第13話 小さな騎士様
翌日。闇魔導学院の講義室には、帝国側の生徒たちとエメラルド学院の生徒たちが顔を揃えていた。
ルリシアの隣、大人用の椅子にクッションを重ねて座るイリヤの姿もあった。
「ねえ、あの子……」
「魔法事故で小さくなっちゃった生徒さんですって」
「大変……でも、可愛い」
帝国側の生徒たちのひそひそ声に、イリヤはむっと口を引き結んでいる。教室の隅では、スノウが頬杖をついて欠伸を噛み殺していた。
「――さて、皆さん。おはようございます」
教壇に立ったリヒトが、ぱんと手を合わせた。
「本日は、闇魔法のもっとも基本にして、もっとも重要な話をしましょう。……『媒体』の話です」
リヒトは左手を掲げた。その薬指で、黒い石の嵌まった指輪が鈍く光る。
「闇の魔力は、術者の心身を蝕みます。ゆえに我々は、決して素のままで闇を扱わない。必ず、道具を介して行使する。ピアス、指輪、杖――闇魔導士が身につける装身具は、飾りではありません。護身なのです」
帝国側の生徒たちが、それぞれの装身具を見せるように掲げると、エメラルド学院の生徒たちの視線が釘付けになった。
「先日ご覧いただいたエーテル・コアも、理は同じです。あの巨大な結晶そのものが、帝都全体の魔力を通す『媒体』。だからこそ、あれほどの力を誰も蝕まれることなく回せているのです」
「あの……先生」
セナが小さく手を挙げた。
「もしも、媒体なしで闇魔法を使ったら……どうなるんですか?」
リヒトの答えは、すぐには返らなかった。ほんの一拍、眼鏡の奥の瞳が翳る。
「……精神が、闇に還ります」
静かな声に、冷めた空気が教室に広がった。
「魔力の枯渇なら、休めば戻る。ですが闇に呑まれた心は――元には戻りません。ゆえに、媒体が私たち闇魔導士の心を護るのです。これだけは、決して忘れないでください」
重くなった空気を払うように、ライルが手を挙げた。
「先生。では、光魔法はどうなんですか? あれも四大とは根が違うと聞きます。光にも、媒体が必要なんでしょうか」
「……良い質問です。ですが、お答えできません」
リヒトは、あっさりと言った。
「答えを、知らないので」
「え……帝国でも光魔法のことはわからないのですか?」
「はい、光に関する一切は、ルーメンシア王国が国家機密として独占しています。体系も、起源も、外には何ひとつ出てこない。……私にも、本当にわからないのですよ」
困った表情に、ほんの一滴だけ学者の悔しさのようなものが滲んだ。だがリヒトはすぐに微笑みを戻して話を変える。
「ちなみに、私の媒体は先ほどもお見せした、この指輪。スノウは……ピアスでしたよね?」
教室の視線が、隅の銀髪に集まった。いつもなら「そうそう、お洒落でしょ♡」くらいは返しそうなものだが。
「……ん。まあね」
スノウは頬杖のまま、窓の外を見て短く答えただけだった。
(……スノウさん?)
ルリシアは小さく眉を寄せた。朝からずっと、どこか元気がない。
「では、最後に。少し難しい問いを出しましょう」
リヒトの声が、思考を遮った。
「なぜ、四大魔法は素手で扱えるのに――闇魔法は、媒体を必要とするのでしょう? その根本的な理由を述べられる人はいますか? あ、シルヴァリスの生徒たちはヒントを与えないように」
教室が静まり返る。ライルが眉間に皺を寄せ、ぶつぶつと呟き始めた。
「変換の負荷……いや、でもそれだと魔力量の説明が……」
誰も、答えられない。
「……『なくす』ちからだから」
沈黙を破った幼い声に、教室中の視線が集まる。イリヤはまっすぐ前を見たまま続けた。
「しだいまほうは、じぶんのなかにあるぞくせいを、そのままかたちにする。……やみは、ちがう。ぞくせいをいちど『なくして』、べつのものに、つくりかえる」
凛とした、けれどあまりにも幼い声。
「『なくす』ちからは、つかうひとにも、むく。だから――どうぐに、みがわりをさせる」
しん、と講義室が静まり返った。
「……あの子、今……」
「魔法事故の子でしょ……? 頭いいね……」
ざわめきが広がる中、リヒトの眼鏡の奥の瞳がすっと細められた。ゆっくりとイリヤの元へ歩み寄り、目線を合わせる。
「……完璧な回答です。誰かに、習いましたか?」
イリヤは、小さく首を横にふる。
「……ならってない。けさ、ほんをよんだ」
「本?」
「ルリシアの。つくえのうえにあった、くろいやつ」
ルリシアは、ぱちくりと目を瞬かせた。
(黒いのって……あの、図書室で借りた魔導書!?)
