7話 夏休みの予定を入れる
「おはようございます。昨日はほんとにありがとうございました!」
早朝の電車はいつも通りに人が少ない。今日は同じ車両に誰もいなかったから、ぺこりと思い切り頭を下げた。
限定メニューは思った通りに美味しいものだった。思い出しただけでも口の中の潤いが増してくる。
「おはよ。満足なら良かった」
座席に座った穂高先輩はにこにこと私を見上げて、隣の席をぽんぽんと叩いてきた。
失礼しますと隣に座る。んふ、と先輩がマスクを少し引っ張った。
「毎回言うね」
「ついつい」
拳二つ分開けた席に座る先輩は、やはり朝は眠そうだ。放課後に会う時よりも瞼が重そうに見える。
イヤホンを外してケースにしまう動作を何の気なしに見ていると、先輩の耳に小さなピアスが着いていることに気が付いた。
黒っぽい石が一つ、髪の間からちらりと見えている。え? かっこいい。いや何か違う、なんかえっちだ。えっちだこれは。新たな発見をしてしまった。
「いつも何聴いてるんですか?」
「音楽とか、ポッドキャストとか適当に」
文ちゃん知ってんのかな、とプレイリストを見せられる。英語が並ぶそれは私の知らないジャンルの音楽だった。勉強不足が滲み出る。
「眠気覚ましだから何でも良いんだけど」
「そういえば朝しか聴いてないですね」
「うん。文ちゃんと話してる方が眠気飛ぶしね」
感謝感謝と先輩が笑った。ボルテージが鰻登りになる。踊りましょうかと提案すると、迷惑だからやめようねと席につくよう促された。知らずに立ち上がってしまっていた。
「昨日晩ご飯もちゃんと食えたの?」
「ばっちりです! 甘い物は別腹なので」
「女子ってすげーね」
くあ、と先輩があくびをするのが分かった。つられて出たあくびを両手で覆ってどうにか隠す。
涙目の先輩が眠いね、とゆっくりと瞬きをした。涙目の私も頷いて返す。
「昨日のは薄いタイプのパンケーキだったので」
「うん」
「二枚にしたのでたいへんちょうど良かったですね」
「上が凄かったけどね」
先輩のコーヒーはどうでしたか、と問うと、美味しかったよと返されてほっとする。コーヒーの味はまだ理解出来ていないから私には分からないが、昨日のカフェは豆も売っているタイプの店だからきっと自信はあるのだろうと勝手に納得させていた。
「もうすぐ夏休みですね」
毎日の栄養が一カ月ちょっと摂取出来なくなるのは少し、結構、かなり辛いなと思った。禁断症状などが出てしまいそうだ。
劇薬みたいだなと思った。見ているだけでも満足だったのに、隣に座ってこうして会話をして、その上昨日は一緒に電車を降りてカフェにまで付き合ってもらっている。ちょっと前の自分に教えたところで頭は大丈夫かと心配されて終わっていた事だろう。あまりにも現実味がなかった。
「日程同じなのかな」
「うちは来週いっぱいで終わりです」
「うちもだ。一緒だね」
遠出とかするの? と先輩に聞かれて、月末家族と一泊しますと答える。お盆は高いし混むからと我が家は毎年七月の末に旅行に行くのが常だった。とは言え大した遠出でもないけれど。
旅行良いね、と先輩が微笑む。
「先輩は夏休みどこか行くんですか?」
「決まってんのは夏期講習くらいかな」
「お勉強……」
一科目しかないからそこまで負担でもないけど、と言う先輩の瞬きが長くなってきている。
やばい寝そう。慌てて矢継ぎ早に先輩に話しかける。先輩の降車駅が少しずつ近付いてきていた。
「やっぱり二年だと大変ですね、頑張って下さい」
「うん。ありがと」
「学校の近くなんですか」
「ちょっと遠いとこ」
先輩の声に吐息の割合が増えていく。眠いのだろうが、センシティブな予感がしてくる。朝から聞いていて良いのかと少し不安になってきた。
はらはらと見守っていると、あ、と思い出したようにぱちりと先輩が瞼を持ち上げる。少し眠気は飛んだのか真っ直ぐにこちらを見ていた。
「毎日入れてる訳じゃないから、何もない日で良ければ他のリンクのとこ付き合えるけど」
他のカフェ夏休み中に攻める? そう言った先輩の言葉が一瞬理解出来なくて、飲み込むまでに時間がかかった。
数秒無言で見つめ合う。長い睫毛が上下に往復する様を数回観察した頃、ようやく脳みそに言葉が届いた。
「え。ほだ、穂高先輩、夏休み中も付き合ってくれるんですか?」
「俺で良ければね」
「先輩が良いです!」
「あは」
じゃあ、他のとこも行こ。送り付けたリンクを開いて先輩が私に見せてくる。何度も見ては憧れていた店だから、すっかり頭には入っていた。
「フレッシュジュースなら飲めるんだけど、これ美味そうだなって」
「行きましょう!」
「元気だね」
夏限定、トロピカルフルーツ、の字が踊るそれに心の中で大量のいいねを押した。皆様のおかげで生きていく希望が生まれています。ありがとう。ありがとう!
「じゃあ、後で連絡するね」
「待ってます!」
「ふふ」
またね、文ちゃん。いつもの挨拶をして、ホームに降りる先輩を見送った。千切れるほどに手を振る私をおかしそうに先輩が見ている。
夏休み。夏休み!
見納めにならずに済んだらしい。どれくらい付き合っていただけるのかは定かではないが、はっとして友達に慌てて連絡を入れる。
夏休みに入り次第私服を買うのに付き合ってほしい。すぐに既読のついたそれに、複数人が良いよと返事を返してくれた。
学校ついたら話そ。その返信に確かにと頷いてスマホをしまう。
一度食べてから癖になってまた買ってしまったレモン味のグミを口に放り込んだ。酸っぱさで少し冷静になって、でもまたすぐに沸き立ってくる興奮にカバンを抱えて顔を押し付けた。
口角の上がりきったすごい顔になっている自信があった。誰にも見られてはいけない、その一心だった。




