第139話 帰還の後
コントロールセンターの前列左側の席に座る煙草は、思わず背後を振り返りたくなった。センター職員全員でかかって、システムを完全復旧させるのに既に半日も使っている。なのに未だそれが達成出来ないのは、ハッキングした奴らの腕が異様に優れていたせいだった。が、その犯人が今自分の背後にいる!だったらすぐにでも奴らの面をこの目で拝んでやりたい……!
けれど煙草は歯ぎしりをしつつ、何とか気持ちを抑えて、手元のキーボードを叩きまくった。あと少し、あと少しで……!
対して煙草の隣で作業をしていたココナッツは、他のオペレーターと同様に手を止めて、室内へなだれ込んだ男子生徒たちを呆然と眺めていた。そして、首根っこを掴まれている上級生二人組に視線が行くと、
(今日、いや、もう昨日か……確か今回の件が起きる少し前、あの二人をこのセンター内で見かけた気がする……)ココナッツは両目をゴシゴシと擦って、さらに彼らをよく見ようと目を凝らした。
煙草とココナッツがそれぞれ相反する思いを抱く間にも、ビスタとラセットがウォルナットとタンの二人をチェスナットの前へぐいっと押し出した。
ウォルナットとタンは共にTシャツ、ハーフパンツという寝間着姿、頭はボサボサ、足元は裸足、今自分たちの身にいったい何が起こっているのかわからないような表情で、その場にへなへなと座り込む。
「別に俺たちこいつらを殴ったり蹴ったりしてねえからなっ」
念のためビスタがチェスナットに報告すると、ラセットもこくこくとうなずいた。
彼らの部屋に押し入ったのは事実だが、その後二人に事情を話してちょっと引きずるようにここまで連れてきただけだ。先輩たちも意外と素直について来てくれたと思うし……
コチニール、葡萄、緋色、ビスタ、ラセットの五人は一様にそんなことを考えていたが、彼らの前に立つチェスナットはただただ目を真ん丸にして固まっていた。
自分たちがシステムを復旧させることにばかり熱中している間、この子たちはハッキングした犯人を捜して捕まえていただなんて……しかもそれが同じ学園の生徒だと突き止めるだなんて……!チェスナットは彼らに感服するしかなかった。
「だからあとはこいつらを煮るなり焼くなり、じゃなかった、好きに使ってください!」と、緋色。
「彼らならシステムを完全復旧させることも可能でしょうし」葡萄が眼鏡の蔓を引き上げる。
「確かに……!」
チェスナットが相槌を打った時だった。
「その必要はない」
前列左側の席に着いた煙草が言うと、彼は思い切り手元のキーボードを叩き込んだ。
(ハッカーなんぞに負けてたまるか……!)
煙草の背中から執念というオーラが駄々洩れていた。
煙草がシステムの通信を回復させる少し前、何百人もの気絶した男たちが横たわる夜の砂漠で、小柄な老人、大柄男、猫背男の三人と向かい合っていたマゼンタとモーヴは、長と呼ばれる老人から意外な提案をされていた。
「今回の件、王都や学都には、内密にしてもらえぬだろうか」
長の言葉に駱駝と狐は啞然とする。いったい長は何を言い出すのか……⁈
小柄な長はちょこちょこと前に歩み出ると、
「本来、負けたこちら側が、願いを聞いてもらう立場にないことは、重々承知じゃが……」
負けた……その単語が駱駝の胸に突き刺さる。
「それでも、もしこの件が公になれば、この大地は火の海になるじゃろう」
今までは自分たちが矢を放てば、相手を簡単に撃退することができた。そもそも、朗らかで楽観的で平和が長く続くこの星の民が、自分たちと真剣に争いたいなどと思うはずがない。しかしこんな敗北を期して、この異星人がここで起きたことを明かせば、たちまち攻め入られる可能性もないとは言えない。その時こちら側は、相当な痛手を覚悟の上で向かわねばならなくなる。
「だがそれは、何としてでも避けたい……」
マゼンタとモーヴの近くで立ち止まった老人が小さな声で呟いた。
駱駝は愕然としたまま項垂れ、狐は口を開けっぱなしのまま固まっている。
老人を見下ろしていたマゼンタとモーヴは顔を見合わせると、
「いや、私たちは間違ってここに来ただけだから」と、マゼンタ。
「つまり迷子だな……」と、モーヴ。
間違って?迷子?……老人たち三人の目が思わず点になった。
「と、いうことは……?」老人が今一度尋ねる。
「ここで起きたことは誰にも言わない」マゼンタがモーヴに視線を送ると、彼も適当に右手を振った。もう疲れがピークに達してどうでもよくなっているらしい。
それを聞いた老人はほっと息をついた。年を取るとどうしてか守りに入ってしまう。これが二十年前だったら絶対にこうはならなかっただろうに。
「改めて礼を言うぞ。じゃが勿論、ただでとは言わん。もしお主らがこの先困ったことがあった際には、喜んで手を貸そう」
駱駝が顔を上げてマゼンタとモーヴをじっと見上げ、狐に関しては唇を尖らせてみせた。
「それはありがたい、けど……」
言いかけて、マゼンタはほんの少し後ろを振り返った。
大きな何かがこちらに向かって飛行してくる。しかも機械的な音ではなく、明らかに翼をはためかせる音だ。数は、五、いや十か?
