第15話:『深夜二時の落とし物と、巡査と缶コーヒー』
深夜二時過ぎ。
営業を終えた歌舞伎町は、昼間とは別の顔をしていた。
派手なネオンはまだ消えていない。
だが、人通りは少しずつ減り始め、酔客たちの笑い声にも疲労の色が混じっている。
高級ホストクラブ『LUXE』の裏口でも、ようやく長い夜が終わろうとしていた。
「はぁ〜〜〜……今日マジで死ぬかと思った……」
ソファに沈み込むレンが、ネクタイを緩めながら呻く。
「三卓同時シャンパンって人間のやる仕事じゃねぇ……」
「いやレンさん普通に全部捌いてたじゃないですか」
黒服が苦笑する。
「しかもラスト、美咲さん卓から二本追加されてたし」
「あれ断ったら店終わる空気だったんだよ……」
その横で、忠敬――源氏名“クロノ”は静かに伝票整理を終えていた。
「クロノお前、今日ヘルプ入りすぎだろ……」
「レンさんが全部押しつけるから」
「お前が一番安心なんだよ!」
レンが即答する。周囲のホストたちも深く頷いた。
「分かる」
「クロノいると卓が事故らねぇ」
「あと女の子がなんか落ち着く」
忠敬は露骨に嫌そうな顔をした。
「俺を精神安定剤みたいに言うな」
その時、店の入口ドアの小人がガラスの縁から身を乗り出して叫ぶ。
『お疲れぇぇぇ!! 今日も閉店まで無事だったなぁ!!』
隣ではシャンパンタワーのグラス小人たちが、酔っ払いみたいに肩を組んでいた。
『クロノのお兄ちゃん今日も働きすぎー!!』
『休めー!!』
『あとレンの客、酒強すぎ!!』
(最後は本当にそう)
忠敬は軽くこめかみを押さえた。
今日だけで、何十種類もの“小人の悲鳴”を聞かされている。香水瓶の愚痴。ライターの命乞い。シャンパンクーラーの低温限界アピール。
そろそろ脳が疲れていた。
「クロノ、アフター行くぞー」
「行かない」
「即答!?」
「大学ある」
「なんでホストやってんだよお前……」
レンが本気で呆れている。
忠敬は適当に手を振ると、一人で裏路地へ出た。
夜風が少し冷たい。
ようやく静かになれる――と思った瞬間。
胸ポケットのハンカチ小人が、ピクリと反応した。
『忠敬』
(……なんだ)
『財布が泣いてる』
「……は?」
忠敬が足を止める。
視線の先の古い自販機の横。
段ボールと空き缶の陰に、ブランド物の長財布が落ちていた。
その上で、財布の小人たちが地獄みたいな騒ぎになっている。
『終わったぁぁぁ!!』
『クレカ人生終了!!』
『免許証が闇バイトに売られる!!』
ポイントカードの小人が号泣していた。
『あと一個で餃子無料だったのにぃ!!』
(それはどうでもいい)
忠敬がしゃがみ、財布を拾い上げるとチャックの小人が、涙目で飛びついてきた。
『ありがとうお兄ちゃん!! ご主人酔っ払って完全に存在忘れてる!!』
さらにレシート小人たちが一斉に証言を始めた。
『一時間前!』
『コンビニで酒追加してた!』
『その時点でもうフラフラ!』
『しかも五回くらい財布落としかけてた!!』
(よく今まで無事だったな……)
「だから盗ってねぇって言ってんだろ!!」
怒鳴り声。
路地の向こうで、スーツ姿の酔っ払い男と若いキャバクラ店員が揉めていた。
「あん時お前俺の横いたろ!!」
「いや知らねぇって!!」
どうやら財布を失くした男が、店員を犯人扱いしているらしい。しかも近くのゴミ箱の小人が、ヒソヒソ声で耳打ちしてくる。
『あの酔っ払い、“絶対自分のミス認めないタイプ”だぞ』
(最悪だ……)
さらに自販機の釣り銭口小人も参戦する。
