第7話 二人きりの視察
ある日の放課後、先生から「学院長室に来るように」と呼び出された。
(……何か、したかな……? まさか授業中にイリヤくんのことを考えてぼーっとしてたのがバレた……?)
緊張で手が少し震えながら、深呼吸してノックする。
「失礼します……」
扉を開けると、学院長の重厚な机の前に、予想外の人物が立っていた。
(イリヤくん……!?)
赤い瞳がこちらを向く。
いつもの無表情だけど、私を見る目がほんの少しだけ柔らかい気がして、心臓が一気に跳ね上がる。
学院長が穏やかに口を開いた。
「ルリシア・クリスティーノ、イリヤ・クロウリー。再来週から始まるダンジョン探索実習の事前視察を、君たち二人に依頼したい」
説明によると、今回のダンジョンは過去に何度も使われている古い遺跡型で、通路が複雑に分岐しており、危険箇所が複数ある。
先生たちだけでは回りきれないため、騎士科、魔法科の首席の生徒がそれぞれの視点で視察し、危険度や生徒への注意点を報告する、というものらしい。
「今回は特に協力が必要だ。騎士科首席と魔法科首席が一組となって、同じルートを進み、互いの視点を補完してほしい」
「……二人で、ですか」
私は思わず呟いてしまい、学院長はにこやかに頷く。
「そうだ。この視察は首席の特権でもある。
イリヤは入学以来ずっとこの役目を務めてきたが、今回は一緒に組むことで、初めてパートナーがいる形になる」
イリヤくんは黙って頷くだけ。
でもその横顔を見た瞬間、私の中で何かが弾けた。
(……二人っきりで、ダンジョンの中を……? これって……デート……?)
頭の中で警報が鳴り響く。
いやいや、授業だよ! 視察だよ! 先生の命令だよ! でも、でも……イリヤくんと二人きりで、何時間も一緒にいるってこと?
頰が熱くなって、私は慌てて俯いた。学院長が最後に「準備は各自で。来週月曜の朝に集合だ」と言い、退出を促した。
廊下に出て、二人で並んで歩き始める。
私はまだ頭の中がデートモードでいっぱい。
足取りがふわふわして、つい笑みがこぼれそうになる。
「……ルリシア」
突然、低い声で名前を呼ばれて、ハッとする。
「はい!」
「遊びじゃないぞ?」
イリヤくんの赤い瞳が、まっすぐこちらを見下ろしている。真剣そのもの。
「え、あ……う、うん……! わかってる、わかってるよ……!」
(やばい……顔、めちゃくちゃ緩んでた……? 絶対バレてる……!)
顔がカッと熱くなって、両手で頰を押さえる。
「ご、ごめんなさい……ちょっと、びっくりしちゃって……」
イリヤくんは小さく息を吐いて、視線を前に戻す。
「……気を抜くな。ダンジョンはいつ何が起きるかわからない」
「うん……!」
でも、心の中では別の声が叫んでいる。
(でもでもでも! イリヤくんと二人きりだよ……!
これ、絶対デートだよね……? いや、違うでしょ!? でも……デートっぽいよね……?)
寮に戻るまで、私の頭の中はもうパニックだった。
──夜、寮の部屋。
私はベッドに突っ伏したまま、枕に顔を埋めてじたばたしてしまう。
「セナァァァ……!!」
同室のセナが、本をめくっていた手を止めて、にやにやしながら私の方に振り返る。
「どうしたの? なんか今日、ずっと顔赤いけど」
「聞いて聞いて聞いてぇぇぇ!!」
私は勢いよく起き上がり、セナのベッドに飛び乗った。
「来週、ダンジョン視察で……イリヤくんと二人きりなの……! 首席同士で一緒にルート回って、危険箇所確認して、報告して……って!!」
セナの目が一瞬でキラキラ輝く。
「え、マジで!? 二人っきり!? ルリ、デートじゃん!!」
「ち、違うってば! 授業だって! 視察だって!
でも……でもでも……二人でダンジョンの中歩くんだよ……?
