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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
橙の章
142/145

第141話 ありとあらゆる武器


 彼女たちの雰囲気がいつもと違うことに気づいたのは、何も鳥籠前の教師陣だけではない。二階左側の観客席に座る茶鼠(ちゃねず)学長とチェスナットも勿論気づいたし、彼女たちと直接面識がない煤竹(すすたけ)でさえ異様な雰囲気を感じ取っていた。

二人はこれまでの生徒たちとは明らかに何かが違う……そう思わせるものがこの闘技場全体を支配していたのだ。

 が、それに全く気づかない人間たちも存在した。あまりに彼女たちと共にいる時間が長すぎて、既に慣れてしまっている者たちだ。

彼らは一階の端と端に家族や友人の姿を見つけると、大いにはしゃぎまくった。

「あっ、マゼンタ来た!」緋色(ひいろ)が一階左側を指差して叫ぶ。

「マゼンタ……!」コチニールが思わず前のめりになる。

「や、やっぱり、お相手は、マロウ王子に、なるのですね……」と、震える柑子(こうじ)

「力の強さがだいたい同じ奴が対戦相手になるとは聞いてたが」ビスタだ。

「だとしたらあの二人になるよなぁ」と、ラセット。

葡萄(えび)はマゼンタの姿をじっと見下ろす。ついさっきまで彼女が卒業してしまうことに憤りを感じていたが、今は別の心配事がむくむくと湧き上がっていた。

(対戦相手がマロウ王子になる、ということは……)

葡萄が新たな不安を育てる側で、マルーンは辺りをきょろきょろと見回している。

今までぽつりぽつりとしかいなかった観客が、少しずつ増えていたのだ。

やっぱりみんな気になるのか……マルーンはそう思いつつ一階の鳥籠に視線を下ろした。


 鳥籠の端と端の階段を、マゼンタとマロウ王子を演じるモーヴがそれぞれ上がっていく。

その様子を丁子茶(ちょうじちゃ)焦茶(こげちゃ)檜皮(ひわだ)は呆気にとられた顔で見上げ、黒茶(くろちゃ)はふっと笑い、煙草(たばこ)はただ彼女たちを見上げていた。

しかし檜皮の背後に控えるヘンナは思い切り二人を応援していたし、彼女の隣のトパーズは相変わらずつまらなそうに床に座り込んでいる。

煙草の助手として名乗りを上げた(すずめ)に関しては、マゼンタを見上げぽーっとなる始末だ。今回全く畑違いの鳥籠という檻を学ぶことになったのも、卒業試験を受けるマゼンタに近づくため!だってこれに合格しちゃったら、色光(しきこう)科目の試験には当然同行出来ないし、そしたらすぐにでも卒業してしまう!だから雀にとっては、これがマゼンタとの最後のイベントと言っても過言ではないのだ。

 鳥籠の両端から内部へと入り込んだマゼンタとモーヴは、側の長机に並ぶ様々な武器に目を下ろす。短剣、長剣、刀、槍、弓矢、縄、鎖、何だか見たこともない球のようなものまで、とにかくありとあらゆる武器が揃っていた。この中から好きな物を選んで戦うというわけだ。

二人が武器を吟味するのを見た丁子茶は、慌てて鳥籠の中の彼女たちに叫ぶ。

「卒業試験実技科目は自分の好きな武器を使って、それを最大限に生かして相手と戦うことよ!遠慮はいらないわ!でも相手を倒す必要もないからねっ!かと言って尻込みなんてしなくていいからねっ!つ、つまり何が言いたいかって言うと、あたしたちに思う存分技を見せてちょうだい!」

