることに気が付いたからだ。
「まずい、防御システムが機能しなくなる」
リクのつぶやきを聞き、ハマダさんが質問した。
「ご自宅のコンピューターに無停電装置は?」
「当然ありますが、せいぜい2時間が限度です。酷使すれば、稼働時間はさらに短くなります」
「しばらくの間は防御策がとれますが、それ以降は…」
リクは停電が長時間続くことを仮定して、起こるであろう事態について考えを巡らせた。いずれも最悪の事態ばかりが頭に浮かんできた。
「ちょっとコンピューターをお借りできますか」
「どうぞ」
リクはタッチパネルを操作して、暗号資産の取引状況を確認した。そして蒼ざめた。
「やはり…間違いありません。この停電は敵の総攻撃の一環です」
ハマダさんは表情を険しくした。
「見てください。停電が発生した直後、大量の取引がプールに投げ込まれました。こんな時間帯にこれほど大量の取引が自然発生するはずがない」
「どのくらいの量なのですか」
「通常のほぼ1カ月分に匹敵します。凄い量です。単日でみたら、過去最大の取引だ」
「それでは…」
リクは口の中が粘ついているのを自覚しながら、話を継いだ。
「今、我々と敵の間で、猛烈なマイニング合戦が始まっているということです」
「そして…」
ハマダさんが恐る恐る口を開いた。次にリクが答えるであろう事態を薄々感じながら、確認を得るために質問したという感じだった。
「我々の協力者はほとんどが停電地帯にあります。サウスポールにも3割程度は置いてありました。敵のAIは恐らく停電していない地域に集中しているでしょう。1、2時間は持ちこたえられるでしょうが、バッテリーが切れるに従って我々の戦力は次々とダウンしていきます。勝敗は明らかです。取引量からみて、この合戦で過半数を奪われたら、メインチェーンが乗っ取られるかもしれません」
「電力のあるものが最終的に勝つという訳ですか」
ハマダさんがポツリと言った。もはやいつもの笑顔はなかった。
「タカシマは拉致されたのですね」
しばしの沈黙の後、ハマダさんが突然言った。
「そうだと思います。タカシマさんがAIにディープ・ラーニングの仕組みを完成させた後、何回かの小規模攻撃がありました。その対応を通じて、敵はこちらの動きに勘付いたのかもしれない。タカシマさんのAIプログラムに脅威を感じ、長引けば不利になることを悟ったのだと思います。タカシマさんを拉致して、一気に勝負にでた」
「タカシマの仕組んだプログラムがそれだけ優秀だったのですね」
「システムを守ることばかり考えて、自分を守ることを後回しにしたんだ。危険を察知できなかった私の責任です」
リクはナカモトの携帯端末を呼び出した。
「ナカモトさん、すぐに取引所を閉鎖してください」
「もうすでに閉鎖してあります」
ナカモトは冷静に応答した。
「この停電は敵の総攻撃です。これまでとはけた違いの攻撃です」
「それは分かります」
「ナカモトさんのお仲間はほとんどが停電地域にありますね」
「なぜそれをご存じで。我々は比較的目の届きづらいサウスポールに半数以上を配置していました」
「私の仲間も大半が停電地域にあります」
ナカモトの声のトーンが急に一段落ちた。
「ということは、勝負は1、2時間でついてしまうということですね」
「ですが、まだ負けたと決まった訳ではない」
リクはきっぱり宣言した。
「敵の攻撃網は停電していない地域にあることが分かりました。タカシマさんも恐らくそのどこかにいるはずだ」
「タカシマさんが…どうしたのですか」
それまで冷静を装っていたナカモトの声が突然裏返った。取り乱している様子だ。
「姿を消しました。今晩、停電が始まる少し前に」
「それは…」
「タカシマさんにAIの防御プログラムを依頼したのが間違いでした。まさかこんな強硬手段に出てくるとは…私が迂闊でした」
「とにかく、タカシマさんを探さないと…」
リクは無言で頷いた。
「動きがあったらすぐに連絡します。ナカモトさんは戦力のダウンをできるだけ先に遅らせる方策を考えてください。私はタカシマさんを探しに行きます。そこが敵の本拠地に違いない」
「私も行きます」
オフィスを出ようとしたリクをハマダさんが呼び止めた。
「それはいけません。危険が大き過ぎる。それに、ハマダさんには別にやっていただきたいことがあります」
ハマダさんはじっとリクの目を見た。
「ナカモトさんに協力してあげてください。彼らも独自の防御システムを動かしています。彼らが頑張れたら、少しは時間を稼げるかもしれません」
「どのような手助けを…」
「マンパワーとハッシュパワーの両方です。マイニング合戦に勝つためには、ナカモトさんの仲間がバッテリーの持ち時間を超えて戦えるようにしなくてはなりません。しかし、それにも限界はある。1台、2台と離脱していくなら、求められるのは離脱した仲間をカバーできるだけの高性能なコンピューターにまとめて対処させることです」
「それは弊社のコンピューターのことですね」
ハマダさんは眉間に小さなしわを寄せた。リクは続けた。
「ハマダさんの会社のマシンは強力です。このスパコン級の1台で協力者千台分以上に匹敵する演算速度があります。これが防衛線に参加したら、敵もそう簡単に多数決は奪えない。しかも、このオフィスのバッテリーはかなりの大容量だ。停電が回復するまでは戦えるんじゃないですか」
「分かりました、すぐにエンジニアを呼び出し、ナカモトさんに協力させます」
ハマダさんは手首に装着していた携帯端末を操作しようとした。
「しかし、問題もあります」
リクの言葉に、ハマダさんは一瞬手を止めた。
「どのような」
「敵にハマダさんの会社の存在が知られます。今度はこちらに攻撃が向けられる可能性が大きい」
突然ハマダさんは笑った。全く意に返さないといった表情だ。リクはその笑顔を見て驚いた。このように追い詰められたときにこんな顔ができるとは。
「攻撃と言っても爆弾を撃ち込まれるようなことではないでしょう。ネットワークを通じたアタックなら、心配はご無用です」
「そう言い切れますか。敵はかなり強力ですよ」
「我々にはタカシマが中心となって開発した最強のファイヤーウオールがございます。これを破れるハッカーは太陽系には存在しません」
自身に満ち溢れた表情でハマダさんは言い切った。その顔つきをみて、リクは少し気を取り直した。




