セッション12.タカシマ・レイ
タカシマ・レイとの待ち合わせ場所は、静かの海コロニーで最も有名な観光スポット、アームストロング・テラスにした。年間数十万人が訪れる、観光客なら必ず立ち寄る所だ。観光客のみならず、ビジネスマンや月コロニーの住人も頻繁に訪れる。リク自身、この半年間に少なくとも十回は足を運んでいる。
テラスの最大の特徴はその眺望だ。最上階の展望エリアは月コロニーのドームから外部に突き出ている。アポロ・イレブン・タワーもそれなりに素晴らしい展望デッキを持っているが、所詮ドームの中だ。外の世界に直接繋がっているアームストロング・テラスからの眺めには別格の壮大さがある。
レイは時間通りにテラスの最上階に現れた。
「もっと気の利いた場所をと考えたんだけど、ここしか思いつかなかった」
リクが照れ隠しに言うと、レイは穏やかな笑みを浮かべた。
「いえ、全然構いません。私、この場所が大好きなんです」
分厚い強化ポリエステルの窓に目を遣ると、地平線から地球が昇ってくる所だった。まさに、その時間を待ち合わせに選んだのだった。
「きれい…」
レイは目を細めた。リクも黙って「地球の出」を存分に味わった。この神々しい光景を眺めるのに、無駄な会話はいらない。
地球が昇り切るまでの数分間、2人は言葉を交わすことなく、深淵の闇に浮かびつつある地球を眺めた。青と白に輝く地球はまばゆく、目も眩むほどの美しさだった。この光景はいつ見ても変わることはない。
「何か飲むかい」
地球が地平線から低く、その全貌を露わにした頃、リクが訊いた。
「ええ、『地球の出』を見ると、いつも喉が渇きます」
「それは僕も一緒だ。きっとかなり興奮してるんだ。とても静かな光景なのに」
リクは売店でコーラを2杯買った。レイの所に戻ると、彼女はまだ地球をぼんやりと眺めていた。
「いただきます」
リクがコーラを手渡すと、レイはその美しい指で受け取った。
「君のその美しい指の動きに一目惚れした」
リクが唐突に言うと、レイはストローから口を離し、リクをじっと見た。
「指…ですか」
「そう、指。セッションが始まる前、終わった後、君の指の動きに見とれていたのに気づかなかった?」
レイは視線を逸らした。少しはにかんでいるようだ。
「それは全く気付きませんでした」
「指の所作には優れた知性と品格が宿る」
「誰か有名な方の言葉ですか」
「違うよ、僕の言葉。でも、これは確かだよ。あの指の動きは誰にでもできる訳じゃない」
真顔で言うリクを見て、レイは吹き出した。
「カワダさんは変わった方ですね。デートに誘って、いきなり指を褒めるなんて」
「でも、これは偽らざる気持ち。もっと君のことが知りたい」
レイの表情から笑いが消え、真顔になった。
「レイ、と呼んでいいかな」
一呼吸置いて、レイは言った。
「ええ。ですが、オフィスではファーストネームで呼んでくださいね」
リクはその言葉に微笑みで答えた。月コロニーに赴任して、初めて生身の人間と生きた会話をしたような気がした。
「レイはどこの生まれ」
「北海道の札幌です」
「僕は京都」
「いいところですね。春のサクラの時期と秋の紅葉狩りに行ったことがあります」
「それはいい選択だ。夏と冬は余りお薦めできない。夏は四〇度近い日が1カ月以上続くし、冬は幾分穏やかになったとは言え、底冷えはキツい」
「北海道も温暖化で随分と変わりました。札幌は雪が多くて大変です。昔から豪雪地帯ではあったんですけど、最近は降り方が異常で、一晩に1メートル以上積もる日が年に何度もあります」
「そのくせ夏は暑いんだろう」
「避暑地として機能できないくらい。札幌で猛暑日が何日も続くなんて、昔ならあり得なかったのに」
「地球の気象は狂ってしまったからね」
リクの言葉にレイは表情を暗くした。
「テクノロジーが進化しても、これだけはどうにもなりませんね」
「人間が奢っているのさ。いや鈍感を装ってると言った方が良いかな。地球レベルの大きすぎる話だと『自分一人の力では…』と誰もが思考を停止してしまう」
「これからどうなってしまうんでしょうか」
「それは誰にも分らない。あ、そう言う僕も思考を停止しているな」
レイは小さく笑った。
「地球のことがとても心配、でも自分には何もできない。今は月にいるし」
「ところで、レイはどうして今の仕事を選んだの」
地球のことを話すと、どうしても内容が暗くなる。リクは話題を変えた。
「ハマダさんの会社に入ったか、ということですか」
リクは頷いた。
「ハマダさんの会社が、この業界に入った最初?」
レイは首を振った。
「もともとは大学院でコンピューターシステムを研究していました」
「コンピューターシステムといっても用途は幅広い。専門は何だったのかな」
「AIです」
「それは凄い。コンピューターシステムの専門家という訳だね」
「いえ、そんな凄いものではありません。院生と言っても、今の会社の実践レベルに比べたら、子どもの遊びみたいなものでした」
「でも、そのときの基礎研究が今を支えている。違うかな」
レイは少しの間黙った。
