表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
52/58

第41話:『観測がズレている』


歌舞伎町の朝は、夜よりも信用できない。

御園生はそう思っていた。


眠っていない街は、正直だ。 眠るふりをしている街は、嘘が混ざる。

そして今夜の『LUXE』は――後者だった。




店に入った瞬間、御園生は気づく。

空気が“昨日の続き”じゃない。

切れている。一本だけ、見えない線が切断されている。


(……誰かが触ったな)


それは事件の匂いではない。 もっと厄介なもの。

“関係の修復痕”。


昨日あの男たちが現れてから今朝に至るまでの数時間。その見えない空白のなかで起きたであろう歪な“ナニカ”の残像が、朝の静まり返ったフロアにじっとりと淀んでいた。




VIPルーム。

クロノはいつも通りそこにいた。

ただし昨日と違うのは、目の焦点が少しだけ遅いことだった。

御園生はそれを見逃さない。


(寝てないな)

(いや、違う)

(“寝られてない”)




クロノの前にグラスがある。

誰が置いたかは分からない。ただ、その位置が微妙にズレている。完璧じゃない。

クロノはそれを見ている。でも直さない。




御園生が近づくと、小さな違和感が増える。

昨日まで“即座に切っていた距離感”が、少しだけ遅れている。

御園生は気づく。


(揺れてる)

(この男の境界が)




「……おはようございます」


クロノの声はいつも通りだ。

だが御園生は知っている。

“いつも通り”は、こういう時一番危ない。



御園生は座る。


「昨日の件、処理は?」


クロノは一瞬だけ沈黙する。

その間、ほんの0.5秒。

しかし御園生にはそれが“異常”に見える。





「終わってます」


嘘ではない。だが完全でもない。

御園生の中で、何かが引っかかる。


(終わってる顔じゃないな)




その瞬間だった。

クロノの視線が、御園生の手元に落ちる。

正確には――御園生のジャケットの“ボタン位置”。

御園生は気づく。


(見てる)

(昨日と違う見方で)



クロノは一言だけ言う。

「その位置、ずれてます」


御園生は一瞬固まる。


「……は?」


クロノは繰り返さない。ただ見ている。“直さない理由”を見ている。

御園生は無意識にボタンを見る。確かに少しズレている。だが問題はそこじゃない。



(今のこれ……)

(“気づいたから言った”じゃない)

(“気づいてしまったから見ている”だ)



御園生は理解する。

この男は、人間の細部を“意味で見ていない”。ただの状態として見ている。

壊れているか。 整っているか。 危険かどうか。





クロノは続ける。

「今日は、少し乱れてますね」


御園生は笑う。

「誰のことだ」


クロノは答えない。

だが御園生はそこで気づく。


(俺だ)

(“俺の状態”の話だ)




その瞬間、御園生の中で何かがひとつズレた。不快ではない。むしろ逆だ。


(観察されてる)

(でも利用されてない)

(評価されてるのに、損得がない)


それは、職場でも家でも経験したことがない種類の視線だった。





クロノは立ち上がる。


「今日は少し早めに帰った方がいいです」


御園生は眉を上げる。

「理由は?」


クロノは一拍置く。


「戻ってくると、面倒になるので」



御園生はそこで初めて気づく。


(“予測”してる)

(俺じゃなくて、未来を)






御園生は小さく息を吐く。


「……お前さ」


クロノは見ない。ただ言う。


「はい」


御園生は続けようとしてやめる。

言語化した瞬間、壊れる気がした。





御園生は立ち上がる。

そのとき、クロノが一瞬だけこちらを見る。ほんの一瞬。





そこにあるのは信用でも拒絶でもない、ただの確認。


(まだ外側)


御園生はそれを理解する。そして安心してしまう。


(……まだ外か)


その安心が、逆に危ない。





店を出る直前、御園生は振り返る。

クロノはもう見ていない。次の客のグラスを見ている。



御園生は小さく呟く。

「……あいつ、今日おかしいな」


だがその言葉は、すぐに自分で否定される。


(いや)

(“昨日の方が正しかった”のか?)





御園生は歩きながら気づく。

自分の中の基準が、少しずつズレている。




(あの男の“普通”が)

(こっちの普通を侵食してる)




そして最後に一つだけ理解する。



(これ、慣れたら終わるやつだ)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