第9話 共謀者
「ふ、ふふっ……ご、ごめん、ルリ。でも……!」
寮の一室。ベッドに突っ伏して泣きじゃくるルリシアの背を、レイラは優しく撫でながら、必死に笑いを堪えていた。
「あのイリヤが、女の子を侍らせて朝までだなんて……ぷっ、くっ、想像できないわ……!」
とうとう堪えきれず、ぷっと吹き出してしまう。
「わ、笑わないでよぉ……!」
「だってぇ」
セナも口元を押さえ、肩を震わせながら必死に耐えている。
「学院で、数々の令嬢たちに言い寄られて、全部涼しい顔であしらってきたイリヤくんが? 女の子の店で? でれでれと鼻の下を伸ばして? ……ぷ、ぷふっ!」
「無理、無理! 想像したら別人すぎてムリッ!」
二人が顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「もぉ〜! 二人とも、ひどい〜!」
ルリシアが涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、抗議する。
「わ、わかってるよぉ……! イリヤが、そんな人じゃないことくらい……ちゃんと、わかってる……!」
言いながら、またぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「どうせ、あの銀髪が無理やり連れて行ったんでしょ」
レイラがやれやれと肩をすくめる。
「あの人、見るからに女好きそうだもの。イリヤは巻き込まれただけよ。腕輪のこともあるし。……ま、あの人、黙ってればとんでもない美形なのに、何であんなに残念なのかしら」
「わかる。黙ってればイケメンなのに……」
セナがしみじみ頷き、また二人で顔を見合わせてぷっと笑う。
「も〜! だから笑わないでってば!」
ひとしきり笑ったあと、セナが表情を和らげた。
「でもさ、ルリ。早く仲直りした方がいいよ。こういうの、時間置くとどんどん気まずくなるんだから。ちゃんと話しな?」
「そうよ」
レイラも優しく頷いた。
「イリヤだって、今頃きっと相当落ち込んでるわよ。大好きなあなたに『知らない』なんて言われて……。早く、仲直りしてあげなさい」
ルリシアはぐすっと鼻をすすった。
「……今は、無理」
枕に顔を埋めて、小さく呟く。
「まだ感情の整理ができない……。それに……あんなこと言っちゃって……今はイリヤに合わせる顔が、ない……」
そのいじらしい呟きに、レイラとセナはそっと顔を見合わせて苦笑した。どちらからともなく、泣きべそのルリシアの頭を、よしよしと撫でてやるのだった。
**
その頃。闇魔導学院の一室に、凍てつくような空気を纏った男が足を踏み入れていた。
イリヤである。その眉間にはかつてないほど深い皺が刻まれ、全身から絶対零度の不機嫌が滲み出ている。
その隣には――まるで打ち捨てられた死体のように、床に引きずられて眠りこけているスノウの姿があった。二日酔いで完全に伸びている。
「……おや、これはこれは」
部屋の主、リヒトがその惨状を見て藍色の瞳を丸くした。
「いったい何があったんです? イリヤくんをここまで怒らせるとは」
「リヒト先生」
イリヤが、地を這うような低い声で言った。
「俺が――こいつの手首を斬り落とす衝動を、辛うじて堪えている間に」
ぎろり、と赤い瞳が光る。
「腕輪の鍵を、完成させてくれ。早急に」
その凄まじい殺気に、リヒトはこめかみに手を当てながら深々とため息をついた。
「……私、完全にとばっちりではありませんか。この、ばかスノウのせいで」
足元の銀髪を、じとりと見下ろす。当のスノウは「ぐがぁ……」と、幸せそうないびきで応えた。
「鍵の作製は進めています。すでに八割方は完成しているのですが……」
リヒトが言いにくそうに続ける。
「いかんせん、材料が足りません。特殊な鉱石がもう一欠片必要でしてね。生憎、この学院の備蓄は切らしておりまして」
イリヤの眉が不快げに寄る。
「……その鉱石は、どこにある」
「さあ。ですが――」
リヒトの視線が、再び足元へと落ちた。
「この男が集めているはずですよ。禁書やら鉱石やら、珍しいものを溜め込む癖がありますから。……こら、スノウ。起きなさい」
リヒトがつま先で押すようにスノウをつつく。
「んぁ……? な、なに……」
スノウが薄目を開けた。
「例の、共鳴鉱石。あなた持っていましたよね?」
「……あー……あるよぉ……ぼくの、家に……」
「なら、早急に取りに行ってください」
「……え〜……きもち、わるくて……うごけ、ない」
半分寝ぼけたまま、スノウが呟く。
「今動かなかったら、永遠に動かなくなりますよ? 短い生涯をこんな情けなく終わらせるつもりですか?」
