番外編 二人とぼっち(前編)
崖の裂け目に、石造りの門が口を開けたその場所は、異様な空気が漂う。
苔むした柱には見たこともない文字が刻まれ、その奥はどこまでも深い暗闇が広がっていた。吹き出してくる風は、地の底の匂いがする。
「やっほ〜! イリヤ、ルリ、久しぶり!」
門の前で、銀髪の男が両手を広げていた。
「久しぶり……というか一週間ぶり? 今日も元気そうだね。スノウさん」
「そうそう、ルリ。今日からお互い呼び捨てでいこう! 俺たちの仲だしさ♡」
「気安くルリって呼ぶな」
「え〜、嫉妬深いぃ〜」
いつもの調子のスノウを前にルリシアは苦笑い、イリヤは不満顔を浮かべた。
あれは、昨日のことだ。
エメラルド魔導学院の中庭のベンチで、イリヤと昼食をとっていたとき、一羽のカラスが舞い降りた。足に結ばれていたのは、詫び状と称する手紙と、転移陣の描かれた紙が一枚。
『色々と巻き込んでごめんね! お詫びに面白いとこ連れてってあげる! 明日迎えに行くから、午後に用意して転移陣の紙の前で待機しててね♡ スノウ』
「明日……?」
ルリシアは目を丸くして手紙を見つめた。あまりに急だと。けれど、面白いところという一文に、胸の奥がわずかに浮き立つ。
そして今日、ルリシアたちはここへ連れてこられたのだった。
スノウを見るイリヤの赤い瞳が氷点下まで下がっている。
「急に呼び出して、本当に詫びる気があるのか?」
「ごめん、ごめんって! 急に思い立ったもんで。謹慎明けすぐ行きたくなってさ〜」
スノウはけらけらと笑って、それから親指で背後の門を差した。
「この奥にね、伝説の共鳴結晶石ってのが眠ってるの」
ルリシアが目を瞬かせる。
「共鳴結晶石……?」
「ほら、俺のせいで二人の指輪は壊れたようなもんじゃん。本で読んで、二人にぴったりな結晶石だと思ったんだよね」
肩をすくめてみせる。
「取りに行くのに、一人だと死ぬかもしれないから、強い二人が一緒ならと思ってさ」
「……どんな結晶石なの?」
「超レアだよ? 対になる特別な結晶石なんだ。もとは一つの石だったともいわれてて、互いに呼び合うことから『運命の絆』って呼ばれてる。しかも硬さはエーテル・コア級。二人の指輪にするなら、これ以上ないでしょ?」
イリヤは隣で目を輝かせている少女に視線を移した。
「運命の絆……イリヤ、行ってみよ……!」
イリヤは深く息を吐き、腰の予備の剣の位置を確かめた。先の戦いで、長年使い続けた愛剣は失われた。この剣がこのような場所で、どこまで戦いに耐えられるか……。
「危険だと、判断したらすぐ帰るぞ」
「やった!」
「そう来なくっちゃな! まあ、俺たち三人なら楽勝でしょ」
スノウが軽快に門をくぐる。ルリシアが弾んだ足取りでその後に続き、イリヤはひとつ間を置いてから、二人の背を追った。
**
最初の罠は、数歩と歩かないうちに三人を待ち受けた。
「へー、意外と普通の通路――」
ゴトンッ!
