第3話:『嘘つきな香水瓶と、No.1ホストの仮面』
歌舞伎町の雨は、ネオンを妙に綺麗に見せる。
営業開始から二時間。
高級ホストクラブ『LUXE』は、週末らしい熱気に包まれていた。
シャンパングラスが鳴る音。
弾ける笑い声。
入り混じる甘い香水とアルコールの匂い。
その全部が混ざり合った空気の中で、忠敬――源氏名“クロノ”は静かに水差しを交換していた。
すると手首のスマートウォッチがブブッと短く振動し、画面の上に小さな小人の『クロノ』がちょこんと座って忠敬を見上げた。
「現在、フロアの混雑率が八〇%を突破しました。店内時間管理に基づき、各卓のボトル残量とヘルプの巡回ルートを最適化します」
ウォッチのスピーカーから、周囲に聞こえても問題のない合成音声が淡々と流れる。忠敬も時計を見るフリをしながら自然に口を開いた。
「助かる。この後はどの卓に入ればいい?」
「中央のレン様のメイン卓、および通路脇の五番卓へのヘルプが最短ルートです」
表面上は有能なスマートウォッチとして会話を終える。だが次の瞬間、小人の『クロノ』は苦笑いして忠敬に情報提供した。
『……それと主、通路脇の香水瓶の小人たちが、さっきから「嘘八百連発だー!」って大袈裟にヤジを飛ばしています。精神衛生上、あまり近づかない方がよろしいかと』
(……あぁ、またか)
忠敬は聞こえないフリをしながら、店の中央席へ視線を向けた。
すると、通路脇のテーブルから、やけに甲高い声が聞こえてくる。
『うわ出た!! また始まったぞ!!』
『今日も嘘800連発だーーー!!』
香水瓶の小人たちだった。
きらびやかなガラス瓶の上で、ラメ入りスーツを着た小人たちが大袈裟に騒いでいる。
『“君しか見えない”だってよ!!』
『昨日まったく同じ台詞を別の女の子に言ってたじゃねーか!!』
『聞いてるこっちが恥ずかしいわ!!』
(……あぁ)
忠敬は小さく視線を向けた。
店の中央席。そこではNo.1ホストのレンが、いつもの完璧な笑顔で接客していた。
「そんな顔すんなって。今日はちゃんとお前に会いたかったんだから」
甘い声。
自然な距離感。
優しい目。
まさしく“売れるホスト”そのものだった。客の女性は完全に頬を赤くしている。周囲のホストたちも感心したように見ていた。
「さすがレンさんだな……」
「距離の詰め方うますぎるだろ……」
だが、その一方で。
レンの卓に置かれた香水瓶の小人たちは、呆れ切った顔でヤジを飛ばしていた。
『はい出ました“特別だよ”!!』
『本日4回目ーーー!!』
『この主人、口から砂糖吐いてんのか!?』
一方、レンのスマホの小人は死んだ目をしている。
『営業LINE142件……』
『“おはよ♡”を11人に同時送信……』
『もう指が限界です……』
(……ホストって本当に大変だな)
忠敬は思った。自分には絶対無理だ。
忠敬が心の底から思っていると、レンがこちらに気づいて軽く手を振った。
「クロノー。ヘルプ入って」
「……はい」
忠敬は内心ため息をつきながら席へ向かう。
席につくと、女性客が興味深そうにこちらを見た。
「この子が新人のクロノくん?」
「そう。うちの癒し担当」
「勝手に変な肩書つけないでください」
忠敬が真顔で返すと、女性がクスッと笑う。
するとテーブル上のコースターの小人が騒ぎ始めた。
『出たーー!! この新人、“素で会話が漫才になるタイプ”!!』
『しかも本人に自覚ゼロ!!』
『怖い!!』
忠敬は聞こえないフリをした。
その間にも、レンは完璧に会話を回していく。
女性が少しグラスを置くタイミング。
話題に困る直前。
テンションが落ちる瞬間。
そのすべてを先回りしていた。その技術は、正直すごかった。
だが――。
忠敬はふと気づく。
レンの腕時計の小人が、どこか疲れた顔をしていた。
『……主人、今日ちょっと無理してるな』
(?)