『闇魔法体系概論』。辞書ほどもある、あの分厚い一冊だ。帝国に来てから少しずつ読み進めているが、専門語だらけで、ルリシアでもまだ半分も読めていない。
(あれを、今朝の短い時間で……? いつの間に……)
「ぜんぶよめば、わかる」
イリヤは、当たり前のことのように言った。
教室の隅で――スノウの頬杖が、かくんと外れた。碧い瞳から、眠気が完全に消えている。
「そうですか。生まれ持っての才能なのでしょうか? ……さすがですね」
リヒトはゆっくりと頷きながら、教壇へ戻った。
ルリシアはといえば、隣で拍手をしたいのを堪えながら、胸の奥に小さなさざなみを感じていた。
(さすがだけど……すごいけど……)
昨日、ボタンを全部掛け違えていた子が。
(……イリヤ?)
少し離れた席では、ライルが一人静かに机に突っ伏していた。
(小さくなったイリヤさんにさえ敵わないなんて……!!)
**
午後の帝都。服屋を出ると、街並みは賑やかな活気に溢れていた。
イリヤの新しい服は動きやすそうな白いシャツに紺のズボン。すっきりと年相応の装いになった小さな姿が、ルリシアと手を繋いで歩いている。
「……ひどいと思わない? ルリちゃん」
その後ろで、大荷物を持たされたスノウがぼやいた。
「俺が勧めた服、ぜーんぶ拒否だよ? 闇魔導士ローブのちびっこサイズ、絶対似合ったのに」
「あはは……」
ルリシアは苦笑いするしかなかった。むしろ全部拒否できて安心したと思わざるを得ないほどのセンスを、今日の彼も発揮していた。
「あら? スノウじゃない」
通りの向こうから、艶やかな声がして、三人の足が止まる。昼の光の下でも隠しきれない色香を纏った女が、ひらりと手を振って歩いてくる。
――サーシャだ。
「珍しいわね、昼間から。……あら?」
その視線が、ルリシアの上で止まる。
「なぁに、その可愛い子。彼女?」
「え」
「えっ」
固まる二人には構わず、サーシャの視線はさらに下――繋がれた小さな手の先、イリヤへと落ちた。
「……ん? え? 子ども?」
サーシャの目が、まん丸になった。
「ちょっとスノウ、あんた……いつの間に結婚して、子どもまで……」
「えぇ!? あ、そう見える? やだなぁ、俺たちそんなふうに見えるんだ。ルリちゃん、俺たちお似合――いったぁ!!」
照れながら頭をかいたスノウの脛を、小さな靴がガツンと蹴った。
「痛いなぁ……! ちょ、なんで!?」
当のイリヤは、ぷいとそっぽを向いている。理由は、本人にも分かっていないようだった。
「違います! 私とスノウさんはそんな関係じゃないです! 私には恋人がいるので……」
ルリシアは真っ赤な顔で否定しながら、繋いだ小さな手を握る力が無意識に強くなった
慌てるルリシアの様子にサーシャは「ふぅん?」と笑いながら、屈み込んでイリヤの顔を覗き込んだ。
その笑みが、ふと止まる。
「……この子」
まじまじと、紺色の髪と赤い瞳を見つめる。
「あの夜の彼に、そっくりね。ほら、スノウ。あんたが夜交館に連れてきた……」
「あー! あーあー、サーシャさん!? その話は――」
「夜交館……」
ルリシアの声が、すとんと低くなった。スノウの背中に、じっとりと汗が滲む。
「いい男だったわぁ。うちの子たちが総出で口説いても、眉ひとつ動かさないの」
サーシャは懐かしむように、くすりと笑った。
「あたしが挨拶で少し近づいただけで、こう言うのよ。――『気安く触れないでくれ。俺には、決めた相手がいる』って」
ルリシアの息が、止まった。
「あんな一途な堅物、うちの店じゃ初めて見たわ。女の子たちに囲まれても、仏頂面で『結構だ』の一点張り。挙げ句、飲み潰れたこのバカを朝まで介抱して……ほんと、連れてこられて災難だったわね、って同情したくらい」
「……連れてこられて」
ルリシアが目を細めて、スノウを見る。
「……スノウさん、やっぱりあなたがイリヤを無理矢理連れて行ったんですね?」
「…………はい」
スノウは観念したように、がっくりと肩を落とした。
「……俺が、無理やり連れて行きました。情報が欲しくてさ。イリヤは最後まで嫌がってたし、断るならルリちゃんを代わりに連れてくとか言っちゃって……それで、仕方なく」
「私!?」
「ごめんなさい! ほんとごめん! だからあの朝のあれは、全部俺のせいです! イリヤは何っにも悪くない! ……ルリちゃん、ごめんね」
