第5話:『うるさい灰皿と、新人歓迎会の洗礼』
金曜の営業終了後。 深夜二時を回った歌舞伎町は、ようやく少しだけ騒音が落ち着き始めていた。
……とはいえ。
「よーし新人! 飲むぞォ!!」
『LUXE』のバックヤードでは、全然落ち着いていなかった。
「最悪だ……」
忠敬――源氏名・クロノは、ソファ席の隅で、いつも以上に心底嫌そうに呟いた。
今日は月末の売上締め日。 しかも店の目標達成記念。 ついでに“新人クロノ歓迎会”も兼ねるらしい。結果、営業終わりのホストたちがそのまま店内で狂乱の飲み会を始めていた。
「クロノくん! シャンパン開けていい!?」
「自腹じゃないなら好きにしてください」
「テンション低っ!」
ケラケラ笑う先輩ホストたち。
いつもなら、このタイミングで左手首がブブッと震え、『主、この後はウーロン茶にすり替えるルートを確保しましたよ』と、生意気で有能な相棒が画面の奥からナビゲートしてくる。
忠敬は無意識に、左手首のスマートウォッチの画面を、右手でトントンと軽く叩いた。
――画面が明るくなり、現在時刻の『午前二時四十五分』という文字が、無機質に浮かび上がる。
(……いや、やめとこう)
この騒がしさだ。画面の奥の相棒を呼び出したところで、どうせスピーカーから「音声入力のノイズが多すぎます。主、早急な退散を推奨します」と、耳の痛い正論でまくし立てられるのがオチだろう。
忠敬は画面の長押しを止めて、冷たい水を喉に流し込んだ。
手首の時計は大人しいものだったが、周囲の“うるさい小人たち”は相変わらず元気だった。
むしろ、ホストたちが声を張り上げて騒げば騒ぐほど、それに乗っかるように身の回りの物たちまでテンションを上げてお喋りを始めるため、忠敬にとってはシンプルに情報過多で頭が痛い。
『わーっ! また酔っぱらい会だー!』
『今日は絶対誰かこぼすぞ!』
テーブル上の灰皿の小人たちが、すでに避難訓練を始めていた。
『兄ちゃん! そこの金髪ホスト危険!』
『酒癖悪い!』
『前回も俺らの上で吐いた!!』
(知りたくねぇ情報ばっか寄越すな……)
忠敬はげんなりしながら水を飲む。すると隣へ、No.1ホスト・レンがどさっと座った。
「おつかれ、クロノ」
「……おつかれっす」
「なんか疲れてる?」
「うるさいんで」
「はは」
レンは笑いながらネクタイを緩めた。営業中とは違う。 今のレンはかなりラフだ。だが忠敬はまだ、この男との距離感を測りかねていた。胡散臭い。 軽い。 掴みどころがない。
ただ――客やスタッフへの気配りだけは異様に細かい。
それだけは、この二ヶ月で分かってきていた。
「クロノってさ」
「なんですか」
「ホスト嫌いでしょ」
「大嫌いですね」
即答だった。周囲のホストが吹き出す。
「言うねぇ!?」
「レンさんの前でそれ言う新人初めて見た!」
レンも笑っていた。
「なんで辞めないの?」
「世話になった先輩に土下座されたんで。一ヶ月の約束です」
「あー……断れないタイプか」
「別に優しくないです。義理を返したらさっさと辞めます」
その瞬間。
テーブルの端に置かれた紙コースターの小人が、レンの方を見ながらコソコソ話し始めた。
『レン様、クロノのこと結構気に入ってるよな』
『珍しく自分から隣座ってるし』
(……マジかよ)
忠敬は内心で引いた。
すると今度は、レンの使っている細長い電子タバコの小人が、呆れた顔で肩をすくめる。
『そりゃ気に入るだろ』
『この店、女に媚びる奴はいくらでもいるけど、“客を冷静に見れる奴”ほぼいねぇもん』
『昨日のトラブルの時もさ、クロノが一番に動いたろ? レン様、あれ相当感謝してるぜ』
(お前ら、勝手に人の評価を分析するな)
その時だった。
「っしゃあ!! コールいくぞー!!」
酔ったホストの一人が立ち上がる。同時に、テーブル上のシャンパンタワー用グラスの小人たちが絶叫した。
『危なーーーい!!』
『そいつ酔ってる!!』
『バランス崩れてるぞ!!』
次の瞬間、グラッ――とシャンパンボトルが傾いた。
「うおっ」
周囲がざわつく。
倒れれば、高級グラスがまとめて吹き飛ぶ。その一心で、忠敬は反射的に立ち上がっていた。
「危ない!」
ガシッ。
ボトルの首を掴む。さらに崩れかけたグラス台を片手で支えた。
『た、助かったぁぁ!!』
グラスの小人たちが泣き崩れる。
「うわっ、クロノすげぇ!」
「反応早っ!」
ホストたちがどよめく中。忠敬だけが、ドクドクと早く打つ自分の心臓を冷ますように、真顔のまま言い放った。
「酔ってるなら暴れるな」
「ご、ごめん……」
空気が一瞬静まる。
……やばい。余裕なくてちょっと言い方キツかったか。そう思った時、レンが吹き出した。
「ははっ」
「?」
「いや、ごめん。今の店長みたいだった」
周囲もドッと笑う。
「分かる!」
「クロノ説教だけ妙に迫力あるんだよな!」
「嬉しくないんですけど」
忠敬が眉を寄せると、また笑いが起きた。
気づけば、さっきまで“新人いじり”だった空気が、少し変わっていた。腫れ物扱いでもない。 ただの色物でもない。ちゃんと“同じ店の人間”として扱われ始めている。
その時、バックヤード入口の自動ドアの小人が、ひょこっと顔を出した。
『おっ、クロノの兄ちゃん馴染んできたな!』
『最初めちゃくちゃ警戒してたのに!』
(……別に馴染みたくて馴染んでるわけじゃねぇ)
忠敬は心の中で反論する。
だが。
「クロノ、水飲む?」
「あ、どうも」
気づけば自然に差し出されたペットボトルを受け取っていた。レンはそんな様子を横目で見ながら、ふっと笑う。
「まあ、無理してホストになる必要ないよ」
「……は?」
「クロノ、多分そのままの方がウケる」
意味が分からない。しかし周囲のホストたちも妙に頷いていた。
「それは分かる」
「逆に変に営業されたら怖い」
「クロノって“変な安心感”あるんだよな。嘘つかなそうっていうか」
褒められているのか分からない。ただ、テーブルの灰皿の小人たちだけはなぜか感動したように泣いていた。
『よかったな兄ちゃん……!』
『やっと孤立しなくなってきたぞ……!』
(だから保護者面するな)
忠敬は小さくため息を吐き、水を一口飲む。
騒がしい。 面倒くさい。 うるさい。
手首の相棒は未だに大人しいままだ。あいつのアシストをあてにせず、自分の力だけでこの騒がしい夜を切り抜けるのは、思った以上に骨が折れる。
――だけど。
営業中とは違う、少しだけ気の抜けたこの空気は。
差し出された水の温かさは。
「クロノ、次これ食っていいぞ!」
「いらないです」
「遠慮すんなって!」
(……本当に、うるさい場所だな)
だけど、一人ぼっちの静寂に突き落とされるはずだった忠敬の周りには、いつの間にか、泥酔した不器用な人間たちの、温かくて騒がしいノイズが満ち満ちていた。




