第4話:『酔えない新人と、氷だらけのアイスペール』
「レンさーん! 八番卓、マキシム入りましたー!!」
フロアに響き渡るボーイの声に、店内が一気に沸き立った。
週末の金曜日、高級ホストクラブ『LUXE』のボルテージは最高潮に達している。
鳴り響くシャンパンコール。
光るLEDボトル。
飛び交う笑い声。
床を揺らし続ける重低音。
フロア全体が熱を持ったみたいに騒がしい。
そんな中でも、忠敬――源氏名【クロノ】はいつものように静かだった。
「クロノー! 12卓ヘルプ!」
「はい」
「あとこっち灰皿交換!」
「今行きます」
ホストというより完全に有能なフロアスタッフである。
実際、店内の小物たちからの評価もそんな感じだった。
そんな彼の左手首で、スマートウォッチの『クロノ』が、淡々とした電子音声で告げた。
「12卓の滞在時間は現在45分。次のセット料金発生まで残り15分です。また、灰皿の交換タイミングを算出しました。吸い殻が限界値を迎える3秒前――今です」
「了解」
忠敬が完璧なタイミングで動くと、灰皿の小人が涙を流しながら熱弁を振るう。
『うおおお!! この兄ちゃん交換タイミング完璧!!』
『吸い殻限界値の3秒前で来る!!』
『気配りスキルがホストじゃなくて高級旅館なんだよなぁ!!』
一方、テーブルの氷入りアイスペールの小人たちは、ひんやりした顔で雑談していた。
『でもこの主人、全然酒飲まねぇよな』
『あー確かに。“乾杯だけ口つけて残り水で流す技術”が異常に上手い』
『ホストとしてどうなんだそれ』
(仕事だからな……)
忠敬は内心で呟く。
そもそも彼は酒に強くない。飲めなくはないが、酔うと小人たちの声が何倍もうるさくなるのだ。
以前、レンに付き合わされてテキーラを数杯飲まされた時などは最悪だった。店中のグラスと酒瓶が一斉に大合唱を始め、頭痛で死にかけた。
以来、彼は全力で“酔わない技術”を磨いていた。
表面上は有能な仕事用アプリとして会話を終える。
だが次の瞬間、ウォッチの上に座った小人の『クロノ』が、スッと表情を引き締めて忠敬を見上げた。
『……それと主、また新規のBluetooth端末が二件、不審な挙動を検知。こちらのネットワークに対して不自然なパケットを送信しています。おそらく他店の偵察、または客を装った同業者の情報収集の可能性があります。ご注意を』
(相変わらず夜職仕様の機能がガチすぎるな……)
声には出さず、忠敬は心の中でツッコんだ。
以前も警戒していたが、どうやらこの週末の混雑に乗じて、本格的に仕掛けてきている奴がいるらしい。
忠敬が身構えるより早く、近くの酒瓶の小人たちが一斉にざわつき始めた。
『うわ、来たぞ“飲ませたがり集団”!!』
『新人見つけるとすぐコール始めるタイプだ!!』
『逃げろクロノ!! 捕まるぞ!!』
嫌な予感は的中し、案の定、背後から先輩ホストがガシッと肩を組んできた。
「クロノ〜! 今日お前も一気いけるっしょ!」
「嫌です」
「即答!?」
「明日の業務効率が落ちます」
「お前ほんとホスト向いてねぇな!?」
そこへ、店のNo.1であるレンまでがひょっこり現れる。
「まぁまぁ。今日くらい付き合えって」
「レンさんまで何言ってるんですか」
レンは楽しそうに笑った。
「客が盛り上がるんだよ。“新人が頑張って飲む”の」
『あー……これは歌舞伎町あるあるだな』
『新人の無茶飲み大会始まる流れだ』
『クロノ、絶対こういうの向いてねぇのに』
周囲のシャンパングラスの小人たちがヤレヤレと首を振る中、団体客の女性たちも最高潮にノリノリで高級ボトルを何本も空け、完全に出来上がっている。
「レンくぉーん! もっと飲んでぇー!」と叫ぶ女性の横で、彼女の手元にあるブランドバッグの小人がキャンキャンと吠えていた。
『おい主人! もうカードの限度額超えてるって! 明日の朝の引き落としどうすんだよ!』
さらに、テーブルの上に置かれたスマホの小人も、画面を明滅させながら悲鳴を上げていた。
『あーー! 鍵垢で「今日もLUXEなう。マジでレンしか勝たん」って自慢ツイート連投してるー! 承認欲求のバケモノになってるよー!』