さらに、レンのネクタイピンの小人も小声で呟く。
『昨日ほとんど寝てねぇんだよ。この人』
『閉店後もずっと売上のことで店長と話してたし……』
(……へぇ)
忠敬はさりげなくレンを見る。
完璧な笑顔。
完璧なテンション。
隙のない接客。
だが、小人たちの声がなければ分からない程度に、確かに疲労が滲んでいた。
その時だった。
女性客が、少し酔った様子でレンへ身を寄せる。
「ねぇレン。今日くらい、営業じゃないって思っていい?」
一瞬。
テーブルの空気が止まった。
香水瓶の小人たちが一斉に静かになる。
『……来た』
『これ、地味に難しい質問なんだよな……』
『答えミスると空気死ぬぞ……』
忠敬も視線を伏せた。
ホストにとって、“営業”という言葉は厄介だ。
夢を売る仕事。
でも、全部が嘘では回らない。
だからこそ難しい。
数秒後。
蓮はいつもの笑顔のまま、軽く肩をすくめた。
「そんなこと考えて飲む酒、楽しくなくない?」
完璧な返答だった。
女性は笑い、空気も崩れない。
周囲のホストたちも感心している。
『うおおお!! No.1の回避力!!』
『鮮やかーーー!!』
『プロだ!!』
だが、忠敬だけは気づいた。テーブルの下で、レンの手が少しだけ力んでいたことに。
その後、営業は何事もなく続いた。
閉店後のバックヤード。
スタッフたちが片付けを始める中、忠敬は一人でグラスを洗っていた。そこへ、ネクタイを緩めて”仮面”を外したレンが「クロノ、今日ありがとな」とやってくる。
ネクタイを緩め、営業中とは違う疲れた顔をしている。グラス洗浄機の小人が小声で囁いた。
『あー、この主人やっと仮面外した』
『営業中ずっとフル回転だったもんなぁ……』
忠敬はグラスを拭きながら聞いた。
「……疲れてるなら、少し休めばいいじゃないですか」
レンは少しだけ目を丸くしたあと、苦笑した。
「簡単に言うなぁ」
「簡単な話でしょう」
「No.1ってさ。“休んでも平気”って思われた瞬間に終わるんだよ」
バックヤードが少し静かになる。
遠くでは、まだ酔った客の笑い声が残っていた。
レンは壁にもたれ、小さく息を吐く。
「女の子が店に来る理由って色々あるけどさ。結局、“この人なら大丈夫”って安心しに来る部分もあるんだよ」
「……」
「だから俺が疲れてる顔見せたらダメなんだ」
その言葉に、忠敬は少しだけ黙った。
すると、レンの香水瓶の小人がぽつりと呟く。
『この主人、本当はめちゃくちゃ不器用なんだよな』
『誰かを安心させるために、自分の方を削っちゃうから』
忠敬はグラスを棚へ戻した。
「……大変ですね、No.1」
「他人事みたいに言うじゃん」
「他人事なんで」
レンは吹き出した。
「ははっ。お前ほんとブレないな」
バックヤードの空気が少しだけ緩む。
その時。レンのスマホが震えた。
営業LINE。
レンは画面を見て、一瞬だけ疲れた目をしたあと、また自然な笑顔に戻る。その変化を見て、スマホの小人がげんなりしていた。
『出たーー!! 秒速営業モード切り替え!!』
『この主人、ON/OFFの切り替えバグってんだよ!!』
『休め!!』
忠敬はそんな小さな悲鳴を聞きながら、小さく息を吐いた。
通話で離れてゆくレンを見送り、バックヤードに再び静けさが戻った。
人目がなくなったのを見計らい、スマートウォッチのスピーカーから、少し得意げな合成音声が流れる。
「本日指金をいただいたお客様方の、お見送り用タクシー導線の確保がすべて完了しました。配車の手配も完璧です」
「……お前、そんなことまでやってるのか」
すると画面から小人の『クロノ』が這い出てきて、忠敬の手に飛び移りながらニヤリと悪い顔をする。
『主、本日の売上は店内四位ですが、レン様を精神的にサポートしたことによる”店舗貢献度”は隠れ一位です』
『……それにしても、レン様は“自分を追い詰めてボロボロになるまで貢がせる”という、一番深い沼の作り方を無意識にやっていますね。無意識なだけに罪深い。あれは80%の確率でいつか夜道で刺されますね。じっくり観察してデータを集める価値がありますよ』
「刺されんの確実じゃねぇか」
『今の時間帯は”夜職仕様”にしていますからね。いつでもあなたの相棒です。計測と管理、および主のサポートは仕様です』
涼しい顔でウォッチの画面に戻っていく相棒に、忠敬は小さく息を吐いた。
歌舞伎町の夜は、騒がしい。
嘘も、本音も、欲望も、孤独も。
全部がネオンの下でごちゃ混ぜになっている。
だがその中で。
“No.1ホスト・レン”という完璧な仮面の裏側を、ほんの少しだけ見てしまった気がして――。
忠敬は、いつもより少しだけ静かな気持ちで、閉店後の店内を見渡していた。




