第11話 タンポポの綿毛と尻尾と
殿様が懐手で歩き、その後ろからジュニアが付いていく。
今日のジュニアの背中は空だった。
代わりにバスケットを下げている。
今朝早くおババと摘んだ花が入っている。
オラは後から行きますだ、と、おババは言った。
殿様の歩く後ろから土地の子供が何人か付いてくる。
殿様は、白くて柔らかい毛に厚く覆われた身の丈ほどもある長い尻尾を持っている。
首に巻きつけたり肩に乗せたりもするが、歩く時は地面スレスレに伸ばしている事も多い。
そうなると子供が触りたがって寄ってくる。
ましてや今は春の換毛期らしく抜けかけの冬毛の塊がたくさん纏わり付いている。
子供の手が本当に触れそうになるたび、殿様が後ろを見ている訳でもないのに、尻尾は別の生き物のように動いて逃げる。
子供たちはその度に歓声をあげた。
殿様が歩くときの、よくある光景だった。
春の陽射しの中、奇妙な行列が歩く野原は、ほんのそよ風にも巻き上がる一面のタンポポの綿毛だった。
野原を横切ると古武士のような屋敷が見えてきた。
家の前に何人か人がいる。
しゃがみこんで日向ぼっこしてる人もいれば、洗濯をしている人もいた。
ドアが開いているので家の中にも大勢いるのが見えた。
だが人数に対して不思議なほど静かだった。
皆一様に音を立てないよう振る舞っている。
殿様は誰かに何か言うでもなく慣れた様子で家に入って行った。
人々も殿様とジュニアを気にすることはなかった。
奥の部屋に白い薄いカーテンが下げられた部屋があり、カーテンの外にも1人蹲っていた。殿様はその一枚をめくって入る。
部屋の中にも更に白いカーテンが幾重にも吊るされているが、今は上げられていて穏やかな春の光が入っている。
横たわっているのは聖母子像だった。
◇◇◇
まだ若い母親は触れれば折れそうなほどやせ細っていた。
母親に抱かれて眠っている赤ん坊はよく太っていた。
部屋の中にも人がいて、病人を用心深く扇いだり汗を拭いたりしている。
殿様は病人の傍に胡座をかいて座り込んだ。
ジュニアは看護人に示されて病人の足元に座った。
看護人はジュニアが持ってきた花を、病人が目を開けた時に目に入る位置に置いた。
そのまま黙って見守る。
表で時々、子供の声がするが大人の押し殺した声がしてすぐ聞こえなくなった。
鳥の囀りが聞きながら殿様は病人を見守り続けた。
やがて病人は目を開けて殿様に微笑みかけた。
赤ん坊も昼寝から覚めて病気の母親の乳房に手を伸ばした。
殿様は目を背けた。
部屋の入り口からおババが中の様子を伺っている。
殿様が赤ん坊を抱き上げて部屋を出る。
子供を抱いた殿様の後ろからジュニアは付いていく。
ジュニアと入れ替わるようにおババが部屋に入っていった。
部屋の中で、おひいさま、と言う声が聞こえた。
◇◇◇
殿様は尻尾を赤ん坊の顔の前で揺らしながらタンポポの野原を歩いている。
重くなったじゃないか、と話しかけて下に下ろし、赤ん坊が好きに歩くに任せている。
赤ん坊はヨチヨチと歩き、殿様の尻尾を捕まえようとしている。
「お屋敷のお姫さまなんだね。大家族でみんなに大切にされてるんだ」
「あの人の家族は、もうこの子しかいません。あそこにいるのは皆、あの人を慕ってる人たちで、あの人は巫女さんです。あの山の神を祀る神官の最後の1人ですよ」
殿様はタンポポの野原で逆立ちをした。
そして歩く赤ん坊に合わせて逆立ちのまま数歩進み、そのまま仰向けに大の字に寝転ぶ。
タンポポの綿毛が盛大に舞い上がる。
ジュニアは赤ん坊の前にしゃがんで話しかけた。
「あんよが上手だね?」
話しかけられて、赤ん坊は大きく澄んだ目でジュニアを見たが、口をへの字に結んで返事をしない。
「こんにちわ、ボクはジュニアです。貴方のお名前はなんですか?」
赤ん坊は急に花が咲いたように笑顔になった。
だが、笑い声を上げる事はなかった。
◇◇◇
赤ん坊は捕まえられない殿様の尻尾を諦めて、寝転ぶ殿様の片脚を肩に担ぎ、ズルズルと引きずり始めた。
「この子は生まれた時から声を出した事がないのです。産声さえあげませんでした。名前はタロサといいます」
殿様は引きずられながらジュニアに告げた。
「私の子です。あの人が亡くなる前に祝言を挙げます」
次回は、第12話「みんなが奇跡を祈ってた」です




