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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
橙の章
139/145

第138話 トープ一族


 マゼンタが足音に気づいて砂丘を睨む少し前、その砂丘の頂上で身を隠すようにしゃがみこんでいたフォーンとシャモワは、色光(しきこう)から元の姿に戻った二人の人間に驚愕していた。

「マ、マジ色光……⁈」と、目を真ん丸にさせたフォーン。

「バフの言ったこと、ホントだった……!」と、口を開けっぱなしのシャモワ。

「て、てか、あんな色、見たことねえんだけど……‼」

夜とはいえ辺りは真っ暗ではない。満天の星空のおかげで訪問者の色が自分たちと全く違うのは優に判断出来る。

「し、しかもアイツらの片方、女じゃねえか……⁈」

フォーンの目は遠くに佇む赤紫色の少女に釘付けになっていた。一族で色光になれるのは男のみ、女がなれるだなんて聞いたことがない。

「信じらんねえ……ありえねえ……!」

フォーンが遠くの少女を凝視していると、またもシャモワが呟く。

「バフの言ったこと、ホントだった……!」

友人が数秒前に全く同じ台詞を言っていたことに気づいたフォーンは、

「だ、だいじょぶか……⁈」と、彼の肩に手を置こうとした。その時、不意に何者かの気配を感じ、フォーンが後ろを振り返る。一歩遅れてシャモワも同じく背後を振り返った。

そこには背がかなり高く大柄で、筋骨隆々とした男が立っていた。

歳は三十四、焼けた肌にチリチリの短髪、目元は険しいが反して髪と瞳の色は穏やかな茶色、服装は自分たちと同じ半裸で腰に布を巻いている。

駱駝(らくだ)……⁈」

フォーンが彼の名を口にすると、相手は自分の唇に人差し指を立てて見せた。途端にフォーンとシャモワは自らの口をぎゅっと閉じる。

駱駝はトープ一族の男たちを率いる戦闘部隊のリーダーだ。ここで彼に逆らったらお仕置きだけでは済まされない。

現に駱駝の背後には続々と男たちが集まってきていた。十代から八十代まで、数は百人を超え、しかもどんどん増えていく。そして彼らの手には一様に弓が握られ、腰には矢が何本もぶら下がっていた。

(みんな来た……!)フォーンとシャモワが口を閉じたままうなずき合う。

駱駝に従う男たちはそれぞれ配置に着くと弓を構え、矢先を夜空に向けた。

それを確認した駱駝は右腕を躊躇なく振り上げる。

トープ一族の男たちが来訪者に向けて矢を放った瞬間だった。


 マゼンタから少し離れた所でモーヴが立ち上がる。二人は景色の奥に広がる砂丘をじっと見つめていた。

「来た」マゼンタが砂丘から夜空に視線を移す。

「本気か……⁈」モーヴは空を見上げて唖然とする。

やがて二人に向けて放たれた大量の矢が雨の如く空から降ってきた。

マゼンタとモーヴは自分に当たりそうになる矢をさっとよけていくが、当たり損ねた大量の矢はズボズボと砂漠の大地に容赦なく突き刺さる。

 けれどそんなもので終わるはずがない。

矢は際限なく降り注ぎ、二人はよけてはまたよけ、たまに矢を掴み取ってはその場に投げ捨てる、これを相当繰り返す羽目になった。

「数撃てば当たるってことか⁈」矢をよけながらモーヴが叫ぶ。

「わからないが私たちはなぜか標的にされているようだ」と、マゼンタ。

「そうだろうねっ!」

「なぜだ?」

「私たちが入ってはいけない場所に入ったからじゃないのかっ⁈」

「ルートに従っただけなのに」

「だからそれが間違ってたんだろっ!」

モーヴがマゼンタに呆れ、マゼンタが尚も疑問に思っていると、それまで大量に降り注いでいた矢がだんだんと数を減らしていった。

(矢が尽きたか……!)

モーヴがそう思うと、砂丘の頂上から数十人の男たちが姿を現した。彼らは皆両腕を勢いよく振ってこちらに向かってきている。

「あー……」

モーヴは萎えた。ただでさえ色を変えて色光になって授業を受けて帰還しようと思ったら何時間も飛行させられて、本音を言えばもう疲労困憊だ。はっきり言って動きたくない、今すぐ横になりたい眠りたい、なのに……!

