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第17話: 『喋りすぎるブランケットと、眠そうな男』後編


“今日のクロノ、なんか違う”

その噂は、気づけば店のあちこちへ広がっていた。もちろん理由を説明できる人間はいない。


クロノ本人はいつも通り無表情だし、口数だって多くない。営業トークが派手になるわけでも、甘い言葉を連発するわけでもない。


ただ、妙に人のことを見ている。

そしてその“見てる”が、今日に限って隠しきれていなかった。







「クロノー! 十一番ヘルプ!」

「……はい」

忠敬は重い足取りでフロアへ戻る。


その背中を見送りながら、田辺がぽつりと呟いた。

「今日のあいつ、なんなんだろうな……」


新人黒服が真顔で頷く。

「怖いっす」

「だろ?」

「なんか普通に優しいのに、全然狙ってる感じしないのが怖いっす」

「分かる」


その横でレンは、楽しそうに笑っていた。

「あれたまになるんだよなぁ」

「たまに?」

「クロノ、基本的に人に興味薄いんだけど」


レンはグラスを揺らす。

「見てないわけじゃないんだよ」







十一番卓。

新規客らしい女性二人組が、少し緊張した様子で座っていた。


「えっと……クロノさん?」

「……はい」

「なんか思ってたより静か……」

「うるさいの嫌いなんで」


正直すぎる。




テーブルのコースター小人が転げ回った。

『営業しろーー!!』


だが不思議と空気は悪くならない。


むしろ二人は笑っていた。

「クロノさんって、なんか不思議」

「よく言われます」

「自覚あるんだ」

「あります」


忠敬は気だるそうに水を飲む。


すると向かいの女性が、小さく眉を寄せた。

ヒールのストラップが外れかけている。


靴の小人が半泣きで叫ぶ。

『このお姉ちゃんさっきから足痛い!!』


忠敬は数秒それを見る。

いつもなら、言うべきか考えた。

今は直情径行ちょくじょうけいこうですんなり言葉がこぼれた。


「歩く時、気をつけてください」

「え?」

「その靴、転びますよ」


女性が目を丸くした。

「なんで分かったの!?」

「見れば分かります」


実際には小人情報だが。



女性は驚いたあと、じわじわ顔を赤くする。


隣の友人がニヤニヤし始めた。

「え、なにそれ。クロノさん優しくない?」

「別に」

「その“別に”でやるのズルい〜!」


忠敬は本気で意味が分からない顔をしていた。








その頃バックヤードでは、田辺がやっと仕事に一区切りをつけ例のサンドイッチを食べていた。

「……地味に美味いなこれ」


新人黒服が笑う。

「田辺さん、さっきから機嫌よくないですか?」

「うるせぇ」


そこへレンが戻ってくる。

「田辺ー」

「なんだよ」

「お前今日クロノのこと見すぎ」

「見てねぇよ」

「いや見てる見てる」


レンは面白そうに笑った。

「分かるよ。あいつ、今日いつもより距離近いもん」

「距離?」

「普段のクロノって、“必要以上に踏み込まない”だろ」


確かにそうだった。

客にも、ホストにも、黒服にも。

優しいのに、どこか一線がある。


だが今日は違う。


眠すぎて、その線が曖昧になっている。

だから妙に近い。


田辺は小さくため息を吐いた。

「……無自覚でやってんのがな」

「そうそう」


レンは笑う。

「だから刺さるしズルいんだよ」







フロアへ戻った忠敬は、次のヘルプ卓へ入っていた。

だが流石に限界が近い。座ったまま、ぼんやりしている時間が増えている。


すると客の一人が、ふと首を傾げた。

「クロノさんって、ちゃんと寝てる?」

「……まぁ」

「寝てない時の“まぁ”だそれ」


「二時間くらいです」


場が止まった。




グラス小人が爆笑する。

『言っちゃったーー!!』


「えっ!? 二時間!?」

「死ぬじゃん!?」

「まだ生きてます」

「いや全然生きてないって!」

客たちが騒ぎ始める。



忠敬はその声を聞き流しながら、水を飲んだ。


隣の客が、小さく咳き込む。

忠敬は反射みたいに手に持っていた水をそちらへ押した。


「……どうぞ」

「え?」

「喉」


あまりにも自然だった。



客はぽかんと水を見る。

「……クロノさんってさ」

「なんです」

「ほんと、人のこと見てるよね」


忠敬は少しだけ黙った。

そして今の状況を把握し、無言で新しいグラスに水を注ぎ自分のグラスを回収した。



その横で、グラス小人が誇らしげに胸を張る。

『お兄ちゃんずっと見てる!』


(余計なこと言うな)


忠敬は小さく息を吐いた。

「……見てないと、危ないんで」



それは多分。


歌舞伎町で働くうちに染みついた癖だった。酔い方。顔色。声色。空気。見ていないと、手遅れになる。


だから無意識に見てしまう。



客たちは静かに忠敬を見ていた。その空気に気づいた瞬間、忠敬は少しだけ眉を寄せる。

(……なんか変なこと言ったな)


だがもう遅い。その場にいた全員が、しっかり刺されていた。









営業終了後のバックヤードで、忠敬はソファへ座ったまま、完全に虚無の顔をしていた。


その横では、小人たちが大騒ぎしている。

『今日のお兄ちゃんやばかった!』

『ガード消えてた!』

『みんな落ちてた!!』


(知らん……)



レンが笑いながら近づいてくる。

「クロノ」

「……なんです」

「今日、何人殺した?」

「意味分かんないです」

「田辺まで変な顔してたぞ」



その瞬間、田辺が後ろから即座に否定する。

「してねぇよ」

「いやしてた」

「してない」


新人黒服が小さく手を挙げた。

「……してました」

「お前あとで覚えとけ」


バックヤードに笑い声が広がる。




忠敬はその騒がしさを聞きながら、ゆっくり目を閉じた。もう限界だった。


ブランケット小人が、ぽすっと忠敬の肩へ座る。

『でもお兄ちゃん、今日ちょっと楽しそうだった』


忠敬は数秒黙った。



それから、眠そうな声でぽつりと呟く。

「……気のせいだろ」


だがその返事は、いつもより少しだけ柔らかかった。



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