番外編 二人とぼっち(後編)
通路の奥から、石でできた巨大な腕が姿を現した。
「なにあれぇ!?」
「壁! 壁が動いてるよ!」
通路そのものが軋みを上げ、両側の石壁が意思を持ったように迫り出し、通路を塞ぐように伸びてくる。逃げ場は前しかない。
「走れ」
イリヤが走り出すと同時に、ルリシアの手を掴んだ。
三人は暗い通路を全力で駆け抜けた。背後で石が噛み合う轟音が追ってくる。曲がり角を折れ、崩れた階段を飛び降り、そして――
ぱっと、視界が開けた。背後で重い音を立てて壁が閉じる。
「……はぁっ、はぁっ……し、死ぬかと思った……」
膝に手をついたスノウが、顔を上げて――そのまま固まった。
「……うわ、なにここ」
円形の、広い空間。
天井は高く、壁は継ぎ目のない一枚岩でできている。床には大きな円盤が六枚、輪を描くように等間隔で嵌め込まれていた。
どれも人が一人、余裕をもって立てるほどの大きさだ。
そして壁には、六つの窪みがあった。
それぞれに、古びた道具が一つずつ安置されている。
燃え尽きた松明。水の枯れた盤。垂れ下がった旗。ひび割れた石の支柱。覆いのついた明かりの灯った角灯。そして、白く曇った鏡。
スノウが部屋をぐるりと見回して、拍子抜けした声を上げた。
「お宝っぽいの、なんもないじゃん」
「……円盤に、何か描かれてる」
イリヤが円盤のひとつに屈み込み、積もった埃を払った。石の面に、絵が彫られている。
「火のついた松明……?」
ルリシアも隣に膝をついた。次の円盤へ移り、また埃を払う。
水を満たした盤。はためく旗。まっすぐ立った支柱。明かりの消えた角灯。そして、光を取り込む鏡。
「あ、わかった」
スノウが壁を指差した。
「円盤の絵は、あの道具たちの元の姿ってことじゃん?」
「そう、だね……」
円盤の六枚の絵を、順に目で追っていくルリシアの動きが止まり、思い出すように俯いた。
「……この絵柄」
灯す。映す。運ぶ。支える。
隠す。照らす。
六つの言葉が、幼い頃に母が口ずさんでくれた属性の歌の一節として浮かび上がる。
円盤は時計回りにその順番で並んでいる。
「歌通りにしろってことかな……」
ルリシアは、絵から目を離さずに言った。
「歌?」
スノウが首を傾げると、イリヤも何も言わずにルリシアの顔を覗き込む。
ルリシアははっと顔を上げて、慌てて笑ってみせた。
「あ、えっと……昔、お母さんが歌ってくれた属性の歌があってね。この絵と同じだと思って……」
「……そうか。なら、その歌通りに試してみようか」
「うん!」
ルリシアが松明に火を灯し、盤に水を注ぎ、覗き込むとルリシアの顔が水面に映る。
旗には風を纏わせてはためき、二つに割れた支柱は地の力で繋ぎ合わせる。
「これは俺がやるよ」
スノウが角灯へ手をかざす。溢れた影が灯りを包み込み、その光をすっぽりと隠した。
残るは、白く曇った鏡だけ。
「……で、これどうすんの。照らせって言われてもさ」
スノウが腕を組む。イリヤは松明の炎をじっと見つめたあと、片手を上げた。
空中に薄い氷の鏡が生まれ、角度をつけてもう一枚、さらにもう一枚。
松明の炎が鏡面を叩き、跳ね、屈折して、細く鋭いひと筋の光となって――曇った鏡の面をまっすぐに射抜いた。
鏡が、白く輝いた。
「照らすことが目的で、必ずしも光魔法である必要はないみたいだな」
イリヤが涼しい顔で氷の鏡を消す。
「すごい……! イリヤ、やっぱりすごいよ!」
「イリヤのその氷魔法、万能すぎる……」
六つの道具が、それぞれの力を宿して光っている。だが、広間の中は静まり返っていた。
「絵柄通りにしてみたけどさ、なんもおきないね?」
「……上を見ろ」
イリヤが天井を見上げる。
二人が顔を上げると、高い天井の一面にも色褪せた壁画が広がっていた。
中央に、大きな太陽。それを囲むように、六人の人影が円く並んでいる。
松明を掲げる者。水盤を捧げ持つ者。旗を握る者。支柱を抱える者。角灯を胸に抱く者。鏡を掲げる者。
六人とも、両手で道具を捧げ持っていた。
「……あの道具、ここにある物と一緒だね」
ルリシアが松明を見てから、床にある円盤に視線を移した。
青い瞳が、閃くようにキラリと光った。