『さっき財布落としたあと、自分でポケット叩いて「ヨシ!」してた!!』
『完全に記憶上書きされてる!!』
(酔っ払いって怖ぇな……)
そこへ。
「――どうされましたか」
落ち着いた声。
巡回中の警察官が二人、路地へ入ってきた。若い巡査と、四十代くらいの警部補。
酔っ払いは即座に叫ぶ。
「警察!! コイツが俺の財布盗った!!」
キャバ店員が青ざめる。
「マジで違いますって!!」
(うわぁ……)
忠敬は静かに財布を開いた。免許証には、今怒鳴っている酔っ払い本人の顔。
「……これ、あんたの財布か」
「……え?」
「自販機の横に落ちてた」
沈黙。
財布の小人たちは号泣していた。
『生還ーーー!!』
『社会的信用守られた!!』
『餃子無料券ーーー!!』
(餃子への執念すごいな)
酔っ払いは顔を真っ赤にした。
「……す、すみませんでした……」
キャバ店員がその場に崩れ落ちる。
「寿命縮んだぁぁ……」
若い巡査が、感心したように忠敬を見る。
「兄ちゃん、冷静だな」
「まぁ、慣れてるんで」
「夜職?」
「一応」
警部補がタバコを弄りながら目を細めた。
「ホストか?」
「……そんなところです」
その瞬間、警察手帳の小人が胸ポケットから顔を出していた。
『この兄ちゃん状況整理うまくね?』
『現場向きだぞ』
『うち来る?』
(行かない)
だが、その直後だった。
遠くから悲鳴。
「ひったくりーーー!!」
全員が振り向く。
バイク。
女物のバッグ。
そして猛スピードで逃げる二人組。
「そこ!バイク!!止まりなさいッ!!」
若い巡査が走り出す。
路地脇、自転車の小人たちが一斉に忠敬へ叫んだ。
『右!!』
『右の細道使う!!』
『あいつらいつもラーメン屋裏抜ける!!』
さらに道路標識のボルト小人が低い声で呟く。
『三十秒後、向こう赤信号』
(……多分、読めた)
忠敬は即座に叫ぶ。
「右の細道! ラーメン屋裏!」
「は!?」
「信号で止まる!」
若い巡査は反射的に走った。
数秒後。
怒号。
ブレーキ音。
転倒音。
「確保ォ!!」
歌舞伎町の裏路地に、警察官の声が響いた。
沈黙。
それから数分後。
若い巡査が息を切らして戻ってきた。
「……なんで分かった?」
周囲では、小人たちが大騒ぎしている。
『ナイス追跡!!』
『完全勝利!!』
『お兄ちゃん探偵向いてる!!』
(向いてたまるか)
忠敬はため息を吐いた。
「……なんとなく、逃げそうな道が見えただけです」
警部補はしばらく忠敬を見つめていた。
やがて、ニヤリと笑う。
「勘がいいな、兄ちゃん」
その後、事情確認が終わる頃には空が少し白み始めていた。若い巡査が、自販機で缶コーヒーを二本買ってくる。
「ほら。礼」
「……どうも」
缶コーヒーの小人が、プルタブの上で得意げに胸を張った。
『今の俺、めちゃくちゃ刑事ドラマエンディングしてる』
(否定できねぇ……)
警部補が煙草を咥えながら言う。
「また見かけたら声かけるわ、“クロノ”」
「いや、本当に勘弁してください」
「無理だな」
若い巡査も笑う。
「兄ちゃん歌舞伎町適性高いわ」
(嬉しくない)
その時、忠敬のスマホが震えた。
画面表示はレン。出ると、開口一番。
『クロノ!!』
「なんですか」
『姫が店にスマホ忘れた!!』
「……」
『届けてくれって店、大騒ぎ!!』
「なんで俺」
『お前が一番信用あるから!!』
周囲の警察官たちが吹き出した。
忠敬は深く、深くため息を吐いた。
空が少し明るくなる。
歌舞伎町の夜は終わる。
だが、自分の騒がしい日常は、まだまだ終わりそうになかった。




