12話 花火をする
先日のコーヒーショップでのカスタムはなかなか鮮烈な思い出になった。まさか私があそこまでコーヒーが飲めないとは思わなかったし、先輩が甘いものが本当に駄目だとは完全なる誤算だった。
お腹が多少落ち着いてからゴミを捨ててぶらぶらと歩いている時、そういえばと先輩がカバンから細身の何かを取り出した。リップみたいなそれを見慣れなくて近付いてまじまじと見る。
これだった。あげる。
何事かと手を伸ばすと、いつも先輩からするのと同じ匂いがふわりと香った。
え、香水ですか。そう聞けば、うん。入れてきたから、どうぞ。先輩が私の手の中にころりとそれを入れてきた。
嬉しさの余り全身で喜びを表現する私に先輩が言った。今日のお礼。付け足すようなそれは何だかやっぱり意地悪で、思わず顔のパーツが中央に寄った私を先輩が愉快そうに見ていた。
あの日に並んで撮った写真は、お気に入りフォルダに突っ込んである。あとでプリントして良いものかな、その際自分のところはトリミングしようと考えながらスマホを置いた。
先輩の定期が切れる前に花火をする事になった。五日後までなら行けるけどどうするのかと連絡が来て、本当にやってくれるのかと思わず返してしまった。
今のところ予定入ってないから花火したいなら好きな日選んでいいよ。テンションのままにスタンプを連打してしまう。全日が良いです。それはさすがに。ですよね。スピード感のあるやり取りだった。
打ち上げ花火や大騒ぎすることは駄目だと聞いているが、手持ちでお行儀よくきちんと後始末までするなら合法の場所は幾つか目星が付いている。
ご飯食べてから来ますか。聞こうと思って、やめた。先輩はきっと外ではマスクを外さないだろうから、答えなんて決まっていた。
現物はこちらで準備します、夕方集合ですよねとそれだけを決めてその日を迎えた。
「文ちゃん、それ全部やるつもり?」
日が落ちかけた頃に私たちは駅で落ち合った。
私が手にしたビニール袋、それにぱんぱんに詰まった中身を見て穂高先輩が苦笑している。
「まさか! 出来るものならやりたいですけど」
「気合い入ってるね」
何時間かかんの、と言いながら先輩が袋を覗き込んだ。残ったらお土産ですと言いながら本日の花火会場へと向かう。
真昼よりも風が出てきて幾分涼しい。昼間もこうなら良いのにな、と思いながら夕焼けを眺めた。
「結構買ったね。いくらかかった?」
「ほとんどバイト代です、これ」
「バイトしてたの?」
「一昨日町内の草むしりあって。暇だから参加したんですけど、花火したいって言いながらむしりまくってたらご近所さんたちがくれました」
去年の余りもあるから火が点くかはギャンブルらしいです、と言いながら袋の中を指差した。私が新たに買ったものはバケツとセットになったものだけだ。
「バイトって言っていいのか分かんないですけど」
「現物支給のバイトで良いんじゃない?」
労働と引き換えだし、と先輩が頷いた。確かに。そう返した時、片腕が不意に軽くなった。先輩に花火の袋が攫われている。
取り返そうとしたが、準備してもらったから俺にも仕事させて、と微笑まれてしまった。そう言われてはそれ以上手も出せずに渋々引き下がる。袋の中、花火と一緒に入れておいた虫除けスプレーが視界に入った。
そういえば。見上げながら先輩に両手を広げてみせる。
「つけてきました! ドキドキしますか?」
「ん? ああ、香水?」
「はい!」
動くたびにふわっと香ってくるそれにいちいちテンションが上がってしまう。だからみんなつけてるのか、と実体験をもってようやく納得した。これは楽しい、とても。
先輩がほんの少しだけマスクを引っ張りながら私に顔を寄せてきた。ずれた隙間からすっと通った鼻が僅かに覗く。
「おんなじ匂いだね」
「美人の匂いになりました!」
私の美人レベルも底上げされたに違いない。穂高先輩と同じ匂いになってしまったからだ。
足取りも軽く、ほとんどスキップみたいになりながら道案内を再開した。いつもより少し見えてしまったマスクの向こうに、鼓動を強く跳ねさせたのは私の方だった。
びっくりした! とても!
