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セッション11.ローズ・ファイブ

「どうしても理解できない。あれほどメンバーの情報を厳格に隠しているのに、なぜナカモトは僕に記憶へのアクセスを許したのだろう。記憶をトレースされたら、組織のことがかなりの範囲バレてしまう。互いの本名すら隠し合うくらい気を使っているのに、部外者の僕がストックホルムの施設のことまで詳しく知ってしまった」

 リクはセッションが終わった後、すぐにレイを誘ってオフィス21のビルを出た。通りを3本隔てたウォール・ドームのダウンタウンに出て、小さなファストフード店に辿り着いた。リクはもっとムードのあるお洒落な店にしたかったが、2人とも腹ペコだったので店を選ぶのが面倒だったのだ。

 今回のセッションには2時間以上かかってしまった。お昼時はとうに過ぎ、2人が駆け込んだ店に客はまばらだった。地球でもチェーン店が多数あるその店は、店内のインテリアがまるで地球と同じ雰囲気だった。

「こんなことをしたら、ナカモトは追放されるんじゃないだろうか」

「さあ…」

 レイは「我関せず」といった風で、ベーコンとレタスを挟んだサンドウィッチを両手で掴み、齧りついている。

「君は何か知らないか」

「私はオペレーターですから…詳しいことは何も。ハマダさんからは『セッションに関しては、中身も含めて一切聞いてはならない』と厳命されています。このお話は終わりにしませんか」

 サンドウィッチで頬を膨らませながらレイはあっさりと質問を却下した。リクはチーズバーガーと一緒に疑問を飲み込んだ。


「いつからこの仕事を」

 チーズバーガーを平らげたリクは、苦くてまずい合成コーヒーをすすりながらレイに聞いた。

「5年前になります」

「それじゃあ、ハマダさんがまだ地球でこの仕事をしていた頃からになるね」

 レイは小さく頷いた。

「何て言ったかな…そうだ、メモリーバンク。確か会社の名前はそうだったね」

 この指摘は半分当てずっぽうだ。この前、ハマダさんがこの名前を聞いた途端、彼にしては珍しく不快な表情を露わにしたので記憶に残っている。この言葉に対する反応を探ろうと、リクはレイの瞳をじっと見た。だが、詳しく観察するまでもなく、レイもハマダさんと同じようにあからさまに嫌悪の顔つきに変わった。

「それをどこから…。私たちの過去を知る人はここにほとんどいないはずです」

 レイは強い警戒の色をその表情に浮かべていた。

「ほとんどいない。ということは知っている人が若干はいるという訳だ。その一人がナカモトさんだね」

 レイは黙った。何を秘匿しているのか分からないが、何かを守ろうとして沈黙を守っているのは確かだ。リクはレイを信用できる人物だと踏んだ。

「まあ、喋りたくないならそれでもいいですよ。せっかくのデートだ。もっと楽しい話題にしよう」

 リクが話題を逸らすと、レイはほっとしたように見えた。


「ところで、ハマダさんの会社に休みってあるのかな」

「休日ってことですか。それはもちろんあります。長期休暇には地球に帰ることだってできます」

 レイはぶっきらぼうに言った。まだ警戒心を完全には解いていないようだ。

「それじゃあ質問だけど、次の休日はいつかな」

 リクは何とか次の休日にデートする約束を取り付けることができた。


 レイとのデートは三日後だったが、リクは翌日もハマダさんのオフィスを訪ね、ナカモトの記憶にアクセスした。

「ナカモトさんへの旅はこれが最後になります。本日のセッションでナカモトさんに関する必要な情報は全てトレースすることができるでしょう」

 いつものようにレイがヘッドギアをかぶせている間、ハマダさんはこう言った。

「今回のセッションがなくても、もう既にお気持ちは固まっているようにお見受けしているのですが…」

 リクはその言葉には反応せず、セッションに集中する姿勢を取った。

<確かにその通りだ。もう気持ちは定まっている。だが、最後にもう一つ確証が欲しい>

 リクの気持ちを察しているのか、ハマダさんは小さく頷き、レイに指示を出した。

「それでは始めてください」


 目の前でローズ・ファイブ(R5)は一糸まとわぬ姿で立っていた。白い肌に均整の取れた肢体、余りにも美しいその姿には見とれるほかなかった。

「ローズ…一体どうしたんだ」

 R5は、ゼロが言う通りの「高嶺の花」だった。自分だけなく、他の男たちが何人も言い寄ったが、全く隙を見せないと専らの評判だった。決して愛想が悪い訳ではない。充分に洗練された態度で振る舞い、メンバーには誰彼ともなく親しく、親切に接した。しかし、男女の仲に発展したとは誰からも聞いていない。


「ただ、そうしたいから…それではいけない? C7」

 R5は魅惑的な笑みを浮かべていた。不思議と性欲が湧いてこなかった。余りにも唐突で、R5が美しすぎたからだ。


 ストックホルム郊外の湖のほとりに立つ訓練施設での毎日は、お世辞にも快適とは言えなかった。豪華な調度の高級ホテルのような居住環境ではあったが、毎朝5時に起床して、一日の大半を訓練に費やす日々は単調で苦しいものだった。暗号資産の仕組みやシステム運営のやり方はもちろん、インターネットのセキュリティやハッキングの手法についても詳しく学んだ。一から学ぶ自分には厳しい叱責が寄せられたことが何度もあった。加えて最初の2カ月は建物の外に一歩も出ることが許されなかった。