茶化しのない反省した様子に、ルリシアは何も言えなかった。
香水の匂いに、頭が真っ白になったあの朝。話も聞かずに「知らない」と言い捨てた。
今、冷静に思い返せばイリヤは、ちゃんと説明をしようとしていた。それなのに自分は――。
じわりと目の奥が熱くなって、ルリシアは繋いだ小さな手を、きゅっと握った。
「……?」
イリヤが不思議そうに見上げ、何も覚えていないように首を傾げて、まっすぐにルリシアを捉える。だけど、謝罪の言葉は今はまだ届かない。
「……ううん。なんでもない」
ルリシアは涙を堪えて、小さく笑った。
「あらあら」
サーシャがその様子を見比べて、意味ありげに口角を上げる。
「……なんだか、いろいろと複雑そうね」
それ以上は聞かず、彼女はすっとスノウに身を寄せた。
「さ。それより本題よ。例の件――耳、貸しなさい」
声音が変わった。スノウの顔からも、へらへらした色が消える。二人は少し通りの端へ離れ、声を潜めて何かを話し始めた。
「……本当か、それ」
「ええ。ただね、妙なのよ。攫われた連中の足取りが――」
途切れ途切れに届く、密やかな声。ルリシアが気を揉みながら見守っていた、その時だった。
――くい、と繋いだ手が引かれた。
「イリヤ?」
見下ろすと、イリヤが通りの脇――建物と建物の隙間、昼でも暗い路地の奥をじっと見つめていた。
その入口で、ちらりと青いものが光る。水の精霊が路地の奥へ尾を向ける。「こっち」と言わんばかりに、チラチラと振り返りながら奥へと進み出した。
イリヤはルリシアの手を離すと水の精霊を追い、路地へ駆け込んでいった。
「え、ちょっ……イリヤ!?」
ルリシアは慌てて後を追う。狭い路地は薄暗く、積まれた木箱や樽の間を、小さな体はするすると進んでいく。大人の体では、そうはいかない。
「ま、待って……イリヤってば……!」
木箱の角に肩をぶつけ、蜘蛛の巣を払い、必死に追いすがる。やがて路地が折れ曲がる角で、ようやくその背中に追いついた。
「もう、だめだよ勝手に――」
言いかけたルリシアを、イリヤが振り返った。
そして、小さな人差し指を、自分の唇にすっと立てる。
「……しー」
静かに、短く。
その仕草に、ルリシアははっと口をつぐんだ。
――今のは、なんだか。
とても幼い子どもの仕草ではない。気配を消せ、と目で告げてくる。その赤い瞳の鋭さは、彼女のよく知る騎士のものだった。
イリヤは木箱の陰に身を低くして、角の先を見つめている。ルリシアもそっと隣にしゃがみ、視線の先を追った。
路地の抜けた先、裏通りに――数人の男たちがいた。
紋章のない、揃いのローブ姿。その足元に、ぼろを纏った小さな子どもたちが数人。怯えた顔で身を寄せ合う子どもらを、男たちが荷物のように幌馬車へと押し込んでいく。
「……っ」
ルリシアは、思わず声を上げそうになった口を、自分の手で塞いだ。
(……誘拐!?)
助けなきゃと、考えるより先にルリシアの体が動きかけたが――小さな手が、ルリシアの手首を掴んだ。
「……だめだ」
イリヤが、首を横に振る。
「あいては、よにん。ろじは、いきどまり。……いまでたら、あのこたちが、たてにされる」
ルリシアは、凍りついた。
(イリヤの言う通りだ。むやみに飛び出していけば、あの子たちが傷つく)
幌が下ろされ、馬車が静かに動き出す。まるで、ただの荷運びのように。白昼の帝都の、光の届かない場所で――それは、あまりにも手慣れた静けさで行われていた。
車輪の音が、遠ざかっていく。
ルリシアはあの怯えた顔した小さな子どもたちを思い、握りしめた拳が白くなるほど、動けない自分を噛みしめていた。
イリヤが右手を持ち上げる。肩口から水の精霊がするりと滑り出る。
「……おって」
短い指示に、精霊は音もなく地面へ降り、路面を伝う一筋の流れとなって馬車の後を追っていった。
ルリシアは隣の小さな横顔をじっと見つめた。
(記憶は、幼い頃に戻ってるはず……だよね?)
今朝の魔導書といい、さっきの仕草といい、今の冷静すぎるほどの指示。
(本当に……戻っているのかな)
馬車の去った方角を見据える赤い瞳。それは、まるで小さな体の中で、ルリシアの知る騎士がゆっくりと目を覚ましかけているように見えた。