暗い通路とか、狭いとことか……手とか繋いじゃったら?……どうしよう!」
セナが大爆笑しながら私の肩をバシバシ叩く。
「やばっ! ルリ、めちゃくちゃ期待してるじゃん!! まぁ、イリヤくん、絶対ルリの事意識してそうだし、あり得なくはないよね?」
私は思わず顔が熱くなり、枕を抱えて顔を埋めた。
「そ、そんなこと……。でも今日、イリヤくんに『遊びじゃないぞ』って真顔で言われて……私、浮かれてるのバレバレだったみたい……」
セナはベッドに寝転がって天井を見ながら、風の小さな渦を指先でくるくる回す。
「まぁ、でもさ……イリヤくんって、無表情で何考えるのかわからないけど、『遊びじゃないぞ』って言ったのも、実は『危険な目に合わせたくない』って意味の彼なりの優しさかも!」
「……そんな風に考えていいのかな」
私は枕を抱きしめて、頰を真っ赤にしながら呟く。
「でも……もし、本当に二人きりで……暗いところで何かあって、イリヤくんが守ってくれたりしたら……?」
想像しただけで胸がぎゅーっとなる。
セナがニヤニヤしながら追い打ちをかけてきた。
「そしたらルリは『イリヤくん……!』って抱きついちゃうんでしょ?
で、イリヤくんは無表情のまま『……馬鹿だな』って頭撫でて……きゃー!! もう最高だね!!」
「セナ! からかわないでよぉぉ!!」
私たちは枕を投げ合って大騒ぎ。胸の中では、不安と期待と、甘い予感がぐるぐる渦巻いていた。
(来週……本当に、イリヤくんと二人きりなんだ……)
この視察が、私たちの距離をまた一歩、確実に縮める予感がした。
──ダンジョン探索視察当日まで、あと数日。
学院内のお昼休みの食堂はいつも通り賑やかだった。
私はレイラ、セナ、同じクラスの友人エマとテーブルを囲み、今日のメニューを頬張りながら他愛もない話をしていた。
「ルリ、ダンジョン視察楽しみでしょ〜? イリヤくんと二人っきりだもんねぇ」
セナがニヤニヤしながら肘でつついてくる。
私は慌ててスプーンを止めた。
「だから違うってば! 授業だよ! 真面目にやるんだから!」
声を潜めて返すけど、顔はもう赤い。
そんな時──突然。
「……ルリシア」
低い、落ち着いた声が背後から響いた。
食堂全体が、スプーンが皿にぶつかる音まで聞こえるくらい、一瞬で静まり返る。
私がゆっくり振り返ると、そこにイリヤくんが立っていた。黒い制服の襟を正し、赤い瞳がまっすぐ私を捉えている。
周囲の女子生徒たちから、抑えきれない悲鳴とざわつきだした。
イリヤくんはそんなざわめきを一切無視して、淡々と続ける。
「放課後、図書室で話がある。来てくれ」
用件だけを告げて、静かに踵を返すイリヤくんの背中を、私は呆然と見送った。
羨望、嫉妬、興奮の声が渦巻き、食堂が再びざわつき始める。レイラが私の肩を軽く叩いて、にやりと笑う。
「ねえ、ルリ。……告白かしら?」
「ち、違うよ! きっとダンジョンのことだよ!
