↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
80/88

第26話 氷華の真価

「俺のルリに、触れるな」


 凍てついた空気の中で、その声だけが低く響いた。


「なんだっ! お前は!?」


 白い息を吐きながら、ヴォルガーは弾き飛ばされた黒剣を拾い上げに駆け出した。(てのひら)の焼け(ただ)れた皮膚が、冷気に触れて鈍く軋む。


 全てを見透かすような瞳が、こちらを捉えている。それが何より(しゃく)(さわ)った。


 ヴォルガーは蓄魔鉱(ダークリザーバ)に意識を落とした。刀身が紫に明滅(めいめつ)し、それを塗り潰すように炎が這い上がる。


「――全部、焼き尽くしてやる!」


 地を蹴る。

 わずかに距離を置いた位置から、一息に間合いを詰め、炎を纏った黒剣を振り下ろす。


 その瞬間、イリヤは剣を軽く払った。


 ――フロスト・ヴェール――


 視界が一瞬で白く塗り潰された。噴き上がった冷気が、振り下ろした炎ごと喰らい尽くす。熱が届く前に掻き消え、叩きつけた斬撃(ざんげき)は何の手応えもないまま沈んだ。


「なっ……」


 ヴォルガーは白い霧に飲み込まれそうになる寸前、黒剣を突き立てた。


「……んだよっ、この霧!!」


 足元で熱波が爆発的に膨れ上がり、石畳を焦がす。ヴォルガーはその奔流(ほんりゅう)に自ら乗り上げ、炎を翼のように広げて強引に空中へ駆け上がった。


 イリヤの視線が、瞬時にその動きを射抜く。彼は剣を軽く上に振った。


 冷気が追うように渦を巻く。きめ細やかな氷の粒子(りゅうし)が空中に結晶化し、イリヤの靴底を支えた。彼は凍てついた階段を駆け上がるように空へと移る。


 炎の熱を冷気でかわしながら、ヴォルガーの背後を取った。


 そのまま、剣を振り下ろす。


 蒼い軌跡(きせき)が一直線に落ち、ヴォルガーが黒剣を真上に掲げて受け止めた。


 ――キィィィンッ!


 甲高い金属音が、凍てついた空間に鋭く弾けた。鋼と鋼が噛み合い、霜と火の粉が同時に散る。衝撃が両腕を突き抜ける。


(――重い!)


 ヴォルガーが歯を食いしばる。イリヤの剣が重いのか。それとも、自分の力がすでに鈍っているのか。どちらとも判別がつかない。


 だが、目の前の男は表情ひとつ変えない。刃と刃が押し合うたび、軋むような鋭い音が連続して響いた。冷気が二人の周囲で渦を巻き、その音をさらに冷たく増幅させる。



 通路の入口。

 二人の戦いを見つめている者たちがいた。


「……これは」


 先頭に立つリヒトが、銀縁眼鏡の奥で藍色の瞳を細める。後ろにはスノウとレオンの姿があった。リヒトは凍てついた空気をゆっくりと吸い込み、魔力の流れを読み取った。


 表情に、驚きが滲む。


「……感じたことのない魔力です。通常の水属性とは全く違う。粒子のひとつひとつが、彼の呼吸と完全に同期して氷を生み出している」


 スノウが戦場をまじまじと見つめる。


「……イリヤの奴、自力で戻ったのか?」


 レオンは唇を噛み締めながら、その戦いを目に焼き付けていた。



**



 朝の陽光の中、空中と地上を自在に移り変わりながら、二人の剣が激しく打ち合う。


 イリヤの蒼い刃は、常に半歩先を行っていた。ヴォルガーが炎を纏って斬り込めば、すでにそこにはいない。振り下ろした黒剣が空を切り、振り上げた瞬間には横から氷の軌跡が迫る。


 どうやっても、攻撃がイリヤを捉えられない。まるで、次の一手をすべて読まれているかのようだった。


「……なぜだ!」


 ヴォルガーが踏み込み、連続で斬撃を放つ。


 炎が()を描き、三方向からイリヤを囲む直前、彼は氷の粒子を足場にひらりと宙を舞い、すべてをかわした。その動きに、ヴォルガーはハッと息を呑んだ。


 空中に浮かぶ無数の鏡の結晶。そこに映る自分の姿が――明らかに、現実の自分より数瞬早い。

 腕を振り上げる前に、鏡の中の自分がすでに振り上げている。足を踏み出す前に、鏡の中の自分がすでに踏み出している。


 そのズレに、背筋が凍りついた。


(先読みされているのか……!)


