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第27話 ひとすじの光

 通路の向こうから、聞き慣れた声が飛んできた。


「ルリーっ! レイラーっ!」


 セナが手を振りながら駆けてくる。その後ろから、エリックが息を切らせて続いた。

 そんな二人を見守るように銀色のローブから微かに水色の髪を揺らして歩く、女性魔導士の姿があった。


「クロヴィス殿下、遅くなりました。地下から、全員を保護し、指定された区画に移動が完了致しました」

「ああ、ご苦労だった。ルディナ」


 クロヴィスの労いにルディナが一礼した。そのすぐそばで、賑やかな声が弾けた。


「……セナにエリック、良かった。無事だったのね」

「おう! 聞いてくれよレイラ、俺ら三つ首の犬倒したんだぜ! 三つだぞ、三つ!」

「その話は、またあとでゆっくり聞くわ」

「なんで今聞いてくれねぇんだよ!」


 騒ぐエリックの横で、セナがぴたりと足を止めた。眼鏡の少年を、上から下まで眺める。


「……ちょっと待って。ライル、なにその恰好」

「……二度目です、その質問」


 ライルが盆を抱え直し、力なく答えた。


「話すと長いので、寮に帰ってからでいいですか」

「よくない! 今聞きたい!」

「セナさん、僕は昨日からずっと起きてるんです。勘弁してください」

「それは、みんな一緒!」

「確かに」


 ライルのぐったりとした声に、反論するセナ。レイラが小さく吹き出した。


 賑やかなその傍らで、クロヴィスがレオンに視線を移した。


「レオン殿。保護した人たちのこと、あとはお願いできますか?」


 柔らかな翡翠(ひすい)の瞳に、レオンは顔を引き締めた。


「もちろんです。僕が責任を持ちます。住むところも、暮らしも、体のことも。全部、最後まで」


 集まっていた官吏(かんり)たちが、一斉に振り返る。


「僕の名前が使われたことで、この人たちはここへ来ました」


 紫の瞳が、まっすぐな光を宿す。


「ならば、僕の名前で連れて帰ります」


 誰も、異を唱えなかった。



**



 ルディナは、崩れた生垣(いけがき)と焼け跡と、その上に薄く残る(しも)を順に見渡してから、隣に立つ男へ視線を向けた。


「……ジルケット」

「おう、お疲れ! ルディナ」

「何があったの?」

「んー……」


 ジルケットは剣の柄に手をかけながら、深緑の瞳を明後日の方へ泳がせた。


「色々あったんだ」

「色々?」

「そう、色々。まあ、ひと言で言うなら『イリヤのルリに手を出すと危険』ってところか?」

「……はあ?」


 ルディナの目が丸くなる。空気が一段冷えたところで、クロヴィスが横から割って入った。


「まあまあ、ルディナ」


 クロヴィスが、実に爽やかに微笑む。


「要するに、あの二人がまた手柄を立てたということさ」


 その視線の先を追って、ルディナは口を閉ざした。朝日が戦場の跡を、まっすぐに照らしていた。生垣や石畳の焦げた匂いに冷たい水の匂いが混じっている。


 その真ん中に、男が一人立っていた。


 紺色の髪が朝の光を透かし、腕の中には金色の髪の少女が横抱きに抱えられている。彼女は目を閉じ、彼の胸に頭を預けたまま、静かに息をしていた。乱れた髪が風にゆっくりと流れていく。


