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‎Chaptar:02 白の記憶

2話目です。

いよいよ本編始まります。

「白」一族と「夜」一族。何年も……何代も……この二つの種族は終わりなき戦いを繰り広げてきた。

それは国を守るための義務なのだろうか?

それは民を守るための使命なのだろうか?

それは我を守るための運命なのだろうか?

 何度も、何度も血を血で洗う無残な戦を繰り広げてきた。戦士達は疲れ果て、民は嘆き悲しんだ。

 この戦いには意味があったのだろうか?

 この戦いには正義はあったのだろうか?

 それは誰にもわからないことだ。しかし、幾多の命達がこの戦場で激しく散って消えていった事実は変わらなかった。誰もがこの戦の始まった理由を忘れて、報復し合う残虐な行為に変わっていったことに、戦士達や民は気付かなかった。

 無限に続く負の連鎖を誰も断ち切ることができずに、言われるがままに目の前の『敵』と認識された者の命を奪っていく日々。誰もが死から抗って必死に生きていた。きっと生きていたはずだ。

 その中にもちろんこの私も含まれるのだから――


                       *


 『私』が『私』だと認識したのは、丁度五歳の頃だった。

 まだ幼い私は、父や母に連れられて山に入るや、いきなり剣を持たされて戦い方とこの世界での生き方を教えられた。

 まだ『自分』という存在の『個性』が形成されたばかりの私にとってはそれが良いことなのか、悪いことなのかすらわからないまま、言われた通り必死にやってのけた。

 息苦しかった。

 毎日身体が張り裂けるようだった。

 血が滲む訓練の日々……

 ようやく両親の教えが身体で覚えて、一人で中型の獣を狩った時の喜びは今でも忘れない。

 父は喜び、私の髪がぐちゃぐちゃになるまで撫でまわした。

 母は私と父の状態を見て、にこやかに微笑んだ。

 まだこの頃の私にはこの先の未来なんてこれっぽちも見えていなかった。もちろん……父や母も。


                       *


 私がこの世の中の怪しさに気づき始めたのは、それから五年の歳月が経った頃だった。年齢は十歳になっており、あの頃より剣術は上達し、周りから一目置かれる存在へとなっていた。そして、私は騎士団に入るために学問に励み、そして――剣術以外に武術も好きになっていった。父も母も、そのような私の生き方を見て納得していた。いや……納得ではなく、当然のことだったからかもしれない。

 何かしらの事を知っていた父と母は、突然姿を消してしまった。

 次にであった時、両親の姿は無残な肉塊へとなっていた。

 それからあまり時間が経過する前に「白」の王に聞かされた事実。

 そのことを聞いて『私』は『私』でいられなくなった。

 『私』という存在は、「白」の民の造り出した幻想であり、希望でもあった。

 もともと「夜」や他種族との決戦を想定して造られた「白」の秘密兵器。それが『私』。

 王の命令のまま、幾多の空を駆け、運河を渡り、死体の山々の頂で勝利に酔った。

『私』は「白」の民でもなければ『人』でもない。

 ただの殺戮マシーンだ。

 何度も何度も、敵兵の鳴き声や悲鳴、怒声を聞いた。

 何度も何度も、仲間の死を間近で見てきた。

 そのうち、『私』の中にあった『私』という存在はなくなり、その場に残ったのはただの中身のない空っぽの器。

 それからの時は非常に長く感じた。

 「白」のため、この戦場を駆けた。

 「白」のため、多くの血を流した。

 「白」のために……

 「白」のために……


 「白」とは一体……『私』の何なんだ?

 『私』とは一体……何者なんだ?

 疑問を抱きつつ、「夜」との戦いを日々続け、挙句の果てには「白」き英雄ともてはやされ、私はその場にいた。

 アスウェルという名も王から授かったコードネーム。

 その前まで呼ばれていた名など忘れてしまった。

 そう思っていたが……私の中の何かが、それを再び目覚めさせた。

 【時女神ローデル】との戦い。

 彼女から託された願い。

 私が守るべきと疑問に思っていた「白」というモノはさっぱりと消え、今は彼女の娘であるこの少女、ヨルダを守ること。

 それが私の生きていくべき道。

 本当にやらなければいけないこと。

 やっと見つけた……『私』の道。

 そのためには、この祖国を出ていかなければいけない。

 仲間と命を掛けて守ってきたこの国を……捨てなければいけない。

 いや……捨てるのだ。

 それがきっと、彼女のため……この少女のため……自分自身のための『けじめ』なのだから……


                       *


「白」の軍、第三空中中隊東部遊撃隊所有低空走行戦艦内――

「アスウェル!お疲れさんっ」

「おぅ」

「なんとか今回も、俺達小隊は生き残れたようだな」

思わず苦笑いをする。

「さすがに今回は死んでしまうかと思いましたよー」

「皆のおかげだ。ありがとう」

「そんな事ないって!アスウェルのおかげだって」

同乗員の皆が自分の帰還を盛大に祝ってくれた。

「アスウェル……それより、その後ろにいる娘ってのは一体誰なんだ?今さっきの戦闘でそんな娘を連れているようには見えなかったけどなぁ」

「⁈」

 そういえば、この少女はあの伝説の【時女神】の義娘(むすめ)であり、現【時女神】なのだ。この事実が知られてしまったら、きっとこの少女はただですまないはずだ。なぜなら、今回の目標者でもあった【時女神】なのだから――きっと正体がバレてしまった時は、捕らえられて抹消されてしまうかもしれない。

『一体……どうごまかしたら良いものか……』

 そうこうしているうちに、同乗員の一人が少女に声を掛けた。

「お嬢ちゃんは、どこから来たのかな?」

「……」

「んんー?」

 完全にテンパっている。少女ではないから実際の所、どんな心境なのかは分からない。しかし、ここまで黙り込んで自分の背中に隠れられたらなぁ……。見ず知らずの人達に見つかって、それからガンガンと質問攻めされたらなぁ…n…きっと、こうなってしまうよな。

