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4話 放課後に会う


 穂高先輩はそれから四日後、肉球撮れたよと言って一枚の写真を私に見せてくれた。土日の間に黒猫と出会したとのことだった。

 三毛猫の肉球は三色だった。その法則ならてっきり黒猫は真っ黒い肉球なのだと予想していたのだが。



「ピンクですね」

「ピンクだった」

「何でですか?」

「何でだろうね」



 艶々の黒い毛並みの中に、ぽちりと目立つ柔らかそうな肉球が埋まっている。まごう事なきピンク色のそれ。

 猫はどうやら奥の深い生き物なのですね。そう納得しながら隣に座る穂高先輩のスマホを借りてピンクの部分を拡大させてもらう。顔に押し当てたら幸せになれそうだった。どことなくグミにも見えてくる。



「かわい〜〜」

「ね」



 画面越しでも猫は猫。どんな色でも猫は猫。ちなみにこの子のお名前は? と尋ねると、くーちゃん、と当たり前のように先輩が答えてくれた。

 みーちゃんは三毛猫。くーちゃんは黒猫。この流れでは白猫がいた場合その子はしーちゃんなのではなかろうか。先輩の近所には同じ名前の猫が大量発生していそうだな、と思った。誰が名前を付けているのだろう。



「ありがとうございました。わざわざすみません」

「猫、好きだから。徘徊のついで」



 休みの日はたまに一日で何匹見れるかチャレンジしてる、と先輩がカメラロールを遡っている。猫を探してうろうろと徘徊する穂高先輩を想像したが、癒されるところなのか興奮するところなのか判別が付かなかったので後で考えることにした。今は目の前に集中したい。

 ほら、と見せられたそれは、土手で大量の猫が日向ぼっこをしている写真だった。座る猫や寝転ぶ猫、皆思い思いに過ごしている。



「最高記録」

「すごい。めちゃくちゃいますね」

「この茂みにも隠れてる」

「あ! ほんとだ」

「ふふ」



 キジトラって草むらにいると見付けにくいんだよね、と拡大したり縮小したりしながら穂高先輩が残りの猫を探している。私も手伝いたかったが、スマホを操作する先輩の手の美しさに気を取られてやっぱり私は全く集中が出来なかった。私は……役立たず……。

 すっと伸びた長い指だとか意外と骨ばった関節に、あ、男子だ。と当たり前の事を思った。



「今日の午後小雨降るらしいですね」

「傘持ってきてねー」

「水も滴る……」

「小雨でそんなに濡れるの根気要るね」



 それはやだな、と先輩が呟いた頃、降車駅のアナウンスが流れた。

 帰るまであんまり降らないと良いなあ。そうですね。そんな会話をしながら今日も先輩を見送る。



「じゃ、またね文ちゃん」

「はい。また!」



 ホームに降り立った先輩の髪が風で少し揺れている。さっき見せられたくーちゃんの毛並みみたいに、艶々と受けた光を反射していた。







 私は部活に入っていない。通学時間の関係で、いくらも参加出来ないからだ。あまり遅くなると直通の電車がなくなり、乗り換えを経ると帰宅時間がとんでもないことになってしまう。

 それでも学生らしい放課後は捨てがたい。僅かな時間を縫うように友達と遊んだり教室で話したりしてから帰宅する日々を送っていたが、今日は誰も捕まらなかったので一人寂しくいつもより早い電車に乗り込んだ。部活にバイトに彼氏にと各々予定があるみたいで、最近はみんな忙しそうだ。

 

 朝よりも少し多い人数が乗り合わせている車内には、まだ社会人は働いている時間帯なのか学生の姿が多い。夕方と言うには少し早い時間。

 知らない人たちが座る間にお尻を捩じ込む勇気がなかったので、微妙なスペースの座席は見送ってドアの前に立ってやり過ごすことにした。ここからしばらくはこちらのドアは開かないことを知っていたからだ。

 

 外はまだ少しだけ雨が降っていた。ほとんど霧雨みたいなそれで湿った髪は今のところは大人しい。もう少ししたら元気なアホ毛が主張を始めそうだ、と撫で付けながらぼんやりと思った。

 

