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第18話 四つの夜

 帝宮内。夜も更けた静かな回廊に、二人の足音が小さく反響していた。


「――そういえば」


 アレクシスが、ふと歩を緩めた。


「近頃、レオンの姿を見ないな。どうしている」

「はい。何でも、帝都外への慰問(いもん)に赴かれているようで。最近は頻繁にお出かけになっております」

「……慰問」

「ええ。孤児院や療養所などを回られているとか」


 紫の瞳がわずかに細まった。


「……熱心なことだ」


 あれは昔から、そういう人間だ。弱い者を見れば手を差し伸べずにいられない。珍しいことではない。それでも喉の奥に小骨のような違和感が残り、アレクシスは口を開きかけたが――。


「レオン様は、以前より仰っておいでです。『魔法の使えない自分にできることは、これくらいだから』と」


 執事の言葉に、アレクシスは口を閉ざした。再び歩みを速め、「そうか」と小さく零した。


 回廊の先、正面玄関の方角がにわかに騒がしくなった。


「殿下!」


 衛兵の一人が転がるように駆け寄り、床に片膝をついた。


「も、申し訳ございません。エメラルド王国の御令嬢が――」


 言い終わるより早く、玄関広間から凛とした声が響き渡った。


「――ですから! 何度も申し上げておりますでしょう!?」


 広間の中央に、赤い髪の令嬢の姿があった。

 供も連れず、エメラルド魔導学院騎士科の黒の制服を身に纏い、金色の瞳が居並ぶ衛兵たちを鋭く射抜いている。


「わたくしの友人が、一人、行方知れずなのです。帝国の御厚意でお招きいただいた、その滞在中に。……これは、どういうことですの?」

「し、しかし御令嬢、夜分に無断で帝宮へ立ち入ることは――」

「規則の話をなさっているの? わたくしは、人ひとりの話をしておりますのよ」


 衛兵が言葉に詰まる。


「これはこれは。……バーズフェルト公爵家の御令嬢か」


 アレクシスが悠然と広間へ降りてくると、レイラは即座に向き直り、丁重に頭を垂れた。顔を上げた瞬間、金色の瞳の光は一段と強くなっていた。


「皇太子殿下。夜分の無礼、幾重にもお詫びいたしますわ。……ですが、緊急ですの」

「ほう。何があった」

「わたくしの友人ルリシアが、寮から消えました。屋敷内を隈なく探しましたが、姿が見えませんの」


 アレクシスは、いたわるように眉を寄せてみせた。


「それは心配だな。だが、帝都は広い。若い娘が夜歩きに出たということも――」

「彼女は、暗いところが大の苦手なのです」


 被せるように、レイラは言い切った。


「一人で夜歩きなど、天地がひっくり返ってもいたしません。……殿下。帝国の警備は、国賓の生徒一人守れぬほど手薄でいらっしゃいますの?」


 広間の空気がぴりぴりと張り詰めた。衛兵たちが顔を強張らせる。


「父に――バーズフェルト公爵に、何と報せればよろしいかしら。娘の友人がシルヴァリス帝国で行方知れずになりました、と?」


 紫の瞳と金色の瞳が、真正面からぶつかり合った。


「……随分と勇ましい令嬢だ」

「わたくし、友人のこととなると少々気が短いものですから」


 レイラは微笑み、一歩も退かない毅然とした態度を貫いた。


「今すぐに捜索を。――記録に残る形で、お願い申し上げますわ」


 その光景を少し離れた回廊の隅から、幾人もの侍女たちが息を潜めて見つめていた。


「ねえ、あの方……どなた?」

「エメラルド王国の、公爵令嬢様ですって」


 答えたのは、盆を抱え眼鏡をかけた一人の侍女。


「まあ、あのバーズフェルト公爵家の? あんなに感情を露わにする方だなんて……」

「何かあったのかしら。アレクシス様に、食ってかかっていらっしゃるわ」


 ひそひそと交わされる声。その輪の中で、眼鏡の侍女は目を細めて深く頷いた。


「ほんとにねぇ……こわーい」


 るんるんと軽い足取りで、侍女は輪を離れ、盆を抱えたまま回廊の奥へと去っていった。誰も呼び止めなかった。


 残された侍女たちが顔を見合わせる。


「……ねえ。今のあの子、誰?」

「新人じゃない?」

「そうよねぇ……」