「あ――この娘はなぁ……」

「もしかして、アスウェル……お前……」

『ゴクリッ……』

 心臓の音と唾を飲み込む音がはっきりと耳元で聞こえた。

 どうしよう。

 これは、この少女の正体がバレてしまったという――

「その娘って、もしかしてアスウェルの娘なのか?」

「えっ?」

 その場にいた全員が驚いた。もちろん自分やこの少女も含めて。

「ちょ……何言って」

「そうだぞ。アスウェルの言う通りだぞ。こいつは異性なんて縁が全くないからなぁっ!」

「おいおい。俺だって出会いがないわけじゃないんだぜ?」

「だからさっ、このお嬢ちゃんを拾って来たんだろ?」

「そうだ……そうだ!この娘は今さっきの戦闘で危なくってな……俺が保護したんだ」

「【時女神】の領域に葉人なんていないはずなのだがなっ……」

 不覚――そのことを忘れていた。今回の洗浄に行く前の事前情報で【時女神】のいる領域には【時女神】一人を除いて、人は存在しないということは分かっていたのだ。

「それはなぁ……」

 怪しいと言ったような目線で仲間が見つめてくる。

 さぁ……どう言い訳しようか。

「……おじちゃんは、私を守ってくれたの」

 その場にいた誰よりも一番自分が驚いた。なにせ、今まで黙り込んでいた少女が口を開いたからだ。しかも、少女を守るために弁論していたのに、まさか少女に助けられるなんてな。

「ほぅ。アスウェルはちゃんと保護していたんだな」

「お……ぅ」

「それで、お嬢ちゃん。どうしてあそこにいたのかな?」

「それは……」

 難しい質問だ。幼い少女にこの質問をやり過ごす言い訳なんて、考えることができるのだろうか?できないと思う。いや、この少女を自分が守ると【時女神】ローデルの前で誓ったじゃないか。

「この娘はローデ……【時女神】ローデルの領域に迷い込んでいたんだ」

「一人でか?」

「あぁ。きっと【時女神】がなんらかの目的で、一人でいるこの少女を自分の領域に連れ込んだのだろう思う」

「ほぉぅ」

「あいつは何をするか俺達には全く分からないことだ。新たな犠牲者(・・・)としてこの少女が何もされなくてよかったじゃないか……」

「うーん……」

「そう言われたらなぁ。しかも、「白」き英雄であるアスウェルが言うことでもあるしなぁ……事実かもしれないな。そうだろ?皆」

 周囲の仲間達は皆頷いた。

「よぉーし。決まりだ。俺達はアスウェルの言うことを信じることにしたよ」

「ありがとう」

「とりあえず「白」の領域につくまで、その少女のことはアスウェルに任せることにするよ」

「あぁ。任せろ!」

 一次はどうなるかと思われたが、なんとかこの場をやり過ごすことができた。しかし、今から「白」の領域に着いてからこの少女のことをどう説明すれば……特に「白」の王にはこのことを伏せなければ……

 クイッ。クイッ。

 鎧の隙間からのぞかせている服の橋を少女が引っ張る。

「?」

「……おじちゃん……」

「ここではあれだ。部屋に行こうか」

「……うん」

 少女の小さな手をつなぎ、一緒にその場を後にした。鎧越しにも少女の安心感が甚割伝わって来た。そんな気が下だけなのかもしれないが、今はそう思うことにしておこう。


                       *


 自室の中は相変わらず殺風景だった。

 もともと何か好きな物というものはなく、あるのは必要最小限のもの。家族の写真や、アナログの時計。他の人が見れば何一つ楽しめない部屋だった。

 扉が開き、二人が入ってくる。

 疲れ窶れた顔の自分に、まだ緊張感が少し残っている少女ヨルダ。

 ぎこちない関係の二人だったが、しっかりと握られた互の手を見れば、この先の問題は何も恐れることはないと思う。

「ふぅ」

 扉は自動で閉まり、アスウェルはベッドに座り込んだ。

 ヨルダもその場にそっと座り込もうとした。

「隣……座れよ」

 その場に座ろうとしていたヨルダを、隣に座るように促す。

 こんな少女を何もない床に座らせる訳にはいかない。何と言うか、申し訳ない。今は自分が守ろうとしている存在だ。

 せめて隣に座って、話を聞かせてもらっても構わないだろう。

「……いいの?」

「……じゃ、じゃぁ」

 少女は『ぽふっ』と音を立てるように、後ろのベッドに向かって跳ねて座った。足が他わなかったのだろう。大の男のベッドの高さは高かったから、きっとこうやって跳ねて飛び乗らないとならなかったと思う。

その姿を見て思った。

現【時女神】といってもまだこんなに幼い少女なんだ。

まだ甘えたい年頃なんだ……と。

「……」

 安心したと言ってもまだ完全に気を許したわけじゃなかった。

 今、少女の目の前にいるのは先ほどまで自分の母親と同等だった存在である【時女神】ローデルを、直接手にかけた者なのだから心を開いてくれるという期待はしなかった。嫌われても、殺意を抱かれても、彼女との約束は守って見せようと思う。それが、自分にできるせめてもの償いだ。

 少女は黙ったまま腕にもたれかかって来た。

 表情を見ればすぐにわかった。あれほどの事が一日のうちにあったから疲れたのだろう。

 少女は、緊張していた糸が切れるかのように「ずんっ」と腕に体重をかけて、そのまますやすやと眠っていった。

 片方の手で、ベッドの上にあった毛布を少女にかぶせてあげた。

 こうして他人の寝顔を見るのは久しぶりのことだと思う。

「良い顔して寝てやがる……」

 自分にも少女のように幼い頃があったが、良い記憶でもなかった。思い返せばあのころは毎日血が出るほど苦しい訓練をしていたな。

 そうこう考えているうちに、次第と瞼が重くなってきた。

 疲れているのは少女だけじゃなかった……すっかり忘れていた……と思っているうちに、身体と意識がすーっと遠ざかっていくのを感じたのが、この時最後に覚えていたことだ。


                      *


 温かい春の日差しが、野原を明るく照らしていた。どこかで見たことのある景色だった。これは一体どこで見たのだろうか。もっと昔に見たことのある……そう、もっともっと小さかった頃の……そんな頃に見た気がする。

「***‼」

 どこかで聞いたことのある名前だ。

「***‼」

 もしかし自分のことを呼んでいるのか?

