セッション15.対策会議
レイとの2度目のデートを終え、マンションに戻ると、いつものようにハマダさんが笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、カワダ様」
ハマダさんの笑顔はいつも穏やかで、気持ちをリラックスさせてくれる。
「今日はここにいるんですね」
「ええ、留守が長く続くと、コンシェルジュのお仕事をクビになってしまいます」
ロビーには2人しかいなかった。場所としては適当ではないかもしれないが、リクは思い切って、ここでハマダさんに例の計画を打ち明けることにした。
「実は、先ほどまでタカシマさんとお会いしていました」
ハマダさんは小さく頷いた。柔らかい微笑みを浮かべたまま。
「実は…」
リクが続きを言おうとすると、ハマダさんは手を前に出した。
「それ以上はおっしゃらなくて結構です。タカシマは我が社の大切な社員ですが、プライベートな時間に、どこの誰と何をしようと、私は関知するつもりはございません」
「いや、そういうことじゃなくて…」
リクはハマダさんが誤解していると思った。リクとレイが男女の仲になってしまったと。
「タカシマさんにあるお願い事をしました」
ハマダさんは首を横に振った。
「その先もお話しする必要はございません、カワダ様。タカシマは立派な大人です。彼女がカワダ様のご依頼を受けると決断したのなら、我々はそれを支持し、サポートするのみです。カワダ様がお仕事上の倫理を超えて、詳しい事情を私ごときに説明するのは避けた方がよろしいかと」
「それでは…許していただけると」
「許すも許さないも、タカシマがそう判断したのですから、私はそれを尊重するだけです。私たちのことをお気になさらずに、存分にタカシマをお使いください」
「それでは、ハマダさんの会社に影響が…」
「1日中が1週間も2週間も続くということはないでしょう。我々の研究は地道なものです。1日、2日の足踏みはどうってことはありません」
「ありがとうございます」
リクはハマダさんの寛容さに感嘆した。普通の会社組織ではあり得ないことだ。
「コンピューターのシステムに関する知識において、タカシマはピカイチです。カワダ様のお役に立ってくれると、我々もうれしいです」
<しかし…>
とリクは思った。
<レイがここでハマダさんと顔を合わせるのは気まずいだろうな>
翌日、ハマダさんの会社での仕事を終えたタカシマ・レイが、リクのマンションにやって来た。このマンションはセキュリティの確かさが売りで、外来者は必ずロビーのコンシェルジュに会い、面会を申し込まなければならない。
「ハマダ様、お客様がお見えです。お部屋にお通ししても構わないでしょうか」
インターホン越しのハマダさんは、いつも通りの表情だった。
「ええ、お願いします」
「承知致しました」
インターホンが切れて、1、2分経つと、今度は部屋のチャイムが鳴った。
「タカシマです」
インターホンの画面に、レイが映し出された。
「どうぞ」
リクはドアロックを解除して、玄関までレイを迎えに行った。
「ハマダ社長に案内されるのは…」
リクの顔を見るなり、開口一番、レイは言った。
「やりづらい」
リクが会話を合わせると、レイは口元を緩めた。
「何だか、悪いことをしているみたい。ハマダ社長はまるで他人のような接し方なんですよ。本当に別人なのかと思っちゃうくらい。会社での姿とは全然違いますね」
「会社でのハマダさんは、どんな感じなの」
レイは玄関から居間に移動してきた。
「いつもあんな感じです。偉い人にもそうでない人にも、社員にも、同じように腰が低く、丁寧に接します。ホント、感心しちゃいます。あ、すごい…」
レイの目はリビングの中央に陣取ったディスプレイとデスク下のコンピューター本体に釘付けになった。
「これだけの機種を揃えるのはさすがですね。かなり高度なAIを作動させることができると思います」
「鍛え甲斐があるかな」
レイはコンピューターから目を離さずに頷いた。
「まずは、過去の攻撃と防御の記録を見せていただかないと。お話はそれからですね」
レイはそれから3時間以上にわたって、一度も声を発することなく、コンピューターのログをチェックした。正直、リクはコンピューターのシステムにはそれほど詳しくない。このAIシステムは警察の開発担当者が標準的な対策マニュアルに沿ってプログラミングしたもので、リクはその使い方を学んだだけだ。どのくらいのレベルか分からないが、自己学習機能を搭載していると聞いている。
一心不乱にディスプレイを凝視しているレイの横で、リクはただぼんやりとその様子を見つめていた。
「ふう~」
ようやくレイがディプレイから目を離し、天井を仰いで大きく息を吐きだした。
「で、どうだい。対策は見つかりそうかい」
レイはリクの方に顔を向け、少しの間黙っていた。話し出す前に考えを整理して言葉を選んでいる、そのように見えた。
「カワダさんのご懸念は当たっていますね」
レイはゆっくりと語り出した。
「攻撃の目的はまさにディープ・ラーニングでした。少しずつパターンを変えながら小競り合いを起こすことで、敵はこちらの防御力や対処パターンを推し量っています。直近十数回の攻撃は淡泊なものでしたが、こちらは随分と手の内を明かしてしまったかもしれません」
「具体的には…」
