10話 雑談をする
「すみません。一時間待ちみたいです」
やっぱ今日はやめときましょうか。茹だるような暑さの中で穂高先輩を待たせるわけにはいかない、そう思って発言した私の言葉に先輩は少し眉を顰めた。
「えー。俺完全にコーヒースムージーの口になってる」
「待ちましょう」
手のひらは、返してなんぼだ。速やかに近くの待機場所を検索しだした私を見て穂高先輩があは、と笑う。
今日も今日とて先輩に甘味の補給に付き合ってもらっていた。互いに都合のつく日が土曜日になってしまったせいか店は想像以上に混雑していた。到着してから曜日に気付いて、夏休みって簡単に人をバグらせるのだなと自分に驚く。
マップ上でそう遠くない場所に公園を見付けて、そこに行きましょうとリュックから日傘を取り出した。
私服で会うのは三度目だが、予感はしていたけれどやはり色味が被っていてもう笑うしかなかった。悩みに悩んでキミにきめた白とネイビーのボーダーTシャツと、ベージュのワイドパンツ。
これまで穂高先輩はモノトーンばかりだったからこれなら大丈夫だろうと思っていたが、今日の先輩はベージュのパンツをお召しになっていた。当然のようにワイドシルエット。涼しいですよね、似合ってます。
先輩は黒いTシャツだからそこだけは違うものの、遠目に見たらやはりリンクして見える。待ち合わせた車両内で目を合わせた時、思わず揃って固まってしまった。
文ちゃんほんとにカメラ。見てないです! 他の乗客からちらりと見られて慌てて隅で縮こまったのは三十分ほど前の事だった。
「雨の日で相合傘したら二人とも腕ちょっと濡れるじゃないですか、外側」
「うん」
「日傘で相合傘したら二人とも外側の腕日焼けするんですかね」
「名誉の日焼けだね」
余りの暑さに念のためにと持ってきた日傘はさすがに一つしかない。
先輩に使って下さいと渡したのだが固辞されてしまった。文ちゃんのなんだから。先輩はどこまでも優しい。
でも私は中学三年間陸上部でガチっていた女なのである。先輩よりは日光に耐性があると自負している。高校では時間の都合で続けられずに引退してみるみる弱っている自負もあるけれど。言わなきゃバレない。世の中はそんなものだ。
折衷案として先輩に傘を持ってもらい、出来た日陰に私が潜り込む事となった。身長差の成せる技である。午後で良かったと思う、真昼なら相当密着することになって私の命が危ぶまれていた。
歩き出してすぐに見付けた公園は遊具がぽつりとある程度で、遊んでいる子供の姿は一人も見えない。この暑さでは親御さんも止めるのかな、と妙に納得してしまう。
遊具の近くに休憩所なのかテーブルとベンチの置かれた屋根のあるスペースを見付けた。傘で作られた日陰の位置を調整しながらえっちらおっちら近付いていく。動くと追ってくる影がおかしくてくすくすと笑いながら振り向いて見上げると、逆光の中で先輩が目を細めていた。
「涼しい! 多少!」
「日傘って優秀だね」
飛び込んだ屋根の下で、俺も買おうかな、と傘を畳みながら先輩が呟いた。レースのやつですか、と尋ねると似合うかなあと返される。確実に似合うとは思うが、ほんとに買われたらと思うと怖くなって黒にしましょうと引き留めた。
先程済ませてきた予約のページを確認すると、まだ人数に変化はなかった。ここでしばらく過ごさなければいけないらしい。
「そいえば先輩、なんか香水つけてます?」
傘を受け取りながらふと尋ねると、つけてるよ、と返される。いつも先輩に近付くと心なしかいい匂いがしている気がしたが、先程ようやく香水ではないかと合点がいった。匂いきつい? そう言いながらシャツの胸元を引っ張る先輩に、ああ違くて、と首を振る。
「いい匂いでドキドキしました! 美人の匂い!」
「文ちゃんって変態って言われない?」
「変わってるねとは言われます。時々」
「お友達優しくて良かったね」
ベンチに並んで腰掛けて辺りを見回す。植物が多い。なんだか蚊に刺されそうだ。
「香水なに使ってるんですか?」
「何だっけ、名前覚えてない。今度見てくるね」
なんか透明の瓶。そう言われたが検討がつかない。どれだろうと考えたいところだが香水の知識がそもそも私にはとんとなかった。
「私もつけたいなとは思うんですけど、何買ったら良いか分かんなくて。テスター嗅いでると訳わかんなくなっちゃうし」
「分かる。最終どれでも良くなる」
「混ざりますよね脳みそで。鼻先で? あ、友達が使ってるのもすごいいい匂いなんですよ、あれも近付くとドキドキしちゃう。でも頑なに名前教えてくれないんです。なんか女の匂い」
「女の匂い」
想像つかねー、と先輩が笑った。いい女の匂いがするんですよと力説したがその正体は私にも分からないから、それ以上の説明の仕様がない。
僅かに風が吹いている。草の動く音が心地よくて、一瞬だけ暑さが遠のいた。
「質問いいですか」
「どうぞ」
「べっこう飴は好きな方ですか?」
「偏見やめてくださーい。あんま食ったことないかな」
俺ガム派と返されて、私はグミ派ですと返す。どうでもいい応答だった。
「べっこう飴って何だっけ」
「おばあちゃんちによくあるやつじゃないですか? 黒いやつ」
「それ知ってる。多分黒飴」
ごそごそとリュックに手を突っ込んで、ハンディファンを取り出した。前回よろしく二つ持ってきていたから、それを一つ先輩に手渡す。
「ないよりマシです、多分」
「文ちゃんってカバンひっくり返したら何でも出てきそうだね」
「あとは夢と希望が詰まってます」
私も先輩みたいに軽装備でお外に出られるようになりたい人生でした。そう告げながらスイッチを入れる。肝心な時に充電切れを起こしがちなので、無事に動き出してほっとした。
「私の自由行動タイムが間もなく終了します」
「ああ、定期?」
「です……」
地元の友達はと聞かれて、スポーツウーマンの友達しか居ないので……とさめざめと返した。こんなことなら手当たり次第に友達を作っておけば良かった。今から地元で作れるものだろうか。どうやって?
それは寂しいね。そう言われて深く頷く。
「夏休み! なのに! 穂高先輩遊んで下さい」
「文ちゃんの最寄り行けば良いの?」
「待ってすみません冗談ですさすがにそんなご足労は」
定期切れるんでしょ。そう言われれば、切れますけどもと返すしかない。
屋根の下と言えどまだまだ暑い。背中を汗が滑り落ちていくのを感じた。
「俺の定期は盆前まで使えるし」
「え待ってほんとに良いんですか?」
なんもない日ならね。そう微笑む先輩に、じわじわと喜びが込み上げてくる。
「大したことできないけど」
「やったー! 花火しましょうよ先輩! 出来るとこ知ってます!」
「花火? 夜?」
「夜の……先輩……?」
「さすがに夕方かな」
静かな夜に月を背負って立つ先輩を一瞬で脳裏に浮かべたのだが、どうやら拝むところまでは辿り着けないようだった。見たかったのに。
あんまり遅くまではね、と先輩が続けながら少し体勢を変える。その拍子にまた香水がふわりと香った気がした。




