第38話:『カラオケ密室の誘導尋問』
重い鉄の扉が閉まったカラオケボックスの密室。
相沢のポケットから顔を出した警察手帳の小人が、胸を張って嬉しそうに自慢したその手帳の輝きを目にして、ようやくほっと胸をなでおろした香菜が、いまだ震える手で操作したスマートフォンを差し出す。
画面に表示されていたのは、不破と名乗る自称・投資家の男からの、容赦のない脅迫文だった。
【指定の口座に今すぐ三千万円振り込め。文句を言うなら今すぐネットに晒す】
香菜がスマホのロックを解除したその瞬間、待ってましたとばかりに、スマートフォンの画面保護フィルムの小人やスマホケースの小人、カバンから顔をだした充電ケーブルの小人たちが、一斉に大はしゃぎで大合唱を始めた。
『お兄ちゃん! このスマホ、昨日からずっと震えててお腹痛いよー!』
『そうだよ! 画面がパチパチして超うるさいの!』
『あの悪い奴、さっきから「早く返事しろ」「家族を破滅させるぞ」って1分ごとにメッセージ送ってきてるんだよー!』
『ほらまた来た! 通知が来た! 身体が震えて痒いよー!!』
ただでさえ深刻な寝不足の脳みそに、小人たちの甲高い声が容赦なく響き渡る。
忠敬はぐっと眉間にシワを寄せ、うっとうしそうに目を細めた。頭痛がひどい。他人の裏事情などこれ以上聞きたくもないのに、不破から届いた新しい通知の文字を通じて、今度は通知ポップアップの小人たちが不破の文章の“裏側”を大声でチクり始めた。
『お兄ちゃん聞いて! この男の文章、すっごい偉そうだけど、実はコピペだよ!』
『そうだよ! 「指定口座」の文字だけさっき個別に打ち直されてるもん! 毎回いろんな人を同じ文章で脅してる、手慣れた奴なんだよー!』
『あ! あとね、不破から今届いたメッセージの最後に、この近くの接続ログが微かにくっついてる!』
『この男、今まさに歌舞伎町のこのカラオケのすぐ近くにいるよ! 逃げられない距離だよー!』
(……ハメられてる女の子は、この子だけじゃないってことか。本当に最悪な男だな)
脳を直接圧迫してくる情報量に、忠敬は小さく舌打ちをしたい衝動を堪え、いつものぶっきらぼうな口調のまま、相沢へボソッと情報を流した。
「……その男の文章、テンプレの使い回しです。恐喝の常習犯でしょう。あと、メッセージの受信位置……男は今、この近くにいますよ」
「――は?」
相沢があっけにとられて、口を開けた。
スマホと忠敬を交互に見た。
クロノ以外の3人から、強烈な視線が忠敬の横顔に突き刺さる。
(……いや、お前……、なんでメッセージを一目見ただけで、コピペの常習犯だとか、男が近くにいるとかまで分かるんだよ!? わけわからん、なんだコイツ……!)
相沢の喉の奥から出かかった叫びを、隣にいた御園生が片手を上げて制した。
御園生警部補はカラオケ特有のチープなプラスチックのコップを傾け、ウーロン茶を口に含む。ホストクラブで見せていたお坊ちゃんの姿は完全に消え失せ、組織のドロドロした裏仕事を冷徹に回してきた、ベテラン警部補の鋭い双眸が、底知れない眼差しでクロノを見つめていた。忠敬はそれを完全に無視した。
相沢がすぐに声を潜めて御園生を振り返る。
「御園生さん、犯人が近くにいるなら、本庁に連絡して応援を要請するより先に、ここに突入してくる可能性があります。下手にパトカーを動かせば向かう途中で気づかれて逃げられる……」
「心配いらんよ、相沢」
御園生はウーロン茶のコップをテーブルにコトッと置き、手際よく自身の携帯を取り出した。
「さっき店を出る時点で、周辺を巡回させていた私服警官を、すでにこのカラオケ館の周囲に配置させてある。下手に派手な動きはさせん。彼らを音もなくこの部屋の前の廊下に潜ませよう。本庁が動くまでの即席の包囲網には十分だ」
手短に携帯へ指示を出す御園生の、隙のない完璧な手際。
(……やっぱり、この警部補の権力は別の意味でおかしい)と忠敬が内心で完全に引き気味になっていると、御園生は冷徹な笑みを浮かべたまま香菜のスマホを指差した。
「よし、相沢、男にこう送らせなさい。『パニックになって、三千万円の現金をカバンに詰めて歌舞伎町まで走ってきてしまった。怖くて外を歩けないから、カラオケ館の18号室まで取りにきてほしい』と」
