セッション13.握手
暗号通貨に対する攻撃は3日後にもあった。しかし、前回よりはかなり小規模で、最近頻繁にあったジャブのようなアタックだった。
リクは相棒のAIとともに攻撃をものの数十秒で片付けた。攻撃が確実に防げたことを再確認していた時、携帯端末が呼出音を鳴らした。
サトシ・ナカモトからだった。
「今回も攻撃は退けましたよ、C7」
最後のコードネームが効いたのか、ナカモトはしばらく反応しなかった。声を発したのはしばらくしてからだった。
「記憶へのアクセスは完了したようですね」
「とても勇気がありますね、あなたという人は。自分だったら他人に記憶を知られることなどできるかどうか。ささやかな人生には悔いと恥ばかりだ」
「私としても重大な決断でした」
「でも、ひとつ心配になりましたよ。こんなことをしたら、あなたは組織からペナルティを受けるんじゃないですか。『永遠に繋がりが断ち切られる』、確かゼロはそう言っていた」
「心配はありません。このことは組織も了承済みです。何しろ、あなたに関しては随分と長い間観察させていただきましたから…。秘密を漏らすような人間ではないということを、私も組織も確信しています」
「随分と信用されているんですね。月に来てからまだ半年余り、それまで一度も会ったことがなかったのに」
「月に来てからだけとは限りませんよ。地球には我々のネットワークがある」
「とびきり優秀なメンバーが揃った集団」
「そうです。あなたの属する組織とも情報交換はしています。水面下でね」
「うちの〝会社〟にも協力者がいるというのか」
予想していなかった秘密の暴露にリクは驚き、少し声を荒げた。
「警察の方はなぜ自分の組織のことを〝会社〟と呼ぶんでしょうね。それが不思議でなりません」
「そんなことはどうでもいい。私と接触していることも、うちの〝会社〟の協力者は知っているのですか」
ナカモトは笑いながら言った。
「我々を馬鹿にしないでください。そのような仁義に反することをする訳がないですよ。協力者の名は、たとえ誰であろうと決して明かしません」
リクは興奮した自分を恥じた。冷静になって考えれば、自分がまだ月にいるということは、警察の中枢部はハマダさんやナカモトと関わっているリクの動きを知らないということだ。組織が認知したら、即刻任務から外される。
「ハマダさんはどうなんですか。メンバーではないようですが」
リクは少し冷静さを取り戻した。
「もちろん違います。彼には別の立派なお仕事があります。ですが、とても有能で頼りになる外部協力者であるのは間違いありません」
「今回の記憶アクセスは、あなたが頼んだのですか」
ナカモトは質問に答えずに語り始めた。
「ハマダさんの研究のことは昔、といっても10年ほど前ですが、その頃から注目していました。彼がかつて勤務していた会社は、その道のトップランナーで、斬新なサービスを実用化させ、注目を集めていましたから」
「メモリーバンクですね」
「彼はそこでひとつの重大な局面にぶつかりました。彼はご存じの通り、とても誠実な人物です。当然、仕事にも真面目に誠意を持って取り組んできたはず。その彼が会社の大きな不正を知ったとしたら」
「当然、悩みますね」
「相当に悩んだはずです。大抵の人間はそうした場面で会社という大きな組織の論理を最終的に優先してしまう。しかし、彼は違いました。会社に逆らってでも自らの信条と職業的な倫理観を優先させたのです」
「そういう例は多くはないかもしれないが、社会の中でしばしば起こりうることではないですか」
「多分そうなのでしょう。ですが、彼が引き起こした事態は世界の最先端を行く企業での大事件でしたので、我々の耳にも興味深い情報がいろいろと入ってきました。もっともその会社は我々の暗号資産の有力なユーザーでもありましたので、情報は意外と楽に入手できました。不正の中身はおぞましいと言っても過言ではないものでした。ハマダさんは渾身の勇気を奮って100%正しい行動をしたことが分かりました。彼は信用できる。そう考えて、私の記憶を託すことにしたのです」