丘から現れる男たちは数十人では収まらなかった。彼らは次から次へと数を増やし、数百人は超えている。まあ矢の数から判断してもそれくらいいるだろうとは踏んでいたが、いざ目の前にするとさすがにうんざりした。

「武器の類は持っていないようだが」

マゼンタが自分たちに近づく彼らを眺めて言った。

「ここで体術クラスの出来を披露することになろうとは……」モーヴが溜息交じりに呟く。

「行けるか、王子」

マゼンタが横目でモーヴを見る。

「こういう時ばかり王子(・・)って呼ぶな……!」

そうして二人は呼吸を合わせると、目の前に迫った彼らに向かって走り始めた。


 その頃学園のコントロールセンター二階にある見学室では、マルーンが窓辺に立って指令本部全体を見下ろしていた。指令本部では尚もオペレーターたちがそれぞれの机に嚙り付き、休むことなく指を動かし続けている。彼らの動きから、システムは一応回復したものの、まだ通信には至っていないことが推測出来る。

中央通路には相変わらず立ちっ放しのチェスナットがいた。彼は壁面に表示された橙星(だいだいぼし)の地図を睨み、今か今かとその時を待っているように見える。

マルーンは彼の後姿を見下ろして溜息をついた。

(密偵が指揮を執るだなんて……)

チェスナットやオペレーターたちの動きから、それは容易に察せられた。本人は恐らく嫌がったんだろうけど、何せ他に人材がいない。だから渋々承諾したのだろう。

 マルーンはチェスナットと同じ密偵だ。任務は勿論橙星の王子である柑子(こうじ)殿下を危険から守ること。殿下がこの学園で心置きなく学び、その成長を見守ることだ。さらには殿下と接する赤星(あかほし)守人(もりひと)一族が殿下に危害を加えないか、紫星(むらさきぼし)の王子が殿下に妙な気を起こさないか見張ることも任務に加えられている。その為には表立って行動するより、裏に回って支えたほうが何かと都合がいい。なのに……

(何やってるの、チェスナット……)

マルーンは今一度彼の後姿を眺めて溜息をついた。

密偵が指揮なんて執ってたら、いざという時に動けなくなる……

 マルーンは今までチェスナットから命を受け行動していた。そこに疑問を抱いたことは一切ない。なのに、今回に関しては……

彼はチェスナットと同様、壁面の地図に目をやる。橙星全域が描かれた地図には二つの丸い点が表示されていた。無論、マゼンタとマロウ王子の現在地点である。

二つの点は数時間前から全く微動だにしない。つまり彼女たちはまだトープ一族の土地にいるということだ。

 トープ一族……自分たちの土地に足を踏み入れた人間は誰であろうと容赦しない野蛮な一族だ。これまで何度も外部の人間が接触を試みようとしたが、その度に弓矢で追い払われている。これでは話し合いにもならないから、橙星では絶対に訪れてはいけない場所として民には周知されていた。

そんな場所に誘導されるなんて……

しかもどうしてか王都が動こうとしない。状況はチェスナットから既に報告済みで、何なら茶鼠(ちゃねず)学長も接触しているはずなのに……!

マルーンはやはり大きな溜息をついた。上の人たちが考えていることは、本当によくわからない。

 その時だ。

「はい、はい、いや、本当に、おっしゃる通りです、はい……」

マルーンの背後からひたすら丁寧に相槌を打つ声が聞こえてくる。マルーンが振り返ると、そこにはソファの前列に姿勢を正して座る柑子王子の姿があった。

今室内には柑子王子とマルーンの二人しかいないが、少し前に柑子の端末が着信音を鳴らしてからというもの、王子は端末に向かってずっとうなずいている。

「はい、はい、でも、ビスタも今、一生懸命解決しようと、動いておりまして……」

柑子が言うと、端末の相手が叫んだ。

「だからって端末が通じないってどういうことよっ⁈マゼンタとマロウ王子じゃないんだからっ、あたしの通話にはちゃんと出るべきでしょっ⁈」

柑子王子の相手は言わずもがな友人のヘンナだった。

ヘンナはビスタに何度も状況を教えてもらおうと通話を試みたが、なかなか通じなかったらしい。そこでお鉢がまさかの柑子王子に回ってきたのだ。

でも柑子は誠心誠意彼女の相手をしている。ヘンナが必死なのは十分にわかるし、彼女の背後では(すずめ)のすすり泣く声や、トパーズがそれを介抱する声までもが聞こえていたからだ。

