6話 カフェに行く
カフェに行く日はすぐに決まった。
言われた通りに空いている日を送ってから怖くてスマホは放置していた。そうして夜ごろごろしながらすっかり忘れて開いたスマホに、穂高先輩からメッセージが届いていたのだ。こんばんは、行きたいとこ決まってるなら店名教えといてね。文字までが目映く見えたのは初めてだった。
意を決してこれが食べたいのだといくつか送り付けたリンクをわざわざ見てくれたのか、最後のリンクは季節の限定メニューのようだからこれが良いなら提供されている間に行くべきではないかという旨の返信が来て、あれよあれよと日程が組まれる。
正直社交辞令の線をまだ疑っていたのだが、やはり心までもが天使であったらしい。本当にカフェに付き合ってもらえるようだ。
うきうきとアプリに予定を入れる。こんなに待ち遠しい放課後の予定があるものなのかと思った。
「外あちー」
「ハンディファンありますよ、使いますか?」
「文ちゃん使いなー」
「なんと! 二つあります」
「何で?」
くしゃっと笑った先輩が私の手から一つ受け取った。シックな色の性能がいい方と、見た目が可愛くて安かったからと衝動買いした方の二つ。もちろん先輩には性能がいい方を渡すに決まっている、先輩には黒が似合う。
いや、見た目が可愛い方も似合うとは思うけれども。以前先輩にグレーが似合うか聞かれた記憶が朧げにあるが、本当に似合わない色はないだろうなと隣を見上げる。パステルカラーの何かを持っていたとしても今日可愛いですねで終わるだろうなと思った。
ぬるい風を浴びた先輩が少し目を細めている。
「もうちょい先?」
「近いはずなんですけど……あ、この先の? 信号のとこ? を曲がれば……?」
「あれかな。日陰目指して頑張ろ」
電車の中で見る穂高先輩はいつも涼しげに見えていたのだが、さすがに炎天下の日差しの下では少し辛そうだ。放課後と言えどまだ太陽はじりじりと照り付けている。
白い首筋に汗が垂れるのが見えて、何だか妙に艶かしくて目を逸らした。何らかの年齢制限がかかっている気がする。
「文ちゃんどれ頼むの」
「悩んでるんですよね〜! 季節のパンケーキか、季節のパルフェか……」
定番メニューも捨てがたい。初めて訪れる店だからだ。しかし限定メニューだからこそ早めに行こうということになったのだから、やはり旬の味覚を味わうべきだろうと思った。夏のフルーツがふんだんに飾られた写真や動画を思い出し、段々とその口になってくる。
ごくりと唾を飲み込むと、隣で地図アプリを覗き込んでいた先輩が早くない? と笑った。見られていたようだ。これはお恥ずかしい。
アプリは到着まで残り五分を示している。すぐに座れれば良いなあ、と思いながら交差点を曲がった。
店内は冷房がよく効いていた。二人で揃って助かった、と深呼吸をする。平日だからなのか外があまりに暑いからなのか、店内にはまだ幾つか席が空いていた。
通されたテーブルで、結構駅から歩きましたねすみませんと謝ると、準備してきた、と心もちキリリとした先輩が答える。
「準備ですか?」
「日焼け止め塗りまくってきた」
「日焼け止め」
「うん。マスクの形に日焼けすんの嫌だから」
顔だけ白いのも気持ち悪いから、結局首や腕も塗ることになるのだと先輩が自身の腕を見ながら話す。確かに美白だとは思っていたのだが、まさかそんな事情があったとは。
マスクの跡に日焼け。先輩が、日焼け。
「ちょっ……と見たいですね……」
「変態じゃん」
マスクは下着なんでしょ? と穂高先輩が笑う。その節はすみませんでした、と頭を下げた。初めて会話した際に口走った内容を先輩はまだ覚えていたらしい。
確かにそんな噂を聞いたことがあったのだが、一体どこ情報だったのだろう。
ほら、選ぼ、と促されておずおずとメニューを見る。季節のパンケーキと目が合って、やはりこれだと頷いた。
運ばれてきた皿は美しいものだった。たっぷりと盛られたクリームに、散りばめられたカラフルなフルーツ。かけられたソースが艶々と輝いている。
