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第37話:『裏捜査の案内人と、もの言いたげな視線』


「クロノさん、少し手狭になりますが」


その一言の直後、地味なリクルートスーツに身を包んだ若い女性が、黒服の東に伴われて奥のボックス席へと案内されてきた。


無表情ながら、どこか整って落ち着いた眼差しをこちらに向ける美青年の存在にほんの一瞬安堵するも、ここはきらびやかな高級ホストクラブ『LUXEリュクス』のきらびやかなフロアだ。あまりに場違いな自分の姿と、ソファに鎮座する、いかにも只者ではない綺麗な壮年(御園生)の放つ威圧感。さらには深く被ったキャップの隙間から漏れる鋭い目でこちらを見る男(相沢)の気配に圧倒され、女性は今にも泣き出しそうな顔でガタガタと震えている。


その時、御園生みそのうが完璧に洗練された美しい所作で手を伸ばした。

何をするのかと思えば、隣でカチコミ直前のカチカチの状態でフリーズしていた相沢の頭から、深く被られていたキャップを、無言のまま実になめらかな動作でスッと奪い取ったのだ。


「え、御園生さんっ……!?」

「東くん、これを預かっておいてくれ。……お嬢さん、そんなところに立っていないで、こちらへ。東くん、彼女に温かいお茶を。お会計はすべて私のツケにしておいてくれ」


御園生は相沢の慌てる声を完全に無視し、スマートに女性にソファを勧めた。

帽子を奪われた相沢が気まずそうに髪を直す横で、東はその淀みのない傲慢なエレガントさに圧倒されながら、恭しく帽子を受け取って下がっていく。


「あ、あの……ネットに、クロノさんなら、どんな裏のトラブルも解決してくれるって書いてあって……っ」


ソファの端に腰掛けた女性は、差し出されたお茶のグラスを震える手で握りしめ、ぽつぽつと話し始めた。だが、あまりの動揺とパニックのせいで、その言葉は完全に前後していた。


「あの、お父さんも、お母さんも、みんなネットに、住所も全部晒されて…っ。なんで、昨日、ネットで、投資の、うそ、分からなくて……っ。でも、明日、明日までに三千万って、口座に、入れないと、ううっ、破滅するって、私、私のせいで、どうしよう、どうしたら、う、うあぁ……っ」


涙目でパニックを起こし、過呼吸気味になりながら支離滅裂な言葉を繰り返す女性。これでは警察官である相沢や御園生であっても、事件の正確な形を把握するまでに時間がかかる。

だが、彼女の足元では、使い古されたナイロン製のビジネスバッグのジッパー小人が、相変わらず忠敬を見上げて涙目で怒っていた。


『お兄ちゃん! その男、自称・投資家の悪い奴だよ!』

『ご主人っ…今日なんにもごはん食べてないっ!』

『「口座に今すぐ三千万円振り込まないと、あんたの家族全員の個人情報をネットに晒して破滅させてやる」って、今もスマホのメッセージでカウントダウンの通知を送ってきてるんだよー!』


(……本当に、どいつもこいつも、手がかかる)


これ以上、このパニック状態の女性をLUXEの店内に置いておくわけにはいかない。それに、あまりの寝不足と女性の埒が明かない状況説明に業を煮やした忠敬は顔に出さず、いつも通りのぶっきらぼうな口調のまま、静かに彼女の言葉を遮って核心を切り出した。


「……自称・投資家の男ですね。明日までに三千万円振り込まないと、家族の個人情報をネットに晒して破滅させる、と」


「え……?」

女性の涙が、ピタリと止まった。


「そのバッグ、昨日からずっと握りしめてたせいで、持ち手が手汗でボロボロです。泣いて時間を潰すのは効率が悪すぎます。その男の連絡先か、やり取りしてるアカウントを教えてください。『クロノ』が載ってたネットの記事含めて。さっさと処理します」