だから柑子はただヘンナの話を聞いていた。そして励まし続けた。大丈夫、もうすぐ解決するからと。

 マルーンは思う。

(柑子殿下が無事で、本当によかった)と。


 柑子がコントロールセンターの見学室でヘンナの不安を受け止めている頃、その原因となった当の本人はコチニールと共に、男子寮のとある部屋の前に立っていた。

時刻は午前三時を回っている。今自分たちがいる寮の廊下もさすがに照明が消され、周囲には人っ子一人おらず、物音一つしない。

しかしそんな静けさなどお構いなしに、コチニールとビスタは目当ての部屋の扉をドンドンと叩きまくった。

「ウォルナットさん!いらっしゃいますかっ⁈ウォルナットさん!」

しんと静まり返った廊下にコチニールの大声が響く。

「出てこねえなら叩き破んぞこらっ‼」ビスタは今にも扉を叩き割りそうな勢いだ。

が、実際ビスタは中の人間が出てくるのを待っていられなかったようで、すぐさま扉を蹴り上げた。おかげで部屋の扉は取り付けられていた金具から大きく外れ、室内へと倒れ込む。

けれど一緒にいたコチニールは驚くことも友人を非難することもなく、まるで予期していたかのように室内へと上がり込んだ。当然ビスタもコチニールの後に続く。

 室内の作りは男子寮のどの部屋もだいたい同じだ。入って右側のドアの向こうにはバスルーム、室内正面には窓があり、窓の手前右側にデスクとクローゼット、左側にはベッドが置いてある。

コチニールとビスタは室内にずかずか入り込むと、ベッドの上で上体を起こし、怯えたように震えている目当ての人物に近づいた。どうやら相手は今の今までぐっすりと眠りについていたらしい。

「ウォルナットさん、ですよね?」

コチニールが相手の顔を覗き込む。ビスタもコチニールの隣に立って腕組みをした。

室内は明かりがついていないため、相手が本当にウォルナットかどうかはわからない。だからコチニールは自分の手首の端末に触れると、その明かりで相手の顔を照らした。

「こいつだな」と、ビスタ。

「そうみたいだね」コチニールも明かりに照らされた相手の顔を確認する。そして「僕たちがなんでここに来たか、わかりますよね?」震えるウォルナットに尋ねた。

ところが相手は突然の恐怖で何も言えなくなってしまったのか、ただ口をあわあわとさせるばかりだ。

「脅かしすぎたかな」

「こいつらがやったことに比べたら屁みてえなもんだろ」

ビスタがコチニールに答えたちょうどその時、コチニールの端末が着信音を鳴らした。

コチニールがその着信に答えると、

「こっちは無事捕まえたよ!そっちはどうっ⁈」

緋色(ひいろ)の元気な声が端末から響き渡った。


 学園でコチニールたちが問題解決に向けて奮闘している頃、トープ一族の大地ではマゼンタとモーヴの二人も違った意味で奮闘していた。

何百人という半裸の男たちが満天の星空の下、自分たちに向かって次々と襲いかかってくる。彼らは武器こそ持っていないし体力もそこそこ強いくらいで、一度気絶させればそれっきり起き上がってまた襲ってくる、なんてことはなかったがとにかく数が多かった。

倒しても倒しても砂丘の向こう側から湧いては増え、意気揚々とこちらに走って来ては殴りかかってくる。

しかもいつもなら大したことのない相手だろうに、モーヴが疲労困憊で動きが鈍いったらありゃしない。勿論相手の攻撃をまともに受けることはないが、マゼンタは彼を気にしながら男たちを倒していく羽目になったのだった。

