17話 攻撃を受ける
イベントが盛り沢山の一日だった。
先輩の妹——恵那ちゃんは、子犬みたいな女の子だった。
文です、穂高先輩にはいつもお世話になってますと通されたリビングで挨拶すると、花火の! と目を輝かせて私の隣に陣取っていた。
穂高先輩と似ているようで似ていない。にこにこと笑う口元は私のそれと大差がなかった。そう言えば妹はパパ似だと言っていたな、とその時思い出した。パパは休日出勤とのことで見比べることは出来なかったのが少し残念だった。
ママは冷たいほどの美貌の持ち主だが、恵那ちゃんのこの様子だともしかしてパパは愛くるしい顔をしているのだろうか。ちょっと想像がつかない。
えな花火楽しかった。あやちゃんあそぼ。もじもじと上目遣いで言われたそれに直接心臓を掴まれた心地になって、緩みきった顔で遊ぼう、と思わず返事をしてしまう。恐ろしい兄妹だと思う、何事か要望を言われたら一切断れないような気すらしてくる。
無限に相手をしてくれる恵那ちゃんを、最終的に穂高先輩が引き剥がすかたちでその日はバイバイをする運びとなった。顔をくしゃくしゃにする恵那ちゃんにまた遊ぼうねと手を振って別れた。
「穂高先輩、おはようございます!」
「おはよ、文ちゃん」
週明けの月曜、いつもと同じ電車に乗り込む。いつもと同じ場所に先輩が座っている、ここ最近すっかり見慣れた光景。
失礼します。いつもみたいに挨拶をして隣に腰を下ろした。
「土曜は妹の面倒見てくれてありがとね」
「めちゃくちゃ楽しかったです。恵那ちゃん可愛すぎでしたね」
「昨日の朝も文ちゃんと遊びたいって大騒ぎしてた」
言って下さいよ。真剣な顔でそう返すと、ふふ、と先輩が笑った。
「けどほんと先輩のママ美人でしたね。自慢のママじゃないですか」
以前調べてみた時、怪異の歳の取り方について詳細までは分からなかった。種族による。曖昧にそう締められて終わっていたからだ。
人間よりも遥かに長く存在する怪異もいるし、人間よりも早く老いていってしまう怪異もいる。人間とほぼ同じ寿命の存在も、中にはいる。
口裂け女がそのどれに当たるのか、そこまでは私のスマホでは調べられなかった。
「俺が小学生の頃の運動会で」
「はい」
「親子リレーがあったんだけどね」
「ああ、ありますね。うちでもやってました」
「うちのママがぶっちぎりすぎて、次の年からリレー出禁になってた」
「先輩ママかっこよすぎる」
何それめちゃくちゃ見てみたかった。
やっぱりママ足早いんですねと言うと、本物は凄いよと先輩が静かに頷く。
「穂高先輩ふつうにママ呼びなんです?」
「うん。恵那に合わせてる」
何でも真似しちゃうから、と返す先輩に、ほんとに夢みたいなお兄ちゃんだなと思った。だからきっと普段からこんなにおっとりとしているのだろう。
理想の優しいお兄ちゃんを凝縮したような存在すぎる。最高。産まれてきてくれてありがとう。そっと神に感謝を告げた。
「あのさ、文ちゃん」
「はい!」
「今日って帰りなんかあるの」
「帰りですか? たぶん何もないです」
どうかしましたか。尋ねた私から少し先輩が目を逸らした。言い淀むように目が伏せられる。
迷うように数回瞬きを繰り返した先輩が、うん、と静かに顔を上げた。
「何もなかったらで良いんだけど」
「はい」
「帰りも会えたらなと思って」
「何かあっても空けます!」
脊髄反射で食い気味に返事をした私に、先輩が少し目を丸くした。土曜に見た恵那ちゃんと先輩のママと、二人によく似た表情だった。
放課後に会うためだけに学校からメッセージを送ったのは初めてだった。これまでは目的があって、それに合わせるように前もってやり取りを済ませていたからだ。
何か用事があるのかと尋ねてもみたが、既読がついてしばらく経ってから、ないんだよね、と返された。心がざわつく、喜ぶところなのかそれとも何か言われてしまうのか。興奮していてはしゃぎ倒した記憶があるが、もしかして穂高先輩のご自宅で私はなにか粗相をしてしまったのだろうか。
考えても仕方なかった。会えば分かるだろう。怯える心を見ないふりして私は放課後を迎えた。
「こ。こんにちは」
「こんにちは、文ちゃん」
最近はすっかり慣れていたはずだったのに、何だか妙に緊張した。いつもは平気で買い食いに付き合ってもらっていたのにどうしてこんなに息がしづらいのだろう。
今日は残念ながら座れなかったのでドアの前に寄りかかって乗っていた。こっちおいで。壁際に手招きをされて、いつかもあったな、そんなことを思った。
「今日は学校どうだった?」
「今日ですか? お昼学食行ったんですけど、冷やし中華売り切れで食べられなくて悲しかったです。ざるそば食べました」
「学食あるんだ、良いな」
「一高はないんですか?」
「うん。購買はあるけど」
話し始めてみればいつも通りにすることが出来た。あまりにも日常会話。あれ、と少し拍子抜けした。もしかして本当に何もないのだろうか。
見上げた先輩は何でもないようにこちらを見ている。目が合うと微かに目元が緩んだ。
「今日、ほんとに何もなかったんです?」
「ん? うん」
「なんだ。怒られるのかと思って一日震えてました」
「あは。ごめんね」
先輩が少し屈んだ。目線がちょっぴり近付いて、文ちゃんに怒ることなんか何もないよと微笑む。
「俺が顔見たかっただけ」
気を失うかと思った。
白目を剥きそうな体に喝を入れて、どうにか持ち堪える。そんな姿を穂高先輩に晒す訳にはいかない。
先輩はどうしてしまったのだ。本格的に私にとどめを刺すつもりなのだろうか。
顔を上げられない私の頭上で先輩がくすくすと笑っている。機嫌が良さそうだ。私はすぐ傍で瀕死になっているというのに。
がたんと一瞬電車が揺れた。体勢を崩しかけて、先輩が軽く支えてくれている。大丈夫? そう声をかけられて、手摺りに捕まりながらゆっくりと先輩を見上げた。
「膝が」
「うん?」
「力が、抜けています」
ふは、と先輩が笑った。