写真を撮るのもそこそこに、いただきます、とナイフを手に取った。
先輩の前にはアイスコーヒーが一つだけだ。本当にシェアの必要はないのか再度確認したが、食べ切れなさそうなのかと心配されてしまった。いえ、そちらの心配は全くないです。そう答えると、ふふ、と先輩が笑う。
「独り占めしちゃって」
先輩はミルクやガムシロップの類いを一切入れずに飲むようだった。大人だ。すごい。かっこいい。
グラスから伸びるストローを、マスクをほんの少し持ち上げて出来た顎側の隙間に差し込んでいる。マスクは外さないで飲むのか、見たことのない飲み方だな、と思った。口裂け女の系譜。私はマスク姿の先輩しか見たことがないが、種族のマナー的なものがあるのだろうか。
そういうところから下着説が生まれたのかな、と何となく考える。しかし先輩が知らなかったくらいなのだから、まあ勝手に言われていただけなのだろう。
「美味しい?」
「沁みます……」
「良かったね」
このために今日のお昼は控えめにしていたから、本当に五臓六腑に染み渡るようだった。甘さの控えられたクリームがきらきらの果実の甘酸っぱさを損なうことなく調和している。これはたいへん、よいものだ。
対面で微笑む穂高先輩はまるで絵画みたいだった。こういう瞬間を見たとき、きっと芸術家はその一瞬を形にしたくなるのかもしれない。
「カフェ巡り好きなの?」
「カフェっていうか、甘い物が好きです」
パスタやカレーを売りにしているカフェもあるけれど、私は専ら甘い物しか見えていない。そう告げると、色んな楽しみ方があるね、と真剣な顔で頷かれる。
穂高先輩の趣味は何なのかと聞くと、何だろう、と考えるように拳を口の辺りに添えている。
「そういえば、気になってたんですけど」
「ん?」
「先輩って目が合った女子手あたり次第に声かけてたりしますか?」
趣味だったりしますか。パンケーキを口に運びながらふと思い出して、そんな疑問を投げかけた。
きょとんとした顔で先輩がこちらを見ている。
「俺そんな災害みたいな奴に見えてた?」
「見えてないです」
先輩が首を傾げて、私も同じ方向に傾けた。
どこの国の言語か分からない店内BGMが陽気なメロディを奏でている。
「一番最初、目が合った時に声かけられたので……」
「あー。あれか」
何かと思った、と先輩が笑った。
マスクの顎の部分をちょいちょいと引っ張りながら、ごめんね、と眉を下げる。
「怪異だってバレて見られてるのかと思ってたから。一回見せたら満足するかなって」
態度悪かったよね、俺。
そう続けた先輩に、慌てて首をぶんぶんと振る。
「いや私がじろじろ見てたのが悪かったですねほんとごめんなさい」
「両成敗だね」
溶けちゃうよ、と先輩が私の皿を指差した。クリームがだれて生地を覆うように領土を拡大しつつある。
美味しいうちに食べちゃいな。そう言われてナイフを動かした。
口いっぱいに広がった甘さを流し込むようにグラスを手に取る。
「そもそも手当たり次第ナンパ野郎だったら放課後もめちゃくちゃ忙しそうだね」
大変そう、と先輩もグラスを置きながら呟いた。はっとして顔を上げ、先輩、と呼び掛ける。
「それは困りますね! やらないでくださいね!」
「やれねー」
先輩が声を上げて笑った。無表情だと高嶺の花のようで、笑うと一気に親しみやすくなる。ぎゅう、と胸を鷲掴みにされたみたいだった。ずっと笑っていてほしいのに笑わないでくれとも思った。本当に保護すべきだと思う、よくぞ今まで無事でいたものだ。
むしろ先輩の貞操を心配した方が良いのではないかと言いかけてやめた。それはさすがにやめておけと私の中の理性が必死で押し留めていた。
食べ終わって外に出ると、店に来た時よりも幾分暑さは和らいでいた。まだまだ蝉の鳴く声が聞こえる。
夏休みが目前に迫っている。しばらくは見納めかなと思いながら、隣の穂高先輩をしっかりと目に焼き付けた。