香菜の震える指でメッセージが送信されると、不破からは「現金を直接受け取れるなら足がつかなくてラッキーだ」と言わんばかりに、二つ返事で「今からそこへ行く。部屋から出るな」と返信が届いた。
それから、十分も経たないうちだった。
部屋のドアがふいに開き、いかにもスカしたジャケットを着てサングラスをかけた男が、余裕の笑みを浮かべて入ってきた。
「おい、三千万は用意できたか――…あぁ?」
言いかけた瞬間、男の顔が不審げに歪んだ。
部屋にいるのが、カバンを抱えて怯えた若い女だけでなく、圧倒的な威圧感を放つ冷徹な壮年(御園生)、プロの眼光をした強面(相沢)、そして冷ややかな無表情の美青年の4人だったからだ。
さらに、ドアの外にはすでに御園生の配置した人間が静かに立ち塞がっている。
その時、男の身につけているサングラスの小人や、男が持っているセカンドバッグの小人、ジャケットのボタン小人たちが、今まで続けていたおしゃべりを再開した。
『わー! 新しいお兄ちゃんだ! 聞いて聞いて! この主人、投資家なんて大嘘!』
『名前は不破って名乗ってるけど、本当は遠藤っていうんだよ!』
『このバッグの中、香菜ちゃん以外にもあと5人分の脅迫用の個人情報が入ってるよー!』
『昨日も別の女の子から五百万騙し取って、悪いサトウって人に金を上納して、それが本庁の上の人にも流れてるって言ってた!』
我先にと飛び込んでくる、小人たちのうわさ話。
忠敬が(あー、さらになんか面倒事があるのかよ……)と確信した、まさにその刹那だった。
「あー、……部屋を間違えたようです。人違いして――」
不破こと遠藤が瞬時に危険を察知し、動揺を隠せず踵を返そうとする。
だが、その退路は御園生の配置した巨体によって完全に塞がれた。
「動くな。大人しく座れ」
背後からの地鳴りのような相沢の低い声と、目の前の逃げ道を許さない巨漢から発するプロの威圧感。
遠藤は文字通り蛇に睨まれた蛙のように硬直させられ、ソファへ誘導される。
「ひ、人違いだ! 俺はただ、投資家としてその相談に乗るために――」
「でしたら、その投資家としての身分証を見せてもらえませんか。まさか、偽名じゃないですよね?」
相沢が目の前に立ち塞がり、警察手帳を見せながら不敵な笑みを浮かべて手を開いた。警察官としての真っ当な身元確認だ。
遠藤は完全に顔を引きつらせながら「あ、財布を……車に忘れてきて……」と往生際悪く、見るからに怪しい言い訳でごまかそうとする。
末端だと思われる男は、妙に必死だった。
それに相沢が目を光らせ、畳みかける。
「……車ですか。でもそのバッグ、店に入ってきた時から不自然にずっと脇へ強く挟み込んでますよね。まるで、中に絶対に見られたくない本物の身分証があるのではありませんか?」
「、いえ。……でも、見せる義務はないはずです」
その後も男と警察官らはやり取りを続けるが、男はかたくなにバッグを手放さなかった。クロノはそのやり取りをBGMにして小人のやり取りを聞いていた。
(……本名は遠藤。それに『悪いサトウ』と、本庁の上層部への裏金。また、クロノでも忠敬でも荷が重すぎる名前が出てきたな)
これ以上この男の無駄な悪あがきに付き合わされれば、自分の睡眠時間がさらに削られる。
忠敬は内心で(これ、絶対に長引くやつだ……)と完全に諦めながら、周囲には男を冷静に観察したからでたような自然さで”客に揺さぶりをかけるホストのハッタリ”の体を装って、ぼそりと冷ややかな声をこぼした。
「そのバッグ、他にも別の人間を騙し取った”なにか”でも詰まってるみたいに重そうですけど。警察の人がいる前で、頑なに手放さないのは不自然じゃないですか」
「――ッ、てめえ……っ!?」
遠藤の顔が、一瞬恐怖を忘れ一気に怒りに変わった。
クロノに食って掛かろうとするが、周りの警察官がすぐに押さえつける。
香菜の目には、それが図星をさされたように見えた。クロノが”ホスト特有の鋭い観察眼で、男の怪しい挙動を突いてカマをかけた”ことが当たったようにしか見えなかった。