私は線香花火を数本纏めて火を点けるのが好きだ。火種と言うのか分からないが、先端が一つに固まって丸くなる様は何だか可愛いし面白い。
その分重くなるから早く終わっちゃうんですよね、と言うと、情緒がないねと返された。
色が変わるらしい花火を手に取った先輩が、点かねーと言って笑っている。どうやらハズレの花火らしい。
「もしかしたらそっちの袋全部駄目かもです。さっき全然燃えないやつもあったので」
「文ちゃん点火のこと燃やすって言ってんの?」
こっちのは大丈夫でしたよ。がさがさと無事な花火を引っ張り出す。多種多様な花火が入っているが、暗くなってきて何の種類だかよく見えない。
スマホのライトで照らしながらついでにテープを引きちぎる。豪快。先輩が呟くのが聞こえた。
「どれが良いです?」
「長持ち花火かな」
当社比最長と書かれた文字を見付けて先輩が拾い上げた。当社がどれだけの仕事をしていたかは知らないが、その実力は果たして。
無事にぱちぱちと燃え始めた花火が先輩の顔を照らした。
「黄色? 緑?」
「黄色……? ですかね……?」
思った以上に煙が多い。虫除けスプレーなんていらなかった気もする、私の燻製ができそうだ。どうしてこういう時の煙は逃げても逃げても追ってくるのだろうか。
「あは、文ちゃんの顔見えねー」
「穂高先輩は輝いてますね」
「眩しいねこの花火」
私も一つ拾い上げる。説明は全部引っ剥がしてしまったから何だか分からないが、まあ全部楽しいだろう。
先輩から火を貰って、ぐるぐると回してみる。残像が円を描いた。
「何で何で、私の方が先に消えそうです」
「当社比最長は伊達じゃないね」
ほとんど同時に花火が終わった。消えたばかりのそれをバケツに突っ込むと断末魔が響いた。じゅう。何気にこれも好きな瞬間である。
本当は燃えたままの先端を水の中に入れるのも好きだったが、何となく引かれそうだったのでやめることにした。
「おうちに持って帰る用、取り分けといて良いですよ」
吟味している先輩に声をかけると、ほんとに良いの? と返された。
さすがに元気な文ちゃんでもこれ全部は楽しみきれないです。ハズレの花火を避けながらそう言うと、確かに多いね、と先輩が頷いた。
「この辺貰ってもいい?」
「もっと取っといて良いですよ。これ気に入ったんですか?」
「妹が好きそうだから」
妹さん居るんです? 美人そうだなと思いながら聞くと、うん、と先輩がまた頷いた。五本入りの袋を一つ穂高先輩が手繰り寄せる。
「八歳」
「八歳! めっちゃ可愛いじゃないですか。似てるんですか?」
「妹はパパ似」
俺とはあんま似てないね、と先輩が言った。
良いなあ、妹。ていうか穂高先輩がお兄ちゃんって最高だなあ。そんな思いで隣にしゃがむ先輩を眺める。めちゃくちゃ自慢のお兄ちゃんじゃんね。
「ありがとね。喜ぶと思う」
「文ちゃんから貰ったって言っといて下さいね」
「ふふ。言っとくね」
大丈夫そうなものを選別して先輩に押し付ける。八歳の妹か。並んでるところを見たいなあ、と思った。
煙少なめ! 写真映え! と大々的に書かれているものを見付けて早速火を点ける。確かにずいぶん見やすいようだった、視界がとても良好である。
色が変わる花火に再挑戦している先輩に火を分けながらショルダーバッグからスマホを取り出す。
「先輩先輩! 撮って良いですか! 写真映え! ストーリー上げたいです!」
「良いけど俺入ってない?」
「手元入ってますね。まずいです?」
「文ちゃんが良いなら良いけど」
上げても良いですかと聞くと、文ちゃんが良いなら良いけど、と先輩はまた同じ文言を繰り返した。先輩がbotになってしまっている。
顔は出さない主義なんでと言うと、それは知ってると苦笑される。数々の私の投稿は先輩の元にも晒されている事だろう。
執念が実ったのか、先輩はようやく着火に成功した。赤から紫から、瞬きする間にどんどん色が切り替わっていく。
残像が幾つも瞼の裏に残って、凄い凄いと歓声を上げた。
夜も遅い時間に、ストーリーを見たのか友達からメッセージが届いていた。カップルコーデじゃん、やば笑。
完全に失念していた!