「もしかして……道具を持って、その道具に合う円盤の上に乗ってみるとか!?」
ルリシアが火の灯った松明を手に持ち、いちばん近い円盤の上へひょいと乗った。
――ぼう、と足元の円盤が赤く光る。
同時に、頭上でも何かが灯った。
三人が顔を上げると、天井の壁画に描かれた人が持つ松明が赤く、小さく燃えていた。
「すごい! 絵が光ってる!」
ルリシアが円盤から降りると、赤い光がふっと消えた。
「……あれ?」
もう一度、乗ってみると再び光が戻る。
「降りたら消えちゃうみたいだね」
イリヤは、天井を見上げたまま思考を巡らせる。六つの円盤に壁画に描かれた六人。道具を持って乗ると光り、降りると消える。
「……六人、必要ってことだな」
イリヤの言葉にルリシアとスノウの動きが止まる。二人は天井を見上げ、それから足元を見て、最後にお互いを見た。
ルリシア。イリヤ。スノウ。
今いるのは三人だ。
「……足りねぇ」
「足りないね……」
困ったように顔を見合わせる二人。
「誰か呼んでくる? スノウ、転移できるでしょ?」
スノウは答えず、目を細めて空間を探るように首を傾げた。
「…………」
その仕草に、ルリシアが覗き込むように身を乗り出した。
「スノウ、どうしたの?」
「いやさ、このダンジョン内は転移できないね。何か特殊な力で遮られてる」
「……え?」
イリヤが閉ざされた扉に触れ、ゆっくりと二人を見やる。
「扉も完全に閉ざされているな」
広間が、静まり返った。
「……閉じ込められてる?」
「みたいだな」
スノウが頭をがしがしと掻いた。少しばかり困ったような、それでもどこか楽しげな笑みを浮かべる。
「……あ〜。あと三人呼ぶ方法、ひとつだけあるよ」
二人が同時に振り返る。
「めちゃくちゃ疲れるし、魔力枯れちゃうかもしれないけど」
スノウは息を吐いて、両手を床へ広げた。
床に落ちていた三人分の影が、ゆっくりと立ち上がった。
真っ黒な輪郭だけが起き上がり、厚みを持ち、形を得ていく。顔も服もすべて漆黒に塗り潰されたまま、三人と寸分違わぬ仕草でそこに立っていた。
「スノウ、こんなこともできるの!?」
ルリシアが目を丸くする。
「喋んないし、魔法も使えないよ。けど性格はそのまんまだし、道具持って立つことくらいはできるからさ」
スノウが手をひらひらと振った。
「じゅうぶんだよ!」
ルリシアが弾んだ声を上げ、それから――動きを止めた。
五人しか、いない。
「……あれ?」
三人が、揃って周囲を見回した。
すると、スノウの影が広間の隅でこちらに背を向けて縮こまっていた。壁と一体化しようとするかのように、じりじりと隅へ寄っていく。
「――ちょっと!?」
スノウが叫んだ。
「なんで逃げんの!? 俺の影でしょ!?」
スノウの影は、振り返りもしない。
「ふふ、恥ずかしがり屋さんなのかな?」
「俺、そんな性格じゃないじゃん!?」
そのときだ。イリヤの影が動いた。
ルリシアの影の傍らへ歩み寄り、その頭にそっと手を乗せると、優しく撫で始めた。
「え」
ルリシアの影が、はにかむように肩をすくめる。そして――イリヤの影の手を、きゅっと握り身体を寄せる。
「――ちょっと待って!?」
スノウが絶叫した。
「影同士でもナチュラルにイチャつくのやめてもらっていい!?」
「わ、私じゃないよ!? 勝手に動いてるだけだから!」
ルリシアが真っ赤になって手を振り回す。イリヤは眉ひとつ動かさず、繋がれた影の手を眺めていた。
「……よくできているな」
「感心してる場合!?」
スノウが両手で頭を抱えた。
「奇数から偶数になったのに、結局、俺ぼっちになんの!? しかも自分の影に逃げられるって何!?」
「……本人と同じだな」
イリヤが、しれっと言い放つ。
「都合が悪くなると、真っ先に逃げる」
「くそっ、否定できないのが一番つらい!!」
スノウががくりと膝をついた。すると、その背に何かが触れた。
いつの間にか戻ってきていたスノウの影が、しゃがみ込んでスノウの背中をさする。
「…………おかえり」
スノウは複雑な顔で天を仰いだ。
「……自分に慰められるなんてさぁ」
こうして、三人と三人の影――六人が揃った。
**
三人と三人の影の六人は、それぞれの腕に、光を宿した道具を抱えて、それぞれの円盤の上に乗った。
