第30話:『No.1への不吉な予言と、ナナメ上のノート』
それは、黒服の田辺の一言から始まった。
「……クロノ、お前“アフター”の意味わかってる?」
「店外でお客様とお話をすることですが」
「形式上の意味を聞いてんじゃねえよ」
田辺が口を挟むより前に、アオがガシッと忠敬の肩を掴んだ。
「お前マジでそれだけか? 姫に息子がいるって重い相談をされて、ただお茶飲んで真面目に人生相談に乗って、はい終わり? 手ぇ繋いだりとか、そういうのは?」
「繋いでません」
忠敬――源氏名“クロノ”が真顔で即答すると、バックヤードの狭い室内に妙な沈黙が流れた。
アオが深くため息をつき、隣にいたカイと顔を見合わせる。
「ユウ、ノートを開け。クロノ、お前もそこに並べ。緊急居残りホスト勉強会だ! お前ら二人とも、アフターの価値を分かってなさすぎる!」
「えっ、あ、はい!」
失敗ばかりの新人から若手ホストになったばかりのユウは、待ってましたとばかりに勉強ノートを広げて一歩前に出た。忠敬は心の中で(なぜだ、話は終わったはずなのに……)と激しく後悔したが、時すでに遅し。問題児二人として並ばされ、勉強会が強制スタートした。
アオやカイが、若手二人を前にこれみよがしに熱弁を振るい始める。
「いいか、アフターってのはな、店外で姫に”素の自分”を魅せる最大のチャンスなんだよ! ただの親身な相談員になってどうする!」
「なるほど、店外でのギャップ萌え……!」
ユウは目を輝かせ、アオたちの言葉を猛烈な勢いでノートに書き殴り始めた。その横で、ユウのペン小人が『ユウくん真面目! でも筆圧が強すぎて紙が破れそう!』とハラハラしている。
しかし、熱弁を振るうアオのインカムの小人が大声で本音を暴露し始めた。
『この人、偉そうに語ってるけど、自分の初アフターの時は緊張しすぎてお腹壊して、姫に正露丸もらった過去があるよー!』
アオの腕時計の小人も続く。
『本当は早く帰って、さっきからスマホに届いてる彼女からの「今どこ?」ってLINEに返信したくて時計ばっかり見てる!』
カイが横から「そうだぞクロノ! もっとこう、男としての色気をだな……!」と口を挟むが、彼のネクタイの小人が『熱く語りすぎて足がむくんでる! 靴脱ぎたい! あと、さっき営業中にこっそりスマホで推しアイドルのSNS見てたぞー!』と叫ぶ。
人間の嘘と見栄と裏事情を、小人たちは四方八方から好き勝手に喋りまくる。人間にプライバシーなどないのだ。
(これだから人間は信用できない。口ではいくらでも綺麗な理想を語るのに、その裏にあるのは保身と、嘘と、情けない見栄ばかりだ。やっぱり、人間の言葉なんて上辺だけだ)
忠敬はツッコミどころ満載の情報と目の前の話のギャップに毒づきそうになるのを耐えた。
「あはは、何やってんの。居残り組?」
そこへ、ナンバーワンのレンが缶コーヒーを片手、いつもの穏やかで隙のない笑顔でやってきた。
「でもクロノの気持ちも分かるな。アフターって、お店の時より少しだけ、女の子の素の顔が見えるからさ。ただ話を聞いてあげるだけでも、その子が少しでも安心して笑ってくれるなら、ホストとしてはそれだけで十分嬉しかったりするよね」
完璧な、偽りのない“優しいNo.1”の笑顔。だが、レンが持っているライターの小人が、ぽつりと裏の事情をチクった。
『この主人、今月も売上No.1だけど、胃薬の消費量もNo.1! さっきも裏で胃を押さえてたぞー!』
ライターのしゃべる声を耳にした瞬間忠敬の頭に、以前『クロノ』が弾き出した不穏なデータがよぎった。
――あれは80%の確率でいつか夜道で刺されますね。
誰かを安心させるために、自分を削ってボロボロになるまで完璧な仮面を演じ続ける。無自覚なだけに、一番深い沼の作り方をしているこの男。