だが、忠敬の”おかしさ”をこの中で誰よりも知る対面の2人には、その言葉の裏にある真実が、一瞬で痛いほど伝わっていた。
カバンを開けてもないのに、別の被害者の証拠が入っていると暗に言い切ったクロノ。その異常なまでの情報の正確さに相沢と御園生は密かに目を合わせ、周囲の人間が考える隙も与えないよう即座にそのハッタリの波に乗った。
「あなたが頑なにバッグを手放さない理由は、別の余罪の証拠が詰まっているからですか? 御園生さん、カバンを押収してください」
「ああ、手際が良いな、相沢」
御園生は迷わず遠藤の手からセカンドバッグを抜き取った。
「な、何をする! 勝手に開けるな――っ」
「相沢、押さえろ。……ほう、これか」
相沢が遠藤を完全にホールドする。
その横で御園生が手際よくバッグを改めると、サイドポケットから”遠藤”名義の本物の免許証が滑り出た。さらに御園生のベテランの勘は指先でカバンの不自然な厚みを見抜き、一気に二重底を剥ぎ取る。
中から出てきたのは、他の被害者5人分の個人情報データと、気の遠くなるような金の流れがびっしりと書き込まれた裏手帳だった。
「……バ、馬鹿な……っ」
言い訳の余地すら残さない決定的な証拠の出現に、遠藤は完全に腰を抜かし、ソファの上で金魚のように口をパクパクと開閉させて絶望した。
御園生は廊下に待機させていた私服警官たちを呼び寄せると、遠藤の手首にパチン、と手錠をはめさせる。遠藤は先ほどまでの余裕が嘘のように、涙と鼻水を流して情けなく泣き叫びながら、引きずられるように密室から連行されていく。他の警察官たちの目には、あくまで”有能な御園生警部補がカバンの怪しさに気づいて証拠を押さえ、現行犯逮捕した”ようにしか映っていなかった。
「……終わった、の……?」
カバンを抱きしめたまま呆然としていた香菜が、ぽつりと呟いた。相沢が優しく「ええ、もう大丈夫ですよ」と声をかけると、彼女の瞳から大粒の涙がボロボロと溢れ出す。
「クロノさん……っ、本当に、ありがとうございました……! ネットの噂、本当だったんですね……っ!」
助かった安堵から、キラキラとした猛烈に深い”沼の目”でこちらを拝んでくる香菜に、忠敬は即座に否定した。ここはハッキリさせとかなければ”ヤバイこと”になりそうな予感をヒシヒシと感じた。
「違います。……ネットの変な書き込みは全部デタラメです。店に迷惑がかかるので、もう二度と信じないでください」
忠敬は頭痛のする頭を抑えた。
「香菜さん。さっき俺が言ったのは、ただのホストのハッタリです。怪しい客を脅して追い返すための店でのいつものやり方です。そして二度と変な投資掲示板を見ないで、これ以上このことを誰にも言わないでください。……本当に、店に迷惑がかかるので」
「は、はい……っ! わかりました、絶対に秘密にします……!」
忠敬のぶっきらぼうな口留めに、香菜は深い勘違いの違う沼へと沈み込みながら、何度も激しく頷いた。
香菜を先にタクシーに乗せて帰らせたカラオケボックスの入り口には、ようやく3人だけが残された。
クロノがちらりと見やった御園生と相沢の目は、すでに完全に”巨悪を追う刑事”の鋭い眼光へと切り替わっていた。御園生は手帳をパラパラとめくりながら、クロノにだけ聞こえる低い声で告げた。
「潜木。お前がハッタリで引っ張り出してくれたバッグの二重底だがね。……中に入っていた手帳、今月騙し取った金の一部が、広域暴力団『黒誠会』のサトウという男を経由して、さらに本庁の上層部の名義へと定期的に流れ着いている記録が残っていたよ」
「ええ。これはただの恐喝事件じゃない。広域暴力団の資金源と、警察本庁の底知れない闇……その双方が完全に繋がった、特大の核爆弾です。御園生さん、今夜からさっそく、極秘の合同内偵の根回しに入ります!」
相沢が熱く頷く。2人からの”お前がすべての巨大な糸口をくれた”という、これ以上ない深い信頼と情の混ざった視線。
「まだ”アフター”なんで、クロノで。あと……捜査状況を一般人に漏らさないでください。それで、――――もう店に戻っていいんですか」
クロノは、明日からもさらにゴリゴリと削られるであろう自分のシフトと睡眠時間を予感し、遠い目で夜の歌舞伎町を見つめるしかなかった。