スノウの右足の下で、石畳が沈んだ。スノウの間の抜けた小さな声と共に床が抜けた。
「ぎゃああああっ!?」
落ちていく銀髪に、ルリシアが咄嗟に手を伸ばす。
「スノウ!」
風が渦を巻き、落下する体を押し上げた。スノウが穴の縁に這い上がってくる。
「はぁっ、はぁっ……あっぶな……! ルリ、ありがとぉ……!」
「よかった……! ねえ、もっと気をつけて進まないと」
ルリシアが眉を寄せ、スノウの腕を引いて壁際へ寄せた。
「ここ、ダンジョンなんだよ? どこに何があるか――」
こつんと、彼女の肘が壁の出っ張りに当たった。
――カチン。
「え?」
通路の壁一面に、小さな穴が開いた。
「伏せろ」
イリヤは二人の肩を押さえつけるようにして、身を沈めさせた。直後、頭上を矢の群れが駆け抜けた。石壁に突き刺さる音が、絶え間なく響く。
二人の目が丸くなり、やがて静かになる。
「……ご、ごめんなさい……イリヤ」
「いや、今のはルリのせいじゃないって! わかりにくすぎるでしょ、あの出っ張り!」
「うん……うん……」
慰め合っている二人を、イリヤは無言で立ち上がらせた。
次の部屋には、宝箱が三つ並んでいた。
「うわっ、宝箱じゃん! ベタ! 開けよ!」
「だめだよスノウ! こういうのって絶対――」
ばこんと、スノウが迷うことなく、一番手前の箱を開けた。紫の煙が勢いよく噴き出し、部屋を満たし始める。
「げほっ、げほっ! なにこれ!?」
煙の奥で、小さく何かが動いた。
「……あ」
ルリシアが目を見開く。箱の中に、小さな魔獣の子どもがうずくまっていた。怯えたように体を縮め、煙にむせている。
「閉じ込められてたの……? かわいそう……」
スノウが煙を払いながら首を傾げる。
「他のもそうなのか?」
ルリシアが残りの二つの箱をコンコンと叩く。中からカタカタと小さな音が返ってきた。
「やっぱり……! 中にいるよ! 解放してあげなきゃ!」
「待て、ルリ――」
イリヤの制止が届く前に、ルリシアが二つ目の箱に手をかけた。
ばこんっ、同時に三つ目の箱が自ら蓋を開けた。
紫の煙がさらに濃くなり、視界が急速に白く濁る。その煙の中から、箱そのものが歪み、牙と脚を生やして立ち上がった。宝箱型の魔獣だ。
「ひっ!?」
「なんだよこれぇ!?」
二人の悲鳴が重なる。煙で互いの姿もほとんど見えない。魔獣が低い唸りを上げ、手探りで近づいてくる気配だけが伝わってくる。
そのとき、イリヤの剣が煙の中を一閃した。
たちまち魔獣の気配が消える。煙が薄れると、床には宝箱型魔獣の残骸と、無事だった小さな魔獣の子どもが二体、震えていた。
イリヤが淡々と剣を収める。
「もう少し、慎重に行動してくれ」
「「……ごめんなさい」」
三人は幾分慎重に次の部屋へ進んだ。
そこには、崩れかけた石像があった。右手はすでに落ち、左手だけが傾きかけながらも、小さな宝石を握っている。
「おっ、いいもの発見〜」
スノウが左手の宝石に手を伸ばすと――
ぽろりと、左手も落ちた。
「あれ?」
「スノウ!」
ルリシアが慌てて駆け寄る。
「手、両方取れちゃってる……直さなきゃ」
落ちていた右手を、左腕に嵌めた。
「……これでよしっ」
「ちょ、待って。ルリ……それ、逆じゃない?」
「え?」
石像の首が、きしむ音を立ててゆっくりと二人を向いた。空洞の目が、はっきりと睨みを利かせる。
次の瞬間、石像は崩れ落ちた。
――ごごごご、と天井が下がりはじめた。
「「なんでぇ――っ!?」」
二人の悲鳴が重なった。
イリヤは落ちてくる天井の隅を霜で凍らせ、下がるのを止めながら、静かに息を吐いた。
無鉄砲な男が先へ進む。それを止めようとした少女が、止めようとした動作で罠を踏む。
そして、自由と善意を掛け合わせた結果――。
(……なるほど)
イリヤは冷静に結論を出した。
(この二人の組み合わせは、厄介だ)
**
通路の隅で、二人はへたり込んだ。
「はぁっ……はぁっ……」
「もう、むり……足、笑ってる……」
髪は乱れ、服は埃まみれ。イリヤがそんな二人を眺める。
(……見事に、すべての罠にかかったな)