「***、おぃ!前だ!前っ‼」

 前に何かあるのか?そう思って、前方へ首を振った瞬間だった。激しい痛みと共に、自分の身体が後方へ飛んでいることに気が付いた。飛んでいるという表現が正しいのだろうか。間違っているのだろうか。この瞬間、実に一秒。一秒という時が何分、何時間にも感じた。

空中浮遊――飛行体験――どの言葉も正しくあてはまる。今、自分の身体はものすごい勢いで飛んでいるのだ。

「いったぁっ‼」

空中に飛んでいる快楽の後にやって来たのは、容赦ない衝撃。背中から臀部にかけて「ババンッ」と伝達されていく。とっさに、受け身も取ろうとしたが、全くタイミングが合わずに、地面にたたきつけられて、そして更に後方へ三回転、四回転、五回転――七回転目でようやく静止した時には、周りがどんな状況にあるのか全く分からなかった。

「こらぁ!戦闘中はよそ見をするなと何度言ったら分かるんだ‼」

 怒声が聞こえる。そうか、今は戦闘中だったのか。ようやくこの状況が理解できた。このまま寝ていたら追撃で負傷してしまう。直ぐに立って体勢を整えなければっ!

 痛みをこらえながら立ち上がり、前方に再び目を向ける。四足歩行で、三~四回転巻いた猛々しい牙。全身の剛毛が逆立ち、目は真っ赤に充血している。あれは獲物に狙いを定め、必ず殺そうとする狩人(ハンター)の目つきだ。あの猪のような狼のような生物が今の相手だ。どう攻めればいいのだろうか、どこを攻撃したら相手を鎮めることができるのか……考える前に身体は動いていた。

「たあぁっ!」

 すれ違いの瞬間、全身を宙にバク転させつつ、相手のこめかみに手にしっかり握っていた短剣を差し込み、そのまま猪のような、狼のような生物の尻の割れ目まではしらせた。

「んっもぉぅ!」

 血しぶきをあげながら、生物は地面に崩れていき、しばらくの間痙攣していた。

「***!よくやったな!さっすが俺の息子だ!」

 大きな男に頭をくしゃくしゃになるまで撫でまわされた。

 なんだろう。この心の奥底からこみ上げてくるこのか感情は。

 喜びなのだろうか?久しく忘れていたような気がする。

 そして、この瞬間思い出した。

 この情景は昔、確かに見たものだ。あの時、そうだ。あの時の記憶だ。まだ五つで短剣の使い方を父に教えられた、あの頃の記憶だ。

「あなたー!休憩にしますよー!」

「あぁー‼今行くよ、母さん」

「さっ行くぞ!」

「う……うん!」

 差し出された父の手をしっかり握りしめる。ゴツゴツとして硬い手のひらだ。だけど……これは温かい。ポカポカして安心できる。確かに、あの時の父の……憧れで、目標だった父の手のひらだ。

 父は「白」一族の戦士である。「白」き騎士団の不死身の四番隊隊長で多くの戦争で殿をつとめ、多くの命を守ってきた英雄と言われても違いないと言える立派な人だ。こうして、英雄の息子として、そして弟子として、剣術を教えてもらえることはとても誇りに思うことだ。

「お疲れ様、あなた!***もねっ!」

「うんっ‼」

 母に液体の入ったコップを渡される。

 この人こそが、父を陰から支えてくれている母だ。母も軍医で、傷ついた父を治療したことが出会いだと、以前聞いたことがあった気がする。何よりも、疲れと傷を癒してくれる魔法を使って治療してくれることが母の凄いところだと思う。

 「白」一族と「夜」一族では魔法を使うものは一分にも満たないと言われている。その中でも、上級魔導士となるとほんの一握りしか存在しないだろう。そんな一握りの中にいて、「白」の中で上位三名しかいない大魔導士のうちの一人であるのが、母である。

この二人に出会って、育ててもらって幸せだった。

母さんに渡されたコップを口につけて、ゴクゴクと中の液体を口に含み、喉に通す。乾ききった喉に流れてきた液体は、ガンガンしみ込んでくる。どこにでもある飲み物のはずなのに……どうして、こんなにおいしく感じてしまうのだろうか。それは、きっと身体を全力で動かしたからだろう。

飲み終えた後、父さんに肩をポンポンっと叩かれた。

「今さっきみたいに、よそ見しているといつかは死んでしまうぞ」

「死ぬだなんて……あなた!縁起の悪いこと言わないでよ」

 ハハハッと二人は笑顔を見せる。

「まぁ、大丈夫だろう。ちょっとはぼーっとしている場面が見られるが、俺の立派な息子だ。きっと死ぬなんてことはないさ!」

「そうよ。***は私達の大切な子供でもあるし、死んでほしくないわ」

 そう言いながら母さんは二人分のコップを回収し、籠の中に入れた。

「それに……***は俺と母さんの子供だから、決して死ぬことはないさ。なにせ、この国で優れた者どおしの子供だからな。そうだろ?母さん」

「えぇ、そうね。多くの戦場で命を守って来た私達の子供だもの」

 籠をその場に置いて、母さんがぎゅっと抱きしめて来た。

「できたらね……母さんはあなたに戦ってほしくないのよ……」

 最後がボソボソと言ったようでよく聞き取れなかった。

「母さん?何だって?」

「いいえ。何でもないわよ」

 やさしい微笑みで、そっと包み込んでくれた気がした。そして心がぽかぽかした。

「母さん。俺は、立派な騎士になるよ!そして……この国の為に戦うよ!だから――」

 この時、なぜこのようなことを言ったのだろうか。全く見当もつかない。なぜかこのような言葉が口からするするっと出て来たのだ。この言葉を聞いた二人はとても喜んでくれた。この時、この頃の俺は二人に喜んでほしい、ほめてほしい一身で精一杯頑張った。