「迎えが来たようじゃな」老人も夜空の奥を見つめて言った。そして、
「わしはトープ一族の長、トープ。こっちのがたいのいいのは駱駝、猫背は狐と言う。覚えておくがよい」
マゼンタが三人の姿と名前を確認すると、トープは目をパチパチとさせてこちらを見上げている。あ、そうか。
「私は赤星のマゼンタ。彼は……」
マゼンタがモーヴに顔を向けると、
「紫星のモーヴ」重々しい瞼で彼は言った。
モーヴの返答にマゼンタが若干驚いていると、突如として砂漠にトープの笑い声が響き渡った。トープの反応にマゼンタとモーヴはポカンとし、駱駝と狐も予期せぬ事態に目を見開いている。
やがて何とか笑いが収まったトープは、
「いや、これは、すまんすまん……そうか、紫星から来たのか、そうか、そりゃ、勝てんはずだわ……」
「長っ!」さすがに駱駝の血管がブチ切れて、彼はその場から立ち上がった。同時に狐も立ち上がって、今にも爪を立てそうな勢いを見せる。
「いやいや、落ち着け、後で理由を、ちゃんと聞かせてやる」
トープは駱駝と狐を振り返ると、またこちらを向いて、
「赤星のマゼンタ、紫星のモーヴ。おまえたちにまたいつか会えることを、楽しみにしておるぞ」
砂丘の陰に隠れていたフォーンとシャモワは、夜空に飛び立つ二体の色光を見上げて口を大きく開けていた。
長のトープが彼らとどんな話をしたかはわからないが、どうやら事は大きくならずに済んだみたいだ。
砂漠に倒れていた男たちも意識を取り戻したのか、次々と起き上がっては辺りをきょろきょろと見回している。
まるでさっきまでの出来事が全部、夢だったかのように……
上空を色光となって飛行するマゼンタは、手首に巻いた時計型の端末から浮かび上がる画面を、色光の図太い腕を通して眺めている。通信は数分前に回復し、端末からはチェスナットの声と共に、コチニールや葡萄や緋色のしっちゃかめっちゃかな声が重なって響いていた。
チェスナット曰く、どうやらこの場所へ向かって飛行してくる十体の色光は、学都の色光部隊と呼ばれるものらしい。部隊は学園の卒業生で構成され、普段は全く別の仕事に就いているが、非常事態には命に従ってこの星のありとあらゆる場所へ救助なり戦闘なりに向かうそうな。その彼らが自分とモーヴを迎えに行ったとのこと。
また、今回自分たちが砂漠を往復させられ迷子になった理由も、コチニールたちからの報告でだいたい理解することができた。
詳しいことは後ほど……そうして端末を一旦切ったマゼンタは、隣をゆっくりと飛行するモーヴに視線を向ける。
「大丈夫か?」
「ああ……」
「嘘つけ」
「……」
「だから私がおまえを手の平に載せて運んでやるって言ったのに」
「それは、絶対に、断る……」
飛行するのはおろか、色光に変身するのもやっとだろうと判断したから提案したのに、モーヴは頑として譲らなかったのだ。
「なんでトープに自分の本当の名前を名乗ったんだ?」
モーヴは普段、双子の兄マロウを演じている。それは学園の外にいる今も同じだ。なのにトープたちには〝マロウ〟ではなく〝モーヴ〟と名乗ったのが、マゼンタには驚きだった。
「だって、もう二度と会うこと、ないだろ……?」
「……それもそうか」
二人がゆっくり速度を合わせて夜空を飛行していくと、正面から十体の色光がこちらへ羽ばたいてくるのが確認出来た。色光部隊の背後では雲の隙間から、朝日がちょうど顔を覗かせようとしているところだった。
マゼンタ、モーヴ、学都の色光部隊が学園内の色光フィールドに到着する頃には、太陽はすっかり辺りを明るく照らしていた。
彼女たちが色光から元の姿に戻るなり、コチニール、葡萄、緋色はマゼンタに抱き着いて、柑子やマルーン、チェスナットはマロウ王子を演じるモーヴを労った。
彼らを眺めていたビスタは早速ヘンナに連絡するも彼女に怒鳴られ、ラセットは今回自分はかなりいい仕事をしたと自身を褒め称える。
さらに色光フィールドの外でも、とある人物が彼らの帰還に安堵の溜息をついていた。勿論、マロウ王子本人だ。
マロウは執事ヘリオトロープと共に木の陰に佇み、目の下に隈を作りつつ微笑みを浮かべていた。
だが戦闘部の座学で使用する校舎の屋上に立つ二人の人間は、色光フィールドの方角を眺めつつ、さして面白くない顔をしている。
「彼女たちが帰ってきたな」
「そうだねぇ」
「何も手出ししなくてよかったのか?」
「なんでする必要があるんだい?」
「……」
「だって、トープ一族なんか、彼女たちの相手になるわけないだろう?」
「それはそうだが、王都の手前……」
「いいんだよ、神様が私たちに一任してくれたんだからさ」
アガットの台詞に臙脂は無表情ながら微妙な顔をすると、隣に立つ相棒はまた色光フィールドの方角を眺め、にやり微笑んだ。