 大切なものを抱える彼に、誰も声をかけられなかった。


「……なるほど」


 何かを察したルディナの唇が、わずかに動く。


「そういうこと」


 ジルケットが、にっと笑った。



**



「クロヴィス殿下」


 イリヤが、腕の中の彼女を見下ろしたまま口を開いた。


「ルリを、寮の部屋へ連れて帰りたい。あとはお願いしても宜しいでしょうか?」


 クロヴィスが眉を上げる。


「医師には見せなくていいのか? 怪我をしていないとは言い切れない」


 その言葉にイリヤは口を閉ざした。

 ただ、彼女を抱える腕に力がこもった。


 クロヴィスはその一動作をしばらく眺めていた。それから、ふっと肩の力を抜いて笑う。


「……わかった」


 翡翠色の瞳が、優しく細められた。


「できることは、こちらでやっておく。今はルリシア嬢のそばにいてやれ」


 イリヤは静かに頭を下げ、歩き出した。

 その足が、通路の入り口で止まる。


 銀髪の男が、行く手を塞ぐように立っていた。


「……イリヤ、あのさ」


 何か言おうとして、言葉を探して、結局へらりと笑おうとして失敗している。

 イリヤは再び足を進め、その横を通り過ぎながら告げた。


「あとで、話は聞いてやる」


 それだけ言って、足を速めた。

 スノウはその背を見送りながら、今度こそへらりと笑った。



**



 寮の部屋に到着すると、イリヤはルリシアをベッドに横たえ、金色の髪を丁寧に掻き分けて耳にかける。彼女の白い肌に残る焼けた赤い跡を見て、一度だけ目を伏せた。


 彼女の左手薬指を見てから、自分のポケットからそれを取り出した。


 彼女の指輪の石は欠けている。自分の(てのひら)の上に乗っている銀色の指輪も、石は砕け、輪も剣で突き刺した影響から歪んでいた。

 二つの指輪からは、もう温もりと鼓動は感じない。


 しばらく、イリヤはそれをじっと見つめていた。

 やがて彼女の髪に手を伸ばすと、ゆっくりと何度も撫でた。


「……ルリ」


 声が落ちた。


「お前が、本当に聖女だとしたら。……俺たちは――」


 言葉が、途切れる。


「……んぅ……」


 小さく身じろぎがあった。


「……イリヤ……豆……食べて……あげる」


 寝息の中から、言葉がこぼれる。眠ったまま、彼女は頭に添えられた手のほうへ、ゆっくりと擦り寄った。頬が掌に収まって、それきり動かなくなる。


 イリヤの目が丸くなる。それから、ふっと自然に笑った。


「ああ、助かるよ」


 眠る彼女に答えると、ルリシアはわずかに微笑んだ……ように見えた。


 変わらず穏やかな寝息が聞こえてくる。

 イリヤは顔を寄せ、愛おしそうにその額に唇を落とした。


「……ここにいる。ずっと一緒だ」


 少し高くなった陽射しが、二人の上に静かに降りていた。



**



 その日の夜。


「ねえ、リヒト。俺さぁ」


 帝都の裏通りを歩きながら、スノウは前を行く背中に声をかけた。


「しばらく謹慎処分じゃなかったっけ?」

「ええ、そうですね」

「そうですねって」

「殿下に、特別の許可をいただいております」


 リヒトはあっさりと言って、眼鏡を押し上げた。


「レオン殿下は、話のわかる方ですから」

「……そういえばさ」


 スノウが思い出したように、リヒトの顔を覗き込む。


「リヒトがレオン殿下の配下だったの驚いた。いっつも学院にいるイメージだったからさ」

「配下というほど大層なものではありませんよ」


 リヒトは、懐かしさを滲ませながら答えた。


「あの方が、まだお生まれになったばかりの頃から、お側におりました」


 さらりと落とされた一言に、スノウは口を開けたまま固まった。


「……え? 何年働いてんの? てかリヒト何歳?」

「お答えできかねます。教師ですので」

「答えになってないよ、それっ!」


 リヒトはそれ以上何も言わず、細い路地を折れた。


 しばらく進んだ先、見覚えのある灯りの前で足を止めた。そこは、スノウの行きつけのお店、夜交館『胡蝶(トバリ)』。


「……え」


 スノウが目を丸くした。


「え、待って。リヒトもこういうところに興味あるの?」

「違います」


 即答されたそのとき、扉が開いた。


「――あら、リヒト先生?」


 顔を出したサーシャが、意外そうに首を傾げる。


「え!?」


 スノウの声が裏返った。


「二人とも、知り合い!?」

「サーシャさん」


 リヒトは、スノウの疑問をきれいに無視して尋ねた。


「アゼルくんから、お手紙は届いていますか?」


 空気が固まった。


「……は?」


 スノウの喉から、掠れた音が漏れる。


「今、なんて……」