 二人の為に俺は‼

 ……この時一瞬二人が、暗い表情をしていたことに気づくことはなかった。それが何を意味していたのか、今でも分からなかった。

「さぁ!帰りますよ」

 母さんが号令する。

「***、帰るまでが任務だからな?」

 ポンポンっと父さんが頭を叩く。

「分かっているよ。いつものことだよね」

「あとなっ……殺した獲物はちゃんと持って帰るぞ」

「あなたがちゃんとやってくださいよ?」

「あぁ、分かっているさ。獲物を捌くのも訓練だ!ということで***、今夜は捌くのもやってもらうぞ」

「えぇー……捌くのもってことは……もしかして?」

 父さんの口元がニヤッと三日月状に変形した。

「当り前じゃないか。***があれを運んでいくのだぞ?」

「うわっ……やっぱり」

「突然のことだぞ?」

 そう言って父さんはずかずかと先に向かって歩いて行った。

「まだ五つなのですよ?あなた。少しくらいは持ってあげなさいね」

「でもよ――母さん……」

「でも(・・)?んっ?」

 冷たい笑みで母さんが戸尾さんを見つめる。

「あ――……分かったよ、母さん。二人で持って帰るかなっ!」

 プっと思わず笑った。

「***!今俺のこと笑っただろ?」

 ぐいぐいと父さんが寄ってくる。

「だって父さんは母さんに言われると、弱いんだもん」

「ぐぅ……反論できない。事実だから……な」

『ハハハッ』

 三人で大笑いした。

 こんなに二人といたら楽しかったっけな。とても楽しい。今が、今だけが本当に偽りのない楽しかった日々だ。父さんと、母さんといたこの時が楽しかったんだ……この幸せがずっと続いてほしかった。


                       *


その日は雨だった。こんなに長い雨はなかなかないものだ。昨日も雨、その前も、その前々も――ずっと続く雨。このまま雨が降り続けたら、街中が水の中に沈んでしまうのではないかと思えてくるほどの量だ。窓の冊子からは逃げ場のない水がガンガンと部屋の中に侵入してくる。この雨は時期的なものだと言われているが、いささか奇妙と思えてくる。川は氾濫、畑の作物は根腐れに近い状態。山の方では地滑りが今にでも発生しそうな状態だ。何よりも、こう湿度や温度が毎日高いと頭の中にカビが生えてしまうのではないかと思えてくる。実際頭の中ではないが、家の柱にカビっぽいものがうにょうにょと生えてくるのを今日目撃したこところだ。

 あーあ、早く晴れてくれないかな……

「おーい!***‼今、晴れてほしいって思った?」

 白い軍服を着た身の丈二メートルくらいの男が言ってきた。髪型は今の時代に似合わないようなリーゼント頭は水色をしていた。見上げると、逆光で表情が見えなかった。なんとう巨体なんだ……と。唖然とした表情で彼を見ていると、彼はさらに続けるように口を動かす。

「オレはな!人の心を読む力があるんだ」

 何を言っているだ。コイツは……と思った。当然、周囲の人達はそんな目で彼を見ていた。

「いやいやいや、嘘じゃないって。そんな目でみんな見つめるなよ!照れるじゃないか!」

 なんて奴だ。一人でどんどん会話を進めていく。周りの目線をものともせず、彼は次々に言葉と言う言葉を発していく。

「なぁ***。お前が、そんな暗い顔するのも分かるぜーなにせ、ここんところずーっと雨だからな。なによりも、そとに出られないのが一番辛いからな。カビがそこら辺生えてきそうだぜ。あっもしかして家にカビ生えたか?そうなんだよー俺の家の畳にもカビが生えたんだよなぁー!いやー毎日こう雨が続くとどうしてもねぇー……でもそれもいやじゃないぜー!なにせ、毎日カビの成長具合を観察するっていうニッカができたしな!あと……」

 いつまでもつづきそうだったので、その場を離れた。

 そもそもカビを観察ってなんだよ。コイツはぁ……

「おいおい。***ちょっと待てよ!まだ話の続きだぜ?」

 いやいや……もはや会話が生ルチしてないんだぜ?その上で更に話すことなんてあるのか?

「俺は先を急いでいるんだ。また後にしてくれないか?」

「そんな悲しいこというなよ、ブラザー。オレには分かっているんだぜ?最近感じている違和感ってやつをね」

「違和感?」

「おやおやおやおや。自覚はなかったのかい?それともあえて、今はそう(・・)言って(・・・)いる(・・)のかな?」

「さっぱり分からんぞ。詳しく言ってくれよ」

「オレの口からは言えない。どういった内容かも……それは***しか知らないことだろ?」

「あぁ」

「だけど、何か悩んでいることははっきりと分かるよ」

「そ転…そうか?」

 さぁっとその場から逃げようとしたとき、彼は肩をガシっとつかんできた。そして今の今までふざけたような顔が急に真剣な顔となって見つめてきた。

「きっとその問題は誰でもない***にしか解決できないことだ。もちろん、オレも解決してやることもできないし、それを手伝うこともできない」

 そっと彼は目を閉じて、再び口を動かし、語り始めた。

「この先、同市鵜養もないことがあったとしても、絶対に自分を見失うなよ」

「なぜなんだ?」

「自分を見失ってしまった時点で、***の時はその時で止まってしまうからな。その後はきっともぬけの殻となってしまうだろう。それを、そいつが生きていると言えるかい?ただ体が動くだけの肉体なんてよ」

「そうだな。確かに、それはもうそいつじゃないな。忠告ありがとうな。それじゃ、俺はこれで――」

「おいっまっ――」

 彼に再び引き止められないように、次はその場を風のごとく走り去っていった。彼は俺の何を知っていてそのようなことを言ってきたのかは分からない。あてずっぽうに言っているのかもしれないし、本当に心を読んだからかもしれない。この不思議なやりとりはこのあと二度と行われることはなかった。

 彼がいつも通りの彼に戻ったから?