リクはハマダさんの顔を思い浮かべた。穏やかで包み込むような笑みの奥底には、こんな過去が隠されていたとは…。
「あなたたちはその事件とやらが起こってから、ハマダさんを調査、いや観察し続けてきた訳ですね」
「ハマダさんは考えを同じくする少数の部下と即座に会社を辞め、研究を続けるために日本を出ました。世界中を回って拠点づくりを試みましたが、全て無残に失敗しました。彼らが想像していた以上に、会社の力は強大でした。研究に欠かせない高性能なコンピューターのある場所にはほぼ全て会社の目が行き届いていました」
「妨害されたんですね。徹底的に。まるでヤクザの破門状だ」
「会社を辞して数年の間に、ハマダさんは十数カ国を回りました。ですが、どこにも拠点をつくることはできなかった。そこで、私は個人的に手を差し伸べることにしました」
「援助したということですか」
「金銭など物理的な援助は組織が許しませんでした。ですが、活動の場として、この月コロニーという場所をサジェストすることだけは認められました」
「でも、ハマダさんはこのコロニーであなたと出会って理解し合えたと言っていましたよ」
「もちろんその時点で直接コンタクトは取っていません。慎重に仲介者を立てて、この可能性だけが伝わるようにしました。ですからハマダさんはこのことを知りません」
「仲介者…」
「ハマダさんのいつも近くにいる人物で、ハマダさんが信頼を置いている方です」
「そして、ハマダさんは月へ行き、あなたは彼を追って月に来た」
しばしの沈黙の後、リクが言った。
「いえ、違います。彼が月に行く決断をしたことを喜びましたが、それだけのことで終わるはずでした。私がここに来たのは『ルナ』の危機が深刻化していたからです」
「月に来た理由は私と一緒ということですね」
「その通りです。『ルナ』の仕組みは我々の技術を基本として運用されていますので、取引所だけでなく、『ルナ』全体をウォッチする必要があります。そのためには月に行かねば始まりませんでした」
「地球と月の通信回線は絶対的に細いですからね」
ナカモトは頷いた。
「キズミさんもご存じの通り、攻撃する者たちは月に身を隠しています。恐らく複数でしょう。一匹狼的なハッカーの類ではないと思われます。強力な後ろ盾があり、組織的に行動しているように見えます。必ずや奴らのネットワークを突き止め、根絶しなければなりません。我々に司法権はないので逮捕はできませんが、無力化することはできるかもしれない」
「私たちの試みが失敗したら、『ルナ』は丸ごと奴らの手に落ちてしまいますね」
「そうです。それは即ち、月コロニーの崩壊を意味します。ここに投入された気の遠くなるような資本量を考えると、玉突きで地球経済にも甚大な影響与えるでしょう」
それは言われなくても分かっている。だからこそ、気を抜くことなく、張り詰めた毎日を過ごしているのだ。
「話を出発点に戻しましょう。ハマダさんのオフィスでのセッションの結果を知りたい、今すぐに」
ナカモトは神妙な口調で言った。
「結果…」
「そうです、私という人間を知り、協力し合えると判断したかどうか。もし『ノー』なら、この電話を切り、今後一切あなたとは接触しません。それはお約束します」
リクは笑いながら言った。
「それはもう分かっているじゃないですか。我々の目標は同じだ。信頼に足る人物でなければ、このような長電話はしませんよ」
端末の向こうで、ナカモトが安堵しているのが分かった。
「面と向かっていたら、ここで握手という場面ですね」
リクが言うと、ナカモトは小さく笑った。
「ところで、あなたのことを何て呼べばいいのですか」
リクが訊いた。
「サトシ・ナカモトは有名人だ。その名前は目立ち過ぎやしませんか」
「ファーストネームだけならありふれた名前です。ナカモトと呼んでください」
「分かりました、ナカモトさん。改めて確認しますが、私の名前は…」
「カワダ・リク、もう絶対に間違えませんよ」
今度はリクが笑う番だった。