忠敬はレンをまっすぐに見つめ、死んだ魚の目のまま、冷たく言い放った。
「……レンさん。その自分を削って相手を狂わせるやり方、本当にいつか夜道で刺されますよ。やめてください」
「えっ……?」
レンの笑顔がピキッと凍りつく。
「店のNo.1が刺されて死亡とか、ニュースになったら目覚めが悪いんで。大迷惑です」
あまりにも具体的で不吉な忠告に、バックヤード全体が水を打ったように静まり返った。レンが完全に引き気味に固まる中、アオたちが慌てて詰め寄る。
「おいクロノ、先輩に向かって縁起でもないことを……! それより次のアフターはどうするんだ! どうやって挽回する!」
狭いバックヤードの熱気。
ユウの異常な筆圧。
黒服たちの説教。
そして目の前で大合唱する小人たちのうるさい声。
脳のキャパシティが完全に限界を迎えそうな忠敬。
そこへ追い打ちをかけるように、足元にいた伝票の小人が、忠敬を見上げて大声で話しかけてきた。
『あのね! あの家の猫の執念はこんなもんじゃないよ! 今も扉の前で姫と一緒に帰ってくるの待ってるし、次来たら剥がしても剥がしても、ずっと君の足に抱きついて離れない覚悟キメてるよ、絶対! あの猫の愛、本気でめちゃくちゃ重いよーーー!!』
脳内にフラッシュバックする、帰りたいのに、あの液体のようにまとわりついて離れなかった長毛種の猫の重量感。必死さ。姫と息子の引きつった顔。
そして小人のうるさい大声。
脳のキャパシティが完全に限界を迎えた忠敬は、早くこの場を終わらせて帰宅したい一心で、つい、足元で叫ぶその伝票小人を見つめながら、うっかり口に出して言い返してしまった。
「……次はありません。重いので、もう帰っていいですか」
外では絶対に小人の声に反応しないという鉄則を、脳内疲労のセリフでうっかり破って口に出してしまった。
(あ、やってしまった。床(虚空)に向かって喋った――)と忠敬が内心で冷や汗をかいた、その瞬間。
「「これだーーー!!」」
アオとカイが同時に大歓声を挙げた。
「先輩のレンにすら媚びず、姫(と猫)のすべてを察してあえて突き放すこの孤高のスタンス!!」
「『次はない』と言い切り、客の未練を『重い』とバッサリ切り捨てることで逆に主動権を握る、高度な引き算の営業テクニックか! お前、天才か!?」
「そういう!?」とレンが声を裏返す。
ユウも「すごい……! 計算された焦らしプレイ、傷つくレンさんがこれ以上刺されさせないための、あえての厳しい優しさ……!」と大感動し、猛烈な勢いでノートに『次はないと突き放す(高等技術)』『レンさんを本気で心配する熱い心』とナナメ上に解釈し、熱心にメモし始めた。
(違う。本気で面倒だし、猫が物理的に重いって小人が言うから、次はないって言っただけだ)
でももう何もかもがめんどくさくなった忠敬は、空気と化した田辺を見つめて訴えた。
(早く帰らせろ)
解放された。
午前3時過ぎだった。
やっとの思いで解放され、深夜の歌舞伎町を抜けて自宅に帰還した忠敬は、玄関のドアを閉めた瞬間に服を脱ぎ捨てる。泥のようにパーカーへと着替え、部屋の床にゴロンと仰向けに横たわる。
『おかえり』
『おかえり!』
『おかえりー!忠敬、今日もお仕事お疲れさまー!』
『変な熱血漢たちに囲まれてたねー』
『ヒーリングミュージック流す?』
待ってましたとばかりに、使い込まれたマグカップやクッション、自宅の”身内”の小人たちが一斉にしゃべりかけながら駆け寄ってきて、忠敬を全力でヨシヨシし始める。外の小人たちのような無邪気な口コミやチャチャ、お節介は一切ない。
「……やっぱり、家が一番だな」
忠敬は、彼らの言葉に返事をしながら、心からホッとして静かに目を閉じた。




