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第27話:『交番の忘れ物と、容疑者』後編


夕方。

大学帰りの潜木忠敬は、歌舞伎町の裏通りを歩いていた。


講義は終わった。

この後は店だ。


呼び込みの声が増え始め、街は少しずつ夜の顔へ変わろうとしている。


忠敬はスマホで時間を確認した。

まだ少し余裕がある。


その時だった。


「Excuse me!」

不意に声を掛けられ、忠敬は振り返る。


大きなバックパックを背負った外国人観光客だった。

かなり困った顔をしている。


「Police?」

「交番ですか」

「Yes!」

「……ああ」

忠敬は周囲を見回した。


交番は二百メートルほど先にある。

指を差そうとして、ふと観光客の表情を見た。


ただ道を聞きたい顔ではない。

何かを失くした人間の顔だった。


忠敬は小さくため息を吐く。

「案内します」


当然通じない。

観光客はきょとんとした。


忠敬は少し考える。

「あー……ガイド?」


観光客の顔がぱっと明るくなった。

「Oh! Thank you!」

「No problem」


英語は得意ではない。

だが困っていることくらいは分かる。



結局そういう人間だった。










歌舞伎町交番の夕方は比較的落ち着いていた。

相沢は拾得物台帳を整理し、警部補は奥の机で報告書を書いている。


巡回から戻った警察官が書類を提出し、別の警察官が電話対応をしていた。




そして忘れ物棚では、相変わらず小人たちが騒いでいる。


翻訳アプリ小人は完全に燃え尽きていた。



『今日何カ国目だ』

『十』

『増えてる』

『帰りたい』

『お前もか』

『それはそう』


『『『それはそう』』』


そんな会話が交わされていた時だった。






ガラリ、と引き戸が開く。

忘れ物棚の小人たちが何気なく入口を振り返る。


そして。


全員が固まった。


財布小人が二度見した。

鍵小人が立ち上がる。

翻訳アプリ小人は目を擦る。


忘れ物棚小人が呆然と呟いた。

『……本物だ』


静寂は一秒だった。


次の瞬間。


『きたーーーーーー!!!!』

『本人!!!!』

『見える兄ちゃん!!!!』

『実在した!!!!』

『してるわ!!!!』

『本人来た!!!!』

『見てる!!!!』

『聞こえてる!!!!』


忘れ物棚は一瞬で大騒ぎになった。

もちろん人間には聞こえない。


忠敬だけが顔をしかめる。

(うるせぇ)


その反応に歓声はさらに大きくなった。


『顔しかめた!!!!』

『聞こえてる!!!!』

『本当に聞こえてる!!!!』


パスポートケース小人が目を丸くする。

[Who!?]


『本人』

『有名人』

『見える兄ちゃん』

[The famous guy!?]

『そう』

『本人』

[Why famous!?]

『なんて?』

『知らん』

『知らん』

『知らん』

[Nobody knows!?]

『だからなんて?』

『知らん』

『翻訳はよ』

[That makes no sense!!]

『意味分からん』

『それはそう』


『『『それはそう』』』


忠敬は聞こえないふりをしながら窓口へ向かった。


相沢が顔を上げる。

「あ、どうも」

「どうも」


その横から外国人観光客が身を乗り出した。

「Passport!」


相沢はすぐに察する。


「ああ、パスポートですか」

「Lost!」

「少々お待ちください」

相沢は台帳を確認し、忘れ物棚へ向かった。


その瞬間だった。


パスポートケース小人が飛び上がる。

[MY OWNER!!!!]

[MY OWNER!!!!]

[HE CAME!!!!]

『なんて?』


翻訳アプリ小人が面倒臭そうに答えた。

『ご主人来たって』


『おおーーー!!』

『よかったな!!』

『生還!!』

『めでたい!!』


パスポートケース小人は棚の中を走り回っている。

[MY OWNER!!!!]

[I'M HERE!!!!]

[OVER HERE!!!!]

[LOOK AT ME!!!!]