「何しどろもどろになってるの……」

焦茶がぽつり丁子茶に突っ込んだ。けれど丁子茶はそれどころではない。これから始まろうとしている真剣な戦いを予期して心臓が高鳴っていたのだ。

「それじゃ……」言いつつ、煙草が手に持っていたタブレット端末の画面に触れる。

鳥籠の両端の光の扉が音もなく閉じ、四角い箱型の物体は完全な橙色の光を放ち始めた。

「マゼンタ!マロウ王子!二人共頑張ってっ!」ヘンナが両腕を掲げて応援すると、

「あーあ、早く終わんないかなぁ」トパーズがあくびをし、

「マゼンタ……!」雀は両手の指を組み合わせて拝み込む。

 するとマロウ王子を演じるモーヴが長剣を手にし、マゼンタが刀を選んだ、と思われたが、彼女の選択に二階客席のコチニールたちは絶句する。

「に、二本……⁈」緋色の額に汗が滲んだ。

マゼンタは両手に刀を一本ずつ握っていたのだ。

「あ、あいつ、んに、二刀流なの……⁈」ビスタが言葉を嚙みそうになる。

「いや、僕も初めて見た……!」

コチニールでさえ瞼を大きく持ち上げている。

確かにマゼンタの剣術の腕はよく知っているが、二本同時に使うのは今まで見たことがない。

 闘技場二階左側の客席では、茶鼠学長と研究開発部の煤竹も目を見開いていた。

「ほお、刀を二本使う生徒がいるとは珍しい」茶鼠が感心すれば、

「よほど腕に自信があるようですな」煤竹も顔をほころばせる。

対して二人の隣に座るチェスナットは何を考えているのか、教え子の女子生徒をじっと見下ろしていた。

 一階の鳥籠の前に立つ焦茶は、マゼンタを見上げながら隣の黒茶に尋ねる。

「授業で教えたんですか……?」

「いや」

「じゃ、初めて……?」

「初めてかどうかは知らんが」

やれるものならやってみるがよい……黒茶は赤紫色の少女を睨みながら心の中で呟いた。

教師陣でさえ唖然とする側で、煙草の隣に立つ雀は瞳を輝かせ今にも舞い上がりそうな気持ちを必死に抑えている。

(マゼンタカッコ良すぎっ!もし許されるならその姿を写真、いや動画に収めたいっ‼)

そう思いながら自らの手首に巻いた時計型の端末を、ぎゅっと握りしめた。

 鳥籠の中ではマゼンタとマロウ王子を演じるモーヴが向かい合っている。

二人は各々選んだ武器を下ろし、相手をじっと見つめているが、その視線は全くぶれない。

彼らに向かって、鳥籠の外から丁子茶が叫ぶ。

「じゃ、じゃあ、卒業試験、実技科目、マロウ王子対マゼンタ、始めっ!」

丁子茶が告げるなり、二人は目の前の相手に向かって走り始めた。そして相手に到達するや否や思い切り刀と剣を振り上げたのだ。

 二階客席のコチニールたちが息を呑み、チェスナットも瞬きを忘れる。

マゼンタの両手から繰り出される刀は幾度となく相手に振り下ろされ、マロウ王子、基モーヴも彼女の攻撃を剣で完璧に防いでいた。

「マ、マジかよ、アイツ……」ビスタが何とか言葉を発する。

「あ、相手、紫星(むらさきぼし)の、王子だ、よ……」ラセットの声は震えていた。

葡萄のこめかみからは汗が滴り落ちている。不安はやはり的中してしまったのだ。

マゼンタは相手が王子だろうと何だろうと、木刀だろうと実際の刀だろうと、絶対に容赦はしない。やるとなったら徹底的にいく。いや、相手が紫星の王子だからこそ、一度負けた相手だからこそ、今回は必ず勝ちにいくのだ。相手に怪我を負わせようと、自分が怪我を負おうとそんなものは関係ない。でも、でも……!

赤星(あかほし)紅国(くれないこく)守人(もりひと)一族クリムスン家のためにっ、紫星の王子にだけは絶対怪我を負わせないでくださいっ!マゼンタっ‼」

葡萄が必死に叫ぶ隣で、コチニールは妹を見つめ言葉を失っている。

剣術クラスでマゼンタがマロウ王子に一本取られてから、彼女がマロウ王子に対抗意識を持ったのは明らかだった。絶対に負けたくない、今度は絶対に勝ちたい、その気持ちがここまでびしびしと伝わってくる。けれど兄としては彼女も、そしてマロウ王子も、どちらにも無事でいてほしいというのが本音だ。

(だからどうか……!)