ひとつ残らず。順番に丁寧に全ての罠にかかる姿はもはや感心するレベルである。
「いやぁ……さっすが、高難易度のダンジョン」
スノウが額の汗を拭う。
「容赦ねえわ」
「そうだね……ほんとに、容赦ないね……」
ルリシアがぜえぜえと肩で息をし、それでもふらつきながら立ち上がった。埃だらけの顔で、きりりと眉を上げる。
「でも大丈夫! こんなの、まだ序の口だもん。イリヤのことは、私が守るんだから……!」
小さな拳をぎゅっと握る。イリヤは突っ込みたい衝動を抑え、静かに口を開いた。
「……ルリ。まずは冷静になってから進んでくれ」
「うっ……!」
「うわぁ、辛辣ぅ」
スノウがけたけたと笑い、ふと思い出したように顔を上げる。
「――あ。冷静って言えばさぁ。イリヤって、あの時もすっごい冷静だったよね」
「あの時?」
「図書館の地下で、俺が死にかけて転がってた時」
スノウは大げさに床へ倒れる真似をした。
「『お前の未来を侮辱する闇に屈するな』って、小さな身体と幼い声でかっこいいこと言ってくれたわけよ」
「さすがイリヤ! 素敵!」
ルリシアの目がきらきらと輝く。その横で、イリヤの表情だけが微かに複雑だった。
「感動の名場面だと思うじゃん? で、苦しみながら立ち上がった俺になんて言ったと思う?」
ルリシアが「う〜ん」と唸る。
「『この服に伸縮魔法をかけろ』だってさ」
し〜ん、と通路が静まった。
「……伸縮魔法?」
ルリシアがイリヤを見上げる。イリヤは表情一つ変えず答えた。
「着る者に合わせて服の寸法を変える魔法だ。身体が戻る時に備えてかけておいた」
「へえ、闇魔法ってそんなこともできるんだ!」
「こいつの得意魔法みたいだからな」
あっさりと答えるイリヤにスノウの目が丸くなる。
「……なんで知ってんの!?」
「計画書の隣に積んであった禁書に紛れて、その術式の魔導書もあったからな」
「もしかしてイリヤが勝手に入ってきた、あの時に見たのぉ!?」
「お前が言うな」
イリヤの赤い瞳がちらりとスノウを向く。
「日頃から、自分の身体を小さくして遊び回っていたんだろう」
ピシッと、スノウが固まった。
「……だから、なんで知ってんの!?」
「お前が自分で言っていたんだ」
イリヤが即座に切り捨てる。
「帝国にいた間、お前は俺の部屋で日記か何かを書きながら、いちいち音読していただろう。『ちっちゃくなって図書館の書架のてっぺんに登った。眺め最高。司書がびっくりしてた。ウケる』」
「――やめてぇぇぇっ!!」
スノウが絶叫して耳を塞いだ。
「なんで覚えてんの!? 勝手に聞かないでよ!!」
「そもそも日記を音読するな」
「うっ……だって、書いてると楽しくなってくるんだもん」
子どもじみた言い分に、ルリシアが思わず吹き出した。
「ふふっ、わかるかも」
スノウがぱっと顔を上げる。
「でしょ? ね、ルリだって日記書くよね?」
ピシッと、今度はルリシアが固まった。
「…………え?」
「……ルリ?」
「か、書いてないよ!? 全然!」
声が盛大に裏返り、頬が赤いルリシアの顔を見たスノウの碧い瞳がすうっと細くなった。
「……何、慌ててんの?」
「慌ててないよっ!」
――嘘だ。
鍵付きの小さな本に、彼女は毎晩なにかを書きつけている。彼に初めて名前を呼ばれた日。彼が笑った日。今日の彼の姿や行動。そして彼への溢れる想い……。
(イリヤに言えないこと、私にもあった!)
「へえ〜? ほんとに〜?」
スノウがじりじりと距離を詰めてくる。
「ほ、ほんとだよ!」
「誰にだって言えない恥ずかしい秘密ひとつやふたつはあるよね〜?」
「だから、書いてないって!」
――その時だ。
ずしんと、通路の奥から重い音が響く。三人の動きが同時に止まる。
「……何か、来るな」
イリヤが剣の柄に手を添えた。ルリシアが心底ほっとした顔で息を吐く。
「た、助かった……」
「今、助かったって言った?」
「言ってない!」
イリヤは通路の奥を見据えたまま、しれっと言った。
「……日記の件は、あとで聞く」
「なっ、なんでもないよー!?」
真っ赤な顔で叫ぶルリシアの声が、暗い通路に響き渡った。
後編へ続きます。