「な、なんで……っ!? 私、まだ男の人の肩書きも、金額の理由も、何も言ってないのに……なんでそこまで、全部知ってるんですか……っ!?」


女性ーー香菜かなが驚愕のあまり、息を呑んでソファから立ち上がりそうになる。

だが、彼女以上に凄まじい衝撃を受け、その場で完全に動きを止めた大人が2人いた。


(……いや、お前……)


相沢は、キャップの無くなった頭を抱え、目を皿のように丸くして、喉の奥まで出かかった叫びを必死に噛み殺していた。


男の肩書きも、三千万の恐喝の内容も、ネットの掲示板のことも、この子が『今から話そうとしてた内容』だ。一言も喋っていないのに、なぜ最初から全部知っている。

相沢の心臓は、疑惑を通り越したあまりの理不尽な情報量に、パニックでバクバクと激しく波打っている。だが、同時に”この異常性を周囲に悟らせるわけにはいかない”という盾としての防衛本能が、相沢の表情をプロの刑事のそれへと強制的に引き締めた。


御園生もまた、ブランデーのグラスを口元に当てたまま、完全に静止していた。片方の眉をピクリと跳ね上げ、その鋭い双眸で、じっと、ジトッと、底知れないおかしさと強烈な疑問の混ざったもの言いたげな視線を、無言のままクロノの横顔へと向けている。


(ほう……相沢から聞いていたが、これは『勘』などというレベルではないな。一体どこからその真実を引っ張ってきたんだ、この兄ちゃんは……)


2人からの、痛いほどの強烈な視線。

だが、忠敬は2人の顔を一切見ることなく、完全にその視線を流した。


しばらくクロノの顔を凝視していた御園生は、瞬時にお坊ちゃんの仮面を被りわざとフロア中に響くような優雅な声でポンと手を叩いた。


「ははは! 面白い、じつに面白いお悩みだ。……東くん、チェックを。今夜の分の金額に、このお嬢さんと、クロノくんの“アフター代”を、あらかじめ上乗せして僕のカードで決済しておいてくれ」

「み、御園生さん!? まだ店が閉まるまで時間がありますよ! いくらなんでも強引すぎます!」


相沢が小声で怒鳴るも、御園生は意にも介さない様子で黒服に合図を送ってスマートに立ち上がった。


「堅いことを言うな相沢。お前も手当を貰えば文句はあるまい。……よし、クロノくん、お前がそこまで言うなら、このお嬢さんの愚痴もまとめて、これから僕のツケで朝まで付き合おうじゃないか」


東や周囲のホストたちは、御園生のサラッと言い放った”まだ営業中なのに、数時間分のVIPアフター代をまとめて先払いして連れ出す”という規格外の遊びっぷりに圧倒される。


「あ、ありがとうございます……!! クロノ、御園生様をしっかりおおもてなししてこい!」


御園生の機転により、周りの卓から興味津々の視線を送られていた一行はただの超大金持ちによる豪快な夜遊びとして完璧に誤解され、黒服たちにより丁寧に4人は店を送り出された。


(……とりあえず良かった。全卓売上補償とか言われたら、俺の睡眠時間が来年まで消滅して胃が破裂するところだった。でも、営業外の呼び出し手当を先払いして誘拐まがいの連れ出しをするなんて、やっぱり金持ちの感覚は迷惑だな)







移動したのは、歌舞伎町の路地裏にある、少し年季の入ったカラオケボックスの密室だった。

重い鉄の扉が閉まり、曲を入れていないモニターから無機質な紹介PVが静かに流れ出す。その青白い照明に照らされながら、ようやく全員が少し緊張を解いた。


その瞬間、カラオケの防音壁の小人や、テーブルの上のマイクの小人が、忠敬に向かって喋り始めた。


『お兄ちゃん! ここなら誰も聞き耳を立ててないよ! 盗聴器もカメラもゼロだから、思いきり捜査しちゃってー!』

『そうだよ! さっきLUXEのバックヤードで、ホストたちが「クロノのやつ、またメンタリスト営業で新しい大富豪をハメて、高額なアフター手当まで先払いでおねだりしやがった。凄すぎる」って、めちゃくちゃ悔しがってたんだからー!』