 訓練が第2段階の応用編に入ると、少しだけ規則が緩くなった。ビルの敷地内であれば、外での散策が許可された。敷地の範囲は高さが3メートル以上はあるフェンスに囲まれていたので、説明されるまでもなくすぐに分かった。

 建物の外に出て散歩できるようになったとは言え、軟禁状態にあることに変わりはなかった。訓練自体も応用編に入ってからは、一段と複雑で難解になった。ほとんどの講義は暗号資産攻撃への対処法ばかりで、〝先輩〟のメンバーがネット動画でレクチャーした。講師のほとんどはコードネームにアルファベットのつかない人物で、あとで聞いたところによると、数字だけのコードを持つのはこの暗号資産を立ち上げたときからのメンバーで「オリジナル10(テン)」と呼ばれている人たちらしい。

 休みなく厳しい訓練が続く毎日に疲れていたのは確かだが、それを忘れるほどに日々感心したのは、この暗号資産のシステムの素晴らしさとそれを守っている人たちの有能さだ。数学の高度な知識を散りばめた暗号資産のシステムは、数学が専門ではない自分から見ても美しいほどに整っていた。しかし、それは日々少しずつ形を変え、より適切で堅固な姿に生まれ変わっている。まるで不老不死の生き物のようだった。

 さらにその仕組みを運用し、守護している人たちは、普通の社会生活だと落伍者と見なされるような人間も多数混じっていたが、こと暗号資産となると別人、いや超人のような能力を発揮する。その知識の深さと集中力の凄さには何度も圧倒された。生き物のようなシステムを、極めて人間らしい魅力的な人たちが動かし、守っている。

 頂点に君臨する絶対的なリーダーは不在だと教えられたが、このような高度な運用を任務とした組織が、こんなに自由に活動していられるのは奇跡だ。半年以上に及ぶ、訓練期間の中で、自分はすっかりこの世界に魅了されていた。


「半年の間、あなたは見事に耐えたわ。ここを目指した動機がとても確かなものだったんでしょうね。いろいろな人間をここで見てきた私でも感心しているのよ」

 R5の指が、頬や顎をなでている。触った部分に心地よい電流が流れてくるような気がした。なおも戸惑っていると、R5はゆっくりと唇を重ねてきた。甘い吐息に麻痺しそうだ。激しく唇を貪り合い、やがてR5は舌をからませてきた。自分の頭の中で何かが弾けた。


 そのとき起こったことは惜しいことだが断片的にしか覚えていない。余りにも行為に没頭し興奮し過ぎたせいだろうか。記憶がはっきりとしてくるのは、R5が自分の隣で小さな寝息を立てている様子からだった。

 額には薄っすらと汗をかいていて、産毛が窓から差し込む夕日を反射している。長い睫毛が時折ピクピクと動いた。何か夢を見ているのだろうか。美しい寝顔を眺めていると時間を忘れた。行為自体に満足したのは確かだが、今このとき、長い間感じることができなかった満ち足りた安らぎを味わえているのも素晴らしかった。

「少し眠っちゃった」

 R5はすぐに目を覚ました。少しまぶしそうで、瞼を何度もしばたかせた。髪の毛を手で梳いてやると、R5は自分の胸に頭をもたれかけてきた。

「素敵だったわ」

「僕もだよ。何というか…最高だった。君は素晴らしい」

「そう、ありがとう」

 R5は顔を上げて、再び唇を合わせてきた。

「エリザベスよ、ベスって呼んで」

 唇を離すなり、R5は言った。

「貴方のことを何て呼んだらいいの。コークスクリュー・セブンじゃ興ざめするわ」

 R5は自分の瞳をじっと見つめていた。

「このときだけでも構わないから、本当の名前を聞かせて。貴方のことが知りたい」

 そう言ってR5はまた唇を求めてきた。しかし、今度のキスは自分から離れた。

「え、どうして…」

「名前はたとえ君にでも言えない。それは約束だから。たった一つの組織のルールを、ここで破る訳にはいかない」

 R5はしばらく黙って自分の顔を見つめた。そして微笑みながら言った。

「あなたはもうこの施設にいる必要はありません。荷物をまとめて出て行く時が来たわ」

 R5は一人立ち上がって自分に背を向け、服を着始めた。

「ごめん、気を悪くしたなら謝る。ただ、自分は…」

 R5は振り返った。顔には優し気な微笑みが浮かんでいる。

「どうして謝るの? 気を悪くする訳がないでしょう。あなたは卒業試験に合格したのよ。さっきも言ったでしょう? あなたはよく耐えたって」

「卒業試験…これが」

 あっけにとられた自分はさぞかし間抜け面をしていたことだろう。しかし、驚かない訳にはいかなかった。

「そうよ、最後の試験はハニートラップ対策。あなたは私が相手でも名前を明かさなかった。見事にルールを守ったのよ」

 返す言葉を見つけられないでいる自分を置いて、R5は部屋を出て行こうとした。

「これからの活躍に期待しています。でも、少し残念な気もするわ。トラップに引っかかってくれなかったこと。私への気持ちはずっと感じていたんだけど…。でも、素敵だったのは本当よ。今日のこと、忘れないでね」

 ドアに向かって自分に背を向けたままR5はそう言って部屋を後にした。R5と顔を合わせたのはこのときが最後になった。

 翌日、半年以上暮らした寂れたビルを後にした。見送りは誰もいなかった。空港まで送ってくれたのは、到着した時と同じくバスケットボール選手のように体格の良い現地女性だった。しかし、車は来たときと違ってサーブのSUVだった。


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