コチニールが両手の平を合わせて拝み込む隣で、緋色が呆然と呟く。

「いいなぁ」

「あ、あれの、どこがいいのっ……⁈」マルーンが緋色を振り向いた。

「え、だって、真剣に戦えるって、すっげー楽しいじゃん」

愕然とするマルーンが緋色からすぐ側に座る柑子に顔を向けると、柑子は鳥籠を見下ろしたまま微動だにしない。その表情はまるで魂が体の外に抜け出ているようだった。

「殿下⁈柑子殿下っ⁈」

マルーンが柑子を揺り動かし意識をこの世へ戻そうとしている頃、鳥籠の前では教師陣も衛生部員たちも呆然としていた。

「な、なんなの、これ……?」丁子茶が呟き、

「これが、本当の、卒業試験……」と、焦茶。

黒茶は「悪くない」と片方の口角を引き上げ、

「マゼンタ!マロウ王子!やったれえいっ!」衛生部員の中で唯一、ヘンナだけが盛り上がっている。

鳥籠をタブレット端末で操作する煙草は「色光でああなんだから生身もこうなるよな」と漏らし、彼の隣に立つ雀は固唾を呑んで試合を見守っていた。

 その時、鳥籠の中に動きがあった。

今まで防戦一方だったモーヴが剣を持つ手に力を込め、マゼンタが持っていた片方の刀を思い切り払ったと思ったら、その刀は真っ二つに折れてしまったのだ。

「⁈」マゼンタは咄嗟にもう一本の刀で相手の剣をすくい上げ、折れてしまった刀のほうは投げ捨てる。

モーヴが手にしていた剣は不意に空中へ飛び上がり、鳥籠の真っ平らな天井へ突き刺さった。

だがモーヴも負けてはいない。彼はマゼンタの残り一本の刀を下から足で蹴り上げると、それは宙へ舞い、既に刺さっていた長剣の隣に見事に突き刺さった。

突然武器を手元から失くしたマゼンタとモーヴは一瞬相手を見ると、同時にそれぞれ元いた長机のほうへ跳び、机上の武器に手を伸ばした。

 二階の観客席では徐々に数を増やしていた生徒たちがざわついている。コチニールたちと共に座るラセットも、

「あ、あれ、なんで、天井に、突き刺さってんの……⁈」

「さっきまであいつら手に持ってたじゃん!」ビスタも目をパチパチとさせている。

「マロウ王子がマゼンタの刀を一本折っちゃって、その隙にマゼンタがマロウ王子の剣を天井に払い上げて、さらにマロウ王子がマゼンタのもう一本の刀を蹴り上げたから、天井に刺さってるの!」

「はあっ⁈」

緋色の説明にビスタとラセットがのけぞった。戦ってる奴らも奴らだが、それを目で追えるこいつもこいつだ……!

「でもコチニールも見えたでしょ?」緋色が尋ねる。

「うん、あれくらいのスピードなら……」

こいつら、いったい、なんなん……?ビスタとラセットが啞然とした。

マルーンも隣に座る柑子の背中をさすりながら呟く。

「さすがの動体視力……」

 ところが彼らと同じ二階観客席に座る煤竹は憤っていた。勿論、折れた刀についてである。

「あんな脆い武器を作るとは、何をやっとるんだ!」

「いや、あれは刀のせいというより、それを扱う彼らのほうに原因がありそうじゃが」

煤竹の隣に座る茶鼠学長が彼をなだめた。

「ええ、恐らくそうだと思います」チェスナットも茶鼠学長に同意する。

「んにゃ、あれは武器開発学科の汚点です。今後はもっと頑丈な武器を作るよう指示しなければ」

煤竹が唸る両隣で、茶鼠学長とチェスナットは若干頬を引きつらせた。


 鳥籠の前に立つ教師陣が天井に刺さった剣と刀を見上げている。丁子茶、焦茶、檜皮、煙草は口を開けっぱなしにして、黒茶だけは何とか唇を引き結んでいたが、皆考えていることは似たり寄ったりだ。

「刀が折れるってこと、ある?」丁子茶が言えば、

「刀、折れたんですか……?」状況に追いついていない檜皮が耳を疑い、

「それより剣と刀が天井に突き刺さるほうが異常じゃない?」焦茶がさらに疑問を呈し、

「これで新たなデータが取れそうだ」煙草がぽつり呟く。鳥籠は武器が突き刺さる、と……

 そうこうしている間にも鳥籠の中では、剣と刀を天井に突き刺した生徒たちが、各々新たな武器を手にしていた。そしてその場で二人同時に手にした武器を相手に放つ。マロウ王子は釘型の手裏剣を、マゼンタは先に小さな鉄球が付いた鎖を。

マロウ王子、いやさモーヴが放った手裏剣二本はマゼンタの腕をかすって、背後の壁へ突き刺さった。反対にマゼンタが放った鉄球付きの鎖は、モーヴの足首に絡まった。それを見たマゼンタはすぐさま鎖の先を引っ張る。モーヴは鎖に足首を引っ張られ、後ろに思い切り倒れ込んだ。