 ヴォルガーは即座に間合いを取り、黒剣を指でなぞる。炎が一気に噴き上がり、黒煙の幕が爆発的に発生した。濃い煙が周囲を覆い尽くす。


「これで見えねえだろ……!」


 煙の中に身を隠し、気配を殺して横へ回り込む。イリヤの背後へ(おど)り出た。その瞬間、確かにイリヤの動きが先ほどよりわずかに遅れた。


(いけるッ!)


 黒剣が炎をまとって一直線に伸びる。


 だが――そのときだった。


 空中に浮かぶすべての結晶が、一斉に回転を始めた。ヴォルガーの周囲を一周するように高速で回り、鋭い風を巻き起こす。煙幕(えんまく)があっという間に()ぎ払われ、視界がクリアになる。


「なんっ……!」


 その隙を、イリヤに捉えられた。


 蒼い刃が煙の名残を裂き、ヴォルガーの側面を正確に突く。彼はとっさに黒剣で受け止めたが、体勢が大きく崩れた。


「こいつッ!!」


 逆上したヴォルガーが、今度こそすべてを焼き尽くそうと力を解放する。


 爆発的に広がる猛烈(もうれつ)な炎。熱波が氷の結晶を溶かし、鏡面を歪ませると、周囲の人間を巻き込むように赤く染めていく。


「――イリヤ!!」


 ルリシアの声が、炎の向こうから届いた。


 必死に名前を呼ぶその声に、イリヤの瞳がわずかに揺れる。彼は彼女たちに向かって剣を大きく横へ振った。


 ――プロテクション・フローレ――


 巨大な氷の花が、守るべき人々を中心に咲き誇る。厚く透き通った花弁が守護結界となり、ルリシアたちを完全に包み込んだ。


「……綺麗」


 ルリシアの胸に詰まるような声が、花の中に落ちた。


 炎が花弁に叩きつけられる。だが、その表面は鏡のようになめらかで、熱は撫でるように滑って逸れていった。焼き付くはずの炎が、映り込んでそのまま外へ返される。


「……跳ね返してんのか、これ」


 ジルケットが戸惑いながら呟いた。


 花弁に映るのは炎だけではない。空中に浮かんだ無数の結晶と同じものが、そこに同期している。ヴォルガーの動きが、彼が動くよりわずかに早く花の表面をなぞっていた。


 レイラが息を呑む。


「……見えているのね。イリヤには、全部」



 通路の入口で、三人は喰らいつくようにその戦況を見守っていた。


「……よく計算尽くされている」


 リヒトが眼鏡を押し上げ、思わず細く息を吐く。


「水魔法を基盤としながら、守護と攻撃、未来視までを一つの術式に内包している。イリヤくん……彼を初めて見た時に感じた違和感の正体はこれでしたか。……しかし、これが彼の本当の実力なのでしょうか」

「なにそれ……どういう意味?」


 スノウが困惑に首を傾げると、リヒトは軽く微笑んだ。


「……とても、美しくも未知数な魔法ということです」


 こぼれ落ちたその声には、教師としての感嘆(かんたん)が滲んでいた。



**



 戦場の中心で、冷静沈着な瞳と、憎悪に歪む瞳が絡み合う。


 氷の軌跡と炎の奔流。


 鋼が軋み、霜と火の粉が舞い散る中でも、イリヤの剣筋は無駄がなく、美しく、容赦がない。ヴォルガーの怒りに任せた斬撃(ざんげき)を、すべて最小限の動きで受け流しながら、カウンターを叩き込む。


「馬鹿にしやがって!!」


 ヴォルガーが怒りに震えた瞬間。

 パチっ、と耳元で小さな火の粉が弾けた。


『もお、もっと頑張ってよお』


 甘えるような、女の子の声。


『仕方ないからぁ〜、ちょっとだけ助けてあげる』


 黒剣に再び猛烈な炎が宿った。刃が赤く溶けかけ、熱の質量が桁違いに膨れ上がる。


 ――ギィンッ!