ズズズ……と音を立てながら六枚の円盤が同時に沈む。
――ゴォン。
腹の底に響くような音がした瞬間、頭上で壁画が動いた。
大きな太陽が、ゆっくりと欠けていく。金色が細り、削られ、白く痩せて――やがて、月が浮かぶ壁画へと変わる。
同時に、六人の足元に描かれた絵柄も変わった。
火の消えた松明。曇った水面。垂れた旗。崩れた支柱。開かれた角灯。伏せられた鏡。
「……絵が、変わったね」
ルリシアが息を呑み、足元を見た。
「松明の炎が消えた後の絵柄かな……?」
そして、影たちがほどけはじめた。二つの影は静かに崩れ、本体の足元へ音もなく吸い込まれていった。
――だが。
「……あっ、こら!」
スノウの影が、するりと壁際の暗がりへ滑り込んだ。
「どこいくの!? なんで俺の影だけ帰ってこないのさ!?」
絶叫が響いた、そのときだった。
ゴゴッ。
広間の中央の床が、低いうなりとともに割れた。
噴き上がった黒い霧が渦を巻き、みるみるうちに人の三倍ほどの背丈へと膨れ上がる。
やがて輪郭が定まった。
顔のない、石でできた巨人。胸の中央には、六つの窪みが円く並んでいる。
その一つに、ぼうと炎が灯った。
「……番人だな」
イリヤが剣を抜く。
「おいおいおい、マジかよッ!?」
スノウが後ずさりながら叫ぶ。
巨人の腕が振り下ろされると同時に、三人が跳んで散った。
叩きつけられた拳から炎が広がり、床を舐めて追ってくる。
「あっっつ――!」
「――イリヤ! 私の水魔法で消火するよ!」
「ああ、頼む」
ルリシアが両掌を前に突き出す。掌から溢れ出た澄んだ水が、炎の上へ降り注いだ。水が炎を呑み込み、噴き上がった白い霧が火勢を根こそぎ喰らい尽くした。
胸の炎が、ふっと消える。
「消えた……! 変わった絵柄と同じ、対義の作用だよ!」
ルリシアが叫んだ瞬間、次の窪みが青く光った。巨人の全身を透明な水膜が覆い、広間の景色がゆがんで映り込む。
「映してる……! スノウ、塗り潰して!」
「はいよっ」
影が水膜を外側から包み込み、映っていた像をすべて呑み込んだ。青い光が消える。
続いて緑色の光が渦を巻くと、暴風が広間を薙いだ。
「運ぶの反対は、留める!」
ルリシアの地の壁が風を受け止め、イリヤの氷が渦ごと凍らせる。緑の光が消え失せた。
紫色の光。床から石柱が突き上がる。
「支えるなら、崩す!」
スノウの闇が柱の影に溶け込み、根元を絡めとって崩れ落とす。
次に落ちたのは、完全な暗闇。
イリヤの氷の鏡が幾重にも展開し、わずかな残光を拾って巨体の輪郭を白く描き出す。隠したものを、暴く。
――そのときだ。暴かれた輪郭の足元で、小さな影がひとつ跳ねた。
番人の足元に絡みつき、グイッと引く。巨体がわずかに傾いだ。
「……あいつ、何やってんの?」
スノウが呆れた声を漏らす。壁際へ逃げたはずの自分の影が、番人の足元をちょろちょろと動き回っていた。
そして最後に、白い光が爆ぜた。
視界が、根こそぎ塗り潰される。
――照らすものの反対は、遮るもの。
「全部、塞ぐよ!」
地の壁がせり上がり、その上を氷が覆い、隙間へ影が渡る。三人分の壁が隙間なく噛み合った。
――ふっ、と光が閉じ込められ、六つ目の窪みが消えた。
「……やった」
ルリシアが息を吐いた。
「全部、消えた……!」
「はぁー、疲れた! もう二度とやりたくな――」
――だがその刹那、最初の窪みに再び炎が灯った。
「…………え」
三人が、同時に固まった。
二つ目の青い光が揺れ、三つ目が緑の渦を巻いた。
「なんで!?」
スノウが悲鳴を上げると、巨人の腕がまた振り上がる。腕が叩きつけられると石畳が砕け、破片が弾け飛ぶ。
ルリシアは足を止めた。
床から何かが伝わってくる。先ほどまでは感じなかった、脈を打つような震えが、下から上へとまっすぐに昇っていた。
「……イリヤ!」
顔を上げて、叫ぶ。
「下! 下から力を引いてる!」
イリヤの赤い瞳が、床へ落ちた。
「……核を守るための仕掛けか」
剣を握り直す。
「スノウ! 三秒でいい。やつを止めろ」
「魔力すっからかんになるから、帰りはおんぶしてよ!」
軽口を叩きながら、スノウが両腕を突き出した。