 それとも、もともとこの会話がなかったことになったから?

 どれも違うことだ。誰一人として、彼のことは知らなかった。なぜなら、この時、以後彼は忽然と存在そのものが「消滅」したかのようにいなくなったのだ。あれだけ周りから注目されて、嫌がられていて、とても印象があった彼がいなくなったが、そのことすら怪しいと思わず、皆は生活していた。もちろん、その「皆」の中に自分も含まれていた。そして、あれだけ印象のあった彼のことも、彼の元を去ってから一時間もしないうちに忘れていったのだった。

 彼の言った忠告とは一体何だったのだろうか?

 最近、違和感に思えていたことなんてはたしてあったのだろうか?

 この軍学校で学び始めて二年の月日が経ち、自分の年齢もあの幼い日から五年経過していて、十歳になろうとしていた。そして、卒業後群に入隊することも、嫌がられなかった。二人はいつも、俺の生きる道に関しては喜んでくれた。それが、今も一つの生き甲斐でもあった。早く一人前の騎士団員として、部隊のため、国のため、戦っていきたい。そう思う日々が何年か続いた。そんなある日、あることに気づいてしまう。それは、軍学校の最終学年の時、いよいよ軍への入隊が決定するときの話だった。

「はーい。それじゃあ、基礎パラメーターを計測するから列になってください」

 教官の言うとおりにピシッと一直線に皆が並ぶ。

「では、はじめに採血からします」

「教官!どうして採血するのですか?」

 一人の学生が聞く。

「質問は受け付けません――とは言いませんが、これも軍に入隊するために必要なことなのです。ブラッドタイプ(血液型)を知ることは大切ですよ?そこから、どんな力があなたにあるのか見ることができますからねっ!」

「なるほど……まぁ俺には大して変なところはないだろうな」

 とぶつぶつ独り言を言いながら前へ前へ進んでいった。

 流れ作業のように次から次に採血されていく。

 採血した血液は、何枚か紙を浸して何やらチェックをしていた。もちろん血液型も

 どうやら、何かを探しているかのような感じだった。それが単なる血液検査ではないことくらいは、その場にいた全員が薄々感づいていたことだ。

 そう考えているうちに、二人ほどが呼び出されて別室へ連れて行かれた。いったい、なにが彼らにあったのだろうか?悪いことじゃないようにと祈りつつ自分の番を待つ。

「なぁ聞いたか?」

 ひそひそと話し声がどこからか聞こえてくる。

「あれは、ただの採血して血液検査しているんじゃないらしいぜ?」

「それはみんな知っていることだよ」

「それがな、別室に言った奴をその後見た奴はいないって話らしいぜ」

「おいおい……それってまさか……敵性がないから淘汰された的なことじゃぁ……ないよな?」

「それは分からないが、少なくとも別室に連れて行かれてから、何があるのかは知らないが、きっといいことじゃないに決まっているさ」

「あぁ……どうか、悪い結果じゃないことを願うしかないさ」

 冗談じゃない。もしも……俺がアウトで別室に行ったら……

『ゴクリッ』

 思わず、唾を飲んでしまう。

 そんなことは考えないようにしよう。そうだ、きっと適性はあるに決まっている。なにせ父さんは富士見の四番隊体調で、この国の英雄に等しい存在なんだし、母さんは三人いる大魔導師のうちの一人でとても優秀なんだ。その二人の血を受け継いでいるから、きっとそんな悪い結果はないはずだ。

 次は自分の番だ。

 ブッとい針でこれでもかというほどの血が採られていく。そして五枚ほどの神のようなシートをつけてからその場で結果が出るまで、待機するように言われた。

 ドクンドクンと心臓が脈動する。さぁ……結果はどうなんdな?きっと悪い結果ではないはずだ!どうだ?軍医さん⁈

 血相を変えた軍医が補助軍医の人達をその場に集めて、何やら深刻な話をし始めた。

 もし悪い結果だったらすぐにでも二人が先に行った別室に送り飛ばされるだろう。しかし、そんなこともなく、ただ時間が過ぎ去っていく。

 少し自分の結果が不安になって来た頃、軍医は震える口をゆっくり開けて言った言葉は――

「彼について別室に行ってくれ」

「えっ⁈」

 思わず、その一言が口から飛び出て来た。なぜ?なぜなんだ?それじゃあ、俺の人生はもう終わってしまうのか?父さんや母さんに合わせる顔がない。

「さぁ行くぞ!」

 半ば強制連行のような形で別室に連れて行かれた。歩いて行く間、ずっと脳裏によぎるのは、ひたすらその結果に対する疑問と今まで育ててくれた父さんと母さんに対する感謝、そして申し訳ないという謝罪の気持ちだった。

