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8話 私服を知る


「たいへん素晴らしいパフェでした……」



 お腹を摩りながらカフェを出ると、店内と外で隔たれた空気が熱の壁みたいになっていた。ドアを出た瞬間にぶわりと全身を包み込まれて一瞬で引き返したくなる。会計は済ませてしまっているから前に進むしかない。

 

 暑さやばいですね。やばいね。独り言みたいなそれに返事があって、思わずにまにまと見上げてしまう。今日もハイパーウルトラビューティーでキュートな先輩がいる。私服。私服! 初めて拝見させていただいて興奮が止まらない。オーバーめの白シャツに黒のワイドパンツ、極限までシンプルなそれは先輩の見目の良さを最大限に引き出していた。素材で勝負とはきっとこういうことなのだろう。

 

 学校は夏休みに入っていた。互いに予定のない日を擦り合わせたら、夏休み突入早々に先輩の私服を拝むことに成功してしまっていた。これはすごいことである。

 二週間分ほどの栄養が詰まっている気がする、いや分からない。明日にはもう先輩の近くの空気を吸いたくなっているのかもしれない。全ての酸素がここにある気がしている。



「なんか三十分くらい歩いたら体溶けてなくなるかもしんないですね」

「俺五分かも」



 涼しい店内でストックできた体の冷たさはあっという間に消えてしまった。じりじりと照り付ける日光が圧勝している。

 見上げた先輩は逆光になっていたが、暑さから僅かに顰めた眉間までもが麗しい。じっと見る私に気付いて、どうしたの、と先輩が見下ろしながら少し首を傾げた。

 


「先輩日光似合いませんね……」

「俺もそう思う、太陽に嫌われてる自信あるー」



 何でも似合うとは思っていたが、こればかりは厳しそうだ。色白で気怠げな先輩にはやはり夜の方が似合うように思う、夜に立つ先輩は見たことがないけれど。

 吸血鬼ってこんな感じなのかな、とちょっと考えた。色白美人と聞いたことがある。

 私が出会った事のある怪異のひとは先輩が二人目で、一人目は幼稚園時代だから記憶なんてほとんどない。一つ下だし接点もそうなかった、その子はかくれんぼで無双していたような気はする。

 先輩以外に怪異の知り合いが皆無だから、そのひとたちの中の常識なんてさっぱり分からないな、と今更ながらに気が付いた。



「ちょっと避難したいんですけど、まずいですか?」

「大賛成。文ちゃん時間大丈夫?」

「余裕です!」

「じゃあ命を守る行動を取ろ」



 駅に向かう途中にあった店を指差して尋ねると、先輩はすぐに頷いた。

 自動ドアを潜った瞬間に浴びた冷気に生き返るような心地になる。がやがやと騒ぐ声と、大量に混ざり合うBGMと、賑やかしのような店内放送。目の前ではガラス越しにぬいぐるみ達がこちらを見ている。

 普段の放課後は時間が取れずになかなか友達と入ることが難しい、ゲームセンターに入店していた。久しぶりの店内の騒音に気分が自然と昂ってくる。況してや私の隣には今先輩がいる、夏休みの日記を書いたら今日の分だけで一体何ページになってしまうのか。高校生にはそんな宿題ないけれど。



「涼しい……」

「出たくないね」



 居心地が良すぎる。入ったからには何かしようかと二人で並んで物色をする。入ってすぐはクレーンゲーム、奥の方の照明が絞られたスペースはメダルゲームが設置されていた。カード系やいわゆる音ゲーのコーナーは何だか近づき難い雰囲気を醸し出している。



「取れそうなのありますか?」

「俺こういうの苦手」



 へにょりと先輩が眉を下げた。心臓が破裂しそうになる。流行りもののキャラクターのぬいぐるみが頬を染めてこちらを見ていた。気持ち、分かるよ。

 文ちゃんは得意なの。聞かれたそれに無言で首を横に振った。ドブに捨てるようなものです。そう返せば、一緒だねと先輩が笑った。

 

 メダルゲームなら腕は問われないのではないか。そんな話で決着がついて千円だけメダルを借りた。

 財布から出した半額は受け取って貰えなくて、あとで何かで返そうと渋々財布に入れ直す。

 寄せては返す波みたいに稼働しているゲーム機の、微妙に狭い二人掛けの椅子に並んで座る。仕方のないことだがいつもの電車よりも明らかに距離が近い。

 やばい、汗は大丈夫だったか。今更どうすることも出来ない。

 

 半分こ、と豪快に先輩が手元にメダルをばら撒いた。最近薄々気付き始めた事だが、穂高先輩は繊細そうな見た目にそぐわず時々こういう面を見せる。以前登校時に会った時、ガム食べる? と聞かれて頷いたら一本丸ごと渡されて驚いたことがあった。二本買ったからお裾分けとのことだったが、未だに意味は理解しきれていない。