 異様に強い来訪者二人を砂丘の陰から恐る恐る覗いていたフォーンとシャモワは、唇を細かく震わせていた。

(みんなが、やられてる……)

フォーンは瞬きすら忘れて、その光景を目に焼き付けていた。

おかしな色をした二人の人間の周囲には、自分たちの仲間がばたりと倒れ込んでいる。そして誰一人起き上がって、やり返そうとしない。

事実、来訪者の動きはものすごく素早かった。それはフォーンやシャモワの目では全然追えないくらいに。

でも素手で戦っているように見えるし、そんなに強く殴ったり蹴ったりしているわけでもなさそうなのに、いったいどうしてこんなことになっているんだ……?

フォーンとシャモワが尚も唇を震わせていると、これまでずっと少年たちの背後に立って戦況を窺っていた男たちのリーダー、駱駝が口を開く。

「行くぞ、(きつね)

フォーンとシャモワがはっとして振り返ると、駱駝から少し離れた所に狐という名の男が立っていた。

 狐は二十七歳、至って平均的な体格で猫背で、日に焼けた肌に細い目元、髪はボサボサの短髪で、髪と瞳の色は鮮やかな黄みの茶色、服装は自分たちと同じ半裸で布を腰に巻いている。

その彼は駱駝や他の男たちと違って、決して強そうには見えない。背が高いわけでもないし、筋力もそれほどあるようには思えないし、第一癖である猫背が影響して尚更弱々しく見える。

だけど狐は常に駱駝について回ってちょっかいを出し、根負けした駱駝が狐に戦い方を教えたのか、めきめきと頭角を現して、今では駱駝の隣には狐が必ずいるのが当たり前になっていた。

 狐に声を掛けた駱駝が、フォーンとシャモワをその場に残して砂丘を下っていく。その後を狐もぴょんぴょん飛ぶようについていった。

彼らの後姿を見送ったフォーンとシャモワは心から安堵する。

(二人が戦うなら、自分たちはもう安全だ)と。


 駱駝と狐が走り向かう先では、マゼンタとモーヴがほぼ全ての男たちを倒していた。やれやれ、砂漠での実地訓練で迷子になった挙句、原住民とのいざこざに巻き込まれるとは……

マゼンタが自分から少し離れた所に立つモーヴに顔を向けると、彼は疲れ切ったように地面全体を眺めている。考えていることはだいたい同じみたいだ。

 ふと、マゼンタは遠くからこちらへ走ってくる二つの影に気づいた。大柄で筋肉が盛り上がった男が自分のほうへ真っ直ぐに、中肉中背で猫背の男がモーヴのほうへ飛び跳ねるように向かってくる。

足音から察するにあの二人で最後のようだ。奴らがこいつらの親玉か?

そうこうしているうちに大柄男と猫背男、即ち駱駝と狐がマゼンタとモーヴの元に走ってくるなり殴りかかった。

 その光景を砂丘の陰から覗いていたシャモワは驚く。

「駱駝が女のほうに行った……!」

シャモワは戦闘部隊のリーダーである駱駝が相手をするのは、絶対に来訪者の男のほうだと思っていた。しかしまさかか弱い(・・・)女と戦うだなんて……!

「あっちの男がなんか疲れてるからじゃね?」と、隣で同じように覗き込んでいるフォーン。

「そうなのっ⁈」

「なんとなく」

それに……フォーンは来訪者の女をじっと見て思った。

あいつはか弱い(・・・)女なんかじゃねえ。

 フォーンとシャモワの視線の先では、マゼンタが駱駝の拳や蹴りを次々にかわしていた。

大柄な体格から繰り広げられる駱駝の動きはそれなりに威力があるし、体重はかなりのものだが素早さも兼ね備えている。確かに、これまで挑んできた男たちとはちょっと違うようだ。

マゼンタはそう思いつつ、少し離れた所で猫背男と戦うモーヴをちらと見た。

猫背男、即ち狐は一方的にモーヴに殴りかかっている。力の強さは当然駱駝程ではないが、すばしっこさは駱駝より優れているのではないだろうか。モーヴは相手の攻撃をかわしつつ、その隙を狙っているように見えた。

(本来なら楽に倒せる相手だろうに……)