「さ、ここで待っていてください」

 別室には先ほどの二人がいた。あぁ、この二人を入れて三人は軍に必要ない人材だったのだなぁ……

「えーっと君も……選ばれたのかい?」

「選ばれし者が三人もいるなんて、今年は豊作で喜び過ぎているだろうな、上の連中は」

 二人はニヤニヤとお互いを見つめい、笑った。笑いが少し収まったところで聞いた。

「選ばれた?それはどういう……?」

「知らないのかよ、自分のことなのになぁ!」

「可哀想に……」

 フードを被った一人がそうつぶやく。

「よほどいい親だったんだな。あんたの親は」

「どういうことだ?」

 反対にいたもう一人が言う。

「やめておこうぜ。このことは親から聞くことが一番だからさ」

「そうだな」

「おい……誤魔化すなよ!教えてくれ――」

 その時、教官が別室に入って来た。何やら書かれた紙をボードに挟んでいた。そのボードの中の一枚に、自分の名前が書いてあることも知っていた。そして教官は一枚一枚、一人ずつに紙を渡した。内容は、検査結果と誓約書だった。その時の誓約書の内容なんて全く頭に入ってこなかった。なぜなら、あまりにも検査の結果に対してショックが大きく、動揺し、そしてどうしようもなく悲しくなった。

「うそ……だろ……」

 フードを被った男ともう一人がニヤニヤとにやけていた。

 パラメーターもだが、一番驚いたのは血液型だった。父さんと母さんは『O型』だった。二人から生まれてくる子供はもちろん『O型』しか可能性としてはないはずなのだが……自分のブラッドタイプは『AB型』だった。これはどういうことなのだろうか?疑問と不安が襲ってくる。そして、一つの意見に行きついた。

「俺は……父さんと母さんの子供(・・)じゃない?」

 髪を渡してくれた教官が自分のいる机の前に立ち、ショックな表情を隠しきれない自分の顔をひょいっと覗き込んできた。

「まさか……君が……な」

 教官も眼球が乱れて動いていた。口元からは震えている声と、荒い息。手元はプルプルと震えていた。必死に左手で右手を抑えるが、それでも震えは止まることはなかった。

「ちっ……あいつはかなりの上物ならしいな」

 フードを被った男がイライラした声で、反対にいる人物に話しかける。今は彼らのやり取りなんて頭に入ってこない。それでもお構いなしに、彼らは会話をする。

「どうだった?お前のパラメーターは」

「なるほど……な。B判定か」

「なんだよ!じゃあお前の見せろよ!」

『バッ』

「へぇ~B-(Bマイナス)じゃないかよ!下の下じゃねぇか」

「総合評価はなっ!よく見ろよ【特殊】のところを」

「んぉ?」

「……うっわぁ……まじかよ。こんな特殊判定が出ているのかよ。もしかして、お前ってかなりクオリティが高かったんじゃないのか?

「かもな」

「どうしてこんな低い判定なんだよ?」

「ドーピングでな。潜在的な『人』の部分で拒否反応が出たんだ」

「それじゃぁ……」

「そうさ。だからこんなに低いパラメーターになったのさ。まぁ、これでも国の為に働けることには十分条件を満たしているからな」

「お互い、この国のため働こうぜ!」

「あぁ」

『ドガッ』

「なんだ?なんだ?どうしたんだ?」

「こんなに椅子と机を飛ばしちゃって……もしかしてそんなにショックだったのか?自分が無知だったっていうことが?」

 フードを被った男が見てくる。ショック以外になんて言ったらいいんだ。今までの自分が否定されているのだぞ?俺は一体何で、父さんと母さんの何だったんだよ……

「おいまてって!」

「あぁっ……待ちなさい!」

「あーぁ。しらねーぞ」

 もうどうにでもなれ!俺は、俺は……一体何者なんだ!誰でもいいから教えてくれよ!

 そう思いながら別室から飛び出し、廊下に出て走った。息が乱れて乱れて、あたりに大きな荒い声をあげてひたすら前に向かって走った。今行きたい……行かなければいけない場所は一つしかない。

「うわああぁぁぁぁぁぁぁっ‼‼」

 同刻――別室にて。

「あいつはどっかいっちまったな」

「……大変だぁっ」

 教官が急いで彼の後を追いかけるため、別室から出て行った。そして別室に残された二人は彼が落としていった紙を拾った。

「こりゃ……すげぇな」

「どれどれ……まじかよ」

 紙にはもちろん、彼の名が書かれている。彼のショックを受けた『AB型』のブラッドタイプ。パラメーターの方は全て最高値を遥かに超えていた。

「百年に一人の逸材……【真の英雄】じゃないか……」

「所詮、俺達はそのための……」

 しーんと静かになった後に再び狂ったような笑い声が周囲にこだまする。その笑い声はいつまでも、いつまでも止まることはなかったと言われている……


                       *


 どこまで走ったのか分からない……足の痛みなんて、ずいぶんと前に忘れた。節々が辛くても、それでも、前に向かって走り続ける。

 まだあの時の熱が残っている。

 あぁ……誰か……本当の俺について教えてくれ……

 あの時にもらった愛は嘘だったのか?

 あの時の幸福感は一体何だったのだろうか……

 本当の愛だったのだろうか……本当に幸せだったのだろうか……考えれば考えるほど答えは出ない。

「どうしたの?そんなに息を切らして……顔色悪いわよ?」

 気が付けばいつもの道を歩んで、温かい我が家の前で立ちすくんでいた。額から多くの汗が頬をつたって首筋を滑り落ちていく。震える声で、言わなければいけないことがある。今更怖気づいてどうするんだよ。あれだけショックを受けて、真実を聞きたいと思っていたのに。いざ、その場面に出くわしてしまったら……本当のことを聞きたくない。いままでが偽りでも良かったんだ。ずっと夢心地の中で生きていたかった……。それでも……やはり知るべきだと思う。だから……