学園の食堂は今日も賑わっている。午前と午後を繋ぐ大事な昼時、生徒たちも職員も皆午前の授業が終わるなりこの場所へ駆けつけて、友人たちと語り合いながらランチをモリモリたいらげていく。
食堂のちょうど中央付近のテーブルでは、マゼンタがコチニール、葡萄の二人と向かい合い食事を摂取していた。目の前のプレートには白と橙色の野菜、淡い茶色の豆、白い芋を潰したもの、こんがり焼けた肉の塊が載せられ、各々かぐわしい匂いを漂わせている。これらをありがたくいただいて、午後の授業に備えよう。彼女のスプーンはプレートと口元を一定のスピードで往復していた。
「例の人たち、退学処分になったんだって」
コチニールが茹でた野菜を飲み込んで言った。
「そりゃそうでしょう、あんなことをしでかしたんですから」葡萄が芋をフォークで突いて答える。
例の人たちとは、ウォルナットとタンという上級生のことだ。トープ一族の土地から帰還した後、事の顛末をコチニールたちやチェスナットからマゼンタも一応一通り聞かされてはいた。
ウォルナットとタンはブラウン系でありながら色光化が上手くいかず、そんな中自分より下級生であり異星人の人間がさっさと色光になって能力を発揮するのに嫉妬し、ふざけ半分でシステムのハッキングをしたとのことだった。しかしまさかそれがあんな大事になるとは予想もしていなかったらしく、わけもわからぬままコチニールたちに捕まって、あえなく退学となったのだ。
「そういえば、ガンメタルっていう先生も謹慎処分になったらしいよ」
兄の言葉に、マゼンタは手元のスプーンを止めて顔を上げる。
「そりゃなるでしょう、マゼンタとマロウ王子を砂漠に置いてけぼりにしたんですから」葡萄は鼻息荒く芋を咀嚼した。
ガンメタル。色光実技クラス担当の教師だが、授業には一度も顔を見せず、やって来たのは実地訓練の一回だけ。でもそれさえ授業中に何かを教わった記憶はなく、帰還中マゼンタとモーヴを置いてさっさと学園に帰ってしまった。当初マゼンタは、ガンメタルが今回の件を引き起こしたのではないかと疑ったが、あの全くやる気のない教師があんな七面倒くさいことをやるだろうかとも思っていた。事実、犯人はガンメタルではなく上級生二人組だったし。
つまり今回の件は、マゼンタとモーヴが帰還中に後れを取ったこと、担当教師のガンメタルが二人を過信して放っておいたこと、嫉妬した上級生がふざけ半分でシステムをハッキングしたことが偶然重なったせいで起きてしまったのだった。いや、一つ一つを最初から丁寧に見直しておけば、絶対に起きなかった事案だろう。
モーヴがそもそもマロウを演じていなければ体調不良になどならなかったし、ガンメタルのやる気があって生徒を気遣うことが出来れば置き去りになどするはずもないし、生徒がコントロールセンターのシステムに触れないようにしておけば、こうも簡単にハッキングされることもなかった。
でもここは橙星。人の気質も生活も赤星とは違い、何なら人の数だけそれぞれの事情があるのもまた事実だ。
今回の件を受け学園側が、ここで働く人々がどう変わるのか、あるいは何も変わらないのかは今は何とも言えないが、同じようなことが今後起きないといいけど……マゼンタはそう思いながらプレートの豆をスプーンですくい、口に運んだ。
「でもトープ一族の土地で何もなかったのだけは幸いだよね」
兄コチニールの言葉に、マゼンタは思わず豆を咀嚼せず飲み込む。
「本当ですよ。トープ一族と言えば、誰かれ構わず弓矢で襲ってくる一族らしいですし、そんな人間に出くわさずに済んだのは奇跡としか言いようがありません」と、葡萄。
「そ、そうだな……」
彼女は兄と葡萄に答えつつ、自らの胸元を手で叩く。豆が変なところに入ってしまった。
帰還後、砂漠で何があったかコチニールたちやチェスナットに聞かれたマゼンタとモーヴは、トープとの約束を守り、誰にも会わず何もなかったと報告したのだった。
端末で示された通りの場所に到着したが、辺りには何もなかったので途方に暮れていたところ、遠くから色光が飛んでくる音がして、気づけば通信も復活していた……マゼンタはそのように告げ、モーヴに関しては疲労困憊で今にも寝落ちしそうな勢いだったから、ただただ彼女に相槌を打つだけだった。
本来ならば紫星の王子が襲われたのだから大きな戦に発展してもおかしくないだろうに、モーヴがふらふらでまともな判断が出来なかったからか、事を穏便に済ませたかったからか、トープ一族との戦闘は軽い運動くらいにしか捉えていなかったからか、とにかくトープたちは命拾いしたと言っても過言ではない。
(あの老人、意外と鼻が利くのか?)