(……聞いているだけで耳が痛い)
相変わらず個人の持ち物の小人たちの話は、自分の主人のプライバシーを投げ捨てた暴露話だ。
忠敬が内心で遠い目をしていると、女性客がクロノの腕をガシッと掴んできた。
「クロノくん飲んでー!」もう片方の腕で酒を振りまわし飲ませようと必死だ。
(なんでそんなに飲ませたがる……)
忠敬は露骨に嫌そうな顔をした。だが女性たちはメゲない。
「えー! クロノくん飲まないのー?」
「見たい見たい!」
「絶対酔ったら可愛いじゃん!」
忠敬が本気でバックヤードへ逃げ帰りたくなっていると、手首のクロノが肌を刺すように強く、小さく振動した。
「警告。現在のアルコール摂取許容量を超過した場合、聴覚ストレス増加率が230%に急上昇します。推奨:即時回避」
「わかってる」
機械的だったクロノの音声が、どこか楽しげなトーンに切り替わる。
『……それから主。あちらの客、現在の売掛リスクはイエローゾーンです。“今、主人が無理して飲んで付き合うより、適度にいなして早くタクシー導線へ誘導した方が、後々ディープに沼るタイプ”だと分析するよ』
クロノはニヤリとウォッチの上で悪い顔をして忠敬を見上げた。
(妙にホスト脳なアドバイスすんな……!)
忠敬がどう切り抜けるべきか思考を巡らせた、その時――。
スッと、レンが横から忠敬のグラスを取り上げた。
「はい、クロノはここまで」
周囲が「えー!?」とブーイングする。レンは笑ったまま続けた。
「こいつ、酒弱いんだよ。潰したら逆に接客不能になる」
「でもホストなんだから飲ませなよー!」
「いやいや。“飲めるホスト”より“ちゃんと隣にいるホスト”の方が大事だから」
さらりと甘く囁き、レンは自然に話題を別の方向へと誘導していく。
空気のコントロールが、実に鮮やかでプロフェッショナルだった。
だが、その瞬間。レンの名刺ケースの小人が小声で呟いた。
『……ほんとは、この主人も昔めちゃくちゃ飲まされてたんだよな』
『新人時代は、裏で吐くまで飲んで、それでもフロアでは笑ってたんだぜ』
忠敬は、少しだけ言葉を失った。
さらに、レンのウイスキーボトルの小人も続ける。
『“No.1になるなら我慢しろ”ってずっと言われてたから』
レンは今も笑顔のまま、客の空気を壊さず自然に話題を逸らして、いつもの完璧な“No.1の仮面”を張り付けたまま、姫のグラスにお酒を注ぐ。
「ありがとな。でも、あんまり無理すんなよ? お前が元気で店に来てくれるのが、俺は一番嬉しいんだから」
その甘いセリフに、客の女性は「もう, レンってば本当に優しいんだからぁ!」とメロメロになっている。だが、レンのネクタイピンの小人は、呆れたようにヤジを飛ばしていた。
『はいはい、本日5回目の「無理すんなよ」入りましたー!』
『口では心配しつつ、手元ではしっかり高いボトル勧めてるのホント草。さすがプロの悪魔だわー!』
すると、その言葉に反応したのか、レンのポケットに入っている名刺入れの小人が、少し真面目なトーンで反論した。
『違うよ! 主人は本当に心配してるんだ! このお客様、さっきからちょっと飲み方が荒いから、これ以上お酒が進まないようにあえて会話のテンポを遅らせてコントロールしてるんだよ!』
(……ほう?)
忠敬は、さりげなくレンの手元を見た。
確かに、グラスを勧めるフリをしながらも、レンは姫が飲むペースを巧みにスピードダウンさせていた。
ただの売上至上主義ではない。姫を潰さないための、そして店を守るための、No.1としての男気とプライドがそこにはあった。
団体客たちも、いつの間にか別の話題で盛り上がっていた。
やがて激しいコールも落ち着き、その卓が解散しようとした、その時だった。
手首のウォッチの上で、小人の『クロノ』が今までになく険しい表情で立ち上がった。
『主! 不審なBluetooth端末が、現在レン様のメイン卓の斜め後ろ、五番卓付近に移動しました。端末のカメラ機能がバックグラウンドで起動している形跡があります。……無断撮影、または盗撮の確率、九十五%です!』
(あいつか……!)