鳥籠前の教師陣は息を呑んだ。手裏剣も鎖も授業では教えていない。なのに二人はそれらを自由自在に操っている。これはいったいどういうことか⁈

 二階観客席の葡萄は悲鳴を上げていた。

「マゼンタぁぁぁっ!紫星の王子になんてことをををっ⁈」

これ以上紫星の王子を傷つけたら、赤星紅国守人一族クリムスン家は存続さえ危ぶまれる‼

しかし葡萄の側に座る緋色は「あんなの習ったっけ⁈」興奮しながら叫んだ。

「いや、習ってない……!」と、コチニール。

「これからやるのか⁈色光クラスとかで!」

「どうだろう……」

でもマゼンタは、刀も、弓も、槍も、剣も、自由に扱えるし……コチニールの脳裏に、赤星で開催された武闘大会の一幕が蘇った。

 その間にもマゼンタは宙へ勢いよく跳び上がり、モーヴへ拳を下ろそうとしている。だが彼女の拳はステージの床へとめり込んだ。床は鳥籠の橙色の光を通して、バキバキとひび割れる。今、自分のすぐ目の前にモーヴがいた。なのにどこへ消えた?

マゼンタがはたと振り向くと、モーヴが自分の背後へ回り、足首に絡まった鎖をジャラジャラと解いている。一瞬で移動したということか……マゼンタはまた相手へと跳び、拳を振るう。何度も何度も何度も何度も。けれどその拳をモーヴは全て素手で受け止めたり、瞬時にかわしていった。

 二階観客席の茶鼠学長が溜息を漏らす。「これは……」

「わしの目ではもう追いつけんが、チェスナット先生、わかりますかな?」

煤竹が隣に座るチェスナットに尋ねた。

「いえ、私にも……」

王都の密偵であるチェスナットでさえ、マゼンタとマロウ王子の動きはあまりに速すぎてわからない。

 同様に観客席の生徒たちもざわついていた。彼らは興味本位で紫星の王子と赤星の少女の卒業試験を覗きに来ていたが、目当ての人物が何をしているのか全く理解出来なかったのだ。

その状況はコチニールたちも大して変わりなかったが、緋色だけは彼女たちの動きを目で追いかけ、友人たちに解説してあげていた。

「マゼンタがマロウ王子にめちゃくちゃ殴りかかってるんだけど、全部かわされてて、でもなんか変なんだよな」

「どこがっ?」と、コチニール。

「マロウ王子が全然やり返そうとしないの、余裕ありそうなのに。なんでだろ」

「気を遣ってるとか?」マルーンだ。

「それはないと思うけど」緋色が答えた。

さっきまでの武器を使った戦いも、決して相手を気遣うような感じではなかったし。

「そんなことより……」こめかみから汗を滴らせる葡萄が割って入る。「いつまで試合を続けるつもりですかっ⁈もう武器を使用して充分お披露目したでしょうっ⁈」

 葡萄の叫びが届いたのか、一階鳥籠前の教師陣たちももう二人の卒業試験実技科目は充分合格に値すると判断していた。それ故丁子茶が鳥籠内の生徒たちに向かって叫ぶ。

「もういいわ!もう充分見させてもらったから、終わりにしていいわよっ!」

だがマゼンタとマロウ王子は動きを止める気配はない。むしろどんどんスピードが上がって、丁子茶の目でさえ彼らの動きが追えなくなっていた。

「もう、どうなってるの⁈」

「俺にもよくわからん」と、焦茶。

黒茶に関しては腕組をしたままだんまりを決め込んでいる。

すると背後の衛生部員の中で、一人はしゃぐヘンナが叫んだ。

「体術クラスの時と一緒だ!何が起きてるのか全然わかんない!」

「わかんないのによく喜べるわね」ヘンナの隣に座るトパーズが突っ込む。

鳥籠の側で試合を見守る雀は、両手の指を組み込んだまま二人の試合を見守っていた。

「マゼンタ……無事でいて……!」

そんな彼女を、雀の隣に立つ煙草がちらり見下ろす。

 鳥籠の中ではマゼンタが一方的にモーヴに攻撃を仕掛けていた。鳥籠という狭い箱の中を目一杯使って、相手を殴り蹴ろうとする。でも全ての攻撃は受け止められるかかわされて、一向に成果は出ない。それに相手も全くやり返そうとしてこない。これはいったいどういうつもりなのか?

