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4話:月夜の晩餐と誘惑の罠

反乱軍を撃退し、一時の平穏が訪れた月の都。勝利の立役者である乃木大将は、都の最上層にある迎賓館のバルコニーで、遠く浮かぶ青い地球を眺めていた。


「大将、今宵はお疲れ様でした。勝利を祝して、ささやかな晩餐を……」


現れたのは、戦装束を脱ぎ捨て、月の羽衣を思わせる薄衣を纏った九十八代目かぐや姫であった。その背後には、最高級の月面人参料理と、琥珀色に輝く月の美酒が並んでいる。


乃木は背筋を伸ばし、一礼する。


「姫君。過分なおもてなし、恐縮至極。されど、我が軍隊は未だ警戒態勢にあります。酒などは……」


「今夜は特別ですわ。それに、大切な『国政』のお話もございますの」


かぐや姫は、乃木の隣に滑り込むように座り、その逞しい腕に己の長い兎耳をそっと擦り寄せた。月の民にとって、耳を寄せるのは最大の親愛の情、あるいは「誘い」の合図である。


だが、乃木は柳に風と受け流し、直立不動のまま酒杯を受け取る。


「……姫君、先ほどから耳が当っておりますぞ。通信機の調子でも悪いのか?」


「……わざとですわ、閣下。察してくださいませ」


かぐや姫は意を決して、乃木の手を握りしめた。


「大将。私は……あなたの『種』が欲しいのです。この国の女子おなごたちに、あなたのその強さ、その気高い精神を継がせたい。今宵、私と儀式を……」


乃木は、かつてないほど激しく動揺した。旅順の砲火の中でも乱れなかった心が、一人の女子の直球勝負に揺らぐ。


「なっ、……滅相もない! 本官は明治大帝に殉じた身。妻・静子以外に操を捧げるなど、武士の道に反する!」


必死に固辞する乃木。しかし、ここで月の科学を司る侍従たちが、申し訳なさそうに通信モニター越しに口を挟んだ。


「……あの、閣下。申し上げにくいのですが、我々のスキャンデータによりますと……」


「何だ! 敵襲か!?」


「いえ。閣下は一度地球で死を迎えられた『霊体』が月面で実体化した存在。ゆえに、食事や戦闘は可能ですが……生物学的な生殖機能、つまり『子種』そのものが存在しないという結果が出ております。


一瞬、場に凍りつくような沈黙が流れた。


「……えっ。じゃあ、いくら褥を共にしても、赤ちゃんは……?」


かぐや姫の顔が、みるみるうちに蒼白になる。期待が大きかっただけに、その絶望は深い。


乃木は、どこかホッとしたような、それでいて武人として役に立てない申し訳なさが入り混じった複雑な表情で立ち上がった。


「……そうか。本官は、ただの『戦う影』に過ぎぬのだな」


泣き崩れそうなかぐや姫。だが、乃木は彼女の肩に優しく、しかし力強く手を置いた。


「姫君、泣かれるな。物理的な種はなくとも、我が『魂』を継がせることは可能だ」


「魂を……?」


「左様。先日の教練を見られたか? 弱卒だったバニー兵たちが、今や立派な武人として立ち上がっている。血を混ぜるだけが継承ではない。我が武士道、我が規律、我が精神を彼女たちに叩き込み、それを末代まで語り継がせる……。それこそが、滅びぬ国を作る『真の種』ではないか!」


乃木大将の言葉に、かぐや姫は涙を拭い、呆然と見上げた。


生殖という本能を超えた、精神の教育による「国造り」。


「……閣下。あなたは、どこまで高潔なのですか」


かぐや姫は、乃木の手に自分の手を重ねた。子作りは叶わずとも、この老将を「精神的国父」として崇める覚悟が、彼女の中で決まった瞬間であった。

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