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第11話 おまえでいい

「ちっっっさいイリヤァァ!?」


 その静寂を最初に破ったのは、エリックだった。回廊中に響き渡る大声に、幼い少年がびくりと肩を跳ねさせ、きっとエリックを睨みつける。


「うるさい」

「うわ、睨み方がもう本人だ……」


 セナが両手で口元を押さえ、目を輝かせた。


「ちっちゃ……! え、待って、かわいいんだけど……!」

「セナ、落ち着きなさい」


 レイラが制しながら、少年を観察する。艶やかな紺色の髪に、印象的な赤い瞳。口元を引き結んだ、そっけなさそうな表情――見間違えようがない。


「うん、やっぱりイリヤよね。何の魔法にかかってこうなったのかしら……ライル、視える?」


 ライルが眼鏡の位置を直し、じっと少年に視線を注いだ。魔力感知に長けたその瞳が、すっと細められる。


「……術式の残滓は、視えます。ただ――」


 ライルの眉間に、深い皺が寄った。


「一つじゃない。二つの術式が、絡まり合ってる……? こんな組み合わせ、見たことがありません。少なくとも、学院で教わるどの体系でもない」


 解読しようと、なおも少年をじっと凝視する。


「……みるな、めがね」


 凝視されていた少年が、むっと眉を寄せて言い放った。


「「めがね?」」


 ライルとリヒトの声が、ぴたりと重なった。二人同時に、自分の眼鏡へと手をやる。


「……眼鏡をかけているからといって、めがねと呼ぶのは安直すぎですよ」

「同感です。眼鏡は知性の証であって、呼び名ではありませんからね」


 ライルの抗議に、リヒトが真顔で深々と頷いた。妙なところで結束する眼鏡二人に、レイラが呆れた視線を送る。


 リヒトはこほんと咳払いを一つすると、少年の前へゆっくりと歩み寄り、目線を合わせて膝を折った。銀縁眼鏡の奥の藍色の瞳が、静かに術式の紋様を「読んで」いく。


「……二つ絡んでいる、というのは正解です。よく視えましたね」

「え……ほ、本当ですか!? ……先生ほどでは、ありませんが」

「いえいえ、その歳で大したものです」

(褒められてるのに、なんか悔しい……)