マゼンタがモーヴと狐の戦いを盗み見しながら駱駝の攻撃をよけていると、

「やはり貴様を選んでよかった」

駱駝が目の前の少女に言いながら殴りかかった。

が、突然話しかけられたマゼンタは、自分でも無意識のうちに相手の顎を足で蹴り上げていた。

「あ」

そんなに力を入れたつもりはなかったが、大柄男は綺麗な弧を描いて背後に倒れ込む。

それと同時にモーヴも猫背男の腹に拳をめり込ませていた。猫背男は大柄男と同様、背中から吹き飛ぶと、大地の砂を撒き散らして転がっていった。

「大丈夫か?」マゼンタがモーヴに声を掛ける。

「大丈夫に、決まってるだろ……!」

モーヴはそう答えたが、明らかに肩で息をしている。もうこれ以上の戦いはさすがに厳しいか。

 駱駝と狐が来訪者によって倒される場面を目撃したフォーンとシャモワは、砂丘の陰で凍り付いていた。

「ありえねえ……ありえねえ……」

フォーンが倒れたままの男たちを見つめながら、同じ単語を永遠に呟く。

シャモワに関しては口を開けっぱなしにしたまま、言葉を失っていた。

戦闘部隊の中で一番強いと言われている駱駝と狐が、こんな簡単にやられるだなんて、そんなことあっていいはずが……!

フォーンとシャモワが砂丘の陰で愕然としていると、二人の背後にまたもとある人物が近づいた。

 気絶した男たちに囲まれたマゼンタとモーヴはというと、今倒したばかりの大柄男と猫背男のその後の動向に注目していた。彼ら、即ち駱駝と狐は呻き声を上げつつ、何とか起き上がろうとしていたのだ。

「蹴りが意外と甘かったか」と、マゼンタ。

「もう、いい加減にしてくれよ……!」と、うんざりするモーヴ。

その間にも駱駝と狐はふらふらしながら立ち上がる。

「ここで、負けたら、駱駝の、名が、廃る……」大柄男がマゼンタを睨んで言った。

狐は殴られた腹を盛んにさすって、今にも嘔吐しそうな顔になっている。それでも立ち上がるのは、尊敬する駱駝が立ち上がるから仕方なく自分も立ち上がった、というのが本音だ。

「しかも、女に負けるだなんて、一族の恥さらし以外の、何者でもない……」

駱駝が言いながら身構え、同様に狐もモーヴを睨んだ。

「だから俺は、絶対に貴様を、倒す……‼」

そう言い放って駱駝はマゼンタに走り向かい、狐もモーヴに向かって走る……予定だった。

だがそうはならなかった。

走り出そうとする駱駝のすぐ隣に突然小柄な老人が現れたかと思うと、駱駝を呼び止めたのだ。その声を聞いた彼は急に走り出すのを止め、狐もあまりの驚きに、つまずいて転んでしまった。

 マゼンタは僅かに目を丸くしている。モーヴも呼吸を整えながらその老人に注目していた。

(全く気づかなかった……いつやって来た?)

マゼンタとモーヴが小柄な老人をじっと見つめていると、

(おさ)……!」駱駝が老人のことを呼ぶなり、その場にひざまずく。

前のめりにずっこけていた狐もすぐさま体を起こして、ひざまずいた。

 長と呼ばれた彼は、年齢七十代前半。身長は友人の雀より低く、身長の割に体重はありそうだが本当に小柄で、日に焼けた皺だらけの肌、髪はなく、瞳の色は相当暗めな茶色だった。服装は他の男たちと同じ、半裸で布を腰に巻いているだけだが、見える所だけでも骨が浮き出ているなんてことはない。

 彼は周囲に倒れた無数の男たちをゆっくり眺め回すと、マゼンタとモーヴを見上げ、

「見事な戦いじゃった、他の星から来た者たちよ」ガラガラとした声で告げた。

その言葉に駱駝のこめかみが疼き、狐はビクッと体を震わせる。

小柄な老人は変わらずマゼンタとモーヴを見上げたまま続けた。

「何も武器を使わず、その若さで、たった二人で、これだけの男どもを気絶させたこと、やろうと思えば、息の根を止めることも出来たはずなのに、そうはせんかったこと、感謝するぞ」