 侍女たちがそろって首を傾げた。けれど気に留める者もなく、視線は再び広間へと戻っていく。

 公爵令嬢の凛とした声が、まだ強く響き続けていた。



**



 帝都中央区。エーテル・コアの入り口で、見張りの二人は困惑していた。


「……見学ですか。こんな夜中に?」

「ええ。どうしても、夜間の稼働状態を見たいと生徒たちが……」


 リヒトが、実に申し訳なさそうに眉を下げた。


「見たいですー! 昼と夜で魔力の流れって変わるんですよね!?」

「俺、昼間ちゃんと見れなかったんだよなあ! あの光るやつ、夜のほうが絶対キレイだろ!」


 セナとエリックが両側から身を乗り出して騒ぎ立てる。見張りの眉間に深い皺が刻まれた。


「……勉強熱心な子たちでしょう?」


 リヒトが、困り果てた教師の顔で微笑む。


「安心してください。私が責任を持ちますから」


 見張りたちは顔を見合わせると一人が、もう一人の袖をそっと引く。


「……いいのか?」

「仕方ないだろ……ノヴァリス先生だぞ」


 短い小声でのやり取りの後、彼らは諦めたように息を吐いた。


「……禁止区画には、絶対に入らないようにしてくださいよ」

「「はーい」」


 見事に揃った返事が響いた。三人が通用門を潜り、淡い紫の光が脈打つ通路を進みながら、エリックがごそごそと懐から袋を取り出した。


「セナ、菓子食う?」

「え、持ってきてんの!? ウケる!」

「――飲食は禁止ですよ!!」


 背後から見張りの怒声が飛んでくる。


「「はーい!」」


 二人の声が再び綺麗に重なると、リヒトは眼鏡を押し上げて深々とため息をついた。



**



「もっと早く走れ」

「ちょっと……イリヤさん? 中身戻ってますよね?」

「お前が転移を使えない以上、走るしかないだろう。死ぬ気で走れ」

「絶対戻ってる! ドS全開! さっきはあんなに愛らしかったのにぃ〜」


 肩の上から降ってくる声は幼いのに容赦がない。スノウは荒い息を吐きながら、夜の帝都を駆け抜けた。左肩に小さな騎士を乗せ、右手にその剣を握りしめ、魔導灯の光が後ろへ流れていく。


「……でさ。なんで図書館なわけ?」

「皇太子の企みを完全に潰す。そのために、確かめておくことがある」

「いやいや、待ってよっ」


 スノウが息を切らしながら食い下がる。


「サーシャの情報だと、俺が知ってる帝宮の地下と、エーテル・コアの最深部にさらわれた人たちがいるって話だろ? だから、みんなをそっちに行かせたわけだけど……なんで俺たちだけ図書館なんだよ」

「二箇所とも、おそらく運び込むだけの場所だ」

「……は?」

「あんな白昼堂々と攫った人間を移動させる場所が、計画の要とは思えない。あの二箇所は表向きだ。計画を実行するための『本当の場所』が、別にある」


 背筋に冷たいものが走る。自分の方がずっと長く、この計画の近くにいたはずなのに、そんな発想は一度も浮かばなかった。


「二つの場所を繋ぐ結節点(けっせつてん)。術者が立つ場所が、必ずある」


 小さな手が、前方を指した。


「お前の計画書には、その場所が書かれていなかった」


 スノウの足が、一瞬もつれかけた。


「書く必要がなかったんだ。……お前がそこに住んでいるからだ」


 ――帝国立図書館。


 閉ざされた正門の前で、スノウは息を切らして立ち止まった。指を鳴らすと錠が音もなく外れ、重い扉が内側へ開いた。


 紙とインクの匂いが充満している。天井まで届く書架が、無数の柱のように暗がりへ続いている。


 その最奥。積み上がった禁書や書類に埋もれた、スノウの部屋。


「……で、ここで何を確かめるわけ?」


 イリヤが肩から降り、差し出した掌の上に透き通った小さなトカゲ姿の精霊が現れた。


「……その精霊、あの時の?」

「お前が見た精霊とは別の精霊だ。この精霊には、一部始終を記録させていた」


 精霊が身を震わせると、淡い水色の光が書庫をふわりと包み、外の気配を遠ざけた。


「見ろ」


 精霊が青く輝き、溜め込まれた記録が光となって宙に滲み出した。


 ――幌馬車(ほろばしゃ)が帝宮の裏門を潜っていくと、荷を降ろされた石造りの広間では、怯えている者、不思議そうに辺りを見渡す者、様々な人たちが一列に並べられていく。


