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15話 約束をする


 いつも通りの朝だった。湿った空気が電車のドアから吹き込んで、今日も元気に鳥やら虫やらあらゆる生き物が生を全力で謳歌している声が聞こえる。早朝だからそれに混じる人の声はいつもと同じで多くはない。

 いつも通りではないのは私一人だった。信じられないくらいに眠たい。普段は超速入眠の人間だと豪語して生きてきたから、考え事で寝付けないというのは経験のない夜の過ごし方だった。

 


「昨日先輩にいっぱいやだなって言わせちゃったじゃないですか」

「……あー」

「寝る間を惜しんで解決策を考えたんですけど」

「だから今日駆け込み乗車だったの? 危ないから夜はちゃんと寝なね」



 今日はいつもの車両にサラリーマンが一人乗っている。このおじさんは端っこの車両に居たり隣の車両に居たり、なかなか読めないタイプの人だ。今日はこちらの気分だったのだろう。

 人を気にしてぽしょぽしょと話す私に倣うように、先輩も私に目線を合わせながら囁くように話している。


 

「ありがとうございます。頑張って考えた解決策を聞いてほしいです!」

「うん」



 ずっと考えていたのは昨日の商店街から帰る際の出来事だ。一緒に待っていた駅のホームで、どうにも様子がおかしい先輩が気になった。帰宅してご飯を食べてお風呂に入って、それでもなお気になり続けていた。

 この世で一番尊い存在の表情を翳らせてしまった。私の発言の何がいけなかったのか。考えに考えて、ようやく導き出した答えにこれしかないと思った。

 がばりと顔を上げる。褒められる未来しか見えていなかった。


 

「穂高先輩、彼女作んないで下さいね! 私も彼氏作んないので。報告制じゃなく許可制にしましょう!」

「……文ちゃんさー、変わってるねってほんとに時々しか言われてない?」



 おや、何だか棘があるぞ。どうやら褒められないらしい。

 先輩やっぱりハーレムを、と呟いた私を呆れた顔でじとりと見ている。これも違うようだった。

 新たな表情を見て俄かに興奮し出した私に、夜は寝た方が良いよと言って先輩が困ったように笑った。


 

 







「あや最近香水つけてね?」

「つけてるよー。貰ったやつ!」

「ああ、センパイ?」



 ぶんぶんと頷く私を前の席に座った友達が笑って見ている。良かったねえと言ってはいるが、目元は枝毛を探し始めた。何だか心がこもっていない。

 ざわつく休み時間の教室の中で、ぽつりと友達が呟いた。



「あやさー。前あたしに香水名前教えてってすげー言ってきてたじゃん」

「うん。いい匂いだから知りたかった」

「教えても良かったんだけどさー。そしたらあんた速攻買いそうだったじゃん」

「私もさきちゃんみたいにいい女の匂い纏わせたくて」

「あれまじごめんね。これ彼氏に貰った香水だったからさ、お揃いやだなーって思っちゃって」



 綺麗にカールした睫毛でさきちゃんがちらりと私を見た。言ってよそれは! ごめんね! 思わず大きな声が出た私に、教室で騒ぐなって、と彼女が苦笑している。



「ほんとごめんね。別のならお揃いでも全然良いし。てかそれもめっちゃいい匂いだよね、なんてやつ?」

「何だっけ、聞いたけど忘れちゃった。美人の匂い!」

「文のそれ何なの?」



 さきちゃんが笑った。今日は彼氏と放課後デートだからつけてきたのだと言ってにこにことスマホを覗き始める。いい女の匂いだと思っていたが、可愛い女の子の匂いでもあるのだなと半ば変態じみたことを思った。







 



「最近のくーちゃんの写真とかってないんですか?」



 今日も放課後すぐに電車に乗り込むと、運良く穂高先輩と乗り合わせる事が出来た。この時間に乗っても会えない事もあるから、そういう時は最後の十五分間がとてもつまらなく感じてしまう。

 昨日は一緒に食べ歩きをして、今日は朝も夕方も会えている。なんて素晴らしい日々なのだろうか。

 これまた運の良いことに座席を確保出来たのだが、私の隣には既に他の乗客が座っている。先輩が乗り込んだ際に代わりますかと声を掛けるも、文ちゃん座ってなよと微笑まれてしまっていた。

 穂高先輩は吊り革を掴んでもまだ余裕がある。これは非常にポイントが高い、まあポイントの下がるところなど未だに見当たらないけれども。



「くーちゃん? 先週見たけど撮ったか覚えてないな。ちょっと待ってて」

「あ、ないなら全然」

「文ちゃんはくーちゃんお気に入りなの?」

「甲乙つけがたいところではありますが……」


 

 艶々の毛並み、切れ長の瞳、夜が似合う印象。くーちゃんの構成要素がどことなく穂高先輩を連想させて、先輩が見せてくれた猫たちの中では特にくーちゃんを気に入っていた。ピンクの肉球はあまりにもあざとい。



「ごめん、最近のはないみたい」

「全然! 先輩はお気に入りの子とかいるんです?」

「お気に入りかあ」



 カメラロールを見ているのか、次々に画像を表示させているようだった。そのうちにぴたりと指が止まって、ふ、と先輩が微かに笑う。

 可愛い子いました? そんな質問に、うん、と目元を微かに緩める。そうして頷きはしたが見せてはくれないようだった、スマホはポケットに仕舞われてしまう。

 独り占めだろうか。ずるいと思う。なんか子猫とかだったらほんとにずるいと思う。



「うちの周りにも地域猫欲しいです」

「文ちゃんちはペットとかいないの?」

「いないんです。お世話が出来る者がいなくて」



 両親は共働き、私も家にいない時間が多い。これでは何かを迎えても可哀想だと選択肢にすら上がらない。

 猫触りたいなあ。なんかもふもふしててあったかいやつ。以前は漠然と犬猫への憧れがあるだけだったが、今はすっかり猫に心を奪われてしまった。



「くーちゃん触ったことあります? どんな感じなんですかね」

「艶々しててあったかいよ。胸元とかお腹はふかふか」

「んぎ……」

「聞いといて悔しがるのやめようね」



 ふふ、と先輩が笑った。分かってはいても非常に羨ましい。撫でる方も撫でられる方もだ。どちらも味わいたいと思った瞬間に穂高先輩がくーちゃんを撫でている様を想像する。え、美しすぎる。美術の教科書載るじゃん。あまりにも神々しい光景だった。私が入り込んではいけない。



「先輩が猫愛でてるとこ見たいです」

「あは、何それ」

「写真とか撮りたいですね、引き延ばして飾って良いですか」

「あんまり嬉しくはないけど。もしあれだったら」



 猫見にくる? 先輩がぽつりと呟いた。



「飼い猫じゃないし、会えなかったらごめんね」

「え。え、行って良いんですか私」



 猫たちのエリアは完全に先輩のテリトリーだ。冗談半分本気半分のそれを受け取ってもらえるとは思っていなかったから、少し慌ててしまう。



「俺の最寄りだから、文ちゃん定期外になっちゃうけど」

「それは全然! えほんとに良いんですか?」

「うん」



 猫に会える。写真でしか見られなかったくーちゃんやみーちゃんを直接見る事が出来るかもしれない。猫に触れる先輩が見られるかもしれない。これはすごい!

 はすはすと鼻息を荒くする私を見て先輩が笑った。後で日にち決めよう。はい! と元気な返事をして、知らない間に到着していた降車駅へと飛び出した。

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