思わず顔を上げた駱駝と狐の表情は驚愕そのものだった。やられたのはこちら側なのに、敵に礼を述べるとは、到底信じ難かったのだ。

「一つ聞いていいか?」マゼンタが老人に尋ねる。「なぜ私たちを襲ったんだ?」

彼女の問いを耳にしたモーヴは呆れる。こいつはまだそれにこだわっていたのか……

「この土地に入った者は、誰であろうと容赦はせん、それが決まりじゃ」

「決まり?」

「橙星の人間なら、誰でも知っておる。おまえたちには、わからんじゃろうが」

だろうな……マゼンタとモーヴが心の中で同時に呟いた。

「だから襲ったまでのこと。まさかおまえたちが、こんなに出来る奴らだとは思わなかったが」

長の言葉を聞いて、駱駝はひざまずいたまま拳を握りしめる。狐はそんな駱駝に気づいて、彼のほうをちらちらと盗み見た。

 対してマゼンタは目の前の老人を眺めながら、とある考えを巡らせていた。

橙星の人間なら誰でも知っている絶対に襲われる場所に、自分とモーヴが辿り着いた。いや、辿り着いたと言えば聞こえはいいが、要は誘導されたのだろう。ルートは提示されている、でも通信は出来ない。果たしてこれを仕掛けたのは何者か?

彼女の脳裏に、今日の授業に初めて参加した教師の顔が一瞬浮かび上がる。が、彼女はほんの少し渋い目つきをしながら、首を傾げたのだった。


 マゼンタが今回の首謀者について考えている頃、学園のコントロールセンターではチェスナットが尚も中央通路に立ち尽くしたまま、その時が来るのをじっと待ち続けていた。

周囲では煙草(たばこ)やココナッツやオペレーターたちが、白目を充血させながらも休むことなく働き続け、何とか生徒二人と通信が出来るように励んでいる。

でも自分は、いったい何をしているのか……

本来なら密偵である自分が二人を救出に向かうなり、王都との連絡係として何かしら働きかけることが出来たはずなのに、やっていることと言えばただこの安心安全な場所で事が解決するのを見守るのみ。指揮を執っているというより、もはやただのお飾りでしかない。まあ、何かあった時に責任を取るのには相応しいかもしれないが。

(こんなんじゃ、王都の密偵失格だな……)

チェスナットの脳裏に数か月前、キャンプ実習で赤紫色の少女に指摘された言葉が蘇る。

その際彼女は、自分が密偵だと直接的に言ったわけではなかったが、内容としてはほぼ当たっていた。にも関わらず、今自分がやっていることは密偵には程遠い。いったい何のために自分はこの数か月彼女たちの側にいたのか……!

 彼が自らの行いを散々けなしていると、突如集団がコントロールセンターの自動扉からなだれ込んできた。

チェスナットもオペレーターたちも驚いて振り返ると、そこにいたのはコチニール、葡萄(えび)、緋色、ビスタ、ラセットの五人だった。しかし彼らは他に二人の男子生徒を連れており、その二人はなぜかぐったりと虚ろな表情で、ビスタとラセットに首根っこを掴まれている。

「君たちはいったい……!それに、ウォルナットと、タン……⁈」

チェスナットが確認したビスタとラセットに掴まれている生徒は、ウォルナットとタンという戦闘部色光学科所属の生徒だった。二人はブラウン系で今年三年目、確かマゼンタとマロウ王子が色光実技クラスを初めて受講した際、彼らも一緒に授業を受けていた。その後なかなか色光化(しきこうか)が叶わず、他のクラスも受講するようになっていたが……ここまで思い出してチェスナットがはっとする。

「まさか……⁈」

 その時、自動扉から柑子とマルーンが慌てて入ってきた。二人はコントロールセンター二階にある見学室から急ぎやってきたのだ。

「この方々が⁈」捕らえられた生徒たちを見て柑子が尋ねる。

「そう、こいつらっ!」と、緋色。

コチニールはチェスナットを真っ直ぐ見上げると、

「先生、今回の件の犯人を捕まえました」




















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