 黒のローブ姿の男が、黒い結晶石を手に列の端から歩いていく。一人ずつ、石を握らせる。    

 ある者は結晶石が紫に灯り、男は無言でその者を右へ押しやる。 次の者は灯らず、左へ。次も灯らず、左へ。


 広間の床には二つの転移陣。灯った者たちが右の陣へ、灯らなかった者たちが左の陣へ、それぞれ追い立てられていく。

 黒い光が二度、順に弾けた。そして、誰もいなくなる――。


 映像がそこで薄れた。この先は結界に阻まれ、精霊も入れなかった。


「……魔力を視てる」


 スノウの声が小さく落ちた。


「石が反応するかどうかで分けてるんだ。……闇への変換に適合するか、しないか」


 右へ回されたのはほんの数人。左へ流されたのはそれよりずっと多い。


「……なんで、分けてるんだ?」

「同じ扱いではないからだ」


 イリヤは、消えた映像の残滓(ざんし)を見据えたまま言った。


「片方は何かに使うために選ばれ、もう片方は――選ばれなかった」


 スノウの喉が、かすかに鳴った。


「俺が地下研究所で接していたのは、選ばれていた人たちってことか……だから」


(……あいつらの姿はなかったのか)


 イリヤの幼くも鋭い視線がスノウを射抜くと、スノウはハッと我に帰り、息を吐いた。


「……で?」


 喉の奥から声を絞り出す。


「その二つを繋ぐ場所が、俺の家にあるって? ……冗談きついよ。俺、ここに何年住んでると思って――」


 再び淡い水色の光が灯ると、別の映像を映し出す。


 ――積み上げられた書架。見覚えのある、いつも暮らしている部屋。その中央で、黒い奔流(ほんりゅう)を放っている銀髪の男――。


「この映像……」

「お前が俺に術式を放った時だ」


 イリヤの赤い瞳が、静かに映像を追う。


「あの時、探りを入れさせていた。……お前の魔力が、どこに一番強く響くかを」


 ――映像が部屋を離れて沈んでいく。床を抜け、書庫の階層を抜け、さらに下へ。

 やがて――スノウの知らない階層が映された。その場所に描かれた陣では、スノウの魔力に応えるように脈打っている。呼応し、共鳴するような不気味な脈動――。


 スノウの顔から、血の気が引いた。


「……嘘だろ」


 映像がそこで途切れた。精霊の輝きが弱まり、掌の上でくたりと丸くなる。


「その子、もう限界みたいだぞ。……ってか、場所がわかっても一体どうやって行くのか……わからなきゃ意味な――」


 イリヤは何も言わず、部屋の奥へ歩いていった。椅子を使って登り、小さな手を棚に伸ばす。色褪せたラベルの瓶を一本掴んだ。


「あ。ちょ……ちょっと、それは――」


 スノウが手を伸ばすより早く、イリヤの小さな手が瓶を振り(かざ)す。


 パリンッ!


 瓶が床で砕けた。


「いやぁぁぁ――! 俺のぉ!! 三十年ものの白ワイン!! 二年かけて手に入れた!! 一滴も味わってないのにぃ――!!」


 石床に澄んだ液体がじわりと広がっていく。イリヤはその縁に膝をつき、掌をかざした。


「――氷華」


 空気が凍てつき、広がったワインが音もなく凍り、白く澄んだ氷の面が生まれた。その奥から、淡い銀の光がゆっくりと滲み出す。


 ――映るのは、この部屋。黒ローブの男たちが、机に突っ伏して眠りこける銀髪の脇を素通りしていく。男たちが慣れた手つきで、床に積まれた禁書の山をどかしていく。書類の束を横へ滑らせる。

 誰かが本棚の本を数冊、入れ替えると床が、ずれた。地下へと続く真っ暗な闇が口を開けた。男たちが降りていくと床が閉まり、禁書の山が崩れて床を隠した――。


 スノウはひたすらその映像を碧い瞳で追った。いつも暮らしていた部屋に知らない人間たちが入っている。欠伸をして酒を飲み、居眠りをして――そのすぐ真下に、知らない場所への道があった。