 汗だくの手のひらを握り締めた。カラカラの喉から、かすれて震える声を発する。

「かっくぅあっ――か!母さん!」

「落ち着いてからいいのよ。さぁ、うちの中に入って――」

 振り向いて門をくぐろうとする母さんの手をとっさに掴んで、その場に引き止めた。

「かっ母さん!教えてくれ!……本当は、本当の俺は一体何なんだ?」

「なに言っているの?あなたは、うちの――」

「嘘をつかないでくれよ!」

 周りに冷たく、静かな空気が充満する。ドクンドクンと心臓の鼓動が鳴り止まなかった。汗も止まることなくだらだらと出る。

「知ってしまったんだ。俺の血液型……母さんと通さん達のO型とは違っていたということを……」

「まったく一緒なはずなんてことは――」

「二人共O型じゃないか!俺はAB型なんだよ!だから、俺は母さんと父さんの本当の子供じゃないんだ……」

 母さんが、暗い顔をして黙り込んだ。暗い顔というよりも、これは悲しい顔だ。母さんを傷つけるようなことを行ってしまったのは確かな事実だが、どんな態度をとられても、俺は真実を二人から聞かないといけないんだ……

「ごめんね……ずっと黙っていて」

 ぎゅっと、母さんが抱きしめてくれた。母さんの涙が、声が、悲しさが、ひしひしと伝わってきた。

「あなたは本当の私達(・・)の(・)子供(・・)として育てかった……」

「……母さん。全部じゃなくていいだ。教えてくれる範囲で真実を教えてくれるかな?」

「えぇ……」

 それから母さんは俺とであったその日のことから話してくれた。その日がどんな気温で、どんな天気で、どんな気持ちだったのかも、すべて含めて教えてくれた。

 引き取り手もいなく、たらい回しにされてきた自分を、全く血縁関係もない二人が快く引き取ってくれた。ということが全ての始まりだったらしい。

「どうして、俺を引き取ってくれたの?」

「それはね……私達には子供がいないし……なによりも、あの人と私はお互いが孤児だったのよ。丁度あなたみたいにね」

「だからね。放っておけなかったの。あなたを見たとき、『この子を本当の息子のように育てよう』

って二人で決めたのよ」

「そんな過去が……」

 母さんの本心だったと思う。明確な理由はない。だけど、これだけははっきり言える。


『この二人の愛に偽りはなかった……』


 そっと背中を撫でてくれた。小さくて幼かった頃を思い出す。心がほっと落ち着く。

「ねぇ……どうして血液型のことを?」

 ポケットに手を突っ込む。検査結果を見てもらいたい。なぜ別室に呼ばれたのかも、元軍人の母さんならわかるかもしれない。

「あれ?」

 たしかに……あの時……。

 今になって思い出す。あの時はバアッっと飛び出したから、結果の紙すら忘れてきてしまった……

「どうしたの?」

「あ――今日、入隊のために検査をしたんだ」

「うん。母さん達もやったのよ」

「そしたら、一人だけ違う部屋に呼ばれて――」

「えっ?」

 母さんの表情が一気に青ざめて、一気に体が震え始めた。

 一体どうしたんだよ!

「母さん?」

「……嫌……嫌よ……」

「え?……ねぇ!母さん!」

 両手で母さんの両肩をガッチリ掴んで、母さんの瞳を見る。その瞳はまるで魂がこもっていないように、冷たく、黒ずんでいた。

「シリアルナンバーFb-251。同行してもらおうか」

 シリア……んっ?何のことを言っているのかわからないが、後ろを見れば多くの騎士たちに囲まれていた。その時母さんがすっと前に出た。

「母さん?」

「……逃げなさい」

「何を言っているのかわからないよ!」

「逃げなさい!」

 今まで聞いたことのないような怒声で叫ばれた。ようやく状況が把握できた。あの場から逃げた俺をこの人たちは迎えに来たのだ。

「母さん……俺が行けば済む話だし……」

「母さん達を……失望させないで――」

 涙目でそう言ってきた。本気の目だ……あれは。

 すれ違う瞬間、母さんはぼそぼそと言った。なぜかその言葉ははっきり聞き取れた。


「愛している」と――


 母さんを残して俺は家とは別方向に向かって走り出した。広報で何があっても足を止めることなく、ひたすら前に向かって……でも――チラリッと後ろを見た時、母さんと父さんの姿があり、必死に行く手を防いでいた。

「母さーん!父さーん!」

 その声は二人に届くことなく、騎士たちの戦闘音にかき消されてしまった。二人が必死に繋いでくれたこの命を大事に使って生きなければ……まずは……追ってから逃げて――


 それから数日後、俺は騎士団に捕縛された。


                       *


 次に目を開いた時は、あの時のことだった。「白」き王に真実を告げられた時だ。今でも覚えている。こんなにもはっきりと覚えている。あの時の天気、気温、身体中に駆け巡る血液、汗腺から止まることなく出る汗達。

「お前は私達が造った最高傑作だ」

「えっ……?」

「お前は聞いたことはなかっただろう。『英雄計画』というものを」

「えいゆう……けいかく?」

「そうだ。この国を守るために造られたシステム。国を体で守り続ける英雄を任意的に造り出すシステム。その中でも最高の結果を、お前は出した」

「造った……?俺はっ!俺の父さんは!俺の母さんは!」

 認めたくない。今までの生活を……

 認めたくない。今までの幸福を……

「王の御座だぞっ!」

 衛士達に取り押さえられる。

「アレ達は、お前を子供と思っていなかっただろう。何せ、最高の英雄を造るために、その身を捧げて貢献したのだからな!」

『うそだ……』

「快く引き受けてくれたよ。そのことがあってからのお前だがなっ」

『うそだ!うそだ!』

「今日からお前は私の駒の一つだ。しっかり働いてくれよ」

『うそだ!うそだ!うそだ!』

「おっと、拒否はできんぞ。お前は幼い頃からそういう教育(・・)を受けて来たからな!」

『認めない!そんなこと』

「そうだな。お前に新しい名をやろう。これからはアスウェルと名乗るがいいっ」

『俺はアスウェルじゃない!俺は……俺はアスウェ……』

「この私に忠誠を誓え!アスウェル」

「……はっ」

「……我が国の王よ」

 その瞬間から自分の中の何かが消え去った。洗脳なのか?わからないが、『アスウェル』という名を聞いた時から、その名に縛られたような気がする。そして、以前の名などすっかりどうでもよくなった。これからは「白」き王の腕として、足として、この国を守るために。それから数日後、父と母に会った。見事と言えるほどのミンチのような肉塊となっていた。裏切者にふさわしい死に方だと思った。この肉塊が父、母と思ったところで何も感じない。感情がなくて、ぶっ壊れた人間と言われても良い。なぜなら俺は……人じゃなくて、造られた人造人間なのだから。化け物なのだから……

