第26話:『口コミ最速』
財布小人が愚痴をこぼしたのは、ほんの出来心だった。
昨日、忠敬に置いていかれた。
主力なのに。
レギュラーなのに。
それはそれは腹が立った。
だから風に飛ばされてきたレシート小人に言った。
『置いていかれた』
レシート小人は驚いた。
『うわ』
『それはキレる』
財布小人は頷く。
『主力なのに』
レシート小人も続いた。
『レギュラーなのにな』
財布小人は腕を組む。
『そうだろ』
『そうだな』
『それは怒る』
『怒るな』
『それはそう』
やがて風が吹いた。
レシートが空へ舞い上がる。
それに合わせてレシート小人も手を振った。
『じゃあな』
『おう』
『災難だったな』
『本当にな』
レシートは道路の向こうへ飛んでいった。
そこで終わるはずだった。
財布小人もそう思っていた。
本当に。
*
翌朝、大学へ向かう途中。
駅前の自販機の横を通った時だった。
『あ』
釣銭返却口小人が声を上げる。
『本人だ』
『主力置いていった人だ』
『聞いた』
『聞いたな』
忠敬は足を止めない。
表情も変えない。
そのまま歩く。
だが内心では。
(なんで知ってる)
後ろではまだ続いていた。
『財布忘れたらしい』
『主力を』
『主力をな』
『それは怒られる』
『それはそう』
スマホ小人が小さく呟く。
『早いな』
鍵小人も頷いた。
『早い』
財布小人は少し嫌な予感がした。
*
大学、講義前。
自販機で缶コーヒーを買う。
すると近くのスマホ小人が言った。
『いた』
『本人』
『主力忘れた人』
その持ち主の財布小人も頷く。
『聞いた』
『歌舞伎町方面から来た』
『口コミだからな』
忠敬は無言だった。
(早すぎるだろ)
もちろん口には出さない。
出せるわけもない。
周囲から見れば、ただ缶コーヒーを買っている学生だ。
『一回らしい』
『三回じゃなかったか』
『二回だろ』
『一回だ』
『そうだった』
(増えてるな)
忠敬は静かに缶コーヒーを持ち上げた。
その横で、財布小人は少しずつ気まずくなり始めていた。
*
昼休みの学食。
忠敬は定食を受け取った。
するとトレー小人が声を上げた。
『あっ。本人だ』
『聞いた』
『主力置いてった』
『三回』
『一回だ』
『一回か』
『でも怒られる』
『それはそう』
忠敬は無言で箸を取った。
忠敬のスマホ小人も無言でただ座っていた。
鍵小人も、イヤホン小人も。
財布小人も何も言わず、
いや。
言えなかった。
皆から少し離れた場所で、小さく座り込んだ。
どうやら思った以上に広まっている。
そしてたぶん。
原因は自分だ。
*
帰り道のコンビニ。
レジ待ち。
前に並ぶ会社員の定期券小人がこちらを見た。
『本人だ』
『聞いた』
『主力軽視』
『反省してるか』
『してそう』
『顔が』
『顔がな』
忠敬は無表情だった。
だが
スマホ小人も。
鍵小人も。
イヤホン小人も。
財布小人も。
もう誰もお通夜状態だった。
むしろ皆、財布小人の方を見れなかった。
ポイントカード小人なんてもう涙が決壊しそうになっている。
家に置いていかれることくらい、軽いものに思えた。
周囲に誰も居なくなっても、忠敬は喋らなかった。
いつもなら。
賑やかなのに。
優しく返事を返してくれるのに。
帰り道は静かだった。
他所の小人たちだけが楽しそうに噂を続けていた。
*
夜。
帰宅。
玄関のドアが閉まる。
忠敬は無言だった。
外から帰ってきた小人たちも静かだった。
玄関を上がる。
部屋へ入る。
すると留守番組が顔を上げる。
『おかえり』
『おかえり』
『おかえり』
『今日は遅かったな』
コップ小人が言った。
充電器小人も続く。
『何かあったのか?』
だが。
誰も返事をしない。
異様な空気だった。
目覚まし時計小人が首を傾げる。
『どうした?』
鍵小人が小さく答えた。
『後で話す』
『重いな』
『重い』
『結構重い』
留守番組は顔を見合わせた。
何かあったらしい。
それだけは分かる。
忠敬は鞄を机へ置く。
財布を取り出す。
机の上へ置く。
財布小人は覚悟を決めたように顔を上げた。
『……おかえり』
忠敬はしばらく財布小人を見つめる。
部屋中の小人たちが固唾を飲んだ。
そして。
「お前」
財布小人が背筋を伸ばした。
『……はい』
「おしゃべりだな」
財布小人は目を閉じた。
『(やっぱりそこか)』
その瞬間。
留守番組は全員、(財布か)と思った。
*
事情説明はすぐ終わった。
『そんなに広まったのか』
コップ小人が驚く。
『学食まで?』
充電器小人も目を丸くした。
『早くないか』
『早いな』
『小人持ち物ネットワーク』
『エグいはやさ』
『口コミ怖い』
財布小人は机を見つめたままだった。
やがて、小さく呟く。
『……でも』
忠敬が見る。
『心配だったんだ』
財布小人は視線を逸らした。
『昼飯どうするかと思ったし』
『困ると思ったし』
『だからちょっと愚痴った』
少し間が空く。
そして。
『ごめんな』
部屋が静かになった。
忠敬は少し困ったように笑う。
「……いいよ」
財布小人が顔を上げた。
「心配してたのは知ってる」
『そうか』
空気が少し柔らかくなる。
そして忠敬は財布を持ち上げた。
「もう忘れないからな」
沈黙。
数秒後。
スマホ小人が吹き出した。
『ぷっ』
鍵小人。
『言った』
イヤホン小人。
『言ったな』
財布小人。
『昨日も聞いた』
『聞いた』
『確かに聞いた』
『そうそう』
忠敬は顔をしかめた。
「おい」
笑いが広がる。
するとコップ小人がぽつりと呟いた。
『仲直りしたな』
その一言で少し静かになる。
『したな』
『した』
『よかった』
『長引くかと思った』
『そうそう』
『よかった』
財布小人が気まずそうに言う。
『別に喧嘩じゃない』
『喧嘩だった』
『喧嘩だな』
『喧嘩だった』
忠敬も頷く。
「喧嘩だったな」
『うるさい』
また笑いが起きた。
財布小人は肩をすくめる。
『まあ』
『忘れる時は忘れる』
「嫌な信頼だな」
『長い付き合いだからな』
今度は誰も茶化さなかった。
『それはそう』
『それはそう』
『『『それはそう』』』
忠敬は苦笑して財布をポケットへしまった。
いつもの場所。
いつもの距離。
いつもの――安心できるぬくもり。
それを見送ったコップ小人が、小さく呟いた。
『よかったな』
今度は誰も否定しなかった。




