エピソード14.ディープ・ラーニング
「わざわざお越しいただき、ありがとうございます」
リクはその翌日、ハマダさんのオフィスを訪ねた。ナカモトとの〝握手〟について報告するためだった。
「私どものシステムが、カワダ様のお役に立てることができて、本当に良かったです」
ハマダさんは深々とお辞儀をした。
「ハマダさんが感謝するのはおかしいですよ。こちらが感謝しなければなりません。これで少しは戦力がアップするかもしれない」
ハマダさんは少し深刻な顔つきになった。
「それほどまでに敵は強大なのですか」
部外者に詳細を話すわけにはいかないのだが、リクにとってハマダさんは最早部外者という認識ではなかった。ハマダさんの情報収集力と人脈は侮りがたい。これからも手助けが望めるかもしれない、とリクは考えていた。ナカモトがハマダさんを善意の協力者と認識しているのと同じことがリクの中でも起こっていた。
「攻撃のパターンをみていると、徐々に力が増しているように感じます。今はAIがうまく対処してくれていますが、向こうもバカじゃないので、さらに強力なAIをぶつけてくるでしょう。そうなると、いつかは力関係が逆転するかもしれない」
「カワダ様の〝会社〟が増援することはないのですか」
「いざ戦争が始まってしまえば増援するでしょうが、前哨戦の今の段階では難しいでしょうね」
「でも、この種の戦争は秒単位、前哨戦が全てではないでしょうか。増援を送ろうと検討している間に勝負はついてしまいます」
「その通りです。だから、前哨戦のサインを一刻も早く掴んで、すぐに体制を整える必要があるんです」
ハマダさんは首を傾げた。何かを考えているようだ。
「カワダ様の御見方は今、AIとナカモトさんだけですね」
「ええ。もともとは潜入工作員みたいなものですから、単独行動が前提でした。頼れるのはAIだけのはずでした。本来なら、ハマダさんやナカモトさんと任務について話すことは、潜伏の失敗を意味しますので、地球に呼び戻されても仕方のないことなのです」
「そういう意味では、私もカワダ様の御見方の末席に名を連ねている訳ですね」
リクは笑った。
「まさかこういう事態になるとは思いもしませんでした。月に来てから半年余り、何事も一人でやってきましたからね」
「それはよく存じております」
「毎日マンションで顔を合わせていたからですか」
ハマダさんは小さく頷いた。
「あの場所に座って、顔を毎日合わせていると、いろいろと気付くこともございます。カワダ様の表情はコロニーに来られてから日に日に厳しくなっていかれました。さぞかしプレッシャーの強いお仕事をなされているのだろうな、と想像致しておりました。そして、ある日、ナカモトさんから突然の依頼を受けたのです」
「それまで、僕の素性は知らなかった…と」
「はい、その通りでございます。もっとも、今もほとんど知らないと申し上げても差し支えない程度ですが」
「それは本当ですか」
リクは半分にやけながら訊いた。ハマダさんは真顔で答えた。
「もちろんでございます。カワダ様のお仕事の都合上、プライベートをあれこれ探られるのは障害になると思いましたので、ナカモトさんからも詳しい説明は受けておりません」
リクは頷いた。
「それは助かります。これからも助けていただくことがあるかもしれない。その時はよろしくお願いします」
リクが頭を下げると、ハマダさんもそれに合わせてお辞儀をした。
「私にできることであれば、何なりと。カワダ様の任務が、ナカモトさんと同じ目的であるなら、それは月に住む我々にとっても極めて重大なお仕事です。微力ではありますが、お支えさせていただきます」
ハマダさんはきっぱりとそう告げた。
ハマダさんに説明した通り、敵の攻撃は徐々に高度化していた。
数独という一種の暗号を解いてブロックチェーンを繋いでいく暗号資産の世界では、人間が直接関与できる範囲は極めて狭い。マイニングひとつをとってみても、高性能なコンピューターをたくさん使っているものが勝つ仕組みだ。
