セッション10.コードネームはC7
リクはその翌日もハマダさんのオフィスを訪ねた。
「昨日、大規模な攻撃があったのですね」
ハマダさんはさらりと言った。ハマダさんの地獄耳はある意味恐ろしいレベルだ。隣でタカシマ・レイが昨日と同じようにヘッドギアをリクの頭に装着していた。
「このセッションが終わったら、昼食でもご一緒にどうですか」
リクが話し掛けると、レイは一瞬戸惑うような表情を浮かべ、ハマダさんをちらりと見た。
「今のは聞かなかったことにしておきます。社員の個人的な行動までは制限致しません」
真面目くさった表情でハマダさんが言うものだから、レイもリクも思わず吹き出した。
「今回のセッションは少し長めになります。お昼の時間は過ぎていると思いますが…」
レイは笑いをこらえながら言った。
「それならなおさらだ。タカシマさんもお腹が空くでしょう。セッションが終わったら、すぐに行きましょう。よろしいですね、ハマダさん」
「今のも聞かなかったことにします。昼食休憩にあれこれと口を差し挟むことはできませんから」
リクは頷いた。
「それじゃあ、約束ですよ」
ストックホルム郊外に建っていたみすぼらしいビルは、暗号資産のシステム管理者を養成する施設だった。空港からボルボで送ってくれた体格のいい女性は「それでは、私はここで失礼します。健闘をお祈り致します。神のご加護を」とだけ言い、玄関の前で別れた。
「どうぞ、こちらです」
建物の中で待ち受けていたのは、ブロンドのショートボブが似合う美人だった。彫りが深く、いかにも西欧人らしい。タイトなワンピースなのでスタイルが抜群に良いことが一目瞭然だ。きれいなクイーンズ・イングリッシュを話した。
自分が見惚れていると、女はやや怪しげな微笑みを浮かべながら、廊下を進んでいった。ビルの内装は、外観からは想像がつかないほど豪奢な造りだった。手の込んだ中世風の装飾が施された壁や天井、足が沈み込みそうなくらい毛足の長いカーペットにはペルシャ調の模様が刻まれていた。上品な間接照明が高級感をより引き立たせており、歩いているうちに、元貴族の邸宅か星が2つも3つもつくような高級ホテルに迷い込んだような錯覚に見舞われた。
「どうぞ」
女は一つのドアの前で立ち止まった。軽くドアに触れると、それは自動的に開いた。
部屋の中には男が一人いた。身じろぎもせずに電動車椅子に座っていた。
「そちらに掛けてください」
男は言葉を発した。電気的につくられた音声であるのは明らかだった。背後で静かに扉が閉まった。女はいつのまにか姿を消していた。廊下と同じような高級椅子に腰を下ろすか下ろさないうちに、男が喋りだした。
「日本は遠いところですが、とても美しく素晴らしい国です。こんな身体でなければ、ぜひもう一度故国の土を踏んでみたい」
「コンチネンタル・エクスプレスなら2、3時間ですよ」
男は口元を少し歪ませた。どうやら微笑んだらしい。
「あの航空機の加速は少々キツいんでね。まだ一度も乗ったことがないんですよ」
「そうですか…」
「遠路はるばるお越しいただき、ありがとう」
世間話を少しだけした後、男が畏まった口調で言った。自分も少しだけ背筋を伸ばして、その言葉に答えた。
「何のスキルもない私を招いていただき、こちらこそ感謝しています」
「我々は世界中に張り巡らされたネットワークの中で生きている人間です。メンバーのほとんどとは一度も顔を合わすことなく繋がっています。とても強固に」
「それは専門家ではない私にも充分に理解できます。だからこそ、あなたたちの仲間に入れていただきたかった」
「仲間…。そう呼べるのかどうか、私には確信が持てませんが、共通の目的の下にある集団であることは間違いない」
男は声帯を使えないようだが、どうやら話し好きな様子だ。
「あなたのように直接お会いした上でセレクションをするのは、我々にとって極めて稀なケースです」
「私の訴えを理解いただき感謝致します」
「我々が求めているのは、任務を誠実に果たすことのできる人材です。その背後の動機は何であってもよい。あなたのように理不尽かつ不幸な過去が出発点になる場合もあれば、単純に技術的な興味からアプローチしてくる方もいます。ただ、どのような場合でも、この任務への忠誠を誓えるかどうか、それが最も重要です。だから、金銭を目的とする方は全てお断りしています。そういう輩はいつ寝返るか分かりませんから」
「今、世界にはどのくらいの仲間がおられるのですか」
この問いに、男は少し黙った。
「その質問に答える前に、我々のグループのルールを説明しなくてはなりません」
「ルール…」
「そうです。このルールを破ったとき、我々との繋がりは永遠に断ち切られます」
「永遠に…ですか。それは、もしかして」
男は笑った。電子音の笑い声は異様に甲高く、耳に障った。
「命を奪うとお考えですか。まさか。我々はマフィアではありません。『裏切者には死を』などという荒っぽい掟は用意していません。一度ルールを逸脱したら、二度と我々とコンタクトできなくなるということです。我々のネットワークからの追放と言った方が近いかもしれない」
「でも…それは」
「そう。この世界で生きている人間にとってはかなりキツい事態です。何と言っても、我々が守っている暗号資産システムは世界最大ですから。追放されれば、この世界で生きていくのはかなり難しくなります。裏社会に転落する者がいてもおかしくない」
「仲間が敵に回ってしまうということですね。それは逆効果ではないのですか」
「裏社会に落ちてしまう者は、遅かれ早かれいずれそうなる資質を抱えた人間です。そのような人間と一緒に働いていることの方が、敵に回すことより遥かに恐ろしい。そのくらい我々は微妙で繊細な世界に生きているのですよ。だからこそ、たった一つのルールを設けました」
「ルール、たった一つですか」
「我々は純粋に任務への忠誠と技術で結びついていますので、メンバーは互いに誰が何者なのかを知りません。それは任務に関係のない事象ですから。あなたにはこれから全てのメンバーとコードネームで呼び合うことに馴染んでもらわねばなりません。それは個々のメンバーの素性や組織の構造や全体を知ろうとしてはいけないということです。匿名の人間が集う我々の集団のルールはこれだけです。匿名性というのは万一、追放者が裏社会に転落した際にメンバーの身の安全を保障するためにどうしても必要な措置でもあります。ですから、先ほどの質問にお答えすることはできません」
「それは理解しました」
「心してください。これは簡単なようで意外に難しいルールですよ。あなたは今日からコークスクリュー・セブンと名乗っていただきます。略称はC7(シー・セブン)。ルールは施設内も例外ではありません。これまでのお名前は今この時を境にお忘れください」
「分かりました。そのルールを遵守します。ところで、あなたのことは何と呼べばよろしいのですか」
男の口元がまた少し歪んだ。
「ゼロとお呼びください」
「分かりました、ゼロ。ひとつ質問なのですが、先ほど私を案内してくれた女性は何というコードネームですか。名前を聞き漏らしてしまいました」
ゼロは再び不気味な電子音声で笑った。
「お目が高いと言いたいところだが、彼女はなかなか高嶺の花ですよ。彼女はローズ・ファイブ、略称はR5(アール・ファイブ)。この施設の管理者です。この施設に来た男は必ず一度は心奪われる。しかし…」
「何か」
「いえ、何でもないですよ。教育期間中、この施設から出ることは叶いませんが、施設内での恋愛に制限は設けていません。高い壁に挑んでみるのも良いでしょう。健闘をお祈りしていますよ」
2人きりの室内に、再びゼロの甲高い笑い声が響いた。




