セッション16.失踪
2人がいくら話しても、敵の意図は推測の域を出ない。しかし、考えられうる攻撃パターンの予測はできる。その一つ一つを検証した結果、今あるシステムをより高速化し、仲間をできるだけ増やしておくという、ありきたりの結論に達した。
しかし、それだけで不安は拭えない。そこで、タカシマ・レイはリクが予想していなかった提案をした。
「敵の動きをみて、こちらもディープ・ラーニングしましょう」
「でも、どうやって。さっきも言った通り、本体のプログラムは変更できないんだよ」
レイは微笑んだ。
「本体はいじることができなくても、協力者のコンピューターなら大丈夫なはず。私のオフィスのマシンを協力者に設定してください。そこにはこのAIと連動するプログラムが仕組まれるんですよね。そこから、敵の攻撃パターンを解析できるようにします」
「そんなことが可能なの?」
「あくまでも指令を出すのはカワダさんのAIですが、協力者からのフィードバックがない訳じゃない。多少時間はかかりますが、そのフィードバック機能を使って本体もディープ・ラーニングをできるようにします。すぐに取り組めば、2、3日で済むかもしれません。これから会社に戻って、すぐにやってみますので、カワダさんも急いで今すぐ…」
「これからって、仕事を終えてここに来たんじゃなかったの」
「仕事中にこの作業はできません。それではハマダ社長や他の社員に申し訳が立ちません。やるならこれから、夜中しかないです」
レイは慌ただしく、帰り支度を始めた。
「夜も遅いし…」
「敵はいつ攻撃を仕掛けてくるか分からないんですよ。総攻撃が始まる前に敵の動きを探っておかなきゃ。こっちがディープ・ラーニングできる攻撃があと何回かあるか分かりませんから、1分1秒でも早くプログラムを仕込まなきゃならなりません」
リクはレイの勢いに気圧されした。
「分かった。すぐに設定するよ」
「コンピューターのIPアドレスはカワダさんの携帯端末に送っておきます」
レイはそれだけ言うと、すぐに玄関へと向かい、あっけにとられたリクを置き去りにして部屋を去った。
<下にいるハマダさんにこのことを報告するのだろうか>
リクは漠然と考えた。
翌朝、リクがダミーの会社に出勤するため、ロビーに下りた時、いつもの場所にハマダさんはいなかった。
<ハマダさんも会社に行ったのかな>
リクは昨夜のレイのことを思い出していた。あの後、会社に戻り、夜通しAIにディープ・ラーニングさせるためのプログラムを書いていたのだろうか。レイの仕事にとって、このリクエストはほとんど関係のないことだし、報酬などの利益も保障されていない。なのに、なぜあんなに一生懸命になれるのだろうか。
それを言ったらハマダさんも同じだ。ナカモトや自分と関わることは、会社の利益に直結しない。なのに、ハマダさんは詳しい事情説明も求めずに、かなり面倒なことに首を突っ込んでくれている。リクがナカモトの記憶にアクセスしたセッションも、準備にはかなりの人員と時間を要したはず。なのに、ハマダさんは一切そうしたことを表に見せない。
レイとハマダさんは似ている。リクはそう思った。ナカモトも同類かもしれない。ハマダさんには、こうした人間たちを引き寄せる磁力のようなものがあるのだろうか。
<プログラミングは少し手間取りましたが、本日中には完了する見込みです>
携帯端末にレイからのメッセージが届いたのは、その日の夕方だった。
<本日中…>
ということは、勤務時間外の夜中だけでなく、昼の間にも作業を進めているのだ。リクはハマダさんが朝から姿を見せない理由が分かった気がした。ハマダさんは恐らく、レイを勤務のシフトから外して、専属的にこの作業を続けることを認めた、というか続けさせているのだ。そして、自分の任務の性格上、他の社員には知らせていない。秘密保持にも充分に配慮してくれているに違いない。
<どうして自分はこんなにハマダさんを信用しているのだろう>
普段は疑うことが仕事みたいな毎日を送っているのに、ハマダさんに対する信頼が揺らぐことはない。過去を詳しく知っている訳でもなく、半年前から住んでいるマンションのコンシェルジュという間柄だけだったのに、保秘義務を破るいくつもの出来事もハマダさん相手なら安心して乗り越えられた気がする。
リクはその日1日、新たなAI防御のシステムが完成するのが待ち遠しく、落ち着かずに過ごした。
昼間から夕方にかけて、いつものような小規模な攻撃が何回かあった。しかし、それはほぼ自動的にAIが解決した。
「原始的な形ですが、ディープ・ラーニングのシステムができました。先ほどの攻撃にギリギリ間に合いました」
夕方近く、携帯端末にレイから連絡が入った。
「それは凄い。随分と早かったね。徹夜だったんじゃないか」
端末の向こうでレイが微笑んだのが分かった。
「小規模な攻撃なら、数多くあった方が学びの機会が増えるので大歓迎です。今夜、お時間をいただけますか。今後の進め方を話し合いたいので…」
「当たり前だよ。それは僕からお願いしなければならないことだ」
「それでは午後10時にご自宅に伺います」
「お帰りなさいませ、カワダ様」
リクがマンションに戻ると、ハマダさんがいつもの笑顔で迎えてくれた。
「タカシマさんのこと、ありがとうございました」
リクが頭を下げると、ハマダさんは表情を変えずに答えた。
「頭を下げていただくようなことは、何もしていませんが…」
「いや、それは違います。ハマダさんがタカシマさんに許可しなければ、こんなに早く完成するはずはなかった」
「…」
「おかげで昼の攻撃に間に合いました。タカシマ作戦は発動されましたよ」
ハマダさんは目を細めた。
「それはよろしゅうございました」
「何度も言いますが、ありがとうございました。タカシマさんは本当に優秀ですね」
「それはもう、我々自慢の社員です」
リクは自室に戻った。その後も2回ほど小規模な攻撃があった。いずれも数十秒で撃退することに成功した。リクはそれをディスプレイの表示で確認するだけだった。ただ、今回は攻撃を退けたことより、ディープ・ラーニングの方が気になって仕方がなかった。
<しっかり勉強しろよ>
リクはデスクの下に設置してあるコンピュータの躯体をじっと見た。
リクは簡単な食事を用意してレイを待った。<夕食を取る暇などないだろう>と思ったからだ。
しかし、約束の午後十時を過ぎても、レイは現れなかった。
「ハマダさん、タカシマさんと約束しているのですが、時間がたっても来ないのですが…」
リクはインターホンでコンシェルジュのデスクを呼び出した。驚くべきことにハマダさんはまだ在席していた。
「おかしいですね。会社の仕事はもうとうに終わっているはずです。彼女は時間に正確です。気になりますね」
画面の中で、ハマダさんは首を傾げた。
「少々お待ちください」
ハマダさんはレイの携帯端末を呼び出しているようだ。
「応答がありません。GPSで調べてみます」
月面コロニーの住人は腕にはめた携帯端末で位置情報が即座に把握できるようになっている。それがテロ対策の重要な要素なのだ。
GPSを調べているハマダさんは少し焦っているようだ。その姿を見て、リクの不安は一気に増幅してきた。
「変ですね。タカシマの携帯端末が全く反応しません。位置情報がまるでつかめないんです」
「まさか…」
リクの背筋に冷たいものが走った。ハマダさんも同じ可能性を感じたようだ。
「カワダ様、申し訳ございませんが、下までおりてきていただけますか」
その夜、レイは姿を消した。何一つ痕跡を残さずに。