実際に攻撃が始まってしまうと、とても人間の処理スピードでは対処できず、防御の実務はAIに任せるしかない。そうは言っても、防御の戦術を立案することは人間の想像力や直感の方にまだ優位があった。それは攻撃側にも言えることで、人間が立てた作戦に沿って、AIが攻撃パターンを実行している様子が伺えた。それだと、攻守ともに戦いはどうしても人間っぽくなる。
しかし、リクが最近感じているのは、攻撃パターンの変化だった。以前とは違った攻撃方法は、振り返ってみて人間が立案したものとは思えなかった。
<敵は攻撃の一部始終をAIに任せるつもりだ>
この前の大規模な51%攻撃にしても、その次のジャブのような軽い攻撃にしても、内容は余りにも淡泊だった。人間が立案したのなら、もう少し罠などが仕掛けられていてもよさそうなものだ。
リクは考えた。これはもしかしたら、防御パターンを学習させるためのディープ・ラーニングの一種なのではないか。そうだとしたら、近い将来、敵のAIは自分が立案する防御パターンを全てクリアできるような完璧なやり方で攻めてくる。
<こちらのAIにも学習させる必要がある>
そう考えたリクの頭の中には新たな協力者の顔が浮かんだ。
しかし、大きな問題がある。相棒のAIを強化してもらうためには、仕事場、つまり自宅に、AIエンジニアのタカシマ・レイを招くことを避けることができそうにない。
自宅に招くのは、秘密保持の面でも、個人的な感情面でも、かなり難しそうだ。
しかし、度目のデートの日、リクは思い切って、レイにAI強化への協力を依頼した。いくら考えても、ほかに頼れるべき専門家は見つからなかった。場所は前と同じアームストロング・テラスだ。レイのたってのリクエストだった。
「君さえOKしてくれたら、ハマダさんには僕から頼むことにするよ」
レイは顔を伏せたまま、リクの話にほとんど口を差し挟まず、じっと聞いていた。
「AIの本体は僕の自宅にある。ハマダさんがコンシェルジュをしているマンションだよ。もし引き受けてくれるなら、自宅に来てくれないか」
不意にレイが顔を上げた。
「どうして、自宅に」
「だって、AIを見てもらうにはそれが必要だろう?」
レイは小さく首を傾げた。
「行く必要はないと思いますよ。それはオフィスでできます」
「どういうことかな」
「AIはそれほど高性能なコンピューターを必要としません。扱っているプログラムやタスクは高度なものですが、特に用途が限定されているタイプなら、市販されているコンピューターのハイエンド機種くらいで充分に働いてくれると思います。おそらくカワダさんのAIもそんな感じじゃないかと…。」
リクはレイの言葉に頷いた。しかし、問題がある。
「どうやって君のオフィスにAIを運んだらいいのか。まさかコンピューターを担いでウォール・ドームまで歩いていく訳にはいかない。秘密を保持しなければならないので、ネットワークからの接続はできないようにしてある」
レイは真顔で言った。
「それでは、カワダさんが外出している時に何か事が起こったら、どうしているのですか」
「その時には、これさ」
そう言ってリクは、手首の携帯端末を示した。
「そうでしょう。カワダさんのご自宅のAIと携帯端末との通信は可能になっています。それと同じことを私のオフィスの端末で実現するだけのことです」
「しかし…」
「何か問題でも」
リクは頷いた。
「この通信設定を変えるには、本部の承認がいる。勝手に変えられないようになっているんだ。スパイ対策さ。申請しても認められる可能性はゼロ、というか申請した時点で僕は解任だな」
レイはしばらくの間考え込んだ。
「では、カワダさんのご自宅に伺うしかなさそうですね」
レイと訪問日時を話し合っている時、携帯端末が攻撃開始を知らせるアラームを発報した。
「まただ」
リクは端末を操作して、AIに防御行動をとるように指示した。しかし、攻撃はあっけなく終わった。またも単発のジャブのような攻撃だった。
「最近はこんなのばかりだ。この前の51%攻撃は比較的大きかったけど、日に3、4回はこうした単純な攻撃がある」
「51%攻撃?」
「暗号資産の取引記録が全て繋がっているブロックチェーンを根こそぎ奪おうという荒っぽい攻撃さ」
「どういう仕組みなんですか」
