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第17話: 『喋りすぎるブランケットと、眠そうな男』中編


「……今日のクロノ、なんか怖くない?」

レン卓の姫が、ぼそりと呟いた。


「怖いっていうか……なんかおかしい」

「いつもより優しい?」

「いや、違うな……なんか“近い”?」


レンはその会話を聞きながら、くつくつ笑っていた。

「あー、今日レア回だから」

「レア回?」

「クロノ、眠すぎると営業モード剥がれるんだよ」

「えっ、それ大丈夫なの?」

「大丈夫じゃない」


レンは即答した。

「あいつ、自覚ないまま人刺すから」


その視線の先では、クロノが別卓のヘルプへ入っていた。


いつも通り無表情。

いつも通り低い声。

いつも通り気だるそう。

なのに今日は妙に空気が柔らかい。


しかも本人だけ、それにまったく気づいていなかった。







「クロノくーん、聞いてよ〜」


九番卓。


酔った客が、忠敬の袖を軽く引っ張る。

「今日会社でさぁ、後輩にナメられてる感じして最悪だったんだけど」

「……へぇ」


普通なら、ここで営業トークを返す。

『そんなことないだろ』

『気にするな』


だが今日の忠敬は、脳の省エネモードが極まっていた。

「まぁ、舐められやすい人っていますよね」


場が止まる。


テーブルの灰皿小人が吹き出した。

『お兄ちゃん正直!!』


客が目を丸くする。

「え、フォローしないの?」

「無理なものは無理です」

「ひどっ!」


「でも」


忠敬は水を飲みながら続けた。

「後輩って、“反応ある人”に調子乗るんで」

「……え?」

「適当に流してれば、そのうち飽きますよ」


あまりにも自然な口調だった。


客は数秒黙ったあと、吹き出す。

「なにそれ、妙にリアル」

「実体験なんで」

「クロノくん、絶対学生時代苦労してるでしょ」


(現在進行形だよ)


だが口には出さない。


その横で、客のスマホ小人がぴょこぴょこ跳ねていた。

『このお姉ちゃん今日来る前、“もう仕事辞めたい”って検索してた!』


忠敬は視線だけ少し落とす。

それから何でもない顔で、卓の端へ水を置いた。


「……飲んどいた方がいいですよ」

「え?」

「頭痛くなるんで」


客はきょとんとしたあと、小さく笑った。

「クロノくんって、変な優しさだよね」


(知らん)



一方その頃。

バックヤードでは、黒服の田辺が伝票整理をしながら深いため息を吐いていた。

「今日忙しすぎだろ……」


新人黒服が半泣きで頷く。

「レンさん卓ずっとシャンパンです……」

「週末だからな」


そう言った田辺の机の上で、薬ケース小人がぷんぷん怒っていた。

『この人また胃薬飲んでる!』

『今日まだご飯食べてない!』


そこへ、ヘルプ終わりの忠敬が戻ってくる。

冷蔵庫を開け、水を取り出す。


そして何気ない顔で田辺を見る。


「……田辺さん」

「ん?」

「今日まだ飯食ってないでしょ」


田辺が止まった。

「は?」

「さっきから胃薬ばっか飲んでる」


薬ケース小人が全力で頷く。

『そう!! 三回目!!』


忠敬はそれ以上何も言わず、冷蔵庫からサンドイッチを取り出した。


そして田辺へ放る。


「食わないと倒れますよ」

「いや、俺そんな——」

「さっきフラついてたし」


田辺が黙る。確かに、少し立ちくらみがしていた。

だが誰にも気づかれていないと思っていたのだ。


新人黒服がポカンとしている。

「田辺さん、フラついてたんすか?」

「……お前は気づくな」


その横で、忠敬はソファへ腰を下ろした。

目を閉じる。


三秒後。


寝た。


新人黒服が固まる。

「えっ!?」


田辺は呆れた顔で額を押さえた。

「……だから言っただろ、今日あいつ終わってんだよ」


そこへレンが戻ってくる。


事情を聞いた瞬間、腹を抱えて笑い始めた。

「田辺、完全に落とされてんじゃん」

「うるせぇ」

「しかもクロノ絶対覚えてないぞ、それ」

「そこが余計タチ悪いんだよ……」


レンはソファで寝落ちしている忠敬を見る。


無防備だった。


普段のクロノは、どこか壁がある。

客にも、ホストにも、黒服にも。

一定以上踏み込ませない。


だが今日は、その壁が眠気で全部薄くなっている。


レンは少しだけ目を細めた。

「……まぁ、たまにはいいか」


その時だった。

ソファで寝ていた忠敬が、薄く目を開ける。


ぼんやりした視線のまま、レンを見る。


そして。


「……水」

ペットボトルを放った。


レンが反射的に受け取る。

「え?」

「今日しゃべりすぎです」


「…………」


それだけ言って、忠敬はまた目を閉じた。


沈黙。


ペットボトル小人が大騒ぎしている。

『クロノのお兄ちゃん、レンのお兄ちゃん喉枯れてるの気づいてたー!!』


新人黒服が絶句する。

田辺は肩を震わせていた。


レンは数秒固まったあと、ゆっくり笑う。

「……ほんとさぁ」

「レンさん?」

「お前、無自覚でそれやるのズルいよ」


忠敬はもう聞いていなかった。

再び寝落ちしていたからである。


バックヤードに、静かな笑い声が広がる。


だがその頃フロアでは。

“今日のクロノ、なんか違う”


という噂が、じわじわ店全体へ広がり始めていた。


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