 手持ち無沙汰になり、スマホを取り出してSNSのアイコンをタップする。

 友達の投稿、カフェ公式の嘘みたいな高さのパフェ、友達の投稿、喫茶店公式のまん丸いホットケーキ。サブリミナルみたいに飛び込んでくる甘味たちの誘惑にいとも簡単に白旗を振る。お腹が空いてきた。

 カバンを漁ると残り数粒になったグミを見付けた。一粒口に放り込む。今朝見た肉球が頭から離れず、駅の中のコンビニで買ったものだった。

 適当に買ったそれはレモン味のグミだった。纏っている粉が尋常ではないほど酸っぱい。疲労回復などの効能がありそうだなと思っている、そうでないと許せないくらいに酸っぱかった。

 

 ぐにぐにと噛みながら気になるものにハートを付けていく。これ美味しそうだな。近い、行けそう。保存。ここはちょっと遠いな。一応保存。うわあここ行きたいなあ。フォローしておこう。もう一粒グミを食べようとして、ゆらゆらと体が揺れた。次の駅が近付いている。



「あれ、文ちゃん?」



 天からの調べが聞こえてはっと顔を上げた。放課後になっても変わらぬ輝きを放っている穂高先輩がそこにいた。雨で濡れたのか少ししっとりとした前髪が、いつもと違う表情に見せている。

 知らぬ間に一高の最寄り駅に着いていた。画面越しの糖分に夢中になっている間にずいぶん駅を跨いでいたようだった。



「穂高先輩! こんにちは」

「こんにちは。放課後会うの初めてだね」

「そうですね、嬉しいです! いつもこの時間なんです?」

「うん、何もなければ大体このくらい。文ちゃんいつも乗ってた?」



 そっちのドアそろそろ開くからこっちおいで、と先輩が手招きをする。二人で揃って壁に凭れると、朝よりは少し目のぱっちりした先輩がこちらを見下ろしていた。湿度が高くて不快なのか、ゆとりを持たせるようにマスクを少し摘んでいる。



「いつもはもう二本くらい遅いやつです。今日は友達捕まんなくて暇だから直帰しました」

「どうりで見たことなかった」



 穂高先輩の美貌を前に、自分の濡れた髪の毛が気になってきた。そろそろうねり出す頃合いの気がしている。

 朝の一番良いコンディションならまだしも放課後は何かと粗が目立ち始める。こんな日に限ってヘアゴムの一つも持ち合わせていない事に気付き、せめて少しでも誤魔化せればと手で一つに纏めて抑え込む。

 そうして抑えたままの私の様子が不自然だったのか、穂高先輩が少し首を傾けた。前髪がぱらりと揺れる。



「暑い?」

「涼しいです! いや、えっと。濡れちゃったから髪がボサボサになっちゃって」



 お恥ずかしいと笑った私に、さすがにヘアゴムは持ってないな、と先輩が呟く。持っていたとて借りる事は出来ない、国宝級のヘアゴムになりそうだ。



「腕疲れない?」

「まだ平気です」

「疲れたら言ってね。代われるよ」

「滅相もないです! 先輩の手を煩わせる訳には」



 ふは、と先輩が笑った。遠慮しないでね。緩められた目元の破壊力は物凄い。あらゆる語彙力が消し飛ぶほどの美しさだった。

 会うのは片道十五分。今日は三十分になったそれは、合わせたところでやはり短い間ではある。しかしとんでもない奇跡だった、まさか帰りにも会えるとは。今夜は眠れないかもしれない。

 今日宝くじとか買ったら当たるのかもしれない。いやむしろ運を使い果たしてしまった可能性もあるなと思った。



「止んだみたいだね」



 私の最寄り駅が近付いて、速度の緩んだ電車の窓を先輩が眺めている。雲間から少し光が差していた。



「転ばないように気を付けてね」

「はい! 穂高先輩も。また明日!」

「また明日」



 初めて先輩に見送られながら電車を降りる。振り向いて手を振ると、閉まりかけたドアの向こうからも先輩が手を振り返してくれていた。

 走り去っていく電車に少しの寂しさと高揚感を覚える。早起きは三文の徳はもう確定した事実だが、放課後即帰宅するのも三文以上の徳であるという新発見をしてしまった。

 世界の真相に一つ近付いてしまったかもしれない。そんな事を思いながら、私は改札へと足を進めた。

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