『アスウェル!だめっ!自分を……自分を見失わないで!』

頭の中に響く声。どこかで来た。ずっと新しい時に聞いたことのある声だ。幼い声、高い声、幼女の声。どこか……炎に包まれた中で聞いた、泣きかけの声……この声は……

『アスウェル!しっかり自分と向き合って‼』

 向き合うって……何に向き合えばいいのだ‼俺は、父と母に裏切られた。この国全体に、俺の存在が否定されたのだ!一体、自分の……この空っぽの自分のどこに向き合えばいいのだっ!

『幼い頃を思い出して‼あの時、あの瞬間のことを‼』

父さんにも裏切られた!

『違うよ』

母さんにも――

『違うよ』

何が!何が違うって言うんだよ‼なぁ!教えてくれよ!

『アスウェルは大切なことを忘れている』

何を⁈何を忘れたって……

『王の間に行く前の出来事を……あの悲劇をあなたは忘れている』

 いかにも見てきたって言い方じゃないか。君は俺じゃない。俺の気持ちなんて、記憶なんて知らないくせに‼

『知ってるもん‼』

 知ったような口で――

『私はちゃんと見てきたもん!あなたが忘れた……いや、忘れさせられた光景を』

 何……⁈じゃあ、じゃあ教えてくれよ!何があったんだ‼

『アスウェルのお父さんやお母さんがしたあのことを!』

 だから、何があったって……

『私はまだ()が(・)ない(・・)からみせることはできない。でも、思い出させることはできる』

 じゃあ、やってみてよ!

『うん。言われなくてもやるつもりよ。じゃぁ……アスウェル、そっと目を閉じて……』

 おぅ……

『あなたのお父さんは何をあなたにくれた?』

 剣術。このご時世での生き方――

『お母さんは?』

 人を想う気持ちの大切さ――

『反対に、王は何を?』

 真実だ――

『思い返してみて……お父さんとお母さんは、王の言っていたような人達だった?』

 分からない……分からないんだ。

『二人から貰った愛情は?偽りだった?』

 違う――あれは嘘や偽りではなかった。誠の、真実だったと思う。

『お父さんとお母さんの気持ちは分からないの。でも、きっとあなたを心から愛していたと思うわ』

 なんで、そんなことを思うんだ?

『だって……あんな愛情は……私も貰ったから』

 そうか……そうだな。

 君は――

『さぁ、思い出して。思い出せなくても、その気持ちをずっと忘れないで』

 あぁ……二度とこの気持ちを忘れてたまるものか。

『あなたの貰った愛情のこもった真名を』

 呼んで……呼んでくれるかい?

 ヨルダ――

『うん‼あなたはアスウェルという偽名じゃない。そんな縛りはこの日、この時、この瞬間に解放してあげる』

 あぁ……

『死んでいたあの頃を……さよならしようね!これからは、色づいた本当の世界。そこであなたは「命」を持ってしっかり生きていくの』

 さぁっ!行こう!

『さよなら、古い自分。そして初めまして!新しい自分……違うね。おかえり……の言葉がふさわしいね』

『おかえり――シロエ』

 目の前が明るい光に包まれていった。

 心が安らぐ光。

 命ある光。

 俺の中の「時」が動き出した……そんな気がした。


                       *


 目が覚めたら、いつもの自室の部屋の天井。いつの間にか寝ていた。目が痛い。涙で潤んで視界がぼやける。

「んっ……」

 胸元で何かが動めいた。

「ヨ……ヨルダ?」

「アスウェ……うんんんっ……シロエ」

 懐かしい響き。あの時に呼ばれた名前。

「***‼」は「シロエ‼」。王の知らない自分の真名。

やっと思い出した。思い出させてくれた。この少女、ヨルダのおかげで。

「ヨルダっ‼ありがとう!」

「うーっ!痛いよぉーシロエぇ~!」

「ごっごめん!」

「何か……シロエ。うんっ!生き生きしているね!」

「忘れていた時が動き出した気がするんだ」

「よかった……よかった……」

 本当に安心した顔でヨルダは抱きしめてきた。

「ヨルダ……ローデルを殺してしまったことはどう謝っても許されないことだと思っている。だkら、これから俺がしっかり――」

 ヨルダが人差し指で口を塞いできた。

「あれは、シロエが悪かったんじゃないよ」

「でも――」

「ローデルは分かっていたんだと思う。自分の運命に」

「……」

「そして、シロエに私を託してくれた」

「私に新しい家族を教えてくれた。私に世界を教えてくれた」

「それは――」

「シロエ……ありがとう。ローデルも……」

「……」

「これから私に、いろいろな世界を見せて……ねぇっ!シロエ!」

「あぁ。何があっても君を守る‼白き英雄――いや、この真名にかけて!」

「ありがとう!」

「ねぇ……少しわがまま言っていい?」

「ん?どうしたんだい?」

「もう少し……このまま、ぎゅっとしてくれる?」

「あぁ」

 久しく忘れていた。この温かさ。母や父から貰ったこの温かさを、今度はこの少女に分けてあげたい。そう思った。

 幸せの一時……しかし、船団はゆっくりと「白」の領へ進んでいった。

 近づくたびに、ひしひしと感じていた。

 ずっと幼い頃から感じていた。

 忘れてなるものか……

 あの「白」き王の威圧感を。


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