「ブロックチェーンは数独という暗号を一番最初に解いたものが接続を伸ばし、報酬を得ることができる。そうして暗号資産のデータは維持されているんだ。だからマイニングは時間との勝負。2番手じゃダメなんだ。ブロックチェーンの過半数を確保しなければ、チェーンの正統性は全て奪われてしまう」
「正統性…ですか?」
「ブロックチェーンには時々、枝分かれが生じる。この間はどちらが正統なチェーンなのか未確定なんだ。でも、すぐに誰かがどちらかの暗号を解いて、チェーンを接続する。そうすると、別のマイナーは最初に伸びた枝の先に次々とチェーンを繋いで伸ばしていくことになる。だが、悪意を持った人間が意図的に別のチェーンを伸ばしていき、それが正統なチェーンの長さを超えた時点で、マイナーたちは長い方のチェーンに乗り移っていく。チェーンの乗っ取りだね。多数決の世界さ。51%を取れば勝つ」
「そうなると、今まで伸ばしてきた正統なチェーンはどうなりますか」
「価値を失ってしまう。代わりに新しいチェーンが正統なものとして成長していくんだ」
「なんだか難しそう」
「そうだよ、まともな暗号資産でこの攻撃が成功したことはこれまでにほどんどない。数少ないの成功例がナカモトさんのケースだよ。ブロックチェーンを乗っ取られたので、ナカモトさんの会社は資産にアクセスすることができなくなり、全てを失った」
「そんなことが…」
「でも、あのケースは運用方法に問題があった。通常の暗号資産だと、マイナーたちが報酬を得るために注ぎ込んでいるパワーの総量は半端じゃない。マイニングに要するコンピューターのハッシュパワーの総量のことさ。マイニングされているデータの数が半端じゃないので、1人や2人でくつがえすのは無理だ。そのマイナーの数、これは人の数ではなくてコンピューターの数ということだけど、それは想像を絶するレベルだよ。世界中に散らばっている膨大な数のマイナーが注ぎ込む全てのパワーの総量を上回り、連続して解読作業に先行しないと、51%攻撃は成功しない。だからこの攻撃は無理だと見られてきたんだ」
レイは眉間にしわを寄せた。
「でも、カワダさんは可能なのかもしれないと心配しているんですね」
リクは頷いた。
「『ルナ』は月だけで流通している暗号資産だから、ユーザーもマイナーも地球上と比較すると圧倒的に数が少ない。そりゃ合わせたら何十万という数にはなるけど、地球に比べたらささやかな世界と言えるかもしれない。多数決を占めるのが地球より簡単だと考えても不思議ではないさ。もう一つ、ブロックチェーンは暗号資産の取引記録なので、取引が発生するとマイニングの仕事が生じる。Aという会社がBという会社に1万ルナを支払いました、B社からC社に10万ルナが振り込まれました、という風に。これは地球だと昼と夜の地域があって一日中動いているので、マイニング需要も二十四時間に分散されているけど、月の3つのコロニーは同じデイタイムで動いているので、経済活動の活発な時間が限定されている。つまり攻撃のタイミングが定めやすくなる」
「ということは、マイニングの発生量が多くなる時間帯に、効果的な集中攻撃を加えられたら『ルナ』のメインチェーンを一気に乗っ取れるかもしれないということですね」
「そう、取引がないとチェーンは伸びないから、忙しい時間帯に膨大なパワーを注ぎ込まれたら、ひょっとするかもしれない。こちらは51%攻撃を成功されないよう。善意のマイナーを多数抱えている。それは人だったり、官庁組織だったり、会社だったり、単発のAIも相当な数を防御システムに組み込んでいる。攻撃のたびに、それらを総動員して防御している。それに…」
「何か」
「僕らだけでない、別の防御グループの存在を感じていた。もしかすると、それはナカモトさんかもしれない。そこもかなりの勢力だよ。これまでは我々と、そのもう一つのグループが対抗してきたので乗っ取りは防げたけど。それだけでは充分ではない気がしているんだ」
レイはしばらく考え込んだ。そして口を開いた。
「まずは過去の攻撃と防御のパターンを見せてください。AIへのディープ・ラーニングを始めるのはそれからですね。どういう風に学習させるか、アルゴリズムを急いでつくらなければなりません。時間が余りないようなので、あす、ご自宅に伺います」
見込んだ通り、レイは頼りになりそうだ。