忠敬は視線だけで、五番卓の隅に座る男を捉えた。
男は客のフリをしながら、スマホのレンズをさりげなくレンの卓へと向けている。他店のスパイによる、引き抜きやスキャンダル狙いの隠し撮りだ。
(クロノ、あのスマホの撮影データを潰せるか?)
心の中で問いかける。手首の相棒は、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
『夜職仕様、フルドライブ。……私の電波ジャミング(妨害機能)を舐めないでください、主!』
スマートウォッチが、かつてないほど熱くなる。
それは、クロノが自らの全マシンパワーを限界まで逆噴射させている証拠だった。
「な、なんだこれ!? スマホが急に……!」
五番卓の男が慌てたように声を上げた。男のスマホの画面が完全にフリーズし、警告の砂嵐を吐き出している。データを盗まれる危機は去った。だが、男は証拠を隠滅しようと慌てて立ち上がり、その拍子にテーブルの酒瓶を派手に引っ掛けた。
ガシャーン!!
一瞬で店内がざわつきに包まれる。
床は一瞬で水浸しになり、ガラスの破片が四散する。すぐ近くにはピンヒールを履いた女性客。
危ない。
床に散らばったグラス片の小人たちが悲鳴を上げていた。
『踏まれる踏まれる踏まれるーーー!!』
『誰か止めろーー!!』
だが、忠敬はすでに動いていた。クロノが弾き出した”男の逃走ルート”と”安全な導線”を完璧に脳内でトレースしていた。
「下がってください」
女性客を自然に後ろへ誘導。同時に、逃げようとしたスパイの男の肩をガシッと掴み、その場に強く固定する。さらに割れたグラス位置を即座に確認し、他のお客様を安全な導線へ避難させた。
一連の動きが、異常なまでに滑らかだった。
周囲の小物たちが騒然となる。
『速っっっ!!』
『判断が完全に事故処理班!!』
『新人ホストの動きじゃねぇ!!』
小物たちが騒然とする中、最短ルートでレンも駆けつけてきた。
「クロノ、怪我人は?」
「なしです。ガラスの破片はこちら側に集中しています。……それとレンさん、この男、不審な端末で店内の無断撮影を行っていました」
忠敬が男を抑えたまま冷ややかに告げると、レンは一瞬だけ目を鋭く光らせた。
すぐにいつもの極上の笑顔に戻り、客たちへ声をかける。
「お怪我がないようで良かったです! 黒服さん、お連れ様が少し酔いすぎちゃったみたいだから、バックヤードで冷たいお水でも用意してあげて」
「は、はい!」
乱れた店の空気を流れるように立て直していく。それこそが、No.1ホストの矜持だった。
騒ぎが完全に収まり、スパイの男が黒服たちに連行されていくのを見届け、再びバックヤードへ戻った頃には、時計の針は深夜三時を回っていた。
疲れたように壁へ寄りかかる忠敬へ、レンが缶コーヒーを投げる。
「ほら、お疲れ」
「……どうも」
プルタブの小人が元気よく飛び出した。
『解放ーーー!!』
缶コーヒーの小人は眠そうな顔で呟く。
『今日もお疲れさんだなぁ』
バックヤードには、営業後特有の心地よい静けさが流れていた。
「クロノ、お前さ」
「なんですか」
レンが、ふと何かを思い出したように笑う。
「ホストっぽくないくせに、“人守る動き”だけ異常に上手いよな」
忠敬は少し黙る。
小さな振動に、手首のスマートウォッチに目を落とした。その画面は、先ほどのフルドライブによる負荷のせいで、どこか弱々しく、頼りなくチカチカと明滅していた。それでも『クロノ』は、誇らしげに胸を張ってテキストを表示する。
【分析:主人の「物が壊れるとうるさい」という性質が、結果的に最高レベルの危機管理能力として機能しました。ナイス連携です、主】
それを見て、忠敬は冷えた缶コーヒーを一口含み、静かに答えた。
「……物壊れると、うるさいんで」
「ははっ、何それ。意味わかんねぇ」
レンは楽しそうに声を上げて笑った。
その朗らかな笑い声を聞きながら。
忠敬はほんのりと温かく、どこか名残惜しそうに明滅を繰り返す『クロノ』を撫でた。
「今日は大変だったな。お疲れ様」
小さな声は『クロノ』にしか届かない。
『クロノ』は嬉しそうに腕時計の上で忠敬を見上げた。
忠敬は、この騒がしすぎる歌舞伎町の夜に、自分と、そこでこの有能すぎる相棒が、少しずつ馴染み始めていることに、ほんのほんの少しだけ気づき始めていた。