地図の確認とか、ルートの相談とか……!」
私は慌てて否定するけど、心臓の音が耳の中でうるさくて仕方ない。
いけない、平常心平常心。
こんなことで浮かれて、ダンジョンを真面目にこなせなかったら、「天才美少女優等生ルリシア」失格だ。
……そう言い聞かせつつ、私は早めに昼食を切り上げ、トイレに駆け込んで歯を磨き、髪を丁寧に整え、制服の襟も直した。
鏡の前で深呼吸を三回。
隣で手を洗っていたエマが、ふんわり微笑む。
「恋する乙女だね〜?」
「エマまで……!」
そして、放課後。ドキドキしながら図書室へ向かう。扉を開けると、いつもの窓際の席にイリヤくんがすでに座っていた。
黒い制服が夕陽に映えて、なんだかいつもよりかっこよく見える。
(……本当に、いつ見てもかっこいい)
私は深呼吸して近づいた。
案の定、話はダンジョンのことだった。
イリヤくんが机の上に広げたのは、王宮の探査部隊から特別に借り受けた古い地図。
先生から預かったものらしい。
複雑に分岐した通路、崩落の危険箇所、魔物の痕跡が記された詳細なものだ。
「このルートは以前視察した時より崩れが進んでいる可能性がある。ここは魔法で補強が必要だ。
君の四大属性の共鳴で、事前に安定させられるか?」
イリヤくんの声は真剣そのもの。
私もすぐに切り替えて、地図に目を凝らす。
「うん、ここは地属性で壁を補強して、風で空気の流れを確認すれば……炎は控えめに、水で湿気対策を……」
私たちは地図を挟んで真剣に議論をした。
気がつくと……意外と時間が経っていた。
話が一段落つき、イリヤくんが地図を丁寧に畳み始める。
「……これで大まかな把握はできた。ありがとう」
立ち上がろうとするイリヤくんの袖を、私は思わず掴んだ。
「あ、待って……!」
イリヤくんが振り返り、赤い瞳が私を捉える。
「……あの、もう少し……話、してもいい?
イリヤくんのことを、もっと知りたくて……」
私の声は少し震えてしまった。
イリヤくんは一瞬黙ってから、軽く頷いた。
「……外のベンチなら」
学院の裏庭にある、古い石のベンチ。
木々が風に揺れて、柔らかな日差しが差し込んでいる。
私とイリヤくんは並んで座り、少しの沈黙の後、私が勇気を出して口を開く。
「今まで、どんな視察したの? イリヤくん、入学してからずっと首席で……毎年行ってるんでしょ?」
イリヤくんは空を見上げて、ぽつりと答える。
「……一年目は氷結の遺跡、寒かった。
二年目は深淵の地下迷宮は、回りくどくて面倒だった。三年目は……炎の回廊、熱かった。
どれも、危険度はそれなりに高かったが……問題はなかった。だが一人で回るより、今年の方が……」
淡々と話す、イリヤくんの言葉が途切れて、私はそっと顔を上げる。
「……今年の方が?」
「……慎重にいかないといけない」
イリヤくんの声は低く、でもどこか柔らかい。
私はドキッとして、言葉に詰まった。
(……やっぱり、心配してくれてるの?)
その時、ふわりと風が吹き、私の長い髪が舞い上がり、口元にかかる。
次の瞬間──。
イリヤくんの指が、そっと私の髪を掬い上げ、優しく耳の後ろにかけた。
私たちの視線が絡み合い、距離が急に近くなった。
「……ありがとう」
私は小さく呟く。
イリヤくんは視線を逸らさず、静かに言う。
「いや、ダンジョンでは動きやすい方がいい。
髪が邪魔になると、危ない」
「うん……」
「それに……綺麗な髪が傷つくといけないからな」
その言葉に、私の頰が一気に熱くなる。
心臓がうるさくて、息が詰まりそう。
「……イリヤくんって、本当に……ずるい」
思わず漏れた本音に、イリヤくんがわずかに目を細める。
「……そうか?」
「うん。そんなこと、さらっと言っちゃうんだもん……私、ドキドキしちゃうよ……」
私は俯いて、膝の上で指を絡める。
イリヤくんはしばらく黙っていたけど、ふっと小さく息を吐いた。
「……俺も、だ」
その声はいつもより少し掠れていて。
私が顔を上げると、イリヤくんはもう空を見上げていた。耳の先が、ほんのり赤い。
私たちはそれ以上何も言わずに、ただ並んでベンチに座っていた。
風がまた吹いて、木の葉がさわさわと音を立てる。
この瞬間、私たちの間に流れる空気は、これまでで一番甘く温かかった。
──ダンジョン視察まで、あと少し。
きっと今よりあなたに近づける……もう少しだけ、あなたのそばに近づきたい。