 イリヤは受け止めたが、鋼が熱に耐えきれず、刃に亀裂が走った。これまで、戦い続けてきた剣が限界を告げるように甲高い悲鳴を上げる。


 乾いた音を立てて、剣が砕ける。破片が、朝の光の中に散っていく。


「――もらったァ!!」


 歓喜(かんき)が、ヴォルガーの喉から(ほとばし)る。燃え盛る黒剣が、イリヤの胸を狙い下ろされた刹那、初めて彼の瞳が細まった。


「そんな、イリヤッ!!」


 花の中でルリシアが叫び、ジルケットの深緑の瞳が揺れた。


 ヴォルガーの口元が緩む。勝ったとそう思った。


 ――だが。


 散った破片が、空中で止まった。


 ――クリスタル・リバース――


 一拍後、砕けた破片が蒼い氷の結晶となって集まる。キラキラと輝きながら渦を巻き、イリヤの右手に吸い寄せられていく。


 宙に留まった無数のかけらが、ゆっくりと向きを変える。結晶が重なり、噛み合い伸びていく。氷の剣が、彼の掌の中で組み上がった。


 深い海の底を映したような蒼い氷剣。


 ヴォルガーの振り下ろした一撃は、その刃に迎えられた。


 ――キィン。


 澄んだ音が、ひとつ響いた。


 黒剣が根元から砕ける。炎ごと凍りついた破片が、細かな粒になって白銀の石畳へ降り注ぐ。


「……はっ」


 握っていたはずの重さが掻き消えた。ヴォルガーは、空になった自分の手を見下ろした。焼け爛れた掌の上を、白い息だけが流れていく。

 理解が追いつかない。だが影が差し掛かると顔を上げた。


 蒼い刃が、目の前に迫った。


 ――終わりだ。


 そう思った。剣を初めて握った日が走馬灯のように頭の中を横切ったとき――。


 ぼう、と。


 イリヤの眼前で、小さな炎の光が灯った。何もない空間に揺れるその炎は、それ以上一歩も進ませない壁のように立ちはだかる。


 凄まじい気配に、イリヤの動きが止まった。


『はーい、ストップ〜!』


 鈴を転がすような、無邪気な声が響いた。


『あーちゃんの使者、や〜っと見つけたぁ!』


 炎が、嬉しそうに跳ねる。


『もう隠れちゃダメだよ? また遊ぼうね! バイビ〜!』


 炎が一瞬だけイリヤの視界を塞ぎ、その隙にヴォルガーの体が炎に包まれて後方へ弾き飛ばされた。彼は転がるように通路の影へ消え、追跡を振り切るように逃げ去っていく。


 イリヤは、ゆっくりと氷の剣を下ろした。


 張り詰めていた冷気がふっと緩むと、銀世界は音もなく解け、朝日の光に還っていった。



**



 現状を見渡したリヒトがレオンの背をそっと押した。


「レオン殿下。さあ、お仕事です」


 レオンは小さく頷き、声を上げた。


「衛兵、騎士たちよ! あの男を追え! 必ず生きたまま捕えるのだ! 負傷者の確認と、周囲の鎮火も優先せよ!」


 指示が飛び、人々が動き出す。


 戦場の中央で、イリヤの手のなかにあった、氷の剣が音もなく白い粒子となって空気へほどけていった。


 向かい合うように、ルリシアが立っていた。


「……イリヤ」


 彼女の声には、嬉しさと安堵と限界が混じっていた。青い瞳が潤み、口を開いて何か言おうとする。


 けれど、その体が揺らいだ。


「ルリ……!」


 イリヤが駆け寄り、彼女の体を受け止める。細い肩が力なく彼の腕の中に沈み、意識が遠のいていく。その身体をそっと抱きしめた。

 乱れた金色の髪に顔を埋め、彼女の温もりを確かめるように腕に力を込める。


「……お前が無事で良かった」


 小さく、不安が溶けていく声。朝の光が、冷えた身体を温めるなか、イリヤは初めて安堵の息を深く吐き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。