5話 連絡先を知る
「先輩って、何で朝は座ってなかったんですか?」
今日も誰も捕まらず、数日振りに放課後すぐに電車に乗る事になった。一人で自宅から離れた街で遊ぶくらいなら帰宅した方がまだマシだからだ。
ロングシートの端を確保する事が出来たから、縮こまって座っていた。ふたり分くらい空けた横で知らない男子高校生のグループが少し大きな声で話していて、ちょっとだけ怖いな、と思う。
一高の最寄り駅に着いた時、ホームに穂高先輩の姿を見付けてほっとしてしまう。知っている人がいると言うだけでずいぶん心が楽になる。
乗り込んできた穂高先輩は一直線にこちらに向かってきて、ありがたいな、と思った。
失礼しますと隣に座った先輩に、んふふと笑い声が漏れる。
「あー。俺、朝めちゃくちゃ弱くて」
「はい」
「寝過ごしちゃうから。座れなかったんだよね」
通勤通学ラッシュを避けるような時間の早朝の電車は空いている。ガラガラと言っていいのにいつも立っていた先輩が不思議で疑問をぶつけてみると、そんな風に返された。
ちらりとこちらを見る先輩の視線は流し目と言っていいものなのだろうか。何? 先輩が糸屋の娘なら私はとうに殺されている。
「最近は座っても大丈夫なんです?」
「うん。話してるうちに目ぇ覚めてくるし」
最悪寝てたら文ちゃん起こしてくれるでしょ、と先輩が笑う。最高。いくらでも頼ってほしい。私こそが穂高先輩の目覚まし時計になってみせる。こんにちは、私が専属のアラーム搭載の後輩ですよ。
「お友達とかは電車じゃないんですか?」
「うん。バスとか自転車ばっか」
文ちゃんは? 先輩がそっと問いかける。向こうの男子高校生が騒ぐ声にかき消されそうな静かさだった。
「学校の近くから一緒の友達はいますよ。先輩が降りてちょっとしたら乗ってくる感じです」
私が一際遠いだけです、と言うと、確かに南高はちょっと遠いね、と先輩が頷いた。
毎日よく頑張ってんね。付け足されたその言葉ににやにやが止まらない。
「じゃあ俺と話してるのも暇潰しにちょうどいい?」
「神からのプレゼントとかだと思ってます」
「ふふふ」
これからもお利口さんにしますと言うと、お互いに利益があるならちょうどいいねと先輩が微笑んだ。
私には利益しかない。私と話す事で眠気が霧散していくのなら、いくらでも刺激的な女になろうと心に決めた。手始めに何からすれば良いのだろうか。
「通学が長いのは慣れてきたので全然良いんですけど」
「うん」
「行きたいとこいっぱいあるのに、友達誘いづらいのがネックなんですよね」
友達みんな定期外だから、とスマホを取り出して先日保存した動画を見せる。小刻みに揺らされるスフレパンケーキは可愛らしくてなんとも美味しそうだ。
「これとかすごく食べたいんですけど」
「ぷるぷるだね」
「最初の頃は友達にも付き合って貰ってたんですけどね。さすがに遠いから頻繁に来てもらうのも忍びなくて」
いつもの癖でスワイプして次々と動画を表示してしまう。保存した魅惑のスイーツたちが各々元気に自己アピールを繰り返していた。
「一人でカフェデビューするのが先か、友達に交通費払えるようになるのが先かってとこです。今」
「これどこ?」
「ここですか? あ、いまちょうど過ぎた駅のとこですね。確か」
「あー」
走り始めた電車が揺れて少しだけ先輩の脚がぶつかる。
賑やかだった男子グループは数人が降りたのか、最初の頃よりずいぶん静かになっていた。
「友達と行きたいならあれだけど、誰でも良いなら俺と行く?」
「え!」
「定期内だよ」
どうする? と首を傾げた先輩に、一瞬思考が停止する。先輩とパンケーキ。先輩にパンケーキ? めちゃくちゃ似合う、映えの天辺取れますよ先輩。
「穂高先輩パンケーキとか食べるんですか? 行きたいです! どれシェアしますか!?」
「ごめん。俺甘いの苦手だから、一人で頑張れる?」
「何しに付き合ってくれるんですか!?」
「あは」
文ちゃん声でかい、と指摘されて慌ててきゅっと唇を閉じる。くすくすと笑ったままの先輩が、動画が流れっぱなしの私のスマホを覗き込んできた。
「俺コーヒー飲みたい」
カフェでしょ、と先輩が店名を確認している。
コーヒー。かっこいい。蚊の鳴くような片言の声が出て、先輩がいよいよ肩を震わせ始めていた。
「今度行こ。連絡先聞いてもい?」
「口座番号でも何でも……」
「連絡先だけで良いかな」
先輩もスマホを取り出して、一つ増えた友達アイコンを呆然と見詰める。
送られてきたスタンプがさっきの動画みたいに小刻みに揺れて見えた。震えているのは私の手だった。
「他校の男子とむやみに連絡先交換しても良いんですかね……」
「え、分かんない。調べて」
不意に過ぎった質問が口から滑り落ちると、先輩がくつくつと笑い出す。
「空いてる日教えといて」
固まっているうちに電車は私の降りる駅に到着しているようだった。促されるまま立ち上がり、よろよろとホームの地面に足を下ろす。
振り返って見た先輩は、いつもみたいにゆったりと手を振っていた。
慌ててぺこりと頭を下げると、待っていたように電車は走り出していく。
空っぽの線路をただ眺める。スマホを確認して、見慣れないアイコンを見て、あ、夢じゃなかったのか、と思うけれどもまだ信じられない。
「え……?」
雀がホームでちょこちょこ跳ねているのが視界に入る。一歩近付くと彼らは慌てたように距離を取った。
カフェ。先輩。連絡先。
もう一度見ようと取り出したスマホの真っ黒い画面ににやついた自分の顔が反射して、一瞬でスンと心に静寂が戻った。
まさか私先輩にこのような顔を晒してはいないだろうか。まさか。まさか、そんな。
さすがにそんな事を聞くわけにもいかず、明日からは気を付けよう、と頬を打ちつけて歩き出す。
雀がぱたぱたと飛び立って行った。