 ちなみにそのガムは今なお手付かずで冷凍庫に保存してある。いずれ家宝にするつもりだ。

 

 ありがとうございますと答えて笑いながらメダルをつまむ。少しでもメダル残量が長引くように願いながら投入口に放り込んだ。







 どちらかの運が良かったのか、メダルをそこそこ増やすことには成功した。その勢いでこれを元手にもっと大博打を出来る筐体に移動しようと鼻息荒く座ったのだが、あっという間に底を尽きてしまった。

 仕方がないのでメダルゲームに見切りを付けて、自販機のあるスペースに移動する。ベンチが二つ置いてあるのをトイレに行った際に確認していた。



「メダル代には及びませんが……」

「良いのに。でもありがと」



 無性にリンゴジュースが飲みたくなってパック入りのジュースを買う。先輩はパック入りの緑茶を選んでいた。パック飲料に緑茶があることを知らなかった。執拗に頼んで買わせて貰えたが、まだ数百円分の借りが残っている。

 腰を落ち着けてふう、と一息つく。少し離れた場所で親子連れがクレーンゲームに一喜一憂するのが見えた。



「穂高先輩についてとか、怪異のひとについてとか、もっと知りたいと常々思ってるんですけど」

「うん?」

「見ててもよく分かんないので、直接聞いても良いですか?」



 黙秘権はあります。嫌なら全然。そう付け足した私に、俺今から尋問されんの、と先輩が笑う。



「お手柔らかにね」



 俺で答えられる範囲なら、と先輩が目線を合わせるように少し屈んだ。

 ごくりと唾を飲み込む。



「えと、あの、口裂け女の血筋って言ってたじゃないですか」

「うん」

「ご先祖様? とかそんな感じなんですか?」

「あー、うちは親が口裂け女」

「ママですか?」

「ママ。パパは人間」



 だから俺完全に怪異ってわけでもないんだよね、とやっぱりマスクは着けたままの先輩が何でもない顔でお茶を飲んでいる。

 飲んでいるが、私に寄せたのかパパママ呼びに引っかかって私の思考が完全に止まってしまう。可愛い。同級生男子がそう呼んでいるのも聞いたことはあるが、比ではなかった。先輩は私を殺す気なのかもしれない。



「えと。じゃあ、百メートル何秒ですか」

「……俺ぇ、パパ似だからー」



 あこれは駄目だ。殺されました。

 すっと目を閉じた私を見て先輩がちょっと、と笑いながら肩を揺すってくる。ほんとに、ほんとにとどめになってしまう。これはいけない。これは、いけない。



「俺も質問していいの」

「相互理解ですね。どんとこいです!」

「文ちゃんは犬派? 猫派?」

「最近は猫派ですね。生でくーちゃんたち見てみたいです!」

「ふふふ」



 今度見においで。優しい声で先輩が言った。







 子供向けみたいな小さな景品の入ったクレーンゲームで、どうにか今日の思い出を手に入れた。

 特に思い入れのないキャラクターだったが、今日から私のお気に入りのトップに躍り出る事が確定した。ボールチェーンの付いた何だかよく分からない造形のキャラクターだった。目が飛び出ている。

 何ですかねこれ。何だろうね。二人で首を傾げた。二つ絡まるように落ちてきたその戦利品を一つずつ分け合って、暗くなり始めた店外へと向かおうとする。

 店内はぎらぎらと明るい。そうして二人並んでドアの前に立った時に、自動ドアに反射した自分たちを見て息を呑んだ。


 私は今日、友達に選んで貰って買ったオーバーサイズのシャツを着ていた。薄くストライプは入っていたが、ほぼ白と言っていいそれ。

 持っていた黒のショートパンツと合わせればシンプルで可愛いじゃん、なんて言われて決めたものだったが。

 何だか穂高先輩の格好と色味がかなり被っているではないか。一日一緒に行動して、今更それに気付いてしまった。



「せん、先輩、あの」

「ん?」

「私の服、これ、どう思いました」



 聞いてどうするのだ。そう思ったが、思ったのは口に出した後だった。先輩が私をまじまじと見る。



「でかいね、シャツ」

「あ、はい」

「色おんなじだね」

「そうなんですよね」

「俺も着れそう」

「着……ます……か?」

「え。ユニフォーム交換?」



 先輩が笑った。試合したの、俺達。何らかのツボに入ったのか目元を少し擦っている。店を出ても時々思い出したように文ちゃんやばいね、と楽しそうだ。

 落ち着いた頃、先輩が私を見下ろしてゆったりと告げた。



「いいね。可愛い」



 やっぱり今日の穂高先輩は私を殺しに来ているのだな。そんなことを確信したのだった。

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