マゼンタがそんなことを思っていると、
「けど、チェスナット先生、マゼンタとマロウ王子のこと本当に心配してたよ」
コチニールがスプーンをプレートに置いて言った。
「迷子になったのが紫星の王子なら当然だろう」豆が正しく胃に通過したのを確認したマゼンタが答える。
「それはそうだけど」
あれはマロウ王子だけに向けられたものだったのかな……コチニールはコントロールセンターでのチェスナットを思い返した。中央の通路にずっと立って、何だか今にも飛び出して行きたい気持ちを必死に抑えていそうな彼の後姿を。
「ただ、最近のチェスナットは少し行き過ぎな気がする」
「え?」
妹の言葉にコチニールが僅かに首を傾げた。
「あの一件から、実地訓練の際には奴が私とモ……マロウ王子にぴったりくっついて行動するようになったんだ。現地でも行きも帰りも、とにかく異様に距離が近い」
ちなみに謹慎処分中のガンメタルの代わりには、やはり研究開発部の煙草という教師が入って指導をしている。もはやガンメタルではなく煙草に戦闘部色光クラスを任せたほうがいいのではないかとも思ったが、そこにも何かしら事情があるらしく、彼はあくまで助っ人という扱いだ。
「それはだって、またあんなことが起きたら大変だし」
「そうですよ、ちゃんとチェスナット先生に付いていただいたほうが安心じゃありませんか」
兄と葡萄に言われてマゼンタは目を細める。
「コチニール」
「ん?」
「チェスナットに対する評価が変わったか?」
「えっ、いや、僕は、別に……」
妹に指摘され、コチニールはしどろもどろになった。でも彼女が言う通り、今回の件でチェスナット先生を見る目が少し変わったのは、当たっているかもしれない。
「なんとなくさ、チェスナット先生は、そんなに悪い先生じゃ、ないような気がするんだ」
事情をどこまで知っているのか、葡萄が切ない眼差しでコチニールを見つめている。
「だって、一晩中寝ずにコントロールセンターで指揮を執って、その前にはガンメタルっていう先生に喧嘩まで売ってるし……」
母上の家にあった写真は全て、チェスナット先生と二人、幸せそうに笑っていた……
「だから、すごく、優しい先生なんじゃないかなって、思ったんだ」
コチニールをじっと見ていたマゼンタは、持っていたスプーンをプレートに置いた。
確かに私のことを調べるために取った手段は、かえってコチニールとカメリアを傷つける結果となってしまったが、そこには何かしら他にも事情が隠れていたのかもしれない。今の私には計り知れないような、何かが……
その時、ふとマゼンタの脳にとある事柄がよぎった。それはなるべく早くコチニールや葡萄に知らせなければならないことだったのだが、かぐわしい食事の香りに負けてすっかり後回しになっていた。
「コチニール、葡萄。そういえば二人に報告することがあったんだ」
「何?」と、コチニール。
葡萄も神妙な面持ちを続けたまま彼女に顔を向ける。
「昨日、色光実技クラス実技テストに合格した」
瞬間、コチニールと葡萄の表情が固まった。いったい目の前の人物は何を言っているのかまるでわからない、そんな風だ。
しかしマゼンタは二人の反応が皆無なため、次々と情報を付け加えていく。
「あ、私だけではなく、モ……マロウ王子も合格した。それから……テストは実技クラスだから筆記はなく実技のみで、砂漠で指示された武器を具現化したり、体術のような取り組みをしたり、飛んだり走ったり、とにかく無事に合格した。ちなみに今日の午後は卒業試験の説明を受けることになっているのだが……」
そこまで聞いて、一切身動き出来なかったコチニールと葡萄が悲鳴を上げたのは言うまでもない。彼らの悲鳴は、賑やかな食堂の外にまで響き渡ったのだった。