残っていた魔力を絞り出す。床から伸びた影が巨人の四肢に巻きつき、巨体を縫い止めていく。
「やっぱ、二秒! 二秒が限界!」
「それでいい。ルリ、床を可能な限り崩してくれ」
「うん、任せて!」
ルリシアの魔力が石の床に伝う。
石畳が裂け、めくれ上がる。大地が扉のように割れて、その底に――ひとつ、鈍く光る核があった。石に埋まった、拳ほどの黒い塊。
イリヤが踏み込み、剣先が核に食い込む。
――だが、硬い。
刃が半分も入らないうちに、掌へ細い震えが返ってくる。鋼が軋み、悲鳴を上げていた。
予備の剣だ。ここで無理に力を通せば、断てるより先にこちらが砕ける。
イリヤは、瞬きせずに核を見据える。
――断つための力。
加護の力を、呼吸に混ぜて剣に落とし込む。
刃に薄い光が滲むと、止まっていた刃が再び食い込んでいく。
バリンッ――核が、二つに割れた。
巨人の動きが止まる。
胸の窪みから力が漏れ出し、腕が落ち、肩が落ち、膝が砕けた。黒い霧に還ることもなく――ただの石になって、広間の床に崩れ落ちる。
舞い上がった埃が、ゆっくりと静まっていった。
イリヤは剣を下ろしながらひそかに息を詰めた。遅れて、指先に細かな震えが走る。
喉の奥がひりつき、膝から力が抜けそうになるのを、足裏にぐっと押しとどめた。
奥歯を噛み、何事もないように立ち尽くす。
ルリシアはすぐにその異変に気づいた。駆け寄った彼女が、支えるように手を添える。
「イリヤ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
イリヤはその手を握った。触れているあいだだけは、崩れずにいられる気がした。
スノウが、床に大の字に倒れ込む。
「やった……勝った……!」
――そのとき、頭上が明るく光った。
天井の壁画が、光を取り戻していく。やがて、月の絵に重なるように、太陽の絵が浮かび上がった。
同じ空に、二色の光が瞬く。
「……あれ」
ルリシアの口から、自然と声がこぼれる。
太陽から、赤い光がひとつ。
月から、青い光がひとつ。
二つの光は螺旋を描くように絡まりながら降りてきて、広間の真ん中でゆっくりとほどけた。
赤い石が、ルリシアの掌へ。
青い石が、イリヤの掌へ。
まるで、持ち主の元に戻ってくるように落ちて来た。
「……これが、運命の絆?」
ルリシアが、両手で包み込むように石を握った。石の奥で、細い光が脈を打っている。
イリヤは自分の掌の青い石を見下ろし、それから、隣の赤い石を見た。
「……罠にかかっても来た甲斐があったな」
「ふふっ、うん」
「ルリの瞳と同じくらい綺麗だ」
「……っ! あ、ありがとう。イリヤの赤色も同じくらい綺麗だよ」
ルリシアの頬が赤くなり、はにかみながら微笑んだ。
石の光が、二人の指の隙間から漏れて、ゆっくりと同じ拍を刻んでいた。
「…………あの二人、俺のこと忘れてる?」
少し離れた床の上で、スノウが片肘をついて、それを眺めていた。
「あれが伝説の……ぼっちには無縁の石ってわけね」
誰にともなく、小さくぼやいた。
――すると、肩に、ぽんと何かが触れた。
顔を向けると、いつの間にか戻ってきたスノウの影が、隣にちょこんと座っていた。彼の肩をぽんぽんと二度叩く。
スノウはしばらく黙っていたが、思わずぷっと吹き出した。
「……お前さぁ。戻ってくるとこだけは、いいやつなんだよなぁ」
影はもちろん答えない。ただ隣に座るだけ。
「まあ……俺って、いいやつってことで」
「スノウ」
イリヤの呼び声にスノウが視線を向ける。ルリシアの手を引いて出口へ向かいながら、淡々と告げる。
「置いていくぞ」
スノウの目が、まるくなった。
「……あっ、ちょ、待って! 待ってってば!」
慌てて跳ね起き、二人の背を追いかける。
「置いてかないでよ! 俺まだ足ガクガクなんだけど! おんぶして!」
「速く歩け」
「鬼〜!」
ルリシアが振り返って、くすくすと笑う。
「スノウ、頑張って〜!」
「ルリまで!?」
二人の背中を必死に追いかけていく。
その足元で、彼の影が置いていかれないようにぴたりとついて走っていた。
第三部、これにて完結です。番外編にも、とある小さな伏線を仕込んでおります。今夜、第四部序章を公開!よろしくお願いします!




