第39話:『夜道の遭遇と、小人たちの「おねだり」』
カラオケ館でのあの鮮やかな現行犯逮捕から、わずか二日後のことだった。
不破のセカンドバッグの二重底から押収された裏手帳。そこには広域暴力団『黒誠会』のサトウという男の名と、警察本庁の上層部へと流れる黒い金の記録がびっしりと残されていた。
特大の核爆弾を掴んだはずだった。
だが、所轄の執務室で合同内偵の書類をまとめていた相沢と御園生の前に立ちはだかったのは、目に見えない巨大な冷たい壁だった。
「――これ以上の内偵は混乱を招く。一度、捜査のすべてをストップしろ」
本庁の監査官室から下された露骨な圧力。
提出したはずの不破の余罪データは「書類の不備」という名目で差し戻され、サトウの足取りに関する無線は、まるであらかじめ網を抜かれたかのように完全に途絶えてしまった。
「御園生さん、ここまで証拠が揃っているのに……また上で握りつぶされるんですか……っ!」
相沢は悔しさに奥歯を噛み締め、拳が白くなるほど机を殴りつけた。
これまでの草の根をかき分けるような捜査も捜査員の執念も、すべてが無駄になった瞬間だった。
御園生は火の点いてないタバコをくわえたまま、深く椅子にもたれかかって静かに裏手帳を睨みつけていた。なにか見落としてないか…。もう何十回も見直した手帳を。
「相沢、焦るな。敵の根は深い。……だが、繋いだ糸をここで無駄にするわけにはいかん」
御園生の低く重い声が執務室に響く。しかし、公式の捜査網を完全に奪われた二人の刑事は、暗闇の中で完全に足止めを食らっていた。
*
さらに数日後の、深夜の歌舞伎町。
相沢は非公式にサトウの足取りを追い、夜の街を歩き回っていた。だが、上層部の隠蔽工作は見事なもので、手がかりは完全に砂のように指の隙間から消え去っていた。
進展のない捜査。自分の無力さ。
寝不足と焦燥のせいで、胃の奥がキリキリと痛む。
気づかないうちに肩を落とし、トボトボと薄暗い路地裏を歩く相沢の足取りは、ひどく重かった。
一方その頃。
連日の営業で絶望的なまでにシフトが埋まりまくった忠敬――源氏名“クロノ”のコンディションは、最悪の一言に尽きた。
(早く帰って寝たい。一秒でも早く、ベッドに沈み込みたい……)
生きる泥人形のような強烈な寝不足のオーラを放ちながら、忠敬はフラフラと家路についていた。
そんな深夜の路地裏で、二人の影が偶然、交差する。
相沢はすぐに顔を取り繕って、少しぎこちなく声をかけた。
「よお、潜木。……お前はなんだか…死にそうな顔してんな。寝てるか?」
それは、毎日のように極限と極限の間を行き来して寝不足と戦っている相沢自身へ、そのまま特大のブーメランとなって突き刺さるセリフだった。相沢は自分がどれだけ疲弊し、ボロボロになっているのか分かってなかった。きちんと取り繕えてると思っていたからだ。
忠敬が(あんたこそ死にそうな顔して何言ってんだ……)と、連日のハードスケジュールに死んだ魚の目で相沢を見返した、まさにその刹那だった。
相沢の身につけている衣服のボタン、ポケットの警察手帳、そして締めているネクタイの小人たちが、限界寝不足のご主人を本気で心配して、忠敬に向かって一斉に訴え始めた。
『見える兄ちゃん助けて~!ご主人さっきから寝不足でフラフラなんだよ~!』
『そうだよ! 上層部の悪い奴らに捜査を止められて、ずっと一人で悔しがって胃を痛めてるの!』
『もうヤなの!!寝てほしいの!』
『 助けてお兄ちゃん!』
『サトウの最新の居場所は、赤坂の料亭なのに!』
『『『お願い!!!』』』
忠敬は、相沢を心配する小人の声を聞いて深くため息をついた。
「……、相沢さん。サトウなら、赤坂の料亭です。……裏は自分で取ってください」
相沢は一瞬だけ目を見開いたが、すぐさま目を輝かせて自身の端末を取り出した。
「……そうか。分かった。裏は取るが…ありがとう。お前はもう帰って寝ろ、潜木」
相沢はそれ以上何も聞かず、踵を返して夜の街へと走り去っていった。
遠ざかる小人たちの『ありがと~~お兄ちゃーん~~~!!』が相沢と共に遠ざかってゆく。
小さくなる相沢の背中を、忠敬はしばらく見送った。
ポケットから顔を出した合鍵の小人が忠敬の指に抱き着き、黒いハンカチの小人が忠敬の肩によじ登った。
『…いいのか』
小人は小首をかしげた後、忠敬の首筋に寝転ぶ。
その言葉に「…ちょっと心配だけどな」とだけ忠敬は返した。
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