「そう言えるかもしれないし、実際にはたいして役立ってはいないのかもしれません。ニューラルネットワークについての知識だと少しばかり貢献できているかもしれませんが…。そのくらい今の仕事はレベルが高いと思います。私はハマダ社長のチームに後から加わりましたが、チームのみんなが凄くて、最初は本当に驚きました。今もですけど」
「確かにハマダさんの会社は凄いことにチャレンジしている気がする。ナカモトさんの記憶へのアクセスも想像以上に素晴らしい結果だった。でも、社内を見る限り、随分と人が少ないように感じたんだけど」
「それは…」
レイは口ごもった。次の言葉を言うべきか言わざるべきか迷っている様子だった。リクは助け舟をだした。
「地球がいくら危機的な状況でも、月まで行って働こうという人はまだまだ絶対的に少数派だ。少なくてもしょうがないか…。コロニーはどこも人手不足で悩んでいるからね」
リクの言葉にレイは首を横に振った。
「違うんです。会社にこれだけの人しかいないのには、別の理由があるんです」
「それは<メモリーバンク>と関係があるんだね」
レイは驚いた表情でリクを見た。
「何だか尋問を受けているみたい」
「それじゃあ話題を変えよう。今度は君が質問する番だ。何でも訊いてくれ」
レイはかなり律儀で真面目な性格なのだろう。リクに対する警戒心を完全には解いていない。だが、リクは焦っていなかった。レイは仕事上の調査対象ではないからだ。
「カワダさんはどうして今の仕事に就いたのですか」
「僕の仕事のことを知っているの」
レイは首を振った。
「お勤め先までは分かりませんが、緊張が強いられる大変なお仕事だということは見ているだけで分かります。秘密がとても多いことも」
「そう見えるかな」
「ええ」
「それを悟られてしまうようでは僕もまだまだだな」
リクは笑った。
「ここでは、お一人でお仕事を?」
「そうだよ。パートナーはAIが一台だけ」
「そのパートナーは有能ですか」
「とてもね。百戦錬磨で頼りになる奴だよ。でも最近はだんだんと難しい状況になってきている。だからハマダさんやナカモトさんが接触してきた」
「ハマダ社長は信用できる人物です」
レイはきっぱりと言った。
「でなければ、レイも含めて有能な若い人たちが月に付いて来ない。それはよく分かるよ」
レイは頬を緩めた。
「ナカモトさんもあのオフィスでセッションをしたのかな」
「そうです。でも、装置は全く違います。記憶を取り出すのはもっと複雑なんです」
「人の記憶というのは凄いものだね。出来事のストーリーだけでなく、そのときの匂いや感情までしっかりパッケージされていた」
「脳神経科学は私の専門外ですが、凄いというのは本当。保存された記憶のデータは、それだけを見るとランダムで取り留めのないものです。しっちゃかめっちゃか。でも、それが脳に入力された途端に、カワダさんがおっしゃられたようなディティールを伴って甦るんです。科学的な用語で説明のつく生理現象なのですが、実際に目の当たりにすると、言葉や理論では説明できないほどミステリアスで、興味が尽きません」
「ナカモトさんの記憶のうち、僕が知りたかったのは彼の仕事に関することだけだ。全てを知る必要はなかった。セッションで驚いたのは、僕の意図した通りに関係する部分だけにアクセスできたように感じたことさ」
「それは人の記憶に共通した作用です」
「どういうことかな」
「記憶というのは、必要なときに必要なものだけを選択的に取り出せるようになっています。一つのことを思い出すのに、時系列で全てを呼び出していたのでは、いくら脳の活動が高速でも混乱しちゃうでしょう」
「それじゃあ、ナカモトさんの記憶データの中から必要な部分を選択的に再現していたのは僕の脳みそってことなの?」
「その通りです。デジタルデータで保存された記憶を再現すると言っても、それはコンピューターのディスプレイで見るのとは全く違う原理なんです。あくまでも再現するのは人間の脳細胞。だから保存した記憶で相互作用を働かせるためには、データを再現する方の脳神経パターンに合わせて調整する必要があります。他人の記憶を勝手に覗き見ることはできないこの仕組みが、究極のセキュリティを設定することにもなるんです」
「ではナカモトさんの記憶を辿るのに、僕の脳神経パターンに合わせる作業をしたというのかい」
レイは否定した。
「そのような時間はありませんでした。今回はナカモトさんの記憶をトレースするだけですから、誰でも見られるようにデータを一般化しました。ですから、今回は一人称、主観でしか記憶を再現できません」
「それだとナカモトさんのデータにセキュリティが働かなくなるんじゃないか」
「その通りですが、今回アクセスするのはカワダさんだけです。セッションが終わったので、全てのデータは削除しました。それがナカモトさんとのお約束でしたから」
「ナカモトさんは僕にだけ記憶を見せるために、ハマダさんと協力したというんだね」
レイは頷いた。
「成果はありましたか」
「多分ね。吉とでるか凶とでるかは分からないけど」




