第27話:『交番の忘れ物と、容疑者』前編
歌舞伎町交番の忘れ物棚は、もはや小さな収容所だった。入口近くの壁際、金属製の棚には透明な保管袋がずらりと並んでいる。
財布。
鍵。
折り畳み傘。
スマートフォン。
定期券。
酔っ払いが落としたもの。
観光客が置き忘れたもの。
持ち主は様々だ。
だが中にいる小人たちの願いは、だいたい同じだった。
『帰りたい』
財布小人が外を見ながら力なく呟く。
『帰りたいな』
隣の定期券小人も頷いた。
『もう四日目だぞ』
『俺は六日目』
『終わった』
鍵小人が膝を抱えてうずくまる。
すると忘れ物棚小人が即座に突っ込んだ。
『だから終わってない』
『気分の問題だ』
『気分で終わるな』
『でも帰りたい』
『それはそう』
『『『それはそう』』』
今日も平和だった。
少なくとも小人たちの基準では。
昼下がりの交番では、相沢が落とし物台帳を確認している。窓口には道を尋ねる観光客。奥では警部補が書類をまとめていた。
交番独特の、どこか穏やかな空気が流れている。
その時だった。
ガラリ、と入口の引き戸が開く。
制服姿の警察官が保管袋を一つ持って入ってきた。
「拾得物追加です」
「またですか」
相沢が顔を上げる。
保管袋の中には黒いパスポートケースが入っていた。
どうやら外国人観光客の落とし物らしい。
忘れ物棚がざわつく。
『海外勢だ』
『新入り』
『国際化』
『歌舞伎町だな』
保管袋の中でパスポートケース小人が辺りを見回した。
見慣れない場所。
見慣れない顔。
そして。
[Excuse me!!]
忘れ物棚が静まり返る。
[Hello!?]
『……何て言った?』
『わからん』
『英語だ』
『英語だな』
『たぶん困ってる』
『それは分かる』
パスポートケース小人は半泣きだった。
[Where is my owner!?]
[Help!!]
[I miss my owner!!]
忘れ物棚小人が腕を組む。
しばらく考える。
そして真顔で言った。
『たぶん帰りたい』
『それはそう』
『『『それはそう』』』
すると今度は棚の別の場所から声が上がった。
[主人呢!?]
全員が振り返る。
スマホケース小人だった。
『増えた』
『増えたな』
『たぶん中国語だ』
『国際色豊か』
『歌舞伎町だな』
忘れ物棚小人が頭を抱える。
『誰か翻訳できるやついないのか』
『無理』
『無理』
『無理』
『日本語しか知らん』
完全に行き詰まった。
その時だった。
棚の下の方から気だるそうな声がした。
『……うるさい』
全員が振り返る。
スマートフォン小人だった。
正確には、その中に住んでいる翻訳アプリ小人。
『寝てたのに』
『いた!!』
『通訳!!』
『翻訳係!!』
『救世主!!』
翻訳アプリ小人は嫌そうな顔をした。
『便利屋じゃないぞ』
『でもできる』
『できる』
『できるよな』
『仕事だからな……』
深いため息。
翻訳アプリ小人はパスポートケース小人へ顔を向けた。
『まずお前からだ』
パスポートケース小人は不安そうに周囲を見回した。
[Where am I?]
『なんて?』
『どこだここって』
『なるほど』
『ここは交番だ』
[Police?]
『そう』
[Japan?]
『今さら!?』
『気付いてなかったのか』
『外国勢だし』
『それはそう』
『『『それはそう』』』
パスポートケース小人はしばらく黙り込んだ。
やがて小さく呟く。
[My owner...]
翻訳アプリ小人が訳す。
『ご主人はどこだって』
忘れ物棚小人が答えた。
『そのうち来る』
[Really?]
『たぶん』
[Why?]
『知らん』
[You don't know?]
『知らん』
『『『知らん』』』
[This is terrible.]
『何て?』
『ひどいって』
『それはそう』
『『『それはそう』』』
忘れ物棚が妙な一体感に包まれる。
翻訳アプリ小人は指を差した。
『次』
[主人呢!?]
『ご主人どこって言ってる』
『おおーーー!!』
『すげぇ!!』
『通じた!!』
『文明だ!!』
『現代社会だ!!』
翻訳アプリ小人は全く嬉しそうではない。
『神じゃないぞ』
『神』
『違う』
『アプリだ』
『それもそう』
『『『それもそう』』』
だが、一度通訳が始まると止まらなかった。
『俺も!!』
『こっちも!!』
『このフランス語なんて言ってる!?』
『スペイン語もいる!!』
『韓国語もいるぞ!!』
翻訳アプリ小人が絶望する。
『並べ』
『順番』
『整理券取れ』
『無い』
『作れ』
『無茶言うな』
一瞬で長蛇の列ができた。
『次』
『次』
『俺も』
『俺も』
翻訳アプリ小人の顔がどんどん死んでいく。
『今日何カ国目だ』
『八』
『帰りたい』
『お前もか』
『それはそう』
『『『それはそう』』』
忘れ物棚小人が感心したように言った。
『便利だな』
翻訳アプリ小人が即座に睨む。
『便利言うな』
『人使い荒いんだよ』
『人じゃない』
『アプリだ』
『うるさい』
忘れ物棚は大笑いだった。
そんな騒ぎの中。
鍵小人がぽつりと呟く。
『見える兄ちゃん呼べばいい』
一瞬で空気が変わる。
『それだ』
『見える』
『聞こえる』
『相談できる』
『有名人』
『歌舞伎町ランキング上位』
『何のランキングだ』
『知らない』
『『『知らない』』』
忘れ物棚小人がため息を吐く。
『また始まった』
だが誰も止まらない。
『見える兄ちゃんなら探し物全部見つけられる』
『財布探せる』
『鍵探せる』
『人も探せる』
『神様』
『違う』
『妖怪』
『違う』
『地を這う』
『なにそれ』
『空飛べる』
『飛べない』
『壁抜け』
『できない』
『ホスト』
『それはそう』
『『『それはそう』』』
パスポートケース小人が首を傾げた。
[Who?]
忘れ物棚が再び静まる。
『知らないのか』
『海外勢だからな』
『仕方ない』
『歌舞伎町の有名人だぞ』
『見える』
『聞こえる』
『相談乗る』
『飛べないけど』
『飛べない』
『『『飛べない』』』
パスポートケース小人はますます混乱した。
[What?]
『俺もそう思う』
『説明してる側もよく分かってない』
『それはそう』
『『『それはそう』』』
忘れ物棚小人がため息を吐いた。
『とりあえず静かにしろ』
『無理』
『無理』
『暇』
『無理』
忘れ物棚の喧騒とは裏腹に、今日も交番は平和だった。
少なくとも人間たちは。




