第37話:終わりの光
像の群れを退けた三人の前に、ついに、魔王本体の姿が現れた。
「――ここまで来たか」
黒い靄を纏った魔王が、静かに三人を見据える。少し離れた場所では、師匠が、肩で息をしながらも、鋭い目で戦況を見守っていた。
「――」
デラードのままの三人が、無言のまま、じりじりと距離を詰めていく。エナガが、静かに足元に魔法陣を展開しようとした――その時だった。
「――待て」
ルートが、片手を上げて、エナガを止めた。詠唱以外の言葉を発せないはずの体で、それでも、無理やり絞り出すように。
「……これじゃ、駄目だ」
「――」
エナガとあけびが、視線でルートを見る。
「同じ手は、通じない」
ルートは、自分の中の何かに、区切りをつけるように、静かに目を閉じた。
「……解く」
その瞬間、ルートを包んでいた緑と青のオーラが、すうっと霧散していく。デラードの姿が、元の彼へと戻っていった。
「ルート……!?」
「言葉が、要る。今から、俺たちがやることには」
その言葉に、エナガとあけびも、それぞれ迷いながら、力を緩めた。紫の帽子から立ち上っていた魔力が、オレンジの閃光が、少しずつ、元の姿へと戻っていく。
「……いいのか、それで」
「ああ。……冷徹なままじゃ、あいつには勝てない。それに」
ルートは、静かに続けた。
「シンドロームも、大星群も……あれは、デラードの力があってこそのものだ。今の俺たちじゃ、もう使えない」
「――甘い判断だな」
魔王が、低く笑う。
「だが、好都合だ。……その方が、壊し甲斐がある」
三人は、素の自分に戻った。呼吸を整え、互いに視線を交わす。
「エナガ、あけび。俺に、少しだけ時間をくれ」
「時間って……何する気」
「説明してる暇はない。……とにかく、あいつの意識を、俺から逸らしてほしい」
「……分かった。ルートを信じる」
エナガが、頷いて杖を構える。
「――ウィンズァイヤー」
エナガの詠唱と共に、天から、圧倒的な量と密度の風が、魔王めがけて降り注いだ。
「な……!」
上に飛び上がるか、横に衝撃波ごと吹き飛ばされるか――そのどちらかしか、受け流す術のない一撃。魔王は舌打ちしながら、真横へと跳んで衝撃波をやり過ごした。
「――ライボルトサンダー!」
あけびが、その隙を逃さず跳躍する。雷を纏った一撃が、魔王の肩を掠めた。
「小癪な……!」
魔王の意識が、完全に二人へと引き寄せられている。
その間に――ルートは、静かに、自分の内側に沈み込んでいった。
焦りも、驕りも、過去の後悔さえも、今この瞬間だけは、手放す。悲しみにも似た、静かな魔力の霧が、彼の体の周りに薄く降り積もっていく。周囲の空気が、彼の意志に呼応するように、揺らぎを止めていった。
「あれは……」
異変に気づいたエナガが、息を呑む。ルートの纏う気配が、いつもとまるで違う。ただ、無風の、透き通った静寂だけが、そこにあった。
「――チャル・マハルズ」
ルートが、静かに詠唱する。彼の周囲に、大きなリボンのような光線が浮かび上がり、緩やかに宙を舞い始めた。それは、まだ、次の術への"足場"に過ぎなかった。
自分自身の「個」としての固い殻が、光の中で、ゆっくりと溶けていく。魔力が、彼自身の輪郭を越えて、世界そのものへと溶け出していった。
「――ベム・セナム」
囁くような詠唱と共に、地面が、静かに変質し始めた。
土だったはずの大地が、一枚の巨大な鏡張りの水面へと変わっていく。波紋一つ立たない、完璧なまでの静けさを湛えた鏡。
同時に、空に、無数の魔法陣が展開する。そこから、光の雨が降り注ぎ始めた。
だが、それだけではなかった。
降り注ぐ光は、足元の鏡面に触れた瞬間、寸分違わず反射し、再び上空へと跳ね返っていく。跳ね返った光は、また別の角度から降り注ぎ、鏡面に触れ、また反射する――光が、光を呼び、幾重にも折り重なっていく。
「な、これは……!」
魔王の足元、鏡のような水面に、無数の光が縦横無尽に交錯していた。上からも、下からも、逃げ場のない光の網。降り注ぐ雨と、地上から照り返す光の乱反射が、魔王を四方八方から同時に貫いていく。
「ぐ、あああ……!」
防御も、回避も、間に合わない。鏡面が映し出す光の乱舞は、死角そのものを消し去っていた。
「……今だ!」
エナガの声に、あけびが頷く。二人が、力を振り絞って、最後の連撃を叩き込んだ。
「――ウィンズァイヤー!」
「――エクス・イグニション!」
追撃が、鏡面の乱反射に炙られた魔王の体を、さらに打ち据える。
「……終わり、か」
ルートが、荒く息をつきながら、崩れ落ちていく魔王を見つめる。足元の鏡は、役目を終えたかのように、静かに、元の大地へと戻っていった。
だが――
「まだだ!」
崩れかけていたはずの魔王の体から、再び黒い靄が立ち上る。
「馬鹿な……油断していたが……これで終わりだと思うな……」
魔王が、最後の力を振り絞るように、体を起こす。
三人は、既に、力を使い果たしていた。あけびは膝をつき、エナガもルートも、これ以上動けない。
「……」
その光景を見ていた師匠の目が、これまでにないほど、静かに光った。
「――もう、いい」
師匠は、ゆっくりと、三人の前に進み出た。
「汚れ役は、子供たちにさせない」
杖を構える。その手は、もう震えていなかった。
「――お前らが命を救われた、あの技だ。今度は、私が使ってやる」
師匠の周囲に、これまで見たことのない規模の魔力が渦を巻き始める。それは、もはや光線と呼べるものではなかった。銀河そのものが、師匠の手のひらに、生まれようとしていた。
「――ギガディヴォイド」
短く紡がれた言葉と共に、放たれた光は、視界のすべてを、白く塗りつぶした。
「――――」
魔王の断末魔すら、その光の中に飲み込まれていく。
やがて、光が収まった時――そこには、静かな静寂だけが残されていた。
師匠は、肩で息をしながら、倒れている三人を見渡した。
「……終わった、か」
その声は、いつもの緩さを取り戻していた。
「うへへ……。まったく、世話が焼ける弟子たちだ」
師匠は、力尽きたように、その場に膝をついた。
長い戦いが、ようやく、終わりを迎えていた。
ノシ