「まず、カワダ様がおっしゃった善意のマイナーの分布がほぼ丸裸になっているかもしれません。マップ化されたほどのレベルです」
リクは蒼ざめた。レイの口調は穏やかだが、それは敗北宣言に等しい。
「こちらの対処パターンもすっかり学習されてしまったと思います。このAIはそれなりに優秀ですが、余りにも正直というか動きが単純です。いかにも機械による対処という感じ。これでは簡単にアルゴリズムが読まれてしまいます」
「これにも学習機能があると聞いていたんだけど…」
リクのひとことに、レイは小さく笑った。
「これを学習機能と呼ぶのはちょっと…。カワダさんの〝会社〟のAI開発者は、多分、5年くらいは遅れているかもしれません」
「5年と言えば…」
「コンピューターの世界だったら、石器時代にも近い感覚です。スパコンだって、5年あったら処理スピードは何倍にも進歩します。AIは自ら学びますので、さらにその速度は上がります」
レイはひと呼吸置いて話を続けた。
「これまでの基本的な防御パターンは、攻撃を察知した時点で、善意のマイナーをフル動員してメインチェーンの延伸を確保するということですね」
「追い越されないように敵より早くメインチェーンを長く伸ばす。それしか防御の方法はないと言ってもいい。それが暗号資産の仕組みなんだから」
「メインチェーンを伸ばすために、取引記録を短時間にこんなにたくさん発生させているんですね。しかも解読のスピードが通常に比べてけた違いに速い」
レイはリクにレクチャーを受けることなく、さっきの3時間余りで、暗号資産の仕組みはもちろん、攻撃法と防御法をほぼ独学でマスターしてしまったかもしれない。恐ろしく頭が切れる娘だ。
「そうだよ。膨大に発生させた取引記録をプールに投げ込む。しかも、それにはわざと解読し易い暗号を仕組んであって、仲間にだけ分かる印みたいものがつけてある。僕らの仲間はそれを拾い上げて即時に解読してメインチェーンをひたすら伸ばす。敵はその速度について来られなかった。これまでは…」
「大量の取引記録を短時間に解読しているのが、お仲間のマイナーなのですか」
「仲間といっても機械さ、AIだよ。このマシンと連動して、即座に動き出すようにネットワークされている。数は君も驚くほどたくさん潜んでいる。普段は動かないが、万一の際に一斉に活動開始するようにしてある。たとえ協力者のコンピューターが使用中だとしても、勝手にバックグラウンドでプログラムが作動して、本人は敵と戦っていることに気づかないかもしれない。というか協力者自身が自分のコンピューターにそうした対策AIのプログラムが仕組まれていることを知らないケースがほとんどだ」
「このくらいのプログラムだったら、バックグラウンドで動いてもちょっと処理速度が遅くなったくらいにしか感じないかもしれませんね。確かにこの方法は有効だと思います。でも…」
「でも、何だい?」
「相手はそれを打ち破る方法を探っています。このやり方だけでは不安です」
「それは同感だ」
「かなりの数がいるとのことなので、敵にしてみたらたとえ分布を掴んだとしても、1台1台攻撃していては埒が明きません」
「となると、ネットワークそのものを攻撃するか」
「それは意味がありません。ネットワークをダウンさせてしまったら、攻撃自体ができなくなります。それはないかと…」
「それじゃあ」
リクが答えを急がせると、レイは首を横に振った。
「分かりません。ですが、敵が協力者について調べていた痕跡は明らかに残っています。それが何を意味するのか、カワダ様には心当たりはありませんか」
「さっきも言ったように、協力者といっても全員と契約を交わしている訳じゃない。ほとんどの協力者は自分のコンピューターが何をしているのかさえ知らない」
「それはウイルスを仕組むのに似たようなものですか」
「必要な時にちょっとだけCPUをお借りするだけさ。ほら、何て言ったかな、地球外の知的生命体を調べるプロジェクト」
「SETIですか」
「そう、その一環で世界中の家庭にある何万台というパソコンが分析に使われたことがあっただろう。それと同じ考え方だよ」
レイは目を伏せた。
「今のは聞かなかったことにします。ハマダ社長にも言わないでおいた方がいいかもしれません」
「ハマダさんは厳格だからね。そうさ、これははっきりいって違法なやり方だ。でも、これは協力者を潜伏させるのに極めて効果的なんだ。地球のようにマイナーが全世界に分散し、とてつもない数があるのなら、こんな多数派工作は無意味だが、月では有効に働いてきた。これまではね」
レイは沈黙した。
「このやり方に対する問題は置いておいて、とりあえず防御策に対する君の意見を聞かせてくれないか」
「相手の狙いを絞り込むことが最優先なのですが…それが難しそうで」
「いっそのこと、AI自身に今の質問をぶつけてみたらどうだろう。機械なら機械の気持ちが分かるかもしれない」
「AIは万能ではありません。どのような質問にも適切な答えを返してくれる訳ではないんです。今、このAIは攻撃への対応だけに特化されています。別の目的で思考させるためには、プログラムを変更しなくてはなりません」
「しかし、それは認められていないし、申請することもできない」
リクは小さくため息を吐いた。問題が簡単に解決するとは期待していなかったが、予想以上に手間のかかる難題だと改めて痛感した。