(……誰もハメていないし、おねだりもしていない。周りの誤解が本当に迷惑だ)


忠敬は心の中で現実逃避しつつも、これでようやく安全が確保されたことに、深く息を吐く。相沢はすぐにプロの警察官の顔に戻り、警察手帳を取り出しながらまだガタガタと震えている香菜の前に座った。


「香菜さん、もう大丈夫ですよ。無作為に選んだので、ここだと誰にも聞かれないはずです。……実は私たちは警察官です。さっきクロノが言った”自称・投資家の男”とのやり取り……それと、君が読んだという、クロノのことが載っていたネットの記事を見せて下さい」


『お姉ちゃん、ホンモノだよ!!すごいでしょ!』

相沢のポケットから引っ張り出された警察手帳の小人が、胸を張って嬉しそうに自慢した。


その手帳の輝きを目にして、ようやくほっと胸をなでおろした香菜が、いまだ震える手でスマートフォンを差し出す。

画面に映し出されていたのは、どこかのまとめサイトの記事だった。



【衝撃】歌舞伎町LUXEのクロノ、マジで夜道の守護神だった件【すべての嘘を暴く解決屋】



内容を読めば、前回の営業で忠敬に嘘を暴かれガチ救済されて深い沼に落ちた”3人の女性客”の誰かが、SNSに感動のあまり投稿した日記が発端となって大バズりしてしまったデタラメな誇大広告だった。


(……あいつらか。本当に、特大の迷惑を置いていってくれたな。俺はただの、しがない限界大学生だぞ……!)


自分の不器用なお節介が特大のブーメランになって返ってきた事実に、忠敬が心の中で頭を抱えていると御園生みそのうが香菜のスマホを覗き込み、片手で自分のスマホを取り出した。


「なるほど、この記事か。……よし、少しコネを使うか…」


御園生は香菜に聞こえないほどの小声で、本庁の『サイバー犯罪対策課』の直通ダイヤルへと電話を入れた。


「あー、僕だ。御園生だ。ネットで今バズっている、歌舞伎町のホストに関するこの記事なんだがね。……じつはこれ、警察が裏で進めている、歌舞伎町の広域恐喝グループに対する『囮捜査の極秘データ』が意図せずリークしてしまったものなんだ。このまま拡散されると、本庁の捜査に致命的な大迷惑がかかる。……うん。大至急、プロバイダ権限でサーバーごと『記事の強制非公開』の手配を頼むよ。……ああ、上への言い訳は僕の方から通しておく」


そう言って電話を切った、まさにその瞬間。御園生のスマホの小人が、忠敬に向かって大はしゃぎで報告してきた。


『お兄ちゃん! 今、本庁のサイバー課の偉い人たちが「御園生警部補の緊急捜査要請だ!」って大慌てでネットの記事をまるごと宇宙の彼方に消し去ったよー! 跡形もないよ!』


(……良かった。これで明日から変なトラブル客がLUXEに押し寄せる心配はなくなった。……。でも、一介のホストの記事を『国家の囮捜査』に仕立て上げて数分でネットから抹消するなんて、やっぱりこのお坊ちゃん警部補の権力は、別の意味でおかしいな)


冷や汗を流しながら呆れ果てる忠敬。だが、記事を完全に火消しし終えた相沢と御園生の目は、すでに完全に”プロの刑事”の眼光に切り替わっていた。


「よし、これで邪魔なモノは消えたな」

御園生が低く笑い、相沢が香菜のスマホのアカウント画面を睨みつける。


「香菜さん。これから、俺たちの指示通りにその『投資家』の男にメッセージを送ってくれ。……今から、その男をここに引きずり出す」


民間人を装った二人の警察官と、クロノによる、前代未聞の”裏捜査”が、ここ防音のカラオケボックスで、本格的に始動しようとしていた。




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