「ええ、今月も来てるわよ。相変わらず、字が下手」


 サーシャが(そで)から折り畳んだ紙を取り出して、ひらりと振ってみせる。


「生徒に舐められてるって、ずっと愚痴(ぐち)ってるの」

「……生徒?」

「兄さん、今は辺境の学校で先生をしてるのよ」

「兄さん!? なに? リヒトどういうこと!?」


 スノウの視線が、ぐるりとリヒトへ向いた。


「アゼルくんはあの日、帝宮の地下から連れ出されました。彼には、闇への変換が備わっていた。……使い道のある人間は、生かされます。生かされたなら、こちらの手も届く」


 眼鏡の奥の藍色が、ほんの少しだけ和らぐ。


「私が引き取り、辺境へ送りました。もう、ずいぶん前の話です」

「……じゃあ、サーシャは……」

「わたしは自力よ」


 サーシャが胸を張った。


「兄とはぐれて、帝都まで歩いてきて、運良くここの支配人に拾われたの。それから死ぬほど働いたわ」


 軽く笑って話すサーシャだったが、その口ぶりには歩んできた道の長さがにじんでいた。


「その途中でリヒト先生に出会って、兄さんと再会できたの。先生の調合した薬のおかげで、喘息もだいぶ改善されたわ」


 スノウは、何も言えずに立ち尽くしていた。

 アゼルの所在。そして、サーシャがその妹だったという事実。闇商人から逃げ出したあの日に、荷台の奥で、アゼルの隣で咳をして苦しそうだった黒髪の幼い少女。


 情報量の多さに処理しきれないのか、空いた口が塞がらないスノウの顔を、サーシャがじっと見た。


「……やあねえ。あんたがずっと探してた人って、兄さんだったわけ?」

「…………」

「名前、一度も出さなかったじゃない。黒髪の孤児なんてたくさんいるから、わからなかったわ」


 呆れたように、けれど怒ってはいない声だった。


「ずいぶん、遠回りしたわね」


 碧い瞳が揺れた。


 アゼルに謝りたい。ずっと、そう思っていた。「助けられなくて、ごめん」と言いたい。あの日にアゼルに言われたことが頭から離れずに何度も夢に見た。


 ――なのに。


「……アゼルに会いたいけど……会うのはこわい」


 こぼれた言葉は、自分でも驚くほど小さかった。サーシャは、それを笑わなかった。


「そう」


 軽く肩をすくめる。


「なら、今はいいじゃない。今はもう、大丈夫よ」


 そして、少しだけ声を柔らかくした。


「それにあの人、ものすごい照れ屋だから。会ったら会ったで、たぶん最初はそっぽ向くわよ」


 スノウの喉が詰まった。


「……生きてれば」


 サーシャは、夜空を見上げるように顎を上げた。


「いつかまた、笑って会える日が来るわ」



**



 帰り道。

 スノウはリヒトと並んで、帝宮へ続く坂を上る。


 魔導灯が足元を照らし、街はいつも通り明るかった。見上げても、やはり空には何もない。星の一つも見えない、黒く塗り潰されたような夜だった。


「……星、やっぱり見えないね」

「街が明るすぎるのです」

「知ってる」


 スノウは笑って、それでも空から目を離さない。


 ――そのときだった。


 塗り潰されていたはずの夜を、白い光がひとすじ、滑り落ちていった。


「……あ」


 思わず、足を止める。


 ひときわ大きな流れ星だった。長い尾を引いて、屋根の向こうへ静かに消えていく。


 スノウは、しばらく動けなかった。

 やがて、そっと右耳に触れる。あのピアスは石ごと砕けて消えてしまった。今はもう、縛りつける(くさび)はない。


「……なあ、ノクティス」


 誰にともなく、呟いた。


「ずっと下ばっか見てたら、幸運逃しちゃうよな」


 返事はない。それでも、どこかで小さく笑われた気がした。


「……生きるよ、俺」


 碧い瞳が、まっすぐに夜空を映し出す。


「あいつらの背中を、追いかける」


 リヒトは何も言わず、穏やかな笑みを浮かべて、同じ夜空を一緒になって見上げた。


 長い間、闇に沈んだ帝都に、ようやくひとすじの光が差し込んだような気がした。

いつもお読みいただきありがとうございます。次回は、第三部帝国編の最終話です。少し長めのお話になりそうですので、ゆっくりお付き合いいただけたら嬉しいです。

なお、次回の更新に合わせてタイトルを少しだけ変更いたします。


「氷華の騎士様に恋したら、試練が多すぎました」

  ↓

「氷華の騎士様に恋したら、試練が多すぎるけど溺愛されています」


ご覧の通りほとんどそのままですので、迷わせてしまうことはないかと思います。あらすじも合わせて手を入れる予定です。よろしくお願いします。

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