『なんて?』


翻訳アプリ小人は即答した。

『ここだって』


『雑だな』

『要約』

『長いんだよ』

『必死だな』

『気持ちは分かる』

『それはそう』


『『『それはそう』』』


忠敬が思わずそちらを見る。

本当に無意識だった。


『見た!!!!』

『見た!!!!!』

『聞こえてる!!!』

『今見た!!!!!』

『やっぱり見えてる!!!!』

『本人だ!!!!』

忘れ物棚が再び騒ぎ始める。


相沢の視線が一瞬だけ忠敬へ向いた。

だが何も言わない。


やがて保管袋が取り出された。


外国人観光客の顔が一気に明るくなる。

「Oh!! Thank you!!」


パスポートケース小人は飛び上がった。

[THANK YOU!!!!]

[WE CAN GO HOME!!!!]

[MY OWNER!!!!]

『なんて?』


『帰れるって』


『よかったな』

『生還』

『めでたい』


観光客は興奮した様子で何かをまくしたてている。

[Thank you so much. I thought I lost it forever.]


『なんて?』


翻訳アプリ小人が頭を押さえた。

『速い』


『頑張れ』

『働け』

『労基』

『うるさい』


数秒後。


『めちゃくちゃ感謝してる』


『おおー』

『よかったな』

『泣ける』


パスポートケース小人は半泣きだった。

[MY OWNER!!!!]

『通訳して』


翻訳アプリ小人が、非常に迷惑そうにしながら口を開いた。同時通訳だった。


『[言葉通じないし!!!!]』

『[周り何言ってるか分からないし!!!!]』

『[寂しかったし!!!!]』

『[会いたかったよぅ!!!!]』

『だって。疲れた、もうしない』


『大変だったな』

『それは大変』

『異国だしな』

『それはそう』


『『『それはそう』』』


手続きはすぐに終わった。


外国人観光客は何度も頭を下げながら交番を後にする。忠敬も続こうとした。


すると忘れ物棚から歓声が飛んだ。


『またなーーーー!!!!』

『本人ーーーー!!!!』

『レンに迎えに来てって言ってーーー!』

『元気でなーーーー!!!!』

『見える兄ちゃんーーーー!!!!』


忠敬は眉間を押さえた。

「レンのかよ」


「え?」

相沢が顔を上げる。


しまった。


忠敬は一瞬だけ固まる。


「……独り言です」

「そうですか」

「そうです」


忘れ物棚は爆笑だった。


『反応した』

『聞こえてる』

『やっぱり聞こえてる』

『本人だ』


忠敬は深いため息を吐き、逃げるように交番を後にした。


ガラリ、と引き戸が閉まる。


しばらく静寂が続く。





やがて、相沢がぽつりと呟いた。



「やっぱり、なんかある」

相沢は忘れ物棚を見る。


もちろんそこには財布や鍵やスマホが並んでいるだけだ。


それから警部補を見た。


他の同僚たちはそれぞれの仕事をしている。

こちらの会話に注意を向けている者はいない。


相沢は少し声を落とした。


「まだパスポート見つかってないのに、先にあっち見たんです」


警部補は缶コーヒーを開けた。

プシュッ、と小さな音が鳴る。


「ひったくりの時もか」

「はい」


警部補は少し考えた。

「……他には」


相沢も考え込む。


「細かいのは何度か」

「そうか」


しばらく沈黙が続いた。


やがて警部補は缶コーヒーを一口飲む。

「まあ」


肩をすくめる。

「しばらく注意して見てみるか」


相沢は小さく頷いた。

「そうですね」


忘れ物棚では別の意味でざわついていた。


『見える兄ちゃん観察対象になった』

『なったな』

『警察だぞ』

『まずい?』

『別に犯罪してない』

『それはそう』


『『『それはそう』』』



翻訳アプリ小人が欠伸をする。

『でも結構近い』


『近いな』

『だいぶ近い』

『正解わかるか?』


忘れ物棚小人が腕を組んだ。

『無理だろ』


『無理だな』

『まさかの正解は出ない』

『出ないな』


しばらく沈黙が流れる。


やがて誰かが言った。

『これ共有する?』


空気が変わる。


『あー』

『共有か』

『口コミか』

『歌舞伎町ネットワーク』

『拡散』

『拡散』

『本人嫌がるぞ』

『知ってる』

『でも面白い』

『それはそう』


『『『それはそう』』』


その夜。

歌舞伎町の小人社会に、新しい噂が一つ広まった。



――見える兄ちゃん、警察に目を付けられる。


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