「……まじかよ」


 氷が静かに溶けていく。


「……行くぞ」


 イリヤが立ち上がると視界が揺らいだ。スノウが慌ててふらつく肩を掴んで支える。イリヤの額に玉の汗が浮かんでいた。


「辛そうじゃん。少し休めば……?」

「ルリが待ってる。休んでいる暇はない」


 小さな足が歩き出す。スノウは剣を握り直し、砕けた瓶を一瞥して、それから苦笑した。


「……戻ったら、弁償してよ」

「弁償? お前が俺にしたことの弁償が、この一本で足りるわけないだろう」

「うっ……」

「あの日、俺がルリに何と言われたか……忘れたとは言わせないが?」


(すっごい根に持ってる、この人……)


「わかったら、黙って歩け」

「はいはい……」



**



 ……熱い。


 喉の奥が焼けるように痛み、ルリシアは激しく咳き込んだ。冷たい石の床に頬を預けても、体の芯の熱は少しも引かない。指先が痺れて足枷の重みが遠く感じられた。


 薄れていく意識の底で、ふいに懐かしい匂いを思い出した。



「ママー! みてみて! あついのでたー!」


 下町の小さな庭。魔法が初めて使えた三歳の頃の記憶。掌の上でぱちぱちと弾ける火の粉に、ルリシアは飛び上がって笑っていた。


「まあ、ルリシア。あなた、魔法が使えるのね?」

「だんろにね! ひをボッてしてみたの!」

「そう、すごいわ」


 洗濯物を抱えた母が目を丸くし、それから嬉しそうに笑った。

 褒めてもらえるのが嬉しくて、ルリシアはそれからたくさん魔法を使うようになった。


「母さん! ルリシアは四属性使えるぞ! この子は天才だ! 将来は大魔導士間違いなしだ!」


 仕事から帰った父が、自分のことのように大声で騒いだ。両親はどちらも魔力量が足りず魔法を使えない。それでも二人は、娘の力を心から誇ってくれた。


 ――だけど、魔法を扱うようになってからルリシアの小さな身体に異変が起こるようになった。


「ルリシアはまた熱を出しているのか……?」


 毎月きまって寝込む娘を、父はひどく心配していた。


「一度、有名な治療師に診てもらったほうが」

「大丈夫よ、あなた」


 母はいつも落ち着いていた。ルリシアを抱き上げて膝に乗せると、背中を優しく摩ってくれる。ゆっくりとした手の動きに合わせて、苦しかった息が少しずつ楽になっていく。


「四つの属性を扱うから、魔力のつり合いを保とうとして、体が順応しているんじゃないかって。……王宮の魔導士様が、そう仰っていたわ」


 母の胸に頭を預けると、静かな鼓動が聞こえた。トクン、トクンと優しい音。それだけで、世界が安全な場所に戻ったような気がした。


「ルリシア……大丈夫よ」


 母の手が、金色の髪を撫でる。


「そうだわ。ルリシアに、おまじないを教えてあげる」


 ――そして、母は歌った。


 素朴で聞いたこともない旋律に、子守唄というには不思議な歌だった。

 歌に合わせて背中を摩られていると、じんわりと温かいものが体に沁みていく。


 絡まった苦しみがゆっくりほどけてゆく。


 ――四つの色が、めぐる、めぐる……。



「……ぁ……」


 冷たい床の上で、ルリシアの唇がかすかに動いた。


(……なんだっけ……お母さんの、うた……)


 あの歌の続きは思い出せない。思い出そうとするたび、意識が水底へ引きずり込まれていく。

 母の温もりの懐かしさに、自然と涙がこぼれ、左手の指輪を濡らした。


 ――トクン、トクン。


 落ち着いた、力強い鼓動が伝わってくる。あの日の母の胸で聞いたものと同じくらい、温かくて優しい音。


(…………イリヤ)


 繋がっている。イリヤは無事でいてくれている。ルリシアはその安心を胸に抱き込むように、左手をぎゅっと握り込んだ。指輪の脈打つ音だけを頼りに、ゆっくりと意識を手放していく。

 巨大な鳥籠の中で――ルリシアの光が小さく灯り始めていた。

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