「これがおまえの本気なのか?」

拳を突き出しながらマゼンタが尋ねた。

「まさか」

モーヴは彼女の拳を受け止めつつ答える。

「だったら……」

「もう少し待て」

「は?」

「あと少しで()の効果が切れる」

薬……もしかしてその薬とやらを使って今まで自らの色を変えていたということか?

ふと、マゼンタはモーヴに攻撃を仕掛けながら相手の色に注目した。

当初はいつもの青みを帯びた赤紫色だった髪や瞳の色が、どことなく紫色に傾いている気がする。なるほど、これは確かにこいつの言う通りだ。

けど、だからと言って攻撃の手を緩めるつもりはないがな……!

マゼンタはさらにスピードを速めて相手に殴りかかった。


 二階観客席では生徒たちの反応が二つに分かれていた。一つは呆然とするグループ、もう一つは文句を垂らすグループだ。だがその原因は同じ、鳥籠の中で何が起きているのか理解出来ないことにある。彼らが楽しみにしていた紫星の王子と赤星の少女の雄姿は、もはや光の速さで鳥籠の中を漂っていたのだ。

 しかし場内でただ一人、二人の姿を目視出来る緋色は、心躍らせながら試合を楽しんでいる。

「やっべー!二人共すっげー速えーっ!」

「今どうなってる緋色⁈」

コチニールが隣に座る緋色に尋ねた。

「相変わらずマゼンタがマロウ王子をぶちのめそうとしてるっ!」

それを聞いた葡萄は血の気が引いた。

もうクリムスン家は滅亡するかもしれない……ライバル意識を持ったマゼンタが、相手を倒さずに止めるなんてことはないだろうし……それに終わるはずの卒業試験は全然終わる気配がない……丁子茶先生だけはさっきから鳥籠に向かって叫びまくっているが……

 葡萄ががくりとする隣で、ビスタとラセットは緋色を呆然と眺めている。

「なんでおまえにはあれが見えんだよ……」と、ビスタ。

「俺らには何が起きてんのかわかんないのに……」ラセットだ。

「え?だって見えるもんは見えるから」

「あんなただ光がふわふわ浮いてんのがなんで人の形に見えんだよっ!」ビスタが緋色に唾を飛ばす。

「そんなこと言われてもぉー」

そこへコチニールが口を挟む。

「緋色がマゼンタと戦った時も最終的にはあんな風だったよ」

「はいっ⁈」ビスタとラセットの声が揃った。

「え、そうだった?」と、緋色。

「うん、ほら、映像で見たじゃない」

「あー、言われてみればそうだったかも!」

「緋色、おまえ、マゼンタと、あんな風に、ふわふわになったの……?」ビスタの唇が震えながら尋ねる。

「ふわふわって……」緋色が呆れ、

「なんか可愛いね……」コチニールは頬を引きつらせた。

けれど質問した当の本人は至って真剣らしく、隣に座るラセットもごくり唾を飲み込んでいる。

「オレはよく憶えてないんだけど、なんかそうだったっぽい」

緋色の答えにビスタとラセットの顎は外れた。以前マゼンタが言っていた〝緋色に勝てなければ、私を倒すことは一生不可能だ〟という言葉がやけに真実味を帯び始めた。

「おまえ、いつマゼンタとあんなふわふわになったんだよ……」

ビスタが顎を外しつつ緋色に尋ねる。

「だから、ふわふわってなんだよっ」

「他に表現の仕様がねえだろっ!」

「ああ、赤星で開かれた武闘大会でね……」

コチニールが緋色とビスタに割って入り、詳細を説明し始める。

その話を、席の端に座るマルーンがしっかりと耳に入れていた。すっかり魂が抜け出てしまった柑子の背中をさすりながら……


 一階鳥籠前では、相変わらず丁子茶がマゼンタとマロウ王子に向かって大声を張り上げている。

「だからもう充分だって言ってるでしょっ!あんたたちの腕は充分評価するからっ、いい加減試合をやめなさいよっ!」

しかし二人は女装教師の声など全く耳に入らないように光を放ちながら、あちらこちらを猛スピードで駆け巡る。それも地上付近だけではなく、天井辺りまで跳び回るのだ。これはいったい何がどうなっているのだろうか……?

すると衛生部の檜皮が丁子茶に恐る恐る近づいて、

「あの、もう、試合を強制的に終了させては……?」

「だから今それを奴らに言ってるんでしょーがっ!」

丁子茶の厚化粧を施した顔面が自分の目前に迫り、檜皮はびくっと身を縮ませた。

「強制的に終了させる。鳥籠の扉を開くとか?」焦茶が煙草に視線を送る。

「やってもいいならやるけど」

煙草は手に持っていたタブレット端末に触れようとする。

「ちょっと待って!あんなのが今闘技場に飛び出してきたら、どうなるかわかったもんじゃないでしょっ!」

丁子茶が慌てて煙草を止めに入った。そこへ、

「何かおかしい」黒茶がぽつり呟く。

「何がです?」と、焦茶。

「何かはわからんが、何かが変化している」

黒茶の言葉に焦茶と煙草が鳥籠を見上げた。

焦茶にはまるで銃弾のスピード並みに動く生徒の姿にしか見えなかったが、煙草は僅かに首を傾げる。

煙草には、黒茶の言わんとしていることが何となくわかるような気がした。以前にもこんな違和感を感じたことがあったような気がするが、はて、いつだっただろうか?

「こいつらは充分おかしいし、充分変化しちゃってるわよっ!」丁子茶が黒茶に叫ぶ。

その時、雀が煙草のすぐ近くに来て彼の名を呼んだ。彼は思考を一時停止し、自分よりかなり背の低い彼女を見下ろす。

「あの、この音、なんですか……?」

「音?」

雀に問われて煙草は耳を澄ました。確かに、何だかピキピキという高い音がどこかから鳴っている。しかもその音はどんどん大きくなり、まるで浸食するように広がっていた。

煙草ははっとして鳥籠全体を見渡す。すると剣と刀が突き刺さった天井、鳥籠内で彼らがぶつかる両端の壁、さらには奥の壁も手前上部の壁も細かなひびが入り始めていたのだ。

「嘘だろ……⁈」

煙草が慌ててタブレット端末に指で触れて操作する。鳥籠は光線で出来た壁で、修復はそんなに難しいわけじゃない。だが画面は何度試してもエラーメッセージしか表示しなかった。

「煤竹さん!」煙草は二階観客席の尊敬する教師を思い切り振り返る。

二階左側の席に着いて呆然と試合を眺めていた煤竹が、煙草の声でやっと現実に引き戻された。

「鳥籠が破れます!」

一瞬、煙草が言っている言葉の意味が煤竹にはわからなかった。煤竹の隣に座る茶鼠学長も、チェスナットもそれは同様だった。けれども、

「なんじゃってえっ⁈」

突然立ち上がり大声を発した煤竹の声で、茶鼠とチェスナットも状況を瞬時に把握する。

つまりマゼンタとマロウ王子のあまりの強さに、鳥籠が破壊されようとしているのだと。

一階で待機する衛生部員たちがざわつき、丁子茶が煙草に迫る。

「どういうことっ⁈」

「説明は後だ!とにかくここから全員退避!」

「ええっ⁈」

彼らが慌てる間にも、鳥籠のひびはどんどん大きくなり、その音は教師陣や衛生部員たちにも届き始めた。

「全員ここから退避しろっ!」

煙草の誘導に、檜皮が教え子たちを会場の外へ導き始める。丁子茶は二階の観客席を見上げ、

「全員退避ーっ‼」と、出来る限りの大声を張り上げた。

 二階の観客席では生徒たちがわけもわからずおろおろしたり、盛んに辺りを見回している。だが観客席の左側で立ち上がったチェスナットや煤竹が丁子茶と同じ台詞を叫んでようやく、彼らもぞろぞろと建物一階に続く階段へと移動し始めた。

「なんで退避?」ビスタが移動する彼らを眺めて言う。

「今いいとこなのに!」と、緋色。

「何かあったのでしょうか……⁈」葡萄が眼鏡の蔓を持ち上げた。

「マゼンタとマロウ王子はまだステージの上だよ……!」コチニールが鳥籠のほうへ顔を向ける。

「とにかく、先生方がおっしゃるのですから、僕たちも退避しましょう!」

マルーンが柑子を支えて立ち上がろうとした、次の瞬間だった。

彼らの視界に橙色の光が飛び散り、辺りは真っ白に変化した。




















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