 ライルは照れつつも、どこか複雑な顔で天を仰いだ。

 リヒトはふむ、と一つ頷くと、表情をあらためた。


「……これは、厄介だ」


 いつもの柔らかな微笑みが、わずかに(かげ)る。


「ひとつは記憶に干渉する術式。もうひとつは――人格の形成に関わる術式。本来なら決して交わるはずのない禁呪同士が、媒介を経て融合し、彼の中で固着している」


 リヒトの指先が、少年の周囲に漂う黒い残滓をなぞった。


「記憶は、消えたわけではなさそうです。おそらく幼い頃まで巻き戻されている。見たところ、体の年齢と同じあたりまで」


 藍色の瞳が、少年の小さな体を見て細まる。


「記憶だけではなく、還元の術が暴走して、肉体にまで及んでしまったようですね。……闇魔法単体では、本来こうはならないはずですが」


 独り言のように呟いて、リヒトは小さく首を振った。


「こ、固着って……解けるんですよね? 先生……!」


 ルリシアの縋るような問いに、リヒトはすぐには答えなかった。


「……無理に解けば、絡んだ術式ごと記憶を損なう恐れがあります。最悪、元の彼には戻らない。解術の糸口は探しますが――正直に言って、容易ではない」


 ひゅ、とルリシアの喉が鳴った。


 リヒトは立ち上がりざま、氷点下の微笑みをスノウへと向けた。


「――で。何をしたら、こうなるんです?」

「あー……えっとぉ」


 スノウはがしがしと銀髪をかき回すと、諦めたように白状した。


「イリヤが俺の恥ずかしい秘密を覗いたからさぁ、ちょこーっとだけ記憶を消そうとしたわけ。そしたらこの共鳴鉱石が邪魔して、パーって」

「パーって、じゃありません」


 リヒトのこめかみに、うっすらと青筋が浮かぶ。スノウが懐から取り出したのは――中心に黒いひびの走った、光を失いかけの鉱石だった。


「共鳴鉱石は、ご覧の通り。もう使えませーん」

「…………」

「あ、でも朗報もあるよ? 腕輪は取れた! ほら」


 スノウが小さなイリヤの腕を掲げてみせる。


「イリヤが縮んだおかげで、手首からすっぽ抜けて取れたから、鉱石はもう必要ないってわけ!」

「そう言う問題ではありませんよ」


 リヒトが深いため息をついた。


 そんなやり取りの傍らで、ルリシアは、そっと少年の前に膝を折った。目線の高さを合わせ、心配そうに顔を覗き込む。


「イリヤ……大丈夫? どこか、痛いところはない……?」


 赤い瞳が、じっとルリシアを見つめ返した。

 長い、長い沈黙。

 やがて少年は、小さく首を傾げた。


「……おまえ、だれだ?」


 突き放されるような言葉に、胸が苦しくなる。


「私、ルリシアだよ。覚えてない?」

「しらない」


 ――知らない。イリヤが、私を知らない。

 ううん、違う。私と出会うずっと前に戻ってしまっている――。


 わかっているはずなのに、その一言は、思っていたよりずっと深くルリシアの胸を刺した。

 謝りたかった。ちゃんと話を聞かないでごめんね、って。伝えたい言葉が、たくさんあったのに。その言葉を受け取るはずの人は、もう、ここにいない。


 堪える間もなく、青い瞳から涙が零れ落ちた。


「……あなたが泣かせたんですよ?」


 リヒトが冷ややかにスノウを見やる。


「え!? お、俺!? いやだって、ちょ――ご、ごめんって、ルリちゃん! 泣かないで!?」


 スノウが血相を変えて両手を振り回した。


「だ、大丈夫だから! ね、ルリちゃん! 幼いイリヤに戻っただけだから、最悪でも固着の術式さえ解除できれば、あとは自然に成長するはずだからさ! ほら、そしたらちゃんと元のイリヤに戻るって! 十数年待てば――」


 しゃきん、と。

 鞘走りの音とともに、レイラの剣先がスノウの鼻先に突きつけられた。


「十数年、何ですって?」

「なんでもないです」


 スノウが両手を上げて即座に降伏する。


「……るり、しあ」


 幼い声がした。イリヤが、泣いているルリシアをじっと見つめている。


「おまえは、なにがかなしくて、ないてるんだ」


 それは……。

 ルリシアは、言葉に詰まった。


 ――あなたが、私を忘れてしまったから。喧嘩をしたまま、まだ仲直りできていないから。もしもこのまま、元に戻らなかったら――。


 いくつもの想いが渦を巻いて、胸が苦しくて、何ひとつ言葉にならない。ただ、ぽろぽろと涙ばかりが零れていく。


 イリヤは困ったように眉を寄せ、しばらく視線を彷徨わせていたが――やがて、ぎゅっと握りしめていた小さな手を、ルリシアの前にそっと差し出した。


 開かれた掌の上で銀色の指輪が、きらりと光る。


「……これ。おまえのと、おそろいだ」


 ルリシアの左手で光る指輪と、掌の上の指輪。イリヤは二つを見比べて、まっすぐルリシアへと視線を向ける。


「ずっと、にぎってた。……でも、おおきくてつけれない」


 ぶかぶかの袖から覗く、小さな小さな指。


「どうしたら、いい?」


 ――絆の指輪。


 二人の想いに応えて顕現した守護精霊ライアス。その結晶石を埋め込んだ、二人を結ぶ絆の証。記憶を失っても、体が縮んでも、彼はそれを手放さずに握りしめていた。


 指輪が二人を繋いでいる。


「…………っ」


 涙を流しながら、ルリシアは小さな体をぎゅうっと抱きしめた。


「……!?」


 腕の中でイリヤが驚きで身を固くした。けれど、振りほどこうとはしなかった。


「……預かっておくね。イリヤがまた、つけられるようになるまで」


 震える声で、それでもはっきりとルリシアは誓った。


「必ず、元に戻すから」



**



「――さて」


 しんみりとした空気を、リヒトがぱん、と手を打って切り替えた。


「事情が事情です。この件、しばらくは内密に。……交流会でお迎えしたお客人を、こんな姿にしてしまったと帝宮に知られたら、外交問題どころでは済みませんからね」


 その言葉に、その場の全員の顔が引きつった。


「それで、当面この子はどうするの」


 レイラの問いに、一同が顔を見合わせる。


「はいはーい、俺が面倒みるよ」


 スノウがひょいと歩み寄り、イリヤの脇に両手を差し入れて抱き上げた。


「俺の責任だしさ。それにほら、何か思い出したりしたら、俺がそばにいた方が――」

「……おまえ、いやだ」

「なんで!?」

「きもちわるい」

「ひどぉい! 小さくなってもドSなの変わらないね!?」


 じたばたと暴れるイリヤを、スノウが涙目で掲げ続ける。


「当然でしょう。腕輪が外れたのだから、あなたとなんて一緒にいたくないはずよ」


 レイラが腕を組み、冷ややかに言い放った。


「それに、あなたに預けてまた何かやらかされたら、今度は存在ごと消えてしまいそうだもの」

「だな。イリヤは、相当うんざりしてたぜ」

「エリックくんまで!?」


 即答で同意され、スノウががっくりと項垂れる。その隙に、イリヤはするりと腕から抜け出した。


「はい、はーい!」


 セナが元気よく手を挙げる。


「ルリが面倒見るのが一番でしょ! なんせ恋人だし!」

「え、ええっ、私!?」


 うろたえるルリシアに、セナがすすっと近寄り、耳元に口を寄せた。


「私、しばらくレイラの部屋に居るからさ。二人っきりで堪能するといいよ!」

「た、堪能ってなに!?」


 顔を真っ赤にするルリシアの足元に、いつの間にかイリヤがちょこんと立っている。見上げてくる赤い瞳と、目が合った。


「……でも、イリヤは……私で、いいの?」


 問いかけながら、そっと小さな体を抱き上げる。


「おまえでいい」


 真っ赤な瞳にまっすぐ見つめられて、ルリシアの言葉が詰まる。


 甘い沈黙が落ちた。


「……記憶なくしても、あれなのね。本能なのかしら?」


 レイラが頬を染め、口元を押さえて呟き、セナが両手で顔を覆って悶えた。

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