「ひどぉい……リヒトが代わりに行ってきてよぉ」
スノウは駄々をこねるように、ごろごろと左右に転がった。
「今すぐ取りに行く。動け」
イリヤが冷たく言い放った。
「えぇ〜……勘弁してよぉ……」
死にかけの声で抗議するスノウを、イリヤは容赦なく引きずり起こす。
二人が部屋を出ようとした、その時だった。
「――イリヤくん」
背後から、リヒトの声がかかった。その声に振り返ると、彼はいつもの穏やかな微笑みを浮かべたまま、しかしどこか静かな目でイリヤを見ていた。
「一つだけ、忠告を」
声を潜め、ゆっくりと告げる。
「そのスノウは、あんな体たらくですが――決して、ただの阿呆ではありません」
藍色の瞳が、すっと細まった。
「あなたが思うより、ずっと厄介なものをその身に抱えている。……油断はなさらぬことです」
イリヤの足が、一瞬止まった。
「……どういう意味だ」
問い返すが、リヒトはただにこりと笑うだけだった。
「それは私には、お答え出来かねます。私は教師ですので」
その言葉の真意を測りかね、イリヤはしばしリヒトを見つめた。リヒトは表情を変えずにイリヤを見つめ返す。
「んぁ……? ふたりして……なんの話?」
床でぐったりしていたスノウが、うっすら目を開けて、どこか疑わしげな顔を浮かべる。
リヒトはにっこりと微笑んで返した。
「何でもありませんよ。手首が惜しければ、さっさと鉱石を取りに行ってください。私も忙しいのですから」
「……何それ、二人とも鬼畜……うぷっ」
スノウはそれ以上考える気力もないらしく、再びぐてりと突っ伏した。
イリヤは無言で踵を返した。
**
帝国立図書館の、最奥。
うずたかく積まれた禁書に囲まれた、スノウの私室の前に、二人は辿り着いた。
「うっぷ……はい、ここで待ってて」
まだ足元のふらつくスノウが、扉を開けながらひらりと手を振る。
「中はぐっちゃぐちゃだからさ。人に見せられないの。すぐ鉱石取ってくるから」
言うなり、イリヤを扉の外に残し、スノウは中へ入っていった。カチャンと内側から鍵をかける音。腕輪の許容距離、ぎりぎりだ。
――だが。スノウの姿が消えた直後。
イリヤの足元で小さな影が動いた。
透き通った、小さなトカゲのような姿。水でできたその身体の中に――小さな鍵が一本、透けて見えている。
――水の精霊。
精霊は小さく喉を鳴らすと、その口からぺっと鍵を吐き出した。スノウの部屋の鍵。あらかじめこの精霊をスノウの懐に忍ばせ、掠め取らせておいたものだった。
イリヤはそれを拾い上げ、ほんの少しだけ口の端を上げた。
「……よくやった」
その一言に、水の精霊は全身をぷるぷると震わせて大喜びした。嬉しそうにするするとイリヤの腕を這い上がり、その頰にちょこんと身を寄せる。
イリヤは音もなく鍵を差し込み、扉を開けた。そして――すっと、己の気配を殺す。
室内では――。
「あー、もう、どこやったっけなぁ……」
スノウが散らかり放題の部屋の中を、鉱石を探してがさごそと引っかき回していた。あまりの散らかりようで目当ての物が一向に見つからないらしい。おかげで、背後に忍び込んだイリヤの気配にもまるで気づいていない。
イリヤの視線が、部屋の中央の机に落ちた。
乱雑に積まれた書類の山。その一番上に、開かれたままの一冊の分厚い記録書。何気なく目を走らせて、イリヤの動きが止まった。
書き連ねられた、おぞましい文字列。
『禁断魔法』『人体錬成』『素材の確保』『人格形成の術式』。そして、几帳面に記された作業計画書。
イリヤの赤い瞳が、氷のように凍てついていく。
(……禁断魔法。人体錬成に、素材、だと)
貧民の失踪にサーシャの言葉。すべてが、この一枚の紙の上で繋がっていく。消えた者たちがどこへ行ったのか。何に使われているのか。
(……ずいぶんと物騒な計画書だな)
「――あった! 共鳴鉱石! これこれ、これだよ〜」
その時、奥からスノウの声が響いた。鉱石を手に、へらへらと笑いながら振り返り――そして。
凍りついた。
閉めたはずの扉の内側に立っているイリヤ。そして、その手に握られた、己の計画書。
「……っ!? な、なんで、お前が中に――!!」
スノウの顔から血の気が引いていく。
「不、不法侵入だぞ! 勝手に入るなんて――!」
喚くスノウを、イリヤはただ静かに見据えていた。手にした計画書を、ひらりと掲げる。
その赤い瞳には、もはや一切の温度がなかった。
「……なるほど。全て、不正解だな」
低く、凍てついた声。
「犬でも、手下でも、捨て駒でもない。――まさか」
イリヤの視線が、スノウをまっすぐに射抜く。
「皇太子